食料品棚を整理していたら、今年6月山口へ帰ったときの「ふくめし」が出てきました。
賞味期限は今年の10月まで、1ヶ月過ぎてしまいました。真空パックなので、1ヶ月過ぎたくらいで大丈夫でしょうと夕食は「ふくめし」。
山口県なので、味付けはちょっと薄いほう。岐阜県の関ヶ原を境に西日本はあっさりしたものが好まれているようです。(JR東海道線の関ヶ原駅も岐阜県内にありますが、もう少し西に行けば、滋賀県との県境。昔から「天下の分け目」と言われているとおりです)
国鉄時代の名古屋鉄道管理局は米原駅を局境にしていたため、JR西日本とJR東海の境界を関ヶ原駅に設定しなかったようです。
下関駅ホームの立食いうどんも、1杯260円(20年前、1992年当時の価格)。つゆが透き通って見えるほどの薄口ダシが特徴。容器をそのまま返すと、容器代として10円戻ってきました。
「消えた駅舎 消える駅舎」の本に懐かしいものが・・・・。
もちろん、下関駅も載っていましたが、特に美祢線支線の大嶺駅。
1969(昭和44)年3月、1999(平成11)年8月、1992(平成4)年11月24日の駅舎の移り変わりがわかるような定位置撮影。
実は・・・私も「谷に眠る終着駅の大嶺駅ファン」でした。(笑)東京から山口までクルマで帰省するときは美祢インターを降り、大嶺駅舎前の国道435号線を通るたびに古めかしい駅舎を目にします。(現在の435号線はバイパスができているため、駅前の道路は県道に格下げ)
廃線1ヶ月後の1997(平成9年)4月、ゴールデンウィークの帰省にまたクルマで大嶺駅立ち寄り。
廃線1ヶ月前の1997年2月もまた大嶺駅。その頃は東京にいながら、まめに大嶺駅まで足を運んでいたということに・・・。
大嶺支線営業最終日、三鷹駅発行の乗車券。
2003年、明治建築物が取り壊され、更地に・・・。
このあたりに大嶺郵便局が移転してしまいました。
大嶺支線営業最終日を証明するために大嶺郵便局の消印付き(時間帯も「12時-18時」)で廃止記念台紙まで作るマニアっぷりに脱帽(それは自分のことでしょう・・・) 最終列車が出るのは19時26分、消印も「18時-24時」のほうが好ましいですが、当時の無集配郵便局は17時まで。
1日6本の究極的な時刻表ですが・・・・
幹線であるはずの山陰本線も最近は非常に本数が減ってしまいました。
下関~小串間は下関都市圏なので、1日27本。
小串を過ぎると漁村の風景が続くので、長門市まで1日11本。
長門市からだと、極端な田舎なので、益田までなんと1日8本。
萩市の中心駅、東萩駅も1日8本。この状態だと、いくら待てど列車は来ない。