今年もそろそろ見納めになりそうなので、記念撮影。
種から育てている白菜。
9月22日に撒いてから60日以上経過。
2ケ月過ぎても、この大きさとはもどかしい。
コンピュータのゲームみたいに種撒いてすぐ芽が出て収穫というわけじゃないし、根気よく育てなければならないのです。 白い斑点のようなものがついています。
ついに病気にかかってしまったのか!?と思ったら、これは石灰系のカルシウム肥料を葉の上にうっかり落としてしまったとのこと。
収穫時に白い斑点がついている葉を取り除けば大丈夫みたいです。 久しぶりに「肉じゃが」が出ました。
春雨は日本製で原料は「じゃがいも」から。
韓国のチャプチェでも日本製の春雨でも美味しいですが、韓国製だと原料はコクマ(さつまいも)だそうです。
日本の春雨は「肉じゃか」、韓国は「チャプチェ」に合います。
ハン尚宮(母)は日韓どちらも作れるのは、数年前にすごくハマってしまったドラマの「チャングムの誓い」のおかげかな。
ドックおじさん(父)のチャリンコ荷台です。
チャンリンコは自転車だと通用できますが、韓国から伝わってきたらしいです。
ハングルで「???」と書き、チャジョンコと読みます。
音韻変化で日本では「チャリンコ」。
ハングルで書かれた箱を荷台に取り付け、簡易の「カムジャミョン(じゃがいも麺)」の宣伝カーに早変わり。
箱のパッケージに書かれている言葉を和訳すると
「信頼できる食物 マルチパック
ノンシム(農心)
ノンシム(農心) じゃかいも麺
ジャカイモから作られた、コシのつよ~い、麺!」
自転車もクルマも同じ通行区分なので、クルマのドライバーもハングルが目に行くわけだが、宣伝効果はどうなんだろ?
でも、この付近にじゃがいも麺が売られているところはないみたいです。
じゃかいも麺は我が家では大好物。
パッケージに書かれているとおり、まるでお餅のようなモチモチした食感が美味しいです。
興味ありそうな本を借りてきました。
新刊はチェックしているのに、この本はなぜか見落としたな・・・と思いきや、発刊年は2004年3月20日なので、5年前でした。
郵便番号を見ただけでどの地域になるか、見当がつくほど地理に関しては得意ほうかなと自負しています。
「無番地」で有名なのは、全国で唯一、東京都青ヶ島村。
平成21年10月1日現在の人口は175名、天下の東京都に属しているのに、日本一のミニ自治体です。
無番地Tシャツもゲット、夏季のみ着用しています。
小笠原への旅行に牛祭りなど青ヶ島のTシャツばかり着ていたため、「おいおい!ここは小笠原。小笠原ならでのシャツを着たほうが・・・」と友人に言われたくらい。
無番地は青ヶ島だけではなかった。新宿区も「無番地」がありました。
無番地といえば、秘境な場所を連想してしまいますが、新宿区内にもあるなんて信じられませんね。
それは・・・新宿区四谷1丁目無番地 のJR四ツ谷駅。
戸塚駅(神奈川県)、浜松駅(静岡県)などの鉄道駅に無番地が多いのは「国有地」の名残だそうです。なるほど・・・。
○丁目○番地○ という住居表示は、土地区画整備が進んでいる都市部に多い。
ブロックごとに順番に割り当てられているので、目的の場所をおおまかに特定できますが、郊外など住所表示のない田舎だと単に○番地だけ、というイメージもあります。
新宿区内の地名に番地だけで終わりというところも多いのは意外でした。
新宿区●●○○番地というシンプルな住所を抱えている住宅や企業ビルも多いそうです。
うちの故郷(山口県)も無番地なので、住所を書かずに郵便番号と氏名だけでちゃんと届くか検証したことがあり、その結果ちゃんと配達できました。
でも、都道府県名から記しておいたほうが、丁寧で親切な印象になります。
気がつけば、11月も残りわずか。
1年なんてあっという間に過ぎ去ってしまうような気がします。
年末年始の民族大移動に備え、JR東日本の「えきねっと」で事前予約を試みました。
事前予約とは、乗車日の1ケ月前の10時00分になったとたん、全国各地の「みどりの窓口」から一斉に椅子取りゲームのようなものが行われ、運よく席が取れたらラッキー。
「えきねっと」はみどりの窓口で並ばなくても、10時きっかりに座席を抑えてくれるかと思いきや、数秒後に「ご希望の指定席券確保できませんでした」と携帯に届いたこともあったので、100%の保障はできないのです。
