今朝はもう春が来たかなと思わせるほどの暖かさでした。
さきほど、ライブカメラで確認してみたところ、今日の貨物船は無理のようです・・・。
明日は高気圧に覆われ、凪ぐでしょう。貨物便ではなく、通常便として就航し、予備日の日曜日は本日欠航した分を貨物便として就航かなと思います。(もしかすると、明日は貨物を兼任し、日曜日はお休みになる場合も・・・)
1月の予定通り就航できたかどうか確率を計算中、ぱっと見たところ、カレンダーに○(丸)の数は13個でした。
今朝(30日)の三宝港は船が入港できそうなベタ凪ぎ。しかし、明日は風も出てきて荒れ模様になりそう。条件付き出航に賭けてみましたが、やはりダメな予想。
1月27日(月) × 欠航
1月28日(火) ○ 就航
1月29日(水) 芝浦
1月30日(木) 芝浦で積荷作業
---(ここから予想)---
1月31日(金) × 欠航
2月 1日(土) ○ 就航(通常便)
2月 2日(日) ○ 就航 1月31日欠航した分を貨物搭載便 8:30発予定
2月 3日(月) ○ 就航
2月 4日(火) 予備日
2月 5日(水) × 欠航 八丈島からそのまま芝浦へ
そのようなケースは船が就航するかどうかデータ採取中。当日の天気や海上状況により必ず私の予想とおりになるとは限りません。外れる場合もございます。
1年で日照時間が最も短い冬至の翌日なので、正午でも少し日は傾いていました。
眺めのよい、この場所に陣取っていればよかったけど、先客がいました。 甲州といえば、ぶどうの名産地。天然成分の「レスベラトロール」は老化防止に効果があります。フランスもワインがよく飲まれているので、ヨーロッパのなかで長寿の国だそうです。甲州市はワインの発祥地なので、高齢になっても毎日楽しくワインを飲む姿が見られるとのこと。
「レスベラトリール」は抗がん、抗動脈硬化、DNAの保護作用、眼病予防の効果さらに、寿命を延ばす働き、脳細胞同士を結び付ける働き、つまり老人の記憶力を高める効果があり、健康で長生きしかも認知症の予防にもつながります。
麺の色が少し紫色になっているのは、赤ぶどうの皮や葉に多い強力なポリフェノールが含まれているため。
いろんな野菜がたくさん含まれているので、本当に健康的な食事。
我が家で作る、コリアン・ラーメンも野菜たっぷり。卵をといて流し込めば唐辛子の辛さを少し和らいでくれます。韓国のりを忘れてしまいました。 青ヶ島から送っていただいた、カンモ(サツマイモ)は天ぷらにして在庫は全部使い切ってしまいました。島のカンモはすごく甘みがして、本当に美味しいですっ!!ごちそうさまです。ワインは先述のとおり、体に良い飲み物なので毎日。(笑)
11時過ぎにチェックアウト、お昼の少し前、観光名所の勝沼ぶどうの丘に行ってみました。12月24日撮影なので、もう1ケ月前になってしまいました。今の風景は少し変わっているかも知れません・・・。 ぶどうの丘にあった、郵便ポスト。1日1回のみ取り集め。
勝沼局409-1399 と書かれていますが、これは郵政省時代そのまま。厳密に言うと、山梨市から取り集めに来る山梨支店勝沼集配センター。現在で言うと、山梨郵便局(勝沼)。山梨市と言っても、沖縄市と同じく県庁所在地ではありません。 今となっては懐かしい、國鐵113系や115系が停車。少し前のボロ房線(房総半島の内房線や外房線)も同じタイプでした。現在も京浜東北線からのお古209系なので、ボロ房線。最初から新しい房総色(海の色ブルーと菜の花のイエローライン)のE233系を投入してくれれば、不名誉な「ボロ房線」は払拭。
真ん中の立派な白い駅舎は「勝沼ぶどう郷(かつぬまぶどうきょう)駅」。
このあたりはもともと東山梨郡勝沼町という行政地域だが、大和町と塩山市と合併し、現在は甲州市。
「郷」の付く駅名で真っ先の思い出すのは、山口県の何もない田舎の宇賀本郷。千葉も幕張本郷。
山口は小さな待合室があるだけで、まわりは本当にないもないところ。普通に読めば「うが」だけど、山口県はふぐと同じく、濁らない。宇賀→「うか」、河豚→「ふく」。二見ももともと、豊浦郡宇賀村。1955(昭和30)年にいくつかの村を合併し、「豊北町」、半世紀後の2005(平成17)年に「下関市」。現在も昔みたいに郵便番号なし、宛先を「豊浦郡宇賀村」とお届け先の名前だけでも届くし、住所を書かずに、7ケタの郵便番号と名前だけでも確実に届く、何もない田舎なんです。
