Windows7の先行予約が始まったとマイクロソフト社からのメールが届いたのは6月26日(金曜日)の朝。
見出しは「感謝を込めて期間限定の優待価格! アップグレード版が 7,777 円 -Microsoft」
先行予約は6月26日(金)から7月5日(日)の10日間。
限定3万本、お見逃しなく!といった内容。
Vistaのように失敗を繰り返さない。XPで使っているコードをそのまま7に引き継ぐような設計。しかも、Vistaよりも爽快に動く。アップグレード版は XPとVista 全エディションからでも可能と、別のサイトで書かれているので、まあ予約してもいいかなと思って、予約。
Windows7 Home premium 半額7,777円、Professional 半額14,777円
数字が7777になっているのは、ウィンドウズ セブン にちなんだものでしょう。
メールに気付いたのは朝だったので、予約が取れたのですが、なんと、その日の夜はHome premium予約受付終了。ビジネス向けのprofessionalは翌日の午後になって受付終了になったらしいです。
どこの企業でもVistaはXPとの互換性がなく従来のシステムに対応できるかどうか不安もあるためVista搭載のパソコンをXPにグレードダウンしているので、発売9年経ってもXPのユーザーが圧倒的に多い。
Windows7 は XPのコードをそのまま引き継ぎ、従来のソフトやハードでも問題なく動ける保証もあるので、期待も大きいかなと思います。
私はコンピューターに詳しいということではありませんが、単なる「新しいもの」好きで飛びつくだけ。(笑)
XPの発売は2001(平成13)年11月16日から
Vistaは2007年(平成19)年1月30日から。
XPの次が出るのはおよそ5年かかりましたが、今回のVistaから7へはわずか2年。
(2009年10月22日、日本語版発売予定。正式発表は7月7日)
まるでXP(2001年11月)につなぐまでのわずか1年だった、ME(2000年9月発売)のようだ。
(実際、MEもよくフリーズするなど不評なOSだったらしい)
記念切手が発売されるたびに必ず買っているわけではないが、今回はデザインが沖縄なので、買ってしまいました。
全国各地の昔懐かしい風景を切手にしたもので、今回は「ふるさと心の風景」第5集(6月23日発行)。
第4集(3月2日)は西多摩郡檜原村が1シート10枚のうち1枚、檜原の切手だけまとめ買いしたいところでしたが、シートごとの販売だそうです。
バラ売りは希望する切手が残っていれば1枚でも大丈夫らしい。
郵便局ごと販売方針が異なるみたい。
郵便局が民営化された頃のテレビコマーシャルで何度か沖縄県の竹富郵便局が出ていました。
沖縄の伝統的建造物を局舎にした全国から見れば非常に稀で珍しいです。
地図を見ると、竹富島は石垣島のとなり。
与那国島も含め、ポストに投函すると「八重山」の消印になるみたいです。
窓口で押してもらったほうが良さそう。
地図にマウスを乗せると尺度を変えられるので、沖縄本島からどのくらい離れているか把握できます。
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「ふるさと心の風景」シリーズは主に昔懐かしい風景、
「旅の風景」シリーズは各都道府県の観光地を題材にしたもの。
東京都の予定があれば、伊豆諸島や小笠原の「旅の風景」を作って欲しい。
青く澄み切った小さなプールのような入り江に白い砂浜(小笠原の南島)、青ヶ島の丸山、八丈島の名古展望、御蔵島のイルカ・・・・数えあげればきりがないほどたくさんなので、切手の売上も期待できるかも。
製造30~40年経過している古い電車ばかりの房総半島。
国鉄の車両が好きな方だと懐かしむことはできるけど、この電車はすごく苦手。
車内に入ると、国鉄のにおいがプンプン(たぶん、車内消毒液のにおいかも)、揺れも激しいし、モーターの音もすさまじいし、4人掛けボックスは全部埋まるとひざがぶつかり合うほど窮屈。降りるときも「すみません、降ります」と頭下げるの苦労する。
