2008年12月31日。
今日はとても眩しいくらいのよいお天気でした。
天気予報では1月4日頃まで太平洋側はのマークが続いていますが、その他の地域は
や
のマークでした・・・。
陽のあたるサンルームに1年に1度の出番、「餅つき機」を置いたせいか、とても眩しく光っていました。
昔は臼と杵で餅つき、親戚の皆で手分けしながら丸めていたのを思い出します。 東西共用の「お餅」。
上は山口の家でよく作っていた、西日本の「丸いお餅」。
下は東日本の「四角いお餅」。
東京ではお餅が四角になっているのにハン尚宮(母)がいち早く気付き、「郷に入っては郷に従え」でここに転居してからは四角のお餅でお雑煮にしています。 京都の宇治茶「伊藤久右衛門」の茶そばで年越しそば。
ごはんの代わりに「超」大盛りになってしまいました。
そばの「つゆ」に 青ヶ島の「鬼辛」 あお唐辛子 を少々。
青ヶ島の「鬼辛」は少しでもとても辛いので、好みにあわせながらまずは小粒にして、足りなければ付け加えるのもよし。
「鬼辛」は赤唐辛子と青唐辛子の2種類あり、人気があるのは「赤唐辛子」。
赤はピザのタバスコの代わりにすることもできるそうです。
「青」はそばやうどんのつゆに少々つけると不思議なほどマッチします。
2008年もあと4時間になってしまいました。
今年1年間、ご愛読ありがとうございます。
来年も引き続き、よろしくお願いします。
超マイナーな駅の回数券を対面で申し込むとはちょっと気がひけるな・・・と思いながら、「みどりの窓口」へ。
すんなりと発券してくれました。
国鉄から引き継がれた旅客営業規則の第20条は乗車券類の発売範囲、
「駅において発売する乗車券類は、その駅から有効なものに限って発売する。
他駅からの乗車券は指定席と同時に使用するときに限って発売。
無人駅からの乗車券は、その無人駅に隣接する有人駅において発売」という条文があります。
今の時代、マルス(駅の端末)だとどんな区間でも正確に運賃を弾きだせるので、他社線完結でも買えるみたいですね。
券面に印字されている(2-タ)は、1・・・北海道、2・・・東日本、3・・・東海、4・・・西日本、5・・・四国、6・・・九州。
自社完結なら無印ですが、着駅または発駅が他社だと「タ」。
暗号めいた記号何やぞ?とネットで調べたら、そういうことでした(笑) わが故郷へはしばらく帰っていませんが、九州の友人から戴いた最近の写真。
東京から田舎に帰ると、実家に近づくつれに日本海のコバルトブルーが眼前に広がり、「ああ、やっと田舎に帰った」という気分をさせてくれます。
山陰線に乗り換えると、いつも海がよく見える左側の座席に好んで座っていたのを思い出します(笑) 実家は青ヶ島のように何もない田舎なので、伯母はこの汽車で街に出かけているみたいです。
もちろん、今住んでいるところも田舎ですが・・・(笑)
季節外れの画像ですみません。
この写真は2004年の夏、千葉県のローカル線・馬来田(まくた)駅で撮ったものです。
来年(2009年)3月14日から「東京近郊区間」が拡張することになりました。
「東京近郊区間」とは、多数の路線が入り交っている都市圏で複雑な乗車経路の運賃計算を省略するために、最短距離の運賃で自分の好きな経路を選択できるシステム。
例えば、新宿から奥多摩に行くのに中央線と青梅線で行けば64.4キロで1050円。
新宿~倉賀野(群馬県)~高麗川(埼玉県)~拝島~奥多摩 といったように、途中で改札口を出なければ 210.1キロの大回り乗車でも1050円。 今回の「東京近郊区間」の拡張に伴い、東京から安房鴨川に行くのに外房線経由の最安運賃で内房線どちらも乗れるようになります。
(赤い部分は2009年3月14日から拡張路線)
「東京近郊区間」は原則として100キロ超えていても、当日限り、途中下車もできなくなりますが、乗車ルートに新幹線も並行する区間があれば新幹線経由(例えば、東京~品川を新幹線)に指定すると、従来のとおり2日間有効、途中下車も可能。
その場合は最安運賃ではなく、実際に乗車する距離の運賃になります。 馬来田駅。
1時間に1本の長閑なローカル線だというのに「東京近郊」とは違和感が・・・。
今年は曜日の配列がとてもよく、今日はほとんど仕事納め、明日から9連休の方が多いかなと思います。 10年前の帰省切符。
12月26日に帰るなんて、ずいぶんと気が早いな・・・と思ったら、その日は土曜日なので、9連休の初日でした(笑)。