わが田舎町でも、2007(平成19)年に出た都市計画では「イトーヨーカドー、カインズホーム、シネコン、200の専門店が入る国内最大級の巨大商業施設を造る」はずでしたが・・・不景気の影響により、なかなか着工できず長年も更地のままでした。カインズホームができて、今度は別のところにケーズデンキ、独立店舗型の大型書店。最後にアリオ。「アリオ」と名乗るわりには、小さすぎる。2007年の計画通りにできていれば、ワンフロアでホームセンター、イトーヨカードー、大型電気店、200の専門店を回れるはずだったのに、現状では、あちこち行くのにクルマでの移動が必要になり、都市計画は大失敗。高速のインターチェンジに近いところだというのに、これだと集客効果が見込めない。ワンフロアで買い物ができるところが理想的なのに。 わが田舎町でも公募プロボーザル方式により、イオンもエントリーしていたが、選考した結果、アリオが選ばれました。
もし、イオンだったら、このような巨大施設ができていたかも知れない。近くにできていれば嬉しいけど、高速道路で40分のイオンモール幕張新都心店が最寄り。木更津店も今年の10月にできるみたいなので、そっちのほうが近くて便利になりそうです。
端から端までかなり広く、屋内でのウォーキングに最適しているところ。両親は普段家の中でひきこもり状態なので、たまにここに連れて行き、いろんな店舗を見ながら歩かせるとよいかも・・・。
目移りしそうな、おいしそうなレストランもたくさん。2階は店舗ごと、3階はフードコーナー。フードコーナーは食事できるテーブルがたくさんあって、食べたいところの店に行って、呼ばれたら取りに行くセルフ方式。親はそういうセルフ方式は苦手だというので、2階の店舗ごとの中華料理店へ。父がメニューにあったキムチ炒飯をリクエスト。「キムチは韓国料理専門店なら注文するけど、ここは中国料理専門店。中国にキムチはないでしょう」とキーッと怒鳴りつけてしまいました。
昨日も川棚の瓦そばを作るのに、「レモンを買ってきて欲しい」とお願いしたのに、読み間違えたのか、レタスを買ってきた。「同じ”レ”でも、違うんだってば!!瓦そばを作ると言っているのに、何でレタス買ってくるんですかね!」。口の形では似ている水菜(みずな)を三つ葉(みつば)と間違えるし、まったく父はいつものように、とんちんかんなことばっかり・・・。そのようなことばかりするとわかっているなら、事前に何度も確認する必要あり。
1月27日。朝から風もなくよいお天気でした。今日の船は午前中荒れるが、三宝港に入港するごろは凪いでくる。条件付き就航かと予想していました。ところが、今日は海上状況が悪く、最初から欠航となりました・・・。
1月24日(金) ○ 就航 貨物搭載便 8:30発
1月25日(土) ○ 就航
1月26日(日) 運休日
1月27日(月) × 欠航 (波高3.5メートル)
---(ここから予想)---
1月28日(火) ○ 就航 高気圧に覆われるので、バッチリ!八丈島帰着後、芝浦へ。
1月29日(水) 芝浦
1月30日(木) 芝浦で積荷作業
1月31日(金) △ 条件付き 出航 貨物搭載便 8:30発予定
2月 1日(土) ○ 就航(通常便)
2月 2日(日) 予備日、1月31日着岸できず欠航した場合貨物搭載便
1月31日は前線の接近に伴い、海上状況が悪くなりそうです。とりあえず、条件付きに賭けてみます。着岸できるか、途中で引き返すかそこまでの予想は難しいです。
賞味期限が切れたばかりの「そば」袋が2つ残っていたので、今日も下関(川棚温泉)の郷土料理、瓦そばです。全部使い切るつもりで、大盛りそばになってしまいました。朝食を済ませたばかりなので、少ししか食べなかったのに、父が2人前を全部残さず平らげてしまいました・・・
母が故郷下関の友人とビデオチャットしているうちに「下関駅が新しく生まれ変わる」という情報を入手。ネットで調べてみたら・・・
・JR西日本下関駅ビルの完成について