中央線、青梅線、京浜東北線に空気清浄機付き、様々な情報が見られるカラーモニター付き、座り心地のよいシート、あまりうるさくはなく静かな走行音の新型電車が相次いで投入されたため、そのお下がりを房総各線用に改造し、そのうち運用する予定だそうです。
最初から新しいものは造らず、古いものをもらっていくのが千葉支社の特徴らしい。
・鉄道情報総合サイト (京浜東北線のスカイブルーから房総色へ変更作業中)
房総半島はローカル線ムードの漂う古い電車が定着しているのですが、この電車に置き換えられるので、最南端の安房鴨川や勝浦、館山もこういう通勤型電車が日常になるのは遠くないだろうかと思われる。
首都圏で唯一の非電化、久留里線(木更津~上総亀山 32.2キロ)のディーセルカーも7月4日から昭和30年代に登場したときの色(朱色とクリーム色のツートンカラー)に戻すとのこと。
わずか32.2キロの盲腸線だが、終点まで1時間かかる。
停車時間も含め、時速を計算してみると平均40キロ。
の~んびり流れる車窓の景色も良さそう。
昭島~奥多摩の青梅線も同じく32.2キロ、電車でも1時間。
(駅の数は20、久留里線は12)
・JR東日本千葉支社 懐かしい国鉄色を復活させます (PDF形式)
そういえば、昭和50年代の山陰本線もツートンカラーのディーセルカー。
写真は昭和53(1978)年の長門二見駅。(30年前は出札係、改札係、ホーム係、荷物受付係、線路ポイント係など8人も駅員がいたらしい。今は無人駅)
国鉄電車よりもディーゼルカーに愛着があるので、今度ひまを見つけては乗ってみたいな、と思います。
青ヶ島に暮らす+++1/200のシンプルライフ+++のブログで放送日情報をゲット。
・TV放映情報 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!(テレビ東京)
事前に録画予約し、準備万全。
9時から始まり、早く青ヶ島が出てこないかな・・・と首を長くして待っていたら、9時半頃放送が始まりました。
八丈島から青ヶ島に移動すると、なんと・・・島影が無くなっていました。
「日本地図の関東地方にある
伊豆諸島の南にぽつんとひとつ
ゴマ粒ぐらいの島がある。
それが私たちの島です。
でも、悪い地図にはのっていません」
昭和30年代の文集「くろしお」に載っていた作品のとおり・・・。 芸能人モンキッキーさんが八丈島で3日間足止めを食らい、やっと船で青ヶ島に上陸。
私は4回青ヶ島に行っているのに、すべて100%予定通りでした。
3月の大島はその日のうちに帰れなくなった経験があるのに、行き先が青ヶ島だとなんと運がいいでしょう・・・・!?(笑) テレビではビックリ仰天!!!あり得ない!!!と連発していました。
「うつぼ」に似ている「カンベーメ」をイカのするめで釣り上げるところまでは良かったのですが、食べ方が非常に珍しい。
浜で火をおこし、そのまま放り投げる「丸焼き」。
青ヶ島のブログでは見かけたものはほとんど天ぷらにしていました。
こういう放り投げ焼きは初めて。
これも素潜りしながら釣る、青ヶ島名物の「泳ぎ釣り」。
「田舎に泊まろう」もテレビ東京なので、芸能人が「360度海が見渡せる島に行ってみたい」というリクエストの配達先は100-1701にしてくださいな~。
この島に有名人が来たのは、プロレスラーの藤波さん(2007年)、モンキッキーさん(2009年)くらいかな。
研修の帰り、京葉線の電車に乗ったときのこと。
1本前の内房線乗り入れの君津行きは乗り逃してしまったので、蘇我で乗り換えだな・・・とそう思っていたら、
千葉みなと駅で向かいのホームに「京葉快速 君津」の方向幕。
いつも蘇我で乗り換えなのに、千葉みなとでの快速同士のツーショットになるのはありえない。
ここで乗り換えていれば、待ち時間なしで帰れる、ラッキー!と思っていたが、電車はいっこうに動かない。
蘇我行きの電車が次々と通り過ぎる。
動かないなら、乗客はその電車を乗り捨てるはずなのに、座席は埋まっている。
なぜ動かないか、知りたい。
車掌さんはずっと向こうの端っこだし、歩いていくのも面倒。
ホームで歩いていたら、電車が動き出すかもしれないし・・・。
もしかしたら、方向幕は誤りで東京行きかも?と頭をよぎった。
運よく、私の隣に人相のよい女性が座っていたので、「すみません。快速の君津行きって出ていますけど、遅れています?」とメモを差し出した。
