10月1日からボロ房線の各駅停車はすべて京浜東北線のお下がり、209系で統一されます。 内房線が電化されたのは、1969(昭和44)年から長年も活躍していた国鉄の113系。
この電車は走行音や振動がすごくて、なぜか苦手でした。
国鉄王国の房総各線に高崎線の211系が転入されたのは2006(平成18)年10月。
内房線にとっては斬新な電車ですが、国鉄が民営化された直後に製造されたものなので、車両の年齢は20年。
6年目で引退するとは、ちょっと短命だったような気がしますが・・・。今度の活躍場所はどこになるでしょうか。
明日からこの車両で統一されます。おさがりの中古ではなく、京葉線みたいに平成23年製造の真新しいのが欲しいのに・・・。
山口の伯母から送られてきたものです。
鹿児島からの帰りに山口の生家に寄ったのですが、台風15号の影響により日本海も時化ていて、釣れなかったとのこと。
しばらくして、近所の方が釣れたものを翌日配達~!!
天然のヒラソなので、身が引き締まり、脂ものっていて、美味しいです。
9月だけでも、青ヶ島から届いた「青鯛(あおぜ)、そして、今回の「ヒラソ」。
山口の田舎では、漁港からあっという間に沖のほうに出られますが・・・青ヶ島は漁船を係留するところがなく、釣りに出かけるのに高台に留めている駐車場ならぬ「駐船場」からクレーンを操作しながら、15分くらいかけて港に下ろします。青ヶ島の港は状況が変わりやすいので、船をそのまま係留させるのは難しいそうです。
船の出し入れにすごく手間がかかるので、釣りに出かけるだけでも苦労してしまいそう。本当にありがとうございました~!!
鹿児島に縁もゆかりもない、山口県の田舎に住んでいたころの乗車券。
長門二見 → 九郎原(くろうばる) 経由:山陰・山陽・鹿児島線・中間・笹栗線。
小倉 → 長門二見 経由:鹿児島線・山陽・山陰
山口からとなりの県に往来するだけなのに、必ず切符に「鹿児島」と印字されています。
物心ついた子どもの頃、日帰りで鹿児島に連れてくれるわけではないのに?と思っていたことが何度か。しばらくして、鹿児島本線という路線名称だということがわかりましたが・・・(笑)
鹿児島本線は九州新幹線の開通に伴い、途中の八代~川内(せんだい)間は第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に転換。
厳密にいうと、隼人から鹿児島まで日豊本線、鹿児島からは鹿児島本線になります。
利便性を図るため、ターミナルを鹿児島中央駅にしているようです。
竜ヶ水~鹿児島間の国道10号と錦江湾。その向こうに見えるのは桜島。
その風景を見ると、宇賀本郷~長門二見間の海岸沿いを走る山陰本線を思い出します。
桜島の火山灰が窓に付着していました。
鹿児島の中心駅であるはずの鹿児島駅はさびしく、ひっそりしていました。
まもなく、終点、鹿児島中央駅。車窓を見ると、急に土砂降り・・・。
レンタカー店さんは東口(桜島側)を出て、左。鹿児島中央郵便局あたり。土砂降りのなか、荷物を抱えながらの移動は大変。私だけ先にレンタカーの手続きをして、親の待つ東口まで迎えに行くことにしました。
ところが・・・鹿児島中央駅前の道路はとても複雑。火山灰で指定通行区分の矢印が見えなくなっているし、路面電車もあるし、東口に右折したくても、なかなか進めない。
右折待ちのクルマはみんな、アミュプラザの駐車場待ち。
19日は敬老の日なので、みんな買い物かな?レンタカー店から東口までわずか500メートルなのに、要した時間は30分!!そんなのあり!?
嘉例川駅からわずか20分で隼人駅に到着。12時52分に着いて、折り返し、宮崎県の南西端に位置する都城(みやこのじょう)行きとして12時57分発。
日豊本線で都城に行ったほうが44.8キロ、肥薩線と吉都線回りだと99.0キロになり、遠回りになってしまいます。えびの高原を抱える山岳路線なので、要所時間はおよそ3時間くらい。
鹿児島中央行きのホームを確認してみると、肥薩線と同じ駅本屋側のホーム。わざわざ階段を使わなくてよかった~!!
駅本屋側のベンチで電車を待っていたら、鼻に刺さるような熾烈なタバコのにおいが!!!