・よくある質問(事前予約について)
今回も「えきねっと」を利用するつもりでしたが、寝台列車は例外でした。
・よくある質問(寝台列車について)
びゅーカード会員のとれTELなら申し込みができるそうです。
電話ができない代わりに直接、駅へ事前予約申し込み。
整理番号をもらい、10時過ぎに窓口の横に貼り出される結果一覧表で確認できるようなシステムでした。
昼休み、確認に行ったら、すべて○がついていました。ほかの申し込まれた方々も希望通り確保。今年の年末年始は長いので、たぶん、分散型かな。
高速1000円は1月1日から5日までなので、年末のJRや飛行機は混雑するかと予想していましたのに意外でした。 端末(マルス)が新しくなっていました。
従来の熱転写タイプではなく、いつかは文字が消えてしまいそうな感熱タイプ。
乗車記念として、切符を手元に残しておくので、文字が消えないインクリボンのほうがいいのに・・・。
ANAの搭乗券(国内線)も熱転写から薄っぺらの感熱紙に変わってしまったし、これも時代の流れでしょうか。
感熱紙はいつか変色するし、文字も消えてしまう。
切符にAの文字が入っていれば、新しいタイプのMEX型だそうです。
歓迎しないものがつい来てしまったか・・・。 入れ替わる前のMEM型端末。
インクリボンで印字する熱転写なので、永年保存も可能だが、印字コストもかかります。
今は液晶画面で操作する、とてもコンパクトにまとめられていますが、昔は机ほどの大型で、緑色のピンで駅名を差し込むようなタイプでした。
モニターはモノクロでフォントは緑色、客からでもよく見えるので、満席を示す「NO」が出たらかっがり・・・。そんな時代もありました。(笑)
楽天市場からお取り寄せ。
キムチ用の唐辛子を注文したので、気を利かせてくれたのかビニール手袋もおまけでいただきました。
????(クェンチャナヨ)主義なのか、<wbr></wbr>おまけも付くらしいです。
クェンチャナヨは沖縄の「なんくるないさー」に似ていて、「細かいことは気にしなくてもいいですよ」「大丈夫ですよ」というニュアンスもあり、韓国人が好んでよく使う表現。
前回もキムチ用唐辛子、イワシエキス、オキアミも多量に注文、メールアドレスも .kr (韓国)ドメインなので、韓国人??なんて思われたかも知れない。(笑) 韓国ドラマ「チャングムの誓い」に何度か出ていた、宮廷料理のひとつ、チャプチェ。
ドラマの中ではハン尚宮(母)の得意料理になっていますが、偶然にも母も得意料理の一品に含まれています。
自家製キムチと一緒にいただくと美味しい。
およそ300年前に日本の唐辛子を朝鮮半島に香辛料として輸出し、朝鮮半島の土壌により品質改良を繰り返しながら現在に至っているみたいです。
300年前といえば、1700年あたりですね。
チャングムの誓いに出ている国王さまは11代の中宗(??)チュンジョン)」というお名前で在位は1506年から1544年なので、その頃はまだ唐辛子が出回っていないことが伺えます。ドラマの宮廷料理を見ても、唐辛子を使った料理1品もありませんでした。
1910(明治43)年、大日本帝国が現在の北朝鮮も含む朝鮮半島を併合し、大日本帝国の領土になる。
もちろん、朝鮮語禁止、強制に日本の姓名に改名させるなどなどの抑圧を受けた人々達が大日本帝国の思想に反対する運動を起こすようになり、日本の建てた刑務所に入れられたり、唐辛子を飲ませるなどの拷問や、やみくもに死刑執行など虐待が行われたそうです。
・?????????(韓国語)
・西大門刑務所歴史館(日本語)
6年前の2003年は写真の撮り方とか、まったく素人のため、こんなのしか撮れず残念。
(館内の写真が1枚もなかったので、もしかしたら、撮影禁止だったかも) 敷地内にある、死刑場。
実際に使われたものをそのまま保存されています。
ホンモノです。
解説文(ハングル・英語・日本語併記)
(無断で載せてしまいましたので、顔はぼかしてあります)
人の写っていないほうを探しましたが、その1枚しかなかったので・・・。
チャプェから次々と関連付けし、大きく話が脱線してしまいました。
明晴学園のホームページに載っていたものです。
・明晴アルバム(収穫祭)
よく見たら、ある有名人にそっくりです。
どなたでしょうか?