「八幡宿から五井の間に人身事故があったらしく、9時15分運転再開予定ですと放送がありました。東京から蘇我までは通常運行中です」
「私には全く情報が入らなかったので、とても助かりました。ありがとうございます」
・・・・・9時15分になっても動かず。
ご自身の携帯電話に「9時15分再開の予定でしたが、警察の現場検分がまだ終わらないみたいですので、少し遅れます、と放送がありました。どちらまで行かれるのですか?」と打ち込み、その画面を見せてくださいました。
「同じ駅なんですね。では、この電車が先に着くはずなので、待ちましょう」 中央線や山手線などの新型電車はドアの上にカラー液晶のモニターが取り付けられ、JRだけではなく、接続する私鉄や地下鉄の遅延情報もこまめに表示されますが、千葉支社は1世代前の古いものばかりなので、目から情報を得るようなモニターなどはありません。
でも、私の知りたい情報を的確に筆談またはメールの画面を打ち込み、文字で教えてくださる方がいらして、とても助かりました。
降りる前に頭を下げましたが、ここで改めてお礼を申し上げます。
帰りにいつも無料のイオン水を汲むときについでにゴーヤを1本。
庭でゴーヤを育てれば、ニョキニョキ収穫できるので、来年からはチャレンジしてみようかな。
ポテトとゴーヤーは相性がよく、カレー粉を少しまぶしながら炒めたらしい。
「スパム」も入れるなどにして、まさしく沖縄。
(沖縄の家庭料理に欠かせないものは「スパム」、お茶も緑茶ではなく「さんぴん茶」)
ハン尚宮(母)の血圧を毎日測ってみたところ、ゴーヤ効果があったのか、135以上の高血圧記録は皆無。平均120の良好な状態が続いています。
さて、ゴーヤはダイエット効果があると言われているのですが、つい間食や甘いものを口にするので、なかなか体重が減りません。 夏野菜たっぷりのゴーヤ、玉ねぎ、いんげん豆、ピーマン、人参、エビを材料にカレーを作ってくれました。
レストランでゴーヤ入りのパスタを頼むと、薄っぺらにスライスされたものが少しだけ。「ゴーヤはたったこれだけ?ちっぽけだなあ」というのが感想だが、こちらは厚い半月切りでした。
(注意)川のせせらぎ音が出ます。
焼きたてのヤマメの塩焼きが運ばれてくるのが嬉しい。
紅葉の季節、新緑の季節に撮影した動画とタブらないように編集してみました。
奥多摩周遊道路が夜間通行止めになるため、車やバイクは滅多に通らなくなります。
真夜中でも川のせせらぎ音が絶えず聞こえてくるらしい。
平地が熱帯夜でもこちらに来ると、エアコンがなくても涼しくなるらしい。
6月上旬だというのに、夜は寒くて毛布と布団必要でした。
今日は1年の中で最も日照時間の長い、夏至の日。
昨日までは寒くも暑くもない、快適な日だったのに、急に蒸し風呂のような暑さになりました。
書くネタがなくなったので、今日のちょっとした出来事。
何もない田舎に便利な楽天市場などのネットショッピングなので、宅配業者がよく来ます。
ネットのほうが送料無料、しかも店舗より安いところも。
郵便なら赤い軽トラック、白いワゴンに赤文字の「JP EXPRESS」は旧ペリカン便。
緑色にクリームはクロネコヤマト。
佐川急便は軽いものだと軽自動車、大きくて重たい荷物はトラックでやってきます。
JPエクスプレスとクロネコヤマトさんはいつも同じ配達員さんが来ているので、もう顔見知り。
夕方6時半頃、我が家の前に軽自動車が止めているのがわずかに見えた。
「なんか宅配業者みたいだけど、何か頼んだかな?」
宅配業者かと思って、玄関に出ると、作業着の方が手に何も持たずだったので、門前払い。
この前もドアを開けたら、スーツ姿に名刺。もちろん、話を聞かず門前払い。
2年前だったと思うが、訪問販売の言葉巧みな話術に引っ掛かり、クリーニングオフ(契約解除)の通知を出した。
1時間以上も居座り、とんだばっちりを受けたことがあるので、アポイントなし訪問販売はすべてお断り。
頼んでもないのに、見知らぬ人がいきなり訪ねてきては困りますし・・・。
モニターで訪問販売だとわかると、居留守を使えばよいと思うが、しつこくやってきては非常に迷惑だし、きっぱり断るために玄関に出るのも億劫。
うまく撃退できる方法はないかな・・・?