配列がとてもよかったのは1998(平成10)年、2003(平成15)年なので、5年ごとの法則で9連休になるのを発見。2008(平成20)年の次は2013年(平成25)年。
JR西日本の「のぞみ」500系がデビューしたのは1997(平成9)年。
他社のJR東海にはなかなか乗り入れてくれなかったのですが、翌1998年からは東京まで乗り入れるようになり、わざわざ500系を選んだのがこの切符だったような記憶がします。
東京を11時56分出て、小倉には16時28分。山陽区間を300キロで疾走するので、わずか4時間半でした。
ところが・・・元祖0系新幹線が11月30日に引退したあとは、「こだま」運用は500系になり、以前のように東京には来れなくなってしまいました。
新型N700系が増えたおかげもあってか、東京~博多の「のぞみ」は1日27本、30~40分ごとに発車。
かつての停車駅は 東京・名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小倉・博多
現在は 東京・品川・新横浜・名古屋・京都・新大阪・岡山・(福山)・広島・(新山口)・小倉・博多 と増えたせいもあって、東京~小倉間5時間。
特急料金も昔は10320円、とても高かったのですが、航空機に対抗するために約1300円値下げし、9,080円(繁忙期)。
唐辛子粉を韓国産にしてからは毎日多量消費。
おかげさまでドックおじさん(父)の血糖値も下がり、体重も少し減ったそうです。
ハン尚宮(母)が気合を入れ、また多量に作ってくれました。
韓国の食堂では、キムチをなんぼでもおかわりしても無料なので、「タダで食べられるもの」と思いこんでいたのですが、実際は出来上がるまでは本当に重労働なんです。
韓国料理店に行ったとき、
国王さまが「??? ????(カットゥギ チュムンヨラ)=カクテキを注文したまえ」
「??」(ははっ)
(~??? (~ハセヨ)は日本語だと命令文のようなニュアンスだが、
実際は「~してください」。
~?? (~ヨラ) は ~せよ、~したまえ といったような命令文になるのです)
この場面を思い出したので、ハン尚宮(母)に「今度はかぶを使ったカクテキ作る?」と聞いたが、「白菜のキムチはどんなおかずに合うし、いっぺんに多量作れるからいいじゃないの」と。 どうしても欠かせない、キムチの隠し味はこれなんです。
?? ??(ミョルチ メクチョッ = いわし液汁 =イワシエキス)
近くの大型スーパーでは売られていなかったので、韓国食材スーパーで購入。
キムチを食べても、「魚の味」が全くしないのは不思議。
あの「鰯(いわし)」がキムチの原料に含まれるとはちょっと信じられませんね・・・。
廃墟マニアなら手にとってみたくなる本です。
単なる廃墟の写真だけではなく、往年と現在の比較写真も含まれているので、見ていて楽しい本。
外観から「軍艦」に似ているので、「軍艦島」と名付けたそうです。
正式名称は長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡高島町の「端島」。
しかし、現在は長崎市と合併したため「長崎市高島町端島」になっています。
7階建ての30号棟は1916(大正5)年に建てられたもので、国内で現存する最古の高層アパート。
(現存するといっても、すでに荒廃化が進んでいますが・・・)
なぜこんな小さな島に高層ビル群なのか、簡単に説明すると、この島に良質な石炭が採れるので、炭鉱労働者の家族も含め5000人以上を越えたこともあったらしい。
東西の長さ160メートル、南北480メートルに5000人だと人口密度は東京23区の9倍以上。
そのため、島から出なくてもいいように巨大な小中学校、生協、病院、理容店、娯楽施設などの都会的な機能を有していた。
ところが、石炭から石油へのエネルギー革命が行われた1970年代に入ると、人口が急に減少。
1974年に閉山、最後まで残っていた住民はおよそ2000名。
4月20日に全住民離島し、あれほど栄えていた島が無人島となった。 あれから34年目・・・・。
「昭和の跡」があちこち見られます。
「軍艦島を世界遺産に登録しよう」といった団体があるそうです。
・軍艦島を世界遺産にする会
軍艦島(長崎市高島町端島の地図)
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韓国語に「焼きそば」はあるだろうか?と辞書を引いてみると、
焼きそば:【名】?? ??? ??? ?? ??