嘉例川駅は明治時代の建築物を守るため、「終日禁煙」「灰皿は駅の外にあります」と目立つよな張り紙があったので、首都圏の駅構内とホームの完全禁煙と同じ感覚でしたが、ここはローカルなので、喫煙コーナーが近くにあったのかと思ったくらい。
しかし、近くに灰皿は見かけず、タバコを吸う人は全然いません。
おかしいな~??とあたりを見つめると、ベンチの真上に換気扇が回っていて、タバコの煙がそこから流れていた。
「あっ!?犯人はおまえだったのか!?」と駅事務室越しに吸っている駅員さんに指差した。
タバコを吸うな!とは言いませんが、換気扇を止めるなりにして、ベンチのお客さんに気を遣いたまえ!!
隼人からは新型電車の817系でした。
平成19年、日立製。
ハン尚宮(母)が「珍しいわね」と指差したところ。
首都圏の電車はドア付近だとつり革がぶら下がっていないというのに、817系はご覧とおりちゃんとついていました。
ここが日本一現存する古い駅舎かな、と思ったら、武豊線の亀崎駅(愛知県半田市)でした。
この文字を見ただけでJR東海と答えられた方は、鉄道に詳しい方でしょう。
調べてみると、1886(明治19)年建築。計算してみると、なんと125年前!!
嘉例川駅のハイライト部分だけ編集してみました。
9月24日(土曜日)、青ヶ島の夕景。
15日から欠航(×)とメモをつけているので、その日は10日ぶりに就航、25日(日)も就航予定でしたが、八丈島と青ヶ島間の海上状況が悪いため、欠航。26日(月)も欠航、27日(火)は還住丸の代走、貨物船のゆり丸就航。しかし、帰りは八丈島に寄港せず東京へ直行。
青ヶ島も都内だというのに、計画したとおりに旅できるとは限らないそうです。
1番確実なのは、往復ともヘリコプターのチケットをおさえること。船も出ることがわかっていれば、すぐにキャンセルの連絡をすれば大丈夫とのことです。
また青ヶ島からメールが届きました。
テレビ局のホームページに次回放送予告や内容が載りましたら、改めて紹介させていただきたいと思います。
青ヶ島は交通アクセスが大変難しいところだというのに、最近は青ヶ島がクローズアップされるようになり、世界遺産に登録した小笠原とともに知名度がますます上がって行くのでは、と思います。
いつも青ヶ島の情報を教えてくださって、ありがとうございます。
青ヶ島が出る番組は我が家の家宝にしていますので、今回も最高画質で録画する予定でーす(笑)
青ヶ島も大きなアンテナに取り換えられたので、電波が弱くなり、断続的に見られなくなる現象は解消!!おめでとうございます!!
今回乗車した車両はキハ47 8125。(キハ47の125番目として、1980(昭和55)年製造。冷房改造、ワンマン化改造、エンジンを交換をして、「8125」に改番)
私が子供のころ、山陰本線の通学に何回も乗った車両なので、本当に懐かしい。
国鉄時代から変わらぬの車内。
ここはJR九州のキハ47 125 (今は「8125」)
JR西日本のキハ47 96(125と同じく昭和55年製造)。
私が幼いころ、何回も乗った思い入れのあるキハ47で「かれい川」駅弁を広げてみると・・・・ 地元の食材できっちり詰まっています。
説明文もとても丁寧。
ご飯は、竹林に囲まれた嘉例川駅をイメージし、霧島市の棚田で取れた「ひのひかり」に地元嘉例川の松下実雄さんが原本栽培した「しいたけ」と竹の子を炊き込みました。
おかずは、ガネ。ガネとは、鹿児島特産の紅さつまの天ぷらです。野菜の水分だけで作り、揚げました。
千切り大根の煮物
嘉例川の豊富な野菜の中から、千切り大根と蒟蒻(こんにゃく)の煮物です。
みそ田楽
ナスとカボチャを香ばしい手作りの麦みそで田楽に仕上げました。
スセ(酢の物)
大根と人参をさっぱりと仕上げました。
嘉例川コロッケ
地元のしいたけ、竹の子を混ぜ込んだ満腹コロッケです。
嘉例川12時34分発、隼人12時53分着。およそ20分間を車窓の景色を楽しみながら、お弁当は全部平らげてしまいました。
嘉例川駅弁はとてもおいしかったです。ごちそうさま!!