またもや「青ヶ島」で検索しても出てこなかった、最近出たばかりの本をご紹介します。
「宮本常一が撮った昭和の情景 下巻 昭和40年~昭和55年」
毎日新聞社 ISBN 978-4-620-60640-8 定価 2800円+税
2009年6月10日発行
宮本常一氏は1907(明治40)年、山口県の周防大島に生まれる。
1955(昭和30)年から亡くなる直前の1980(昭和55)年までに35ミリフィルム約1600本、10万点あまりの写真を撮影。
残されたフィルムは長男が1999(平成11)年に周防大島町に寄贈され、周防大島文化交流センター所蔵。
昭和41(1966)年7月22日~27日の間に八丈島と青ヶ島の様子を撮影されたものが載ってあります。 「黒潮物語」は昭和25(1950)年から昭和36(1961)年の様子だが、こちらの写真は昭和41(1966)年7月27日、東京に出発する直前の三宝港の様子だと思われる。
昭和30年代だと、ただの船着き場の風景だったのに、昭和40年台に入ると、ようやく小さな桟橋のようなものが出来ています。
左に見える大きな岩は今のようにまだコンクリートで埋まっていません。
昭和30年代だと船が年に4~5回来なかったのに、昭和40年以降はこの島にわたるのも容易になった、と書かれています。
今から100年も前(1865年頃)は1年も機会を待ち続けても、ついに来なかったということさえあったらしい・・・。
昔は非常に大変だったらしいだが、今だと天候が良ければ都心から日帰りも可能だ。
2009年6月現在のダイヤ(ヘリと船両方動いていれば・・・)
東京羽田 ANA821便 7:45 → 八丈島 8:35 12,500円(特割)
八丈島 東邦航空11便 9:20 → 青ヶ島 9:40 11,210円
青ヶ島 還住丸 13:30 → 八丈島 16:00 2,380円
八丈島 ANA830便 17:10 → 東京羽田 18:00 12,500円(特割)
合計 38,590円
旅費4万近く、わずか4時間の滞在ははもったいないので、秘境探検や観光も兼ねて民宿で2泊程度がお勧めです。
動画編集の仕方を忘れてしまいそうなので、「かのと岩」の動画をアップしてみました。
真っ二つに割ったような大岩の下にチェーンやはしごが取り付けられているので、ちょっとしたアスレチック気分を味わえました。
ドックおじさん(父)は真っ暗なトンネルを抜けたあたりの左側にチェーンを取り付けた仮設歩道らしきものを見つけ、なんとそこを通ってきました。
滑りやすく、一歩間違えていれば冷たい渓流に転落してしまいそうです。
1分程度の動画をお楽しみください。
檜原村の観光スポット地、お勧めできる場所です。
黒潮物語は国立国会図書館所蔵の
「青ガ島教室 : くろしおの子と五年間」1955年刊
「くろしおの子 : 青ケ島の生活と記録」1955年刊
「黒潮のはてに子らありて : 青が島教師十年の記録」1961年刊、
いずれも著者は高津勉先生、この3冊のどれか内容は似ていました。
国立国会図書館の資料は館内閲覧のみになっているので、書き写すか、複写サービスを利用しなければなりません。
国立国会図書館で調べたものはほんの一握りだけど、高津勉先生の書かれた3冊を凝縮した「黒潮物語」は手元にあるので、便利になりました。
「俺はこんな窒息死しそうな狂った東京を離れて、紺碧の大海原と緑の別天地に行くのだ」、そんなつもりで向こうの事情をよく知らないまま1ケ月半かけて、青ヶ島にたどり着いた高津先生。
「エイチ、エイチ、エイチ」と掛け声とともに船から小さな艀に乗り換え、やっと命がけで船着き場に到着。
昔の船着き場から急な坂道(今でいうと都道236号線の上手回り)を必死に登るのに両手をついて這いあがるといったほうが正しかったそうだ。
赴任先になる小中学校の建物を見て、あまりにもショックで気が遠くなりそうになってしまった。どう見たって、ただの古ぼけた小屋のようなものだ。
