もともとはキハ40 2018。JR東日本の保有する登録車両を抹消。廃車にせず、小湊鐵道に譲り、キハ40 3に改番。
JR東日本のキハ40が兵庫県に転属しているので、小湊鐵道につながる列車に乗りに行こうのポスター。
JR北海道のキハ40が2025(令和7)年に全廃する予定だそうです。二重窓仕様、JR北海道カラーのまま、小湊鐵道にくださいな。キハ40に馴染み深かった道民がキハ40を懐かしむために千葉にいらっしゃるかも知れませんし、一石二鳥ではないですか。
国鉄時代は青色の座席でした。
JR東日本のステッカーがあちこちと。
キハ40は白色の安っぽい蛍光灯のはず、青色と白色の中間、昼白色のランプ。白色は色の見え方が昭和っぽく古めかしい印象だけど、昼白色は生き生きとした見え方。
昨日の朝も、同じバブリーな車掌さんが乗務。無人駅なので、私のところまでロックオンし、検札を兼ねて入鋏済。帰りも、ドアが開くなり改札口まで猛ダッシュし、きっぷ回収、定期券も目視確認。
小湊鐵道はまめにロックオンや検札、きっぷ回収をするので、小湊鐵道線内のキセルは絶対に無理です。JRと小湊鐵道の中間改札で五井までのJRきっぷを持っているか、これも同じように取りこぼしを防ぐため徹底してもらいたい。小湊鐵道の社員にJRのきっぷを持っているか確認させるわけなので、JRから委託料を払ってでも。
ドアの網目のようなものが取り付けている理由を説明します。輪っかのようなものに金属状の円盤がついている道具はタブレットと言い、通行手形の役目で単線での衝突を避けるため、これを所持していないと運行できない仕組み。駅を通過する急行のときは、ホームに掛けられたタブレットを運転士さんが腕を出し、収取。金属状の円盤がドアのガラスに当たると割れてしまうので、このように網目のようなものが取り付けられています。
成東を出た電車は東金線、外房線経由で千葉行き。
鎌取に降りなくても、
通しでそのまま2枚目を行使。連続乗車券は、くるりと1周して、重複する駅で区切る。または、A駅からB駅に行って、折り返してC駅に行くときは連続1はA駅からB駅、連続2はB駅からC駅というふうに、どちらも1枚にまとめたきっぷとして見なされます。
この制度を知ったのは、何もない山口県の田舎に住んでいたとき。長門二見から新下関で新幹線に乗り替えて東京に行くときのきっぷは、長門二見 → 【区】東京都区内 経由:山陰・山陽・新下関・新幹線・東京。だけど、小倉で乗換えるときは 連続1 長門二見 → 門司 経由:山陰・山陽 / 連続2 【九】北九州市内 → 【区】東京都区内 経由:小倉・新幹線・東京。
(門司は【九】北九州市内の駅なので、小倉駅の改札を出ないで新幹線に乗り替えるときなら適用)
蘇我で内房線に乗換えて、五井へ。五井のJRから小湊鐵道への中間改札口はありますが、五井までのJRのきっぷを持っているかどうかの確認はしていないので、無法地帯です。西船橋駅のJRから東京メトロの乗り替えに中間の自動改札機が設置されているとおり、JR運賃の取りこぼしを防ぐために五井駅も設置すべきです。(JR西日本だったら、姫路駅の無人駅が続く姫新線や播但線からの乗り替えや和歌山駅の和歌山電鉄からJRへの乗り替えなど中間改札の対策はしている)
小湊の往復切符にかえりのチケッターを捺印してもらい、小湊のホームへ。
すると・・・・
うわー!!懐かしい。まるで山口県の山陰本線。仮にここが下関だったら、もともとの実家へ帰るときの光景に似ています。行き先表示が「月崎」になっていますが、台風災害により、月崎から先は不通のため代行バス。
小湊鐵道は大正時代に開業しているので、旧字体の「鐵」が正式社名です。
将来、ワンマンになるための準備か?