(訳→「ゆでた麺を油で揚げた料理」)になっていました。
うどん(?? ウドン)、 とんかつ(??? トンカス)、汽車(?? キチャ)、 簡単(?? カンダン)、道具(?? トグ)、 約束(?? ヤクソク)・・・日本語そのままの単語もいくつかあるので、「????(ヤキソバ)」でも通用できるかも?
韓国では最もポピュラーなインスタントラーメン「辛 ?(シン)」の麺を使って、ハン尚宮がオリジナルの韓国風やきそばを作ってくれました。
「ラーメンの粉スープを使って焼きそば?」と聞いたところ、
「その粉は使っていない。秘伝レシピ」とのこと。
まるでチャングムの誓いの最高尚宮(チェコサングン)だけに受け継がれる秘伝レシピみたいに・・・。
麺も韓国製なので、キムチとの相性がよく、あっという間にキムチがなくなってしまいました。
昨日、ドックおじさん(父)の定期検査で「血糖値もその他の数値が下がっています」とのこと、もしかしたら、キムチ効果!?
我が家の韓国好きが高じて、健康増進につながるなんて一石二鳥!?
東京駅発着のブルートレインが相次いで廃止、東京駅18時03分発の「富士」「はやぶさ」の1本のみになってしまいましたが、来年(2009年)3月ダイヤ改正で消滅することになったそうです。
「富士」「はやぶさ」は列車名称が異なっても、東京-門司間は併合。
門司で分離し、「富士」は大分行き(大分着11:17)、「はやぶさ」は熊本行き(熊本着11:49)
手元にある国鉄時代の時刻表を開いてみると、昔はブルトレのオンパレードでした。
1977(昭和52)年12月
【東京駅発】
16:30 さくら → 長崎11:38 /佐世保11:27 (肥前山口で分離)
16:45 はやぶさ → 西鹿児島14:42(鹿児島本線経由)
17:00 みずほ → 熊本11:23 /長崎12:11 (鳥栖で分離)
18:00 富士 → 西鹿児島18:26(日豊本線経由)
18:20 出雲 → 浜田9:54
18:25 あさかぜ1号 → 博多10:53
19:00 あさかぜ2号 → 下関10:27
19:25 瀬戸 → 宇野6:00
20:40 いなば・紀伊 → 米子10:30 / 紀伊勝浦7:18 (名古屋で分離)
【東京駅着】
6:25 いなば・紀伊 ← 米子16:27 / 紀伊勝浦19:25
7:00 出雲 ← 浜田15:05
7:25 瀬戸 ← 宇野21:00
7:30 あさかぜ1号 ← 下関16:05
9:30 あさかぜ2号 ← 博多16:58
10:10 富士 ← 西鹿児島 9:41(日豊本線経由)
10:30 はやぶさ ← 西鹿児島12:36(鹿児島本線経由)
11:05 みずほ ← 長崎15:50 / 熊本16:36
11:30 さくら ← 長崎16:12 / 佐世保16:34
おや!?と思ったのは、1574キロを24時間半かけて走破する、日豊本線経由西鹿児島行きの「富士」。
時速は64キロ。
東京 ~ 父島の「おがさわら丸」は1000キロを25時間半なので、時速40キロ。
日豊本線は一部単線あり、、山越えの難所あり、「特急」でもどうしても時間がかかってしまうみたいですね。
30年前、東京から「富士」で西鹿児島に行くとしたら、いくらかかるか計算してみました。
・東京都区内 → 西鹿児島
経由:東海道・山陽・鹿児島線・日豊 ¥8,600
・東京 → 西鹿児島
特急券・B寝台券 ¥6,800
(内訳 特急¥2,800 B寝台 ¥4,000) 合計 ¥15,400
2008年、東京から鹿児島中央まで「のぞみ」と「つばめ」で行くとしたら・・・
・東京都区内 → 鹿児島中央
経由:東京・新幹線・博多・鹿児島線・新八代・新幹線 ¥15,960
・東京 → 博多 「のぞみ」 ¥8,880
・博多 → 新八代 「リレーつばめ」【乗継】 ¥1,090
・新八代 → 鹿児島中央 「つばめ」 ¥2,910 合計 ¥28,840
要所時間は 東京発6:00の「のぞみ1号」で行けば鹿児島中央には13:29に到着。
なんと7時間半。
(ちなみに飛行機は1時間40分) 最後に乗ったのはいつ頃でしたっけ?