戦時中の1942(昭和17)年、関門トンネル開通。それに伴い、下関駅を三角屋根に改修。戦前の建築物を平成時代になっても、変わらずそのまま維持。1999(平成11)年9月29日、レンタカーで東口に突っ込み、そのまま駅構内を暴走し、多くの通行人を跳ね飛ばした。当時有人改札口に激突、クルマから降りて包丁を振り回しながら殺害する事件がありました。犯人は2012(平成24)年3月、広島拘置所に於いて死刑執行。その事件が起きる3週間前に池袋で通り魔事件があり、それを真似たと言う。(池袋も死刑確定者、東京拘置所で未執行中)
2001(平成13)年、北九州・福岡圏では自動改札機を導入しており、そのエリアと深い関わりがある下関からは裏が白色の切符。西日本と九州、きっかりと線引きするのではなく、2003(平成15)年からJR九州仕様の改札機を設置。2006(平成18)年1月7日、刑務所を出たばかりの無職男(74歳当時)が北九州市内の区役所へ生活保護申請したが、住所のない人には申請を受けられないと断られ、住むところを求め刑務所に逆戻りしたいのか放火。三角屋根の駅舎全焼。信号や無線の配電盤も焼失し、列車の運行に支障。しばらくの間運休が続き、損害額はおよそ5億円。
駅舎焼失からあっという間に8年。今までは仮駅舎で営業していましたが、今年の3月から戦時中から親しまれていた三角屋根を復活するかように、新駅舎のデザインにそれを取り上げられています。 山口の田舎に帰って、東京に戻るときはいつも下関駅を利用していました。
平成5(1993)年といえば、ものすごく貧乏なので、下関から東京まで快速・普通列車のみ乗り放題の青春18きっぷ利用。東京まで新幹線を使わず、快速と普通電車のみで2300円。下の平成8(1996)年はちょうど就職した頃であり、お金にちょっと余裕があったのか、ブルートレイン「さくら」号で東京。 「さくら号」は平成17(2005)年で廃止されたので、これがラスト乗車。
併用した乗車券はJR北海道発行の「南宮崎 → 東京都区内 経由:日豊・山陽・東海」。宮崎空港から飛行機で帰れば近いのに、当時は飛行機に乗るのに敷居が高く、あえて特急とブルートレインを選んだかも・・・。
「東京39ふるさとものがたり」-多摩・伊豆諸島・小笠原39市町村ー
「青ヶ島郷土芸能保存会10年誌」
数日前、青ヶ島から届いた、ゆうパックの中に入っていました。千葉県の本屋さんや図書館では取り扱っていなく、入手困難なものなのに、いつも私に気にかけていただき、ありがとうございますっ!! この本を手に取ると、真っ先に自分の好きな市町村のページを開いてしまいます。陸地続きの檜原村。
神戸岩、拭沢の滝、都民の森、数馬の湯、こんにゃく、じゃがいも。すべて行ってしまいました。マニアニックなところといえば、払沢の滝の駐車場から奥に続く、そば処の「みちこ」。もちろん、クルマで行けますが、途中で通行に差し支えない場所に停めて、そこから徒歩5分。細い道なので、そんなところにお店はあるのかと心細くなってしまいます。(12月から3月の間は休業、4月から11月までは、土日祝のみ営業。平日休業)私が訪ねたときは平日なので、お休みでした・・・。
昭和30年代の利島村。現在は「神津島」の字だけど、もともと「神集島(こうづしま)」と書いて、神が集う島と呼んだらしい。 ずーっと昔、神津島で1番高い山の天上山に伊豆諸島の神さまたちが集まって、 水をどのように分配するかを決める会議が行われ、「翌朝、先着順に配分しよう」ということになりました。朝一で現れたのは御蔵島の神様なので、水道の蛇口をひねるだけでそのまま飲めるほどおいしい水が出てきます。2番目に現れてきたのは、新島の神様。名水の湧水をテーマにした「親水公園」が作られました。新島の水をお隣の式根島(同じく新島村)に海底送水しているので、水に困るようなことはありません。3番目は八丈島、4番目は三宅島。水の配分がなくなりかけたところに伊豆大島。大島の水道は塩分が含まれているのか少ししょっぱいです。朝寝坊し、もらい損なったのは利島の神様。すでに水は残っていない状態だったので、昔の利島は苦労していたようです。水飢饉が続くと、船でお水を配給する様子が載っていました。
利島の名所紹介。利島港整備事業が行われているのも、この本で知りました。利島では泳げる場所が1つもないため、海水浴場として使えるように人工浜を造るようです。
空から見るとファンダシーな島、青ヶ島。
これも、檜原村と同じく全部制覇~!!