山口県のキハ40はワンマンに改造していますが、ここはほぼ原型を留めています。
照明はLED化されておらず、昭和の蛍光灯のままです。直管40Wだけど、LEDだと同じ明るさで13W。
先頭はキハ40 5、後ろはキハ40 3。どちらも国鉄時代のオリジナル塗装です。
小湊鐵道なのに、JR東日本の銘板付き。
車内の案内表示も「JR」ロゴマークが残っています。JR車両で帰宅するとは思わなかったので、この車両に出会えてラッキー。
朝の目覚ましバイブで目覚めたとたん、夢の内容はかき消され、ほとんど覚えていないことが多いですが、2024年の初夢ははっきりと色つきのカラーでした。なぜかオレンジ色帯の233系中央線電車に乗車。突然、地下に潜り、トンネルの中。中央線って地下はないはずと異変を感じつつも、電車は徐々に速度を落とし、明るい地下ホームに入線。駅名は、なんとハングル文字。いきなり韓国の見知らぬ土地に放り出され、途方にくれながら街中で彷徨う・・・という場面。駅員のマークがついている事務所らしきところに駆け込み。ここはどこなのかとコミュニケーションをはかったところ、路線マップを取り出し、オレンジラインのどこかの駅に指差し。すべてハングル文字なので、どこの駅なのかわからない。何も持っていない着の身着のままだし、ここから東京へ戻れる?と交渉するも駅員さんは怪訝そうな顔でわからないと。さっきまで乗っていた中央線の電車が折り返して、東京に戻れるかもとホームでいくら待っていても、やってくるのは地元の電車ばかり。見慣れたJRの中央線233系がなかなか来なくてもどかしい思いをしていたら、いつの間にかに自分の部屋。あれは夢だったのか、びっくりした・・・。それにしてもリアルだったなあと。改めて、ネットでソウル地下鉄路線図を確認してみたら、3号線はオレンジ色でした。JRの中央線が海を超えたソウルのチハチョル(地下鉄)オレンジ色3号線にワープするなんてSFの世界。
成東駅は山武市役所の最寄り駅なので、中心駅であることは確かなんですけど、なんだか他の市に比べると寂れているような感じが・・・。
成東駅のきっぷ運賃表。山手線の細かな運賃まで載っているので、駅前は田舎の風景でも東京に近づいてしまいました。東京から離れた地域だと「東京山手線内」で一括りし、1980円均一になります。
ここから総武本線経由、東金線及び外房線経由、どちらも千葉に行けます。きっぷの経由欄に「東金線・外房」と印字されているので、経路とおり乗車するとして・・・
大網方面の0番線ホームへ。
東金線・外房線経由の千葉行きに乗車。元京浜東北線のお下がり、209系です。デビュー当初、「寿命半分、価格半分、重量半分」というコンセプトで設計されたものなのに、およそ30年経った今も現役です。
成東駅前で食事が取れるお店は、ここしかないみたいです。昭和23年創業 駅前食堂 と書かれています。
「ザ・昭和」の雰囲気が漂う、メニュー表。ほとんど、「そば」ばかりですが、洋食のチキンライスやオムライスもあり。中華系のラーメンも。どれにしようかなと迷った挙げ句、ここのお勧めラーメンセット(ラーメン、半炒飯、餃子3個)を注文。
げっ!!!ここのお店は喫煙可。灰皿があったのは気にしていましたが、少し離れた席で座っていたジジイがタバコに火をつけやがった。紫煙の行く先を見たら・・・厨房の換気扇に誘導。それでも匂うので、迷惑極まりない。
厨房では、80代おぼしい男性の料理人、奥様、娘さんがせわしく動き回っていますが、猛毒成分がたくさん含まれている紫煙が流れてきても気にしていない様子。れっきとした受動喫煙になり、身体に悪いはず。今の時代に喫煙可のお店とは驚いた。