平成8年5月5日以来ずっと乗っていません。
「乗変」のマークは、1回のみ他の列車に変更したときに印字されます。
たぶん、田舎でゆっくり過ごしたくて下関21時発のに変更していたかも。
12月22日 午前1時10分現在 東京の気温19度。
いつものように暖房をつけると、とても暑くなりました。
12月の夜なのに、この気温は非常に珍しいです。
なんと!!
沖縄県の那覇市と変わらない。
12月の沖縄は長袖シャツ1枚だけでも充分暖かった。 小笠原村は23度。
1000キロ離れていれば、向こうは常夏。
海開きは毎年1月1日。
つまり、365日毎日泳げられます。 伊豆諸島最南端の青ヶ島村は18度。
丸山麓の池の沢は地熱が出ているので、とても暖かくなっているでしょう。
今日は異常なほど暖かいので、北海道はどうなんだろう?と調べたところ、札幌市はマイナス4度でした。
この暖かさ、いつまでも続けたらいいな・・・。
猫に会ってみたいな・・・と思えば、いつでも会えるのは近くの高瀧駅。
沿線で猫が駅長になっているのは、ここ高瀧駅と、さらに奥の静かな佇まい、月崎駅。
青い瞳をした猫が可愛い。
駅長はこの猫かな?
まるで「にゃー」(訳:こんにちは)と言っているかように・・・。
「私も撮ってよ!」ともう1匹がカメラに近づいてくれました。
しばらくすると駅の利用者がやってきて、ひょこんと気持ち良さそうに座っていますね。
大正14(1925)年開業なので、木造駅舎も現役で84年目。
駅長事務室、切符売場跡が見られますが、今は猫駅員たちに引き継ぎ、ずっと駅を守ってくれます。
これが現在の駅員室?
寒くないように地元の人たちの配慮かも知れませんね。 「祝 出兵」のたすきをかけた兵士さんも戦時中から変わらぬの駅舎、改札口をくぐっていたかも知れません。
手前のホームは東京方面、向こう側の見えるホームは現在使われていませんが、戦地から無事に戻ってきた人が降りていったかも・・・。
12月20日 15時07分撮影。
明日は1年の中で最も日が短くなる冬至なので、この時間でも太陽がかなり傾いていました。
本当に何もない田舎だけど、都会の喧騒さを忘れさせてくれるところです。
春になれば、桜や菜の花で彩りが見られます。
これでも東京駅から76キロ、東京都市圏内の秘境かな。
今月10日に発売されたばかりの「ムショメシ」。
日本十進分類法では326.52なので、一般件名は「刑務所」。
図書館の「326」棚に行けば、死刑、刑務所、監獄・・・などのタイトルが目立つようになります。
刑務所は絶対に入りたくない場所だけど、どんなごはんを食べているのか気になるところ。
法務省が開示した資料を基に2006年から2007年にかけて刑務所で出された食事を再現。
栄養士がカロリー計算したものや、1日あたりの食費なども掲載。
1杯の味噌汁、麦飯、タクアンだけかなと思いながらぱらぱらとめぐってみたところ、意外と栄養バランスやカロリー計算もきちんとしていて、美味しいみたい。
受刑者は憲法で定められた基本的人権が剥奪されるわけだが、最低限の衣食住はちゃんと保障されているということなんですね。
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ムショメシ 価格:¥ 1,365(税込) 発売日:2008-12-10 |
前作の「秘境駅」(2008年7月発刊)は宗谷本線の「抜海駅」も収録、8月の稚内旅行でわざわざ訪ねるほど惹かれてしまいそうな本でした。
2008年3月の作品だったため、春先の色調がはっきりしなかったのですが、今回の「秘境駅2」は2008年9月なので、とても美しい。
今回も私の好きな駅がたくさん!!