小笠原村のページ。1968(昭和43)年6月26日、日本へ返還。1945(昭和20)年8月15日終戦後、時差はグアムと同じく今の時刻よりプラス1時間。日章旗から星条旗をなびかせ、この日を境に23年ぶり日章旗掲揚。 1785年、丸山が噴火し、全島民避難。当時400名のうち半分は救助船に乗れず亡くなられました。人が住んでいない無人島を何十年も続きました。当時の八丈島は青ヶ島からの避難者も島流し刑と同じ待遇を受けたため、佐々木次郎太夫が帰島事業。およそ30~40年の歳月をかけて還住を果たせました。
島の特色のある島踊りや唄を次の若い世代に引き継がれるように、2003(平成15)年に郷土芸能保存会設立。練習日やイベントなども細かく記録されていました。青ヶ島の人は細かいことに気にしないテーゲー主義かと思っていましたが、本当に感心しました。
1月21日(火) 運休日
1月22日(水) ○ 就航 条件付きで無事着岸。(波高2.5~3メートルくらい)八丈島帰着後、芝浦へ
1月23日(木) 芝浦で積荷作業
1月24日(金) ○ 就航 貨物搭載便 8:30発
1月25日(土) ○ 就航
1月26日(日) 運休日
---(ここから予想)---
1月27日(月) △ 就航(条件付き)午前中は荒れるが、13時前後三宝港は凪ぐ。
1月28日(火) ○ 就航 高気圧に覆われるので、バッチリ!八丈島帰着後、芝浦へ。
1月29日(水) 芝浦
1月30日(木) 芝浦で積荷作業
1月31日(金) × 欠航
2月 1日(土) ○ 就航(通常便)
2月 2日(日) ○ 就航 1月31日欠航した分を貨物搭載便 8:30発予定
年に1度は1週間閉館して、コンピュータに登録してある所蔵データと実際の在庫を突き合わせる調査が行われています。
1冊ずつハンディーターミナルでバーコードを読み取り、データをコンピュータに転送。データが一致しないエラーリストなるものを出力してもらい、間違えて置かれた場所から正しい位置に戻したり、万引き被害にあい、いくら調査しても現物が見つからない場合はデータを「蔵書不明」略して「蔵不」に修正。
都立みたい1冊ずつICチップを埋め込み、手続を行わず無断で持ち出すと門のところで警報が鳴るシステムを導入すれば、被害はそれなりに減少すると思いますが、それを導入するのに今在庫してある本にすべてICチップを埋め込めなければならず、莫大な手間や費用がかかってしまいます。モラルに委ねるしかありません。長年もカウンターに立っていると、あの人は万引き常習犯だと勘でわかるようになり、怪しい動きはしていないか見て見ぬふりしながらマーク。閉館前の長列をなし、忙しい対応しているスキを狙い、手続をせずにさっと通り過ぎるのも、捉え、玄関の外に出たところ「通していないものありますね」。返却された本に「蔵不」がたまに混じっているのもありました。これを何回も繰り返されては、「以前、万引きしたものをこっそり返している」とマークし続け、同僚に相談。「万引きした証拠がなければ捕まえるのは難しい」となかなか取り合ってくれませんでした。その場で直接、話をつけておきました。私は万引きGメンでもないし、カウンターがメインではありません。こういう疑わしい人と話をつけるのは、本当に気が引けるけど、財産を管理する立場なので、見て見ぬふりするわけではありませんし・・・。
