東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

おが丸が迎えに・・・

2020-08-15 00:00:21 | 2019_夏_小笠原
 コロナの「コ」とは全然無縁だった、令和元(2019)年の夏。1年後の今はもうすっかり様変わり。おがさわら丸も夏休み期間中のみ父島折り返し便を設定し、多くの観光客が訪ねていったというのに、今年は父島折り返し便を中止し、乗船人員に制限がかかったりしています。

 去年(令和元年)の猛烈な台風災害やコロナ渦が来る前はとっても平和だった。もう少し父島に滞在したいなとそう思いながら東京方面を眺めていたら・・・

 父島折り返し便の「おがまる」が私を迎えに来ている様子が見えました。時間は午前9時45分。おが丸の乗船客達はあと1時間で父島だ!!とワクワクする感情が高ぶり、その様子を見た私は「もう帰りたくない」。船内にいる観光客と、父島に滞在する観光客の気持ちが交雑する時間。

 中央山の山頂から見える、小笠原村の中心地、二見桟橋付近。

 二見桟橋の反対側は、グアム。ここから1500キロ先はアメリカ。

 二見桟橋の向かいは「人丸島」。うちの山口県のな~にもない田舎の山陰本線も「人丸」駅あり。今は長門市内になっていますが、旧大津郡油谷町の中心地。業務委託によりPOS端末による乗車券の発券やキヨスクもあったんですけど、人口が減り、鉄道利用者もかなり減っているため、現在は無人駅になっています。
 小笠原に来て、故郷ゆかりの「二見」や「人丸」と同じ地名が・・・。

 これは珊瑚の化石。なぜか中央山頂にありました。もともとここは海にあって、何万いや億の歳月をかけて隆起!?東京へ帰りたくないモード発揮中。まだまだ小笠原の話は続きます。半年も旅行していないのに、すべて過去出かけた地域を記事にしています。
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小笠原最終日

2020-08-10 00:47:30 | 2019_夏_小笠原

 2019(令和元年)7月23日の19時少し前。私は撮りに行っていませんが、友人からいただいた画像データに入っていました。あっと驚くような色彩。

 日没後、真っ暗になるまでの間、ほんの数分しか見られない空の色をしっかりと撮影。

 ホテルビーチコマは扇浦にあるので、あそこは扇浦海岸に都道の街路灯。

 平成から令和に改元してから数ヶ月のみ平和だった。9月からもうず~っと災害続き。我が家でもアンテナ、カーポート、フェンスに台風15・19号による被害があり、日常生活にあまり影響を受けないからとすぐ修理を依頼せず、被災半年間もそのまま放置。加入している火災保険に問い合わせてみたら、全額補償してくれることに。屋外の状態を元の状態に戻したとたん、今度はコロナ。6月頃、もうその頃は収束し、安心して出かけられるかもと思い、山口県の田舎に帰ることや、JR九州のジグザグ鉄道旅を計画したものの、どちらも見送り。経由を久大本線(大分~久留米)のルートは令和2年7月6日、集中豪雨により、久大本線、肥薩線、くま川鉄道線が被災し、現在も不通区間発生。8月8日、4年前の2016(平成28)年4月の熊本地震で甚大な損害を受け、長年も不通区間だった、豊肥本線(大分~熊本)が全線復旧し、特急九州横断も復活。しかし、コロナのせいで利用者はかなり減少しているとのこと。

 気がつけば・・・2019(令和元年)7月24日は小笠原最終日。父島に来たばかりかと思ったら、楽しいことはあっという間に時間が過ぎてしまう。
 昨日はパンにスープの洋食、今日はごはんに味噌汁の和食。ここのホテルでは和洋交互に取り入れているようです。

 父島における都道240号線全線制覇するため、都道の支線へ。
 母島は北港から南崎まで都道241号線、これも全線制覇。青ヶ島は236号線ですが、三宝港付近の都道上手が数十年前から一部崩落していて、現在も復旧していない。青宝トンネルを抜けて丸山のカルデラ、ジグザグ道で集落の岡部地区へ往来が可能なので、断崖絶壁に位置する都道上手を復旧させる有意義はなさそうです。
 都道240号線の一部なんですが、巽と書いて、「たつみ」。
 
 支線の始点。

 バイクで数分。あっという間に0.971キロメートル、終点。

 終点の先は、躑躅山(つつじやま)、時雨山、赤旗山などへの遊歩道。自然保護区域なので、靴底についているものを拭き取るマット、どちら方面に行くか、小石を入れる缶付き。ガイドさん同行が必要です。