「ザ・昭和」の味がして、懐かしくって美味しい味ですが、タバコの煙で台無しに。いっそのこと禁煙にして、クリーンな空気でお食事を楽しめればと思います。成東は田舎なので、都会に比べると取り残され、喫煙可となっているのはまあ、仕方がないか。
タバコの煙でむさ苦しいところなので、食事が終わって代金を支払ってそそくさと退店。
千葉県山武市内にある総武本線の日向(ひゅうが)駅です。日向といえば、九州の宮崎県なんですけど、ここは旧日向村に由来する駅名とのこと。
成東駅は、東金線への乗換え駅です。今の時間12時、東金線経由千葉行きは12時48分発。時間がたっぷり余るので、駅前の食堂でランチにしようと考えていました。
対面販売の「みどりの窓口」あり。自動改札機もフル規格のものです。
JR東日本正社員配備の直営駅で日向駅から八日市場駅までの各駅を管理しています。
千葉県佐倉市の中心駅、佐倉駅です。「さくら」とも読めるので、昭和30年代あたりの合格通知は電報で「サクラサク」。「佐倉(さくら) → 咲来(さっくる) 経由:総武・東京・新幹線・新青森・新幹線・新函館・函館線・静狩・千歳線・函館線・宗谷」の乗車券でも合格通知の代わりになれば・・。
ここで総武本線に乗換えです。総武線といっても、厳密に言うと本線は、東京駅の地下ホームから銚子まで。支線は、錦糸町から御茶ノ水。そのため、中央快速線と並行する三鷹までのイエロー帯の各駅停車は「中央・総武線」と表記。
三鷹から千葉まで 各駅停車 E231系(旧山手線のお下がり)
久里浜から成田空港 快速電車「総武・横須賀線」と表記。E217系か新しいE235系
君津または上総一ノ宮
千葉から銚子 各駅停車 209系(旧京浜東北線のお下がり)
今度は銚子行きの電車に乗換えます。
209系がやってきました。古くってボロい国鉄の115系を置き換えるために、2010(平成22)年に京浜東北線のお下がりを房総各地の電車として転勤。デビューしてからもう10年以上。209系は当初、使い捨ての設計だったのに、結局、車齢30年でもまだまだ現役。国鉄末期にデビューした山手線205系の後継として、新しい209系がやってきたときは斬新なイメージがしましたが、今はもうすっかりお古に・・・。
土浦駅からの常磐線はここで下車。我孫子駅です。初めて「我孫子」の地名を知ったのはずっと大昔、地下鉄千代田線に乗ったときのこと。営団6000系や国電203系方向幕、「我孫子」が読めずに、その下のローマ字のABIKOで辛うじて読めた程度。なかなかの難読駅です。
2023(令和5)年10月9日の早朝、鳥島近海を震源とする地震があり、太平洋沿岸に津波警報。その影響で外房線、内房線は運転を見合わせると車内の案内表示が・・・。
実は、外房線に乗る予定があるんですけど・・・運転見合わせによる時間的ロスは痛い。まあ、とりあえず、経路のとおり乗ってみて、運休だったら仕方がない。その場で代替案を出すしか・・・。
我孫子からの成田線は首都圏にありがちな駅。窓に雨の水しぶきが付着しているので、各駅の撮影はスルー。
成田に向かう途中、「布佐」(ふさ)という駅があります。東京都の青梅遷に「福生」(ふっさ)駅があって、福生から布佐ゆきのきっぷをまともの読めば、「ふっさふさ」。子猫の、もふもふふっさふさ。
成田駅前の風景。
今度は成田空港発の電車で佐倉に向かいます。成田の隣は「酒々井」。これも難読駅で「しすい」と読みます。千葉駅で発行してくれた、ME4端末では、成田線・酒井・総武・東金線・外房と印字されています。酒井の文字を見ても、酒々井のことだと理解できますが、千葉から遠く離れた西日本や北海道、九州の人から見れば「サカイ」と間違われそう。
次の日はあいにくの雨・・・。お世話になった駅前のビジネス系ホテル。全国チェーンのホテルはテレビのリモコンは「字幕」付きです。