写真はうす暗い書庫でスキャンしたものです。書庫とは古い本やあまり読まれなくなった本を一時保管するところです。「イ●ダユ●コ VS 警察」の本も・・・。ふと「181」の数字が浮かび上がり、昭和から平成に改めた年の新聞バックナンバーを確認したら、やはり「小和田181番地でした」。当時の私は郵便番号や電話の市外局番を見ただけで、おおまかな都道府県や市町村まで言えるくらい、ちょっと変わっていたので、テレビや新聞で何度も報道されるたびに181と脳裏に刷り込まれてしまったかも知れません。そこには、イ●ダユ●コの父が経営する地元の小さな新聞店があり、逮捕前に自分の息子がしでかしたのも露知らず「八王子から五日市に抜ける秋川街道を走っていると、小峰峠という峠で女の人の幽霊が出て、タクシーを止める」と記事にしたのも有名です。後になって、小峰峠は発見現場であることが判明しました。なんと因縁がありそうな話です。
12月だと真っ暗なのに、少しずつ・・・日が長くなりました。
毎年1週間閉館ですが、今年はシステムの入れ替え作業もあるので、さらに1週間。「2週間もお休みなんて、旅行?」と聞かれましたが、実際は閉館中でも毎日出勤ですっ!!
WindowsXPマシンからWindows7へ更新されます。前回入れ替えたのは2007(平成19)年なので、6年間もよく頑張ってくれました。当時はWinodws Vistaが最新バージョンでしたが、Vistaはかなり重たくて動きが遅い。VistaマシンをXPにダウングレード。XPは2001(平成13)年11月に登場、2014(平成26)年4月9日でサポートは打ち切り。XPはそのまま使い続けても大丈夫ですが、セキュリティ更新プログラムが配信されなくなり、ハッカーの餌食にされてしまいます。
ウィルス対策ソフトを使っていても、この状態だと鍵のかかっていない家を守るに等しく、あまりお勧めできないそうです。Windows8.1が最新バージョンとはいえ、XPと7の操作性が大幅に異なるため、今回も敬遠されたのが、最初からWindows7がプレインストールされたマシンになりました。
1月22日。少し前に予想していたとおり、条件付き出航。桟橋にクレーン車の姿が見えていれば、着岸。見えていなければ、途中で欠航。
昼休みにライブカメラを確認したところ、桟橋には何もありませんでした。白い波が桟橋にかぶっている様子が見えます。以前の還住丸が運行していた頃の目線で「この状態だと途中で欠航だな」と思いました。13時前、念のため再確認してみたら、なんとクレーン車が出勤。波がかぶっていればアウトなのに、着岸できたようです。積み降ろし作業がいつもより大変だったのではと思います。 大昔の村営連絡船の黄色い「あおがしま丸」。
現在のような桟橋もなく、拡張工事前の短い旧堤に無理やり着岸。
大波だというのに、よく寄港できました。
今の感覚からすれば、これは小さな船が転覆しそうな航海。自殺行為に等しいのに昔はよく就航できたものです。
1月19日(日) 予備日 この日は大時化でした。(波高5メートルくらい)
1月20日(月) ○ 就航 条件付きで無事着岸。
1月21日(火) 予備日
1月22日(水) ○ 就航 条件付きで無事着岸。(波高2.5~3メートルくらい)八丈島帰着後、芝浦へ
1月23日(木) 芝浦で積荷作業
---(ここから予想)---
1月24日(金) ○ 就航 貨物搭載便 8:30発
1月25日(土) ○ 就航
1月26日(日) 予備日
1月27日(月) ○ 就航 27、28日両日とも荒れるような天気ではない。
1月28日(火) ○ 就航 八丈島帰着後、芝浦へ。
実家の「長門二見」を検索したら、いつの間にかに何もない田舎だというのに、ストリートビュー対応に・・・。クルマのボディに「Google」の文字がペイントされたものが何もない田舎までやってきたそうです。
ずっと大昔、生活の根拠地だった頃の乗車券。もう20年以上前になってしまいました。本当に早いものです。