子供たちも大人も島言葉を話しているため、同じ日本人なのに言葉が通じず。
やがて夜になり、電気をつけようと思ったが、電灯はぶら下がっていない。
電灯の代わりにランプに火をつけると、薄明るい光がたった1人の部屋をわずかに明るくしている。
外は漆黒の暗闇、物音1つもしない。まるで死んだ世界のようだ。
ビュービューと風が唸るような音、ザザーザザーと遥かに黒潮の音。
物音はそれだけだ。
東京の物騒さから逃れたいと思っていたのに、この静かすぎる不気味な静寂は、もっと耐えがたい恐怖だった。
よし、次に定期船が来たら、逃げようとひそかに考え始めたのだが・・・
教科書もなく、クニ(内地)に比べると非常に劣っているのに心を痛め、悪しき島の習慣を取り除き、斬新な教育革命を施した。
島の将来のために様々な方針を打ち出したところ、「よそから来たモンのくせに生意気な!おんがし(青ヶ島のこと)伝統を打ち破るなんて許せない」と先生の家に殴りこみに来る騒動もあったらしい。
でも、先生の考え方は悪くもなく正しいので、そのときの味方は子供たちだったとか・・・。
今も新しくて近代的な建物の小中学校で歌われている「黒潮おどり 雲なびき 緑萌ゆる 青ヶ島 八丈眺む 中原に建てる学び舎に わが母校~♪」の校歌も策定、生徒たちを初めての修学旅行引率、図書室を設けるなどにして、大きな業績を残されました。
この本を読めば読むほど昔の青ヶ島を知るようになり、はまってしまいそうです。
「青ヶ島」で検索してもなかなかヒットしなかった本をご紹介します。
タイトルは 黒潮物語、著者は小沢さとし氏。(現在、長野県上伊那郡箕輪町の「美空ひばり歌の里」館長さん)
発刊年はとても古く、1983(昭和58)年3月、当時の著者は45歳。 1番最初のページを開いたとたん、大変興味深い内容になっています。
本書では「高瀬勉先生」と表現されていますが、内容は1950(昭和25)年から1961(昭和36)年まで青ガ島小学校の教師を務めた高津勉先生の実話に基づいた小説になっています。
「青ガ島小学校教師募集」の張り紙を見た高津先生が自ら青ヶ島行きを名乗ったとき、教育庁関係者の職員たちは非常に驚き、「あなた、青ヶ島のことをご存知なんですか?」「いいえなにも・・・」。
真面目な顔で言う高津先生の顔を若い職員はあきれ顔でまじまじと見た。
よほど物好きな男だと思ったのだろう。
(俺はこんな窒息死しそうな狂った東京を離れて、紺碧の大海原と緑の別天地に行くのだ)
東京脱出は昭和25(1950)年11月8日 午後7時。
翌朝、船は八丈島に着いたが、「2、3日のうちには行けると思いますよ」とうやむやのまま、ほとんど毎日欠航。
足止めを食らった高津先生は八丈高校の教壇に立つことになったが、青ヶ島に行きたい気持ちは変わらず。
八丈島から出ている連絡船黒潮丸は年内に出るのは無理なので、緊急の物運搬船の「八丈丸」という漁船でやっと青ヶ島行きが決定。
東京を出て、1ケ月半後の12月15日、青ヶ島の地を踏むことができたと書かれています。 想像を絶するほどの島影を見て、非常にカルチャーショックを受けたときの感想は語弊があるかも知れませんが、とても面白く書かれています。
(写真は中村太郎 作品展 「東京都青ヶ島 1959」の一部)
私も中学のときからずっと青ヶ島に行きたいと夢見て、実際に上陸できたのは今から10年前の1999年。
ヘリコプターで空から降り立つ余裕はなく、還住丸で三宝港に近づくつれにそびえたつ断崖絶壁を見上げながら「同じ東京だというのに、まるで最果ての秘境に来てしまった」と少ながらずカルチャーショックを受けました。
何回も青ヶ島に行くようになると、この風景は見慣れてしまいましたが、初めての方は非常に驚くかなと思います。
タイトルを「黒潮物語」よりも「青ヶ島物語」にすると、本の存在をいち早くキャッチしていたかも知れません。
数日前から大ヒット上映中の「?????4」。