嘉例川駅で土日祝日のみ販売中。念のため、予約を入れてしまいましたが、当日客のために数個用意されているようです。
予約は 森の弁当 「やまだ屋」霧島市隼人町小田1672-2
電話 090-2085-0020 山田まゆみ
台風15号の影響により、湿った空気が流れてきたり、30度を超す猛暑が毎日続いていたのに、台風が去った9月23日あたりから急に寒くなりました。
体調を崩してしまい、24日は翌日の出勤に備え、早めに就寝。
今はまあ、完璧に治ったというわけではないけど、症状は少しよくなりました。
鹿児島にいる間は、すごく暑くて汗もたくさん流したというのに・・・・??
さて、続きです。
嘉例川駅は1903(明治36)年開業。当時は「国鉄」ではなく、「官営鉄道」と呼ばれていたそうです。門司と鹿児島を結ぶ鹿児島本線とし、一部開業。
その24年後の1927(昭和2)年、海側の新線が開通すると、旧線は「肥後国(熊本)」と「薩摩国(鹿児島)」の頭文字を取り「肥薩線」と命名。
急こう配のため、いったんバックし、前進の繰り返しをしながら登る「スイッチバック」がついています。
1945(昭和20)年8月22日、終戦直後、客車の屋根まで多くの復員兵を乗せた人吉方面の列車が吉松~真幸間のトンネルで登りきれずに立ち往生。
トンネルの中は煙で充満し、むせた乗客が次々と降り、トンネル内を歩いたところ、列車が後退し、50名の方々が轢かれて亡くなる事故がありました。
「真幸(まさき)」と書いて、「真の幸せ」とも読める縁起のよさそうな駅名ですが、観光列車が吉松~真幸の間でそのような事故があったとアナウンスされるようです。
真幸駅は・・・いつ頃でしたっけ?JR九州の特別企画乗車券「九州グリーン豪遊券(全線乗車券・特急券・グリーン券)3日間で20,900円」(1998年当時)で降り立ったような記憶があります。当時は写真とか何も残っていなくて残念。当時は夜行特急の「ドリームつばめ」(博多0:06発→西鹿児島6:03着)や「ドリームにちりん」(宮崎23:30発→博多6:30着)とか、ホテルの代わりにグリーン車内というプランでした。 台風が近づいているのに、晴れてきました!!
さっきまでは大雨なのに、すごく変わりやすい。
駅の左側に「霧島市嘉例川地区共同利用施設」の建物があり、その中に「嘉例川簡易郵便局」。「簡易」なので、各種の業務を委託しているようです。
しかし、19日は敬老の日なので、郵便局はお休み。
ポストは「国分支店」の管轄。
12時17分、吉松行きの普通列車。キハ40の1両ワンマンカー。
山陰本線と同じ車両なので、本当に懐かしいです。
今度は、隼人方面に向かってパチリ。 嘉例川駅営業開始
明治36年1月15日開業
標高 167.317メートル と書かれています。 官営鉄道の「建物財産票」
本屋 1号
嘉例川建1号
明36.1
古くなったからとはがしたりせず、そのままにしているところがすごい。
夜になると、裸電球の色で明治時代の雰囲気になりそう??
駅の照明に昔ながらの「電球」を使うところはあまりなさそうだけど、昭和30年代で止まったままの小湊鐡道なら、上総鶴舞駅とか今でも見られそうです。
嘉例川駅のハナシはまだ続きます。青ヶ島みたいに好きなものなら連載!?