イーグルスの投手。
すぐさま本人にメール。
「まあ、以前からよく言われています」とのことでした。
それにしてもやせましたねぇ・・・。
テレビでは全然気づかないけど、激やせ、だそうです。
母島の南崎(小笠原村)で素潜りする動画を撮影しましたが、まるで金魚泳ぎのようで絵にならなかったけど、今は引き締まっているらしい??
【再掲】小笠原母島の南崎
写真だとよくわかりませんが、11月25日(水曜日)午後7時頃。
帰宅途中の道です。
これから静電気の季節を迎えるのに、濃霧が出るのは非常に珍しいです。
いつもなら、遠くの住宅地から漏れる明かりが点在しているはずなのに、今日に限っては真っ暗。いつも見慣れた道だというのに、ちょっと不思議な気分になりました。
そういえば、青ヶ島も梅雨の季節は真っ白の世界になるのはしょっちゅうだというのに、11月にしては珍しいです。
遠くからでも信号機が見えるのに、今日はかなり接近しないと色が見えません。
信号機のある場所はすでに把握しているので、その場所に差し掛かると徐行しながら信号を確認するなどにして、いつもよりは倍以上気遣う運転で帰宅。
パソコンの日本語入力はローマ字とキーボードに刻印されている「かな」があり、どちらも選択することができます。
「かな」入力は4行のキーボード、しかも位置を全部覚えなければならず、ちょっと大変。
和文タイプライターで図書請求記号ラベルを作るのですが、「かな」入力なので、最初の頃は1文字1文字探すのに手間取ってしまいました。今はもう慣れてきました。
ローマ字入力はアルファベットの組み合わせで打ちますが、50音もある「かな」よりも半分なので、位置さえ覚えていればキーボードを見なくてもすらすらと打てます。
携帯電話はわずか12個のボタン、あ行から順番に配列されているので、文字を入力するだけで予測漢字候補一覧も出てくるので、苦労せず入力できます。
日本人は日本語キーボードや携帯電話でもスラスラと文章が打てるのは当たり前のように見えますが、外国人から見れば日本語は50音のひらがなとカタカナ、しかも漢字の組み合わせなので、世界で一番難しい言語だそうです。
携帯電話は12個のボタンだけなのに、日本語の文章を作れるなんて、アルファベット26文字だけの英語圏から見れば神業のように映るかも知れません。 最近、携帯電話の技術がすさまじく進歩したのか、ハングルでも対応できるようになりました。
日本製の携帯電話はハングル非対応かと思ったら、アプリケーションをダウンロードするだけでハングルの入力ができるようになるのは驚きです。
試してみたのは、???? (ハナメィル)のサイトを見て携帯電話にダウンロード。
韓国の携帯電話に刻印されているキー配列は下の2、3番目。 これはオリジナル方式。
左は子音、右は母音。
これは「かな」を見ながら入力する方法に似ています。
「かな」は1文字に1文字だが、こちらは左の子音と右の母音の組み合わせで1文字ができます。
試しに ?? ?? ??... (私は毎日キムチ…)を試しに打ってみましたが、?の次に?を打つつもりが、なかなか出てきません。何ででしょうかね?難しい。
? もどうやって出せるか不明。 これはLGタイプ。LGといえば、韓国でよく見かける電機メーカーのマークです。
キーには刻印されていない、隠された文字ばかりなので、難易度アップ。
韓国人は12個のボタンだけで操れるのはすごいな~。
日本でもおなじみの電機メーカーの「サムスン」方式。
これもまるでパズルみたいで全然わかりません・・・。
????