 青ヶ島でもよく見かける植物。
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小笠原の手話サークル

2020-08-05 00:01:16 | 2019_夏_小笠原
 毎日のようにコロナに関する報道ばっかりです。今日も感染者が全国で1214名。政府が推し勧めているGOTOキャンペーンから2週間経過しているので、全国各地に感染者が急増。キャンペーンが始まる前に想定していた範囲。また、お盆の帰省について、これ以上国民を惑わせるようなことはしないで欲しい。お盆期間中の東海道山陽新幹線、北陸、東北新幹線の予約状況を見ると、昨年度同期はほぼ全便座席が埋まっていましたが、今年は8割が空席です。例年なら繁忙期のはずなのに、一転し、今年は空気を運んでいる状態なので鉄道業界もかなり経営が厳しくなるのではと懸念しております。

ーーーここから2019(令和元年)7月の小笠原ーーー
 マルベリーさんに宿まで迎えに来ていただき、小笠原村役場の施設、地域福祉センターへ。保健所、図書室も兼ねています。

 小笠原に関する郷土資料を調べるならここへ!!大好きな空間ではありますが、ここに飛びつかず、閲覧席に集まって手話サークル。
 まずは出身地はどこから?父島に来て何年目?など簡単な自己紹介を1人1人表現してもらい、この表現で正しいか私にチェックしてもらいたがったらしい。
 ネイティブの手話を教えてくれる、聴力障がい者の住民は1人もいないそうです。私が移住すれば第1号になりますが・・・(笑)
 結局、出身地は内地から父島に移住された方がほとんどでした。「生まれは北九州市の、八幡です」という方がいらして、「ええっ!それって私の故郷の近くなんですよ!!」
 手話はもちろん大切なコミュニケーション手段ではありますが、最近、IT技術がめまぐるしく進歩しており、聞こえない人でも電話ができるんです。まずは、ドコモの見える電話を紹介。
 「えええっ!そんなこともできるの!?」差し支えなければ、ご自身の電話番号を教えていただければ、試しにかけてみることはできます。
 「じゃあ、私にかけてみて」
 「今日の観光ツアーはいかがでしたか?楽しかったでしたか?」と話し声を私のスマホにちゃんと文字が出ているのに「えええ!こんなこともできるの!?すごいわ」
 興味を持った小学生の男の子が「今夜はどこで泊まりますか?」 「ビーチコマです」と文字に打って返答。目の前のスマホからちゃんと音声として出ていました。
 1000キロ離れていても、海底光ファーバー。小笠原でも内地と同じ通信環境になっているとは驚きです。
 今度は電話に頼らなくても、UDトークのアプリを使えば話した音声を認識し、スマホに表示される便利なものですと紹介。
 「ここの裏にある、とびうお桟橋って、夜になると明かりが灯るので、サメやエイやら・・・が集まって泳ぐ様子が見られるんですよ。行ってみますか?」

 とびうお桟橋に向かう前に記念写真。ブログに載せることは話していないため、ぼかしをかけています。すいませーん。

 えええー!異様な風景。大きなエイがたくさん集まっている。

 これはサメですね・・・。父島中心地の近くとはいえ、海底の様子が見える透明度も素晴らしいので、泳ぎ回る様子もくっきり。

 東京から南へ1000キロ。滞在先が父島中心地なら夜の「とびうお桟橋」に出かけても楽しいかも・・・。
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小笠原最後の夕食

2020-07-31 00:05:23 | 2019_夏_小笠原
 全国で新たに1305人感染。昨日の1265人より超えています。先週はじまったGOTOのせいなんでしょう。東京都だけではなく、地方も感染者が急増している状態。私はもともとGOTOに賛成していなかった。今実施すると、将来はこうなると予測も全くしていなかった政府の愚行でしょう。
 本当は31日からジグザグの変な乗車券ですごく久しぶりに出かける予定だったんですけど、全国各地がこのような状態になっているので、もういったん見送り。キャンセルは無料でできたんですけど、ただ1つだけ、東海道山陽新幹線のEX予約会員なら最初に予約を入れた日から3ヶ月の間まで何度も自由に変更してもよいことになっていて、確定するまで先延ばし予約。なかなか確定できないときは払い戻しになり手数料340円。

 私は涼しいホテルの部屋で爆睡し、友人はこの周辺を散策。今何時!?時計の針は5時半。もう朝まで寝てしまったのか!?と勘違いし、テレビのチャンネルを回してみた。夕方の放送だとわかり、ほっ。この部屋って、方角がよくわからないんだよな・・・。

 少し右の風景は小笠原らしい。

 黄色いハイビスカス。

 何だろう、この植物。ホテルの玄関付近にあります。

 こっち側が西側なんですかね。西日から東側にある私の部屋だと「朝」だと錯覚してしまいそう。

 18時。夕食タイムで~す!!