鹿児島空港周辺の地図を見ると・・・・
空港の東側に肥薩線が通っています。注目すべき、築108年の嘉例川駅に行ってみたくなってしまいました。
旅の締めくくりに嘉例川駅だとすると、車両はワンマンカーなので、乗車券は回収され、旅の記念に持ち帰ることはできません。多くの荷物を抱えながら空港まで行くのはちょっと大変なので、旅の始まりにしたほうが少しは楽になりそうです。
東京を発ったときは晴天だったというのに、鹿児島空港に近づくつれに曇り、時々雨。
空港の出口でタクシーを拾い、「嘉例川駅まで」とメモで告げる。
およそ5キロ、運賃は1700円也。 タクシーが駅に着いた頃はちょうど、特急はやとの風1号(11時57分着、12時2分発)が停車中。
自由席特急料金500円を車内で清算し、12時48分に鹿児島中央に着ける。しかし、ゆっくり駅構内を見てみたいなので、1本見送り、次の12時34分発にしました。
予約しておいた、駅弁の「かれいがわ弁当」(1個1050円)を受け取り、しばし駅構内を探検。
明治36(1903)年に建てられたものなので、改札口も当時のままになっています。
今は無人駅ですが、かつては駅員さんが木製ラッチで切符を切っていたでしょう。
渋いホーロ製の駅名票。昔はほとんど毛筆体なので、ここ嘉例川はちゃっかり昔を再現していますね。
嘉例川駅のハナシはまだまだたくさんあります。今日はこの辺で。
鹿児島では9月20日の夕方あたりから大雨が収まり、晴れました。
21日も朝から爽やかな秋晴れ、鹿児島から博多、それから山口に向かったわけですが、その頃の東京では大変なことが起きてしまったらしい。
台風15号が沖縄や奄美をウロウロしているのに、飛行機は通常通り着離陸。まあ、そのうち弱まるでしょうと成り行きを見守っていたところ、次第に勢力が強まり、本州を横断するコース。
首都圏では、電車の運休が相次ぎ、3月11日みたいに帰宅困難者があふれ出てしまう様子をテレビで知り、1度も養生せず出かけてしまった我が家は大丈夫なんだろうかと心配してしまいました。
ある程度想像はしていましたが、帰宅してみると絶句。
物置の横に置いてあった、自転車を収納するテントがめくちゃくちゃになり、ネットフェンスの上に自転車が乗っかかり、なぎ倒されてしまいました。
台風15号の猛威を見せつけられた感じ。
もちろん、鳩ポッポちゃんはどうなったのか、気にしていたところ・・・・
奇跡的に2羽が遊びに来てくれました。
ちゃんとカメラ目線になっています。
「この間の台風はすごかったね。ぼくたちは無事だったので安心してね」とまるで無事を報告しているかよう。
暴風雨でも、うまくかわせたのはすごい。
台風が来ている間、あなたはどうしていたんですかっ!?と聞きたいくらいです。
(※ネットフェンスの根本が折れていなかったので、無事でした。自転車を収納するテントも見違えるほど修復できました)
国鉄のイメージを払拭し、JR九州の赤を基調としたカラーだったとは覚えていますが、今の博多駅はすごい変貌っぷり。
井筒屋の入っていた駅ビルを取り壊して建て直したのかな?
新大阪行きなので、次は小倉、広島。新幹線がなかった頃は鹿児島なんて遠すぎるという印象だというのに、今はあっという間。 鹿児島中央から博多まで1時間半、東京まで5時間。合わせると6時間半。 国鉄時代、上京するときは必ず新幹線。当時は空港までのアクセス方法があまり知られていないため、もっぱら丸いお鼻の0系新幹線。
小倉から東京まで6時間の長旅だったのに、今の時代、6時間あれば東京から鹿児島に行けてしまいます。
日豊線経由のブルートレイン「富士」も昔は東京から西鹿児島まで。(西鹿児島は鹿児島中央に改称する前)。日豊本線の険しい峠越を要すため、要所時間はとんでもない。
鹿児島本線経由の「はやぶさ」のほが早く着いてしまいます。
長時間も揺らされる汽車旅は時代遅れになり、いつの間にかになくなってしまいました。(>_<)
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本州最西端の名物は下関ふく。下関では「福」にあやかり、「ふぐ」ではなく「ふく」。
下関の味覚を知り尽くした伯母いわく、ふくは冬の間が1番美味しい、とのこと。
私の場合は下関の「ふく」を滅多に食することのできない千葉からなので、久し振りのふくは季節に関係なく美味しかった。
伯母の家も日本海沿いにあり、台風の影響で時化ていたため鮮魚はしばらくお預け、とのこと。毎日、鮮魚尽くしらしいですね。
台風15号が鹿児島の近くでウロウロしていたときはあまり風は出ていなくて、曇ったり、急に大雨、濃霧とか変わりやすい天気でした。
その後、台風が勢力を強め本州へ。東京では街路樹がぶっ倒れるとかすごいことに…。わが家のところは大丈夫なんだろうか?うーん。