Eメールも登録すると、携帯電話に転送されます。
もちろん、ハングルも対応しています。
いつもの携帯メールにハングルが混じっていると、なんだか違和感がしました。
10年前の携帯電話(1999年頃)はディスプレイがまだモノクロで、今のようにカメラがついているのは考えられませんでした。
カラー液晶が出回るようになったのは、2000(平成12)年頃、携帯電話の背中に11万素のデジタルカメラ。その場で撮ってリアルタイムに送れるものなので、当時はとても斬新な機種でした。
あれから10年・・・デジタルカメラに劣らないほどの高性能500万素デジカメ付き、お互いに顔を見ながら手話で会話が可能なテレビ電話、パソコンのインターネットと同じように見られるブラウザ付き、世界各国のローミング対応により、どこに行っても使えるなどこれだけでも大きく進歩したなと思ったら、外国語も対応できるグローバル化になりつつあります。
昨夜、よく話を聞かずに新鮮な刺身を堪能。
その後、1個下の記事に「伯母がさばいてくれたヒラソ」と載せてしまいましたが・・・。
ヒラソ(関東ではヒラマサ)にしては、身が白いなあ??と不思議に思っていました。
漁村生まれだというのに、魚の種類に疎いとは恥ずかしいです
ヒラソではなく、ヒラメという魚で、伯母があらかじめさばいたのではなく、いとこからいただいたものだそうです。
ごめんなさい、山口の鮮魚=(イコール)伯母の概念が頭に刷り込まれてしまって・・・。
いとこの藤尾憲美さんはわが故郷で議員をやっていたので、とても有名になっています。
安倍前首相の奥様とお友達なので、安倍昭恵のスマイルトークで時々紹介されています。
2008(平成20)年8月15日の記事は「二見」になっていました。
何もない寂れた二見に地域活性化を提案したもので、二見漁港の近くに鮮魚の直売所を建立。
活きた魚を生簀に入れ、活きたまま売りさばくのがモットーのようなので、今まで素通りしていたドライバーが買われていくほどの大繁盛になったそうです。
・元気な浜 地域活性化は活魚直売所から
いつも見慣れた自分の家のはずなのに、数日間はなんだかよそよそしい雰囲気が漂っていましたが、今日はたくさんのお土産を抱えながら帰ってきました。 いつも日本海の鮮魚を送ってくれる、伯母が私のためにチラシ寿司を今朝作ってくれました。
我が家では滅多に作らないので、本当に懐かしい味。
いつも、ありがとうございます。 これも伯母がさばいてくれた、ヒラソとアオリイカ(みずいか)の刺身。
昨日、近所のジョンホ先生が釣れたてのスズキを届けてくれました。
以前いただいたときも大物、熟手(スクス)のドックおじさん(父)がカナヅチを使ってさばくのを見たことがあります。
カナヅチと包丁を使ってさばくなんて、今までそんな経験がありません。
内臓が飛び出すのも怖いし~。
まるごとそのまま冷蔵庫で保管したところ、ハン尚宮(母)いわく「すぐに内臓とか取るなど処理をしないと腐敗が早くなる。早く取っておかないと、日持ちはできないんですよ」とのこと・・・。
頂いてから2日程度経過してしまいましたが、鮮度は大丈夫でした。
ありがとうございます
またハイビスカスが咲いてくれました。
南の島だと勘違いしているみたいだけど、これから冬本番になります。
大雪が降っても咲いてくれたら嬉しいです(笑)
大掃除の最中、アシダカグモに遭遇。
アシダカグモはゴキを退治してくれる益虫だということは頭の中では理解できていますが、見た目は不気味。
こういうものは家の中にいて欲しくないです。
新聞のチラシを丸めて、テープで止める即席の「アシダカグモたたき」。
チラシを袋のように折りたたみ、袋の内部はガムテープを取り付け。
即席の棒でクモを袋の中に逃げてしまえば、ガムテープで捕獲、死骸を見ずにゴミ箱の中に葬る方法を考えていた。
ところが・・・アシダカグモはバカではなかった。すばしっこく動き回り、袋の中へは逃げず。
隙間に逃げてしまい、姿をくらましてしまう。
隙間と隙間の間にホコリが溜まっていたので、掃除機で吸い取り。
そのとき、這いまわっていたので、即席の棒で一撃。袋はちりとり代わりにして、まるごとゴミ箱へ。
たたきつぶしてしまったので、このあたりを雑巾で念入りに拭き取り。
ゴキは殺虫剤スプレーで一撃、すばしっこく這いまわる力が弱ってきたら、2度と現れてこないようにデイッシュで何重かに包んで指で圧力かけてからゴミ箱へ。
相手は小さな虫だというのに格闘するだけでも本当に疲れました。
2007(平成19)年7月2日発行の東京都ふるさと切手「奥多摩湖とリンドウ」。
例年なら奥多摩へ紅葉狩りに出かけるはずなのですが、国王さまの親孝行で山口の田舎へ里帰り中なので、切手で代用。