 小笠原ならでの島寿司。八丈島が発祥だけど、伊豆諸島や小笠原で出る寿司はこれです。ワサビの代わりに練り辛子が特徴。

 エビは大好物。鮨屋に行く必ずエビを頼んでしまいます。父島に来て、エビをごちそうできるなんて思わなかったな・・・。

 1997(平成9)年、先代の「おがさわら丸」が新しく就航した年。新しいモノに目がない私は新しいにおいが抜けないうちにピカピカな状態で出かけました。3代目の新おがさわら丸が出た直後も乗船。平成9年といえば、もう、23年前になります。計算すると、私はもうジジィの領域。初めての亀を口にしたとき、ものすごく臭くってこれは食べられるものではない、亀はもう勘弁かなと思っていました。宿の人いわく「味付けはシンプルに塩だけです。どうぞ」とのこと。口にしてみると、あれ!?全然臭みもなく、美味しいじゃん!!あの海亀を食べてしまうなんて本当に申し訳ないんですけど、美味しいです。

 鶏の包み焼きもいただいて・・・。アルコール類を頼まなかった理由はこの後、手話サークルに誘われているので、真っ赤な顔で出るわけじゃないし、酔った勢いでデタラメな手話を教えてはあかんだし。
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観光ガイドも終盤・・・

2020-07-26 00:00:45 | 2019_夏_小笠原

 2019(令和元)年7月23日(火)15時前の風景。今日は25日。ちょうど1年前の今日は父島から自宅へ戻った日。あの頃は今のようなコロナがなく、のびのびと旅行が出来たというのに、今は全国的に感染者拡大中。千葉県も6月のときは感染者があまり出なかった時期もありましたが、今は連日のように数十名は出ています。
 
 ・「オガサワラから帰りました」(2019/07/26)記事


 雨水を貯めて生活用水にしていたようです。

 80年近く昔からの残骸。「つるはし」かな。

 「今日のツアーはこれでおしまいになります」。マルベリーさんのご主人はとっても気さくなお方でまめに筆談で説明してくださいました。ありがとうございます!!
 なんと奥様は手話を学ばれており、今夜はサークルで交流しませんかとお誘いをいただきました。
 16時の少し前に宿まで送っていただきました。
 日頃から滅多に運動しないから、足が棒になるほど疲れた~!!とエアコンの効いた宿の自室で横になり夕食タイムまで爆睡。
 その間に、友人は近くの扇浦海岸までお散歩。友人からいただいたデータに日没数時間前の風景が入っていましたので、アップ。

 島民の地域福祉の増進を図ることと、来島者の島内の移動手段を確保するため、二見港を中心とした循環線および小港海岸までの扇浦線を運行中。東京都最東端のバス停は境浦海岸。最南端は小港海岸。

 小笠原村は本土の都内より少し東側なので、日没時刻は若干早いです。

 友人は写真を撮るのが上手なので、私がそこに行かなくてもうまく伝わっています。

 気がつけば・・・明日は24日。今日で島で夕陽が見られるのは最後なのか・・・。

 2航海(1週間ではなく2週間)は島でのんびりしたいんだけど、仕事を持つサラリーマンはそんなになが~く休めない。

 そう思いながら、の~んびりと眺めていたかも。

 今日のツアーはずっと良いお天気でした!!

 小港海岸で折り返したバスが「役場前行き」として通過。夏の間はやっていませんが、12月から2月の間なら日没時刻は16時30分から17時30分なので、サンセットバス運行中。
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80年近くもそのまま

2020-07-21 00:00:00 | 2019_夏_小笠原

 戦時中、ここでご飯を炊いていたのであろう、釜。

 ここでも電気は来ていたという証の「碍子」。

 80年近くタイムスリップすれば、ここで兵士さんが敵は来ていないか常時監視していたに違いない。外にマルハチの木が倒れているのが見えます。

 貯水池の跡。

 なぜか、ここでもビール瓶。「瓶」はお店にリターンしなければならず、それが面倒臭いから缶ビールを購入。内地にこっそりリターンすれば、DAINIPPONの刻印が入った瓶ビール再販するかどうか気になりますが・・・。

 これはハンマー!?

 内地では戦後しばらく回収されていますが、小笠