日本語文字を入れると、検索エンジンからアクセスが増えそうなので、とりあえず、その部分はハングルにしておきました。
このシリーズの中で1番印象に残る作品はやはり、1991(平成3)年公開の「T2」でしょう。
「T2」はテレビ放映が何度かあったし、鉄がスライムのように溶け、再び人間の姿になる場面は3次元グラフィックスとはいえ、18年前の技術ではどうしてもあり得ないはず。
斬新なシーンにハラハラドキドキしながら何回も見たことを思い出します。
その作品のストーリーはうろ覚えだが、未来の世界指導者となる子供を守衛するために未来から送り込まれた2台同士が凄まじい争い、溶鉱炉で溶かしコンピュータの情報を抹消する場面がラストシーンだったと思う。
それでも執念深く生き続けていたため、6年前に「T3」登場。
今回の「T4」はさらに凄まじく、パワーアップしているに違いないと期待していましたが・・・監督が変わったので、前作までの全く別物だと考えてよいかも知れません。
いきなり死刑囚の体にコンピューターなどの機械を埋め込むという、冒頭の場面。
登場人物も変わっているし、相対図がなければちょっと理解しづらいところもありました。
人間の大きさではなく、あの巨大なロボットが新型「T」?ちょっと違うな?
戦闘シーンばかりでストーリーの流れがちょっとめくちゃくちゃ? バイク版の「T」ですかね??
無人走行でもまるで人間が乗っているかように操れます。
ラストシーンは完璧に抹消したというわけではなく、途中で終わっているかように見えたので、数年後に「T5」登場になるかも・・・。
映画のシリーズで1番面白いと思えるのは「チャイルドプレイ」。
20年以上前の1988年初上映。
殺人鬼の魂が「グッド・ガイ」という人形に入りこみ、人形の姿で生きている人間を乗っ取ろうといろんな悪さをする場面が傑作。
最後に見たのは5作目の2005年。
人形同士が結婚し、人形の姿をした子供が生まれた場面がラストシーンなので、子供が大きくなったらどうなるか、続編もまた出るはず。
最初に出た、1988年の作品はまるでホラーのようで画面から不気味さも漂わせるような雰囲気だったが、回数を重ねるたびに笑えるようなコメディーが増えているような気が・・・。(笑)
???・・・これを韓国語読みにすると「オーマノン」。日本語だと「ゴマンウォン」。
韓国では10000?(≒1000円)が最高紙幣なので、円からウォンに両替すると「万」の札束が返ってくるので、一瞬お金持ちになったような気分になります。
財布もすごく厚くなり、両替の金額が多ければ入りきれない場合もあるので、その分厚い財布を持ち歩くのはちょっと不安。
日本みたいに 5千、1万円に相当する 5万、10万ウォン札があれば・・・と思っていたところ、ようやく、韓国で6月23日から 5万ウォン発行することになりました。
5万ウォンのデザインは こちら (韓国のサイトに飛びます)
1000? 青色(旧紙幣は赤)
5000? 少し茶色
10000? 緑色
今度は黄色が出ました!
日本の5千円札は初めて女性の「樋口一葉」(1872年~1896年)が採用されたと同じように、韓国も女性になっていますね。
韓国ドラマ「チャングムの誓い」にハマった方ならすぐにお気づきかと思いますが、女官長や尚宮たちと同じように長い三つ編みを頭のまわりに巻きつけた髪型。
これを「オンジュモリ」と言うそうだ。
身分が高くなると、さらにボリュームアップ、王族だと重さ5キロになるので動くのも相当大変だったかも知れません。
なんと、5000?の肖像になっている、韓国の儒学者「??」(李珥 イイ 1536年~1584年)の母上(お名前は「????」(申師任堂 シン サイムダン 1504年~1551年)。
申師任堂は女流書画家で7人の子供に対して教育熱心だったそうです。
母子そろって紙幣の肖像になるのは、良い母のお手本になって欲しいという願いを込めているかも知れませんね。