品川行きですが、まっすぐ東京に行ってしまうと帰宅時間がもっと早くなってしまうので、我孫子で下車し、寄り道しながら自宅へ戻るルート。
ほとんどはロングシートですが、前後は4人掛けクロスシートです。総武快速線に新しいE235系が導入されたのは2020(令和2)年。もう3年経っているので、すべてロングシートのE235系が若干増えたようです。古いE217系にあった4人掛けクロスシートが無くなっているのはちょっと残念。
京葉線の通勤快速が廃止し、快速は10時から15時までにするダイヤ改正の発表がありました。千葉市長が千葉市の価値が揺るがすとして、JR東日本千葉支社に撤回の申し入れ。通勤快速は内房線や外房線、東金線内は各駅停車。蘇我から特急並みの速さで新木場までノンストップ。八丁堀に停車し、次は終点東京。各駅停車になってしまうと余計に20分長くなってしまいます。千葉市だけではなく、内房線、外房線、東金線沿線の自治体も団結し、反発の申し入れをするとよいかな。
茨城県南部の都市、土浦市の中心駅、土浦駅です。近くに霞ヶ浦があって、つくば駅まで路線バスでおよそ10キロ先。常磐線で東京まで1時間20分、特急だと1時間で行けます。うちの田舎町と比較してみると、東京へのアクセスは土浦のほうが勝ち。
土浦駅に隣接する建物は、土浦市役所。電車から降りてすぐ市役所へ行ける便利な立地にあります。うちの田舎町と比べると、土浦市のほうが勝ち。
目移りしてしまいそうな飲食店がたくさんありますが・・・
エキナカのレストランへ。カシスのビールを注文して・・・
サラダも頼んで・・・
今月のおすすめパスタ。ごちそうさまでした。
岩瀬駅。ここは筑波鉄道への乗換え駅だったのですが、国鉄が民営化に切り替わった1987(昭和62)年4月1日に廃止。筑波鉄道は岩瀬から土浦までの40.1キロ、JRだと友部で乗換えて55.6キロ。遠回りなので、15.5キロ長くなっています。
友部駅で水戸線から常磐線にお乗り換え。
水戸線と同じ形式の交直流どちらも使えるE531系です。仕様は50Hzなので、60Hzの関門トンネルでは使えず。関門トンネルはJR九州の所管ですが、未だに国鉄の415系が活躍中。JR九州自社路線だと、次々と新しい車両を導入しているのに本州側のJR西日本につながる車両は国鉄のままです。JR九州さんはおそらく、関門トンネルのために新しい車両を開発するのはもったいない。古い車両で十分と思っているかも知れません。
常磐線のデッドセクション(交流および直流の切り替え)は、取手から藤代の間。E531系は新しい車両なので、切り替え区間を走行しても畜電池からの供給になるので、車内は停電しません。関門トンネルは古い国鉄車両なので、デッドセクション区間は停電し、非常灯のみ点灯。子どもの頃、門司側の関門トンネルを出ると必ず車内の電灯が消灯し、再び付く。その理由を理解できるになったのは中学あたりかな。
今夜の宿、土浦駅到着。水戸まで行って、水戸で泊まろうかと思いましたが、区間外乗車になるので、往復きっぷ代がもったいない。途中下車ができる土浦にしようっと。
2023(令和5)年12月16日は、師走だというのに九州では夏日を記録したとのこと。千葉でも24度なので、あと1度暑ければ夏日になるところでした。17日は一転し、寒さが戻ってくるとのことです。
常磐線の線路が見えていれば、まもなく終点の下館駅に到着します。C1266は蒸気のエネルギーを転動力に変える機械式だというのに、ぴったりと定刻通りに到着。
1933(昭和8)年、山口県下松市の日立製作所笠戸工場で生産され、まず鹿児島機関区に配属。1937(昭和12)年に鹿児島からいきなり東北地方に転勤。当時は国鉄の前身、鉄道省なので、全国どこでも配置替えするのは可能でした。