実家前の道。現在は伯母がリニューアルしながら住んでいます。
長らく帰っていないと、グーグルマップストリートビューで今はどう変わっているか、はまってしまいそうです。二見は20年前に比べると、変わったのは二見トンネル開通のみ。あとは全然変わらない。
旧豊北町中心地の滝部も見に行きましたが・・・昔はにぎわっていた商店街がすべて閉店状態。すっかり寂れた町になってしまいました。
青ヶ島村もストリートビュー対応?と思いましたが、まだまだです。「Google」の文字がペイントされたクルマも青ヶ島に上陸してくださいな~!ちなみに富士山は徒歩によるストリートビュー撮影済み。小笠原村父島、母島もすでに対応しています。どちらも世界遺産に登録されているので、いち早く対応しているかも知れませんね・・・。
夜が明けて、2013(平成25)年12月24日。暖房器具はお部屋に備え付けのエアコンしかなく、乾いた空気が出てくるなと思ったら、加湿器も置いてあったので助かりました。いつも就寝時は暖房を止めていますが、毛布に1枚の布団しかないので、ちょっと寒く感じるので朝までつけっぱなしです。
朝から清々しいお天気でした。
イオンのマークが見えるところがJR石和温泉駅。笛吹市の中心駅なので、新宿からの特急はすべて停車。要所時間はわずか1時間半っ!!
このあたりは田舎でもなく、都会でもなく、ちょうど真ん中あたりかな。
テーブル席に着いて、真っ先に目につく朝ごはん。
「あちらにバイキングがございますので、どうぞご自由にお召し上がりください」とスタッフさん。
朝ごはんだというのに、目移りしてしまいそうなご馳走がたくさん!!
ちょっと欲張って、盛り付け。山梨県だというのに、新鮮なマグロまでもありました。
昨夜の夕食も豪勢だし、朝食までも!?朝からごちそうとは至福のひとときです。(笑)
廊下から見える日本庭園。
1月19日(日)、ライブカメラで三宝港の様子をチェックしたところ、大時化でした。もしかすると、翌日の20日は欠航するのではないかと頭をよぎりましたが、天気予報では高気圧に覆われるので、大丈夫だと予想していたとおり、今日は条件付き出航でも無事に入港!!
入港する時間帯は12時55分、今日はなぜか20分遅れの13時15分着岸でした。たぶん、昨日の大時化が残り、黒潮で揉まれながらの航海だったかも知れません。今日はたまたま自宅にいたので、入港する様子を初めて動画撮影してみました。
還住丸は小回りが利く小さな船なので、あっと言う間に方向転換できますが、あおがしま丸は500トン近い大型なので、ゆっくり時間をかけて回転。クルマで言うと、駐車場で前向き駐車ではなく、きれいにバックで停めるやり方に似ています。船の後ろから入港すれば、出航時の作業はスムーズ。
1月17日(金) ○ 就航 貨物搭載便 8:30発
1月18日(土) ○ 就航
1月19日(日) 予備日 この日は大時化でした。(波高5メートルくらい)
1月20日(月) ○ 就航 条件付きで無事着岸。
1月21日(火) 予備日
---(ここから予想)---
1月22日(水) ○ 就航 青ヶ島近海は少し荒れるが大型船なので、大丈夫でしょう。20日と同じく条件付き出航。八丈島帰着後、芝浦へ
1月23日(木) 芝浦で積荷作業
1月24日(金) ○ 就航 貨物搭載便 8:30発
1月25日(土) ○ 就航
1月26日(日) 予備日
1月27日(月) ○ 就航
先月の12月はかなり「×」欠航マークが出ていたのに、今年1月になってからなかなか登場しません。今年1月のお天気は穏やかであるし、ちょうど予備日は時化ているからでしょうか。