北海道の石北本線、「白滝シリーズ」でした。
秘境駅1位にランキングされていたのは、たぶん、「奥白滝駅」だったと思いますが、2001年6月30日をもって「信号場」に格下げされてしまいました。
奥白滝駅最終日の乗車券。
海浜幕張駅発行なので、記念に買っただけで実際に乗車せず・・・。
☆2001年6月30日までの路線図
上川-(天幕-中越-<※上越>-奥白滝)-上白滝 -白滝-旧白滝-下白滝
( )内は廃駅なので、上川を出ると隣の上白滝までは34キロ、710円区間。
しかも1日1本。
(※上越(かみこし)駅は昭和50年まで営業。今は「上越信号所」として駅舎が残る)
この本に載っている駅は1日1本しか停まらない、上白滝・旧白滝・下白滝の3駅。
白滝駅は各駅停車1本、特別快速1本、特急2本 計4本も停まるので、「秘境駅」の対象にならなかったみたい。
この本の表紙になっている、岩泉線の押角駅も収録。
非常に深い森に包まれ、板張りのホームだというのに住所表示は「岩手県宮古市」。
合併前の「下閉伊郡新里村」の響きに相応しい場所なのに・・・。
石北本線は1日1本、岩泉線1日3本。
青ヶ島も1日2本。(午前はヘリコプター、午後は船)
もっとすごいのは「東京都内」なのに、1週間に1便の父島。しかも片道25時間半の船旅。
2000年7月、家族旅行で訪ねた「奥白滝駅」の動画をアップしました。
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秘境駅II 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2008-11-26 |
背番号(正確に言うと、日本図書十進分類法)210.6の棚にあったのを見つけました。
「210」は日本史に属するもので、小数点以下「6」は 近代の明治時代(1868年~)。
手にとってみると、明治31年(1898年)に制定された、「要塞地帯法」とは帝都東京をはじめ主要都市および軍港などの軍事施設を敵国の侵略を防護する目的で敷設されたものだが、終戦(1945年)まで軍国主義を突き進む中でほぼ日本全国を要塞化する様相を晒しているため、北海道の最果てから沖縄まで収録されていました。
・激戦と前線基地の島 硫黄島・父島・母島 のところが最も興味があったので、借りてみました。
小笠原諸島のなかで一般人の行ける場所は父島と母島のみ。
父島のなかでも戦跡がたくさんあり、現地のガイドさん同行でなければ跡地を見つけにくい。
本書にも載っていましたが、
2005年7月、母島の北港に向かう途中見つけた「探照灯」。
母島は父島に比べると平穏な島なので、ほかにあるはずがないと今まで思っていたのに、意外と知られざる場所にもたくさんありました。
ガイド同伴の戦跡ツアーに参加したときに見つけたもの。(父島)
ビールの刻印に注目。
「DAINIPPON」の文字が見えます。
「大日本」は終戦までなので、このビール瓶は戦前のものになっていまます。
回収せず、そのままになっているのは戦時中の動かず資料になっているからでしょう。
今、ふと思い出しましたが「大日本」の領土は、今のサハリン、朝鮮半島、満州、台湾、小笠原諸島のはるか南のグアム、サイパンまでも含まれていた。
朝鮮半島も日本が「大」日本に倣い、大韓帝国と名乗っていたが、1910年(明治43)年日韓併合条約により、消滅。
終戦後、皇帝がいなくなったので大韓「民」国になり、現在に至っているそうです。
アメリカ軍が航空基地として硫黄島を占領しようとしたため、最前線を守ろうと2万人の日本軍を送り込み、激しい戦闘が行われた島として映画「硫黄島からの手紙」で有名です。
硫黄島で戦死した旧日本軍遺族の要望により、2007年2月27日、日本の航空会社で初めてJAL機が硫黄島に着陸。
擂鉢山をバックにJALのロゴマークがついている風景はとてもインパクトでした。
(羽田空港のコードは「HND」、硫黄島飛行場でもちゃんと「IWO」が割り当てられている)
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要塞列島―日本への遺言 価格:¥ 3,360(税込) 発売日:2008-06 |