切手の図案はちょうど今頃の風景になっています。
日曜日は出勤なので、今日はどこも出かけずに年末に迎えての大掃除。
浴場の見えないところのカビ駆除、キッチンの換気扇、2ケ所ある換気扇、照明器具に付着したホコリの拭き取り・・・いろいろ。
特に換気扇は1年分のホコリや油がついているので、きれいにするのも大変だった。 せっかくよいお天気なのに大掃除で家の中に閉じこもりとは、もったいない。
小さな「秋」を見つけに近所へ散策。
ここは結構田舎なので、奥多摩に似たような風光明媚な風景が見られるところも・・・。
わざわざ奥多摩に出かけなくても、この景色で我慢しますか。(笑) このあたりは「寺谷」(てらやつ)というところです。
寺谷・・・漢字変換一発で出てきました。
秘境のように見えますけど、実際は街に出るまで30分程度。 市の木は「イチョウ」なので、あちこち見られます。
こちらは寺谷小学校付近のイチョウ並木。
黄金色に輝いているのは今のうち。しばらくすると、葉が散ってしまい、冬の寂しい風景になってしまいます。
大好きな檜原や奥多摩の紅葉風景がお預けになってしまった代わりに、近所の風景をご紹介させていただきました。
左は本屋の新刊コーナーで見つけたもの。
右は図書館で借りたもの。
「県境マニア!」「廃墟という産業遺産」、どちらもマニアックな本です。
県境マニアのなかで特に面白かったのはJR飯田線・小和田駅(駅舎の住所は静岡県浜松市天竜区内だが、付近に愛知県・長野県の県境あり)。
この駅の近くに唯一の一軒家があり、大正生まれのご夫婦が暮らしているとのこと。
大正生まれというのは1926年以前なので、80歳を超える計算。
著者の石井裕氏が取材したときの内容も載っていました。
この駅に直接ダイレクトできる車道もないのに、郵便配達はどうしているだろう?といろいろ調べてみたところ、郵便配達員が電車に乗って配達しているみたいです。もし、最大限30キロのゆうパックだったら、大変かも・・・。
県境を跨ぐ旅館やホテル、大型ショッピングセンターなども紹介されているので、興味深いです。
建物の中に県境のモニュメントや廊下に県境線が引かれているのも面白い。
千葉県は江戸川で東京都と埼玉県との都県境線が引かれているし、茨城県も利根川で県境。(一部例外あり)
千葉県は陸続きで県境線が引かれていないのは幸い。
10年以上昔の話になるが、東京都保谷市(現 西東京市)からわずか40メートル、埼玉県で暮らした経験がある。
わずか40メートルのせいで東京都の境をなんでこっちに引いてくれなかったんだと悔しい思いをしたとか・・・。(でも数ヶ月で転居してしまいましたが・・・)
大田区と川崎市は多摩川で潔きよく県境が引かれているので、紛争もなかったみたいですが、多摩あたりだと東京都が神奈川県や埼玉県に突っ張るなど何度か変更や修正を繰り返し、今の形になったみたいです。
日本の首都、東京都ブランドが欲しいからでしょうか・・・。
日本一秘境の青ヶ島村だって、「東京都」。都に準じた行政サービスを受けられます。 2002年9月。
当時、北朝鮮マニアだった私についてくれた、ヨングクさんと同行したとき。
ここは韓国と北朝鮮の国境付近、DMZ(非武装地帯)の板門店(パンムンジョム)。
向こう側の3人は北朝鮮兵、手前は韓国兵(アメリカ人)。
停戦会談場に北朝鮮側からのゲストがいなくなるのを見計らい、韓国兵が建物内に誰もいなくなったのを確認してから、北朝鮮側の扉付近、国境線に兵士が立哨。
準備を整えたら、今度は私たちが入ります。 右側の兵士は北朝鮮への亡命防止のため、立哨。
左側は国境線をまたぎ、左目は韓国、右目は北朝鮮を監視中。
「マイクの線を越えていれば、北朝鮮ですよね。行ってもいいですか?」
ガイドさん「どうぞ」
「うわー、ここが北朝鮮。あの扉を開けて、一歩でも外に出ていれば北朝鮮だね」
カーキ色の北朝鮮兵が窓越しに南からのゲストたちをしげしげと眺める。
目が合っても、会釈したり指を出すようなことは絶対にしてはいけません。とガイドさんに注意されているので、羽目を外すような行動をしないように気をつけていましたっけ。 停戦会談場の窓から見た、国境線。
コンクリート線の左側は韓国、右側は北朝鮮。
建物はどちらも所有権を主張していないため、建物の中だけ南北自由に往来可能。
でも、外に一歩出ていれば、あのコンクリート線をたやすく跨ぐことは許されない。
一歩でも向こうに行きたければ、中国またはロシアを経由しなければならぬ。
大日本帝国が敗戦、朝鮮半島を手放した直後、アメリカ軍とソ連軍の朝鮮戦争勃発。均等にするため38度線で分断。同じ民族のはずなので、南北統一はいつになるのやら・・・・。