次は国鉄を懐かしむパート3として、大井川鉄道の「令和に蘇った昭和の日常」の企画として、通常なら普通電車で運行するところを電気機関車がオハ33やスハ42など旧型客車を牽引する企画がありました。
平日に行くのを考えていましたが・・・・11月28日に家山駅を出発した直後、電気機関車が後ろの客車を切り離すハプニング発生。戦前の古い客車とはいえとも、電気機関車と切り離すと客車に送り込む空気も切断。尋常ではない状態が発生したとして、自動ブレーキ装置が作動し、急停車したとのこと。12月16日現在、再開の見通しは立っていません。
水戸線の友部行きの電車に乗換え。
久下田駅。読みはくげた。もし、「久」の文字が無ければ「下田(しもだ)」になってしまいます。
次は折本駅です。
レトロっぽくて味のある駅舎。明治最後の年の1912(明治45)年4月1日開業となっていますが、駅舎も明治時代のものなのかどうかは不明。
そろそろ下館駅に着きます。撮影は10月上旬なので、まだ「緑」が見られますが、今だったら、モノクロトーンになっているかも知れません。
真岡駅構内にあった、使われなくなったキハ20。昭和30年代製造なので、もう60年くらい昔の車両。
ディーゼル機関車も錆びたまま放置。後ろの貨物列車もかなり年季が入っていて、ボロボロです。まるで國鐵車両の墓場。
次は寺内駅に停車。
今は第三セクターの真岡鉄道になりましたが、前身は明治時代まで遡ると東日本旅客鉄道、日本国有鉄道、鉄道省、帝国鉄道庁。
明治最後の明治45年開業なので、帝国鉄道庁が敷設した駅です。
駅舎も1912(明治45)年建築であれば、今年で111年目になります。途中で改築したのかどうか調べてみましたが、そのような記録は見当たらず・・・。
真岡鉄道の中心駅、真岡駅でおよそ10分間の停車。
乗客がいっせいに降りて駅構内を散策。蒸気機関車の機関士さんたちもしばしの休憩。
真岡駅にあった、気になるキハ20。製造番号は247です。
車内では物置と化しています。
東急車輌、昭和34年の銘板が付いています。東急といえば、東京急行電鉄(現在は「東急」)を思い出しますが、国鉄及びJR車両も製造しています。昭和34年を西暦にすると1959年。今年2023年なので、なんと64年前。小湊鐵道のキハ200も国鉄のキハ20をベースに作られたもので今も現役です。
C12 66の操縦席。いろんなメーターやハンドルがついていて、どのように動かすのかわかりません。
機関士さんの行路表。分だけではなく、15秒や30秒とか、秒単位まで管理されています。通過する駅も、何時何分何秒と記載。今の新しい電車は例えば速度80キロまで行ったら、その速度でそのまま持続するようにコントロールできているみたいだけど、SLは機関士さんが速度や時間を計算してスピードをコントロールしているかも知れません。そうであれば、相当な技術になります。
今乗っているオハ50は新潟鐵工。2001(平成13)年に経営破綻し、今はなきメーカーです。国鉄のキハ40や47もほとんど「新潟鐵工」の銘板がついています。
灰皿の跡。昭和時代といえば、喫煙天国でした。子どもの頃の通学で通勤客がボックス席で紫煙をくゆらしながら・・・という光景が日常茶飯事。たばこは刺激が強く、衣服にヤニ臭さがしみついていて、非常に迷惑なことだと思うんですけど、昭和時代にさかのぼれば、とがめる人は滅多にいません。
座席下のスチーム暖房。今日は目にほこりっぽいのが入るなあと思ったら、これが原因。10月上旬は窓を開けていてちょうとよい季節なので、SL蒸気機関車の煙に含まれる粉みじん。
SL最盛期の乗客達もかなり苦労していたかも・・・。
多田羅駅停車。
七井駅に停まって、次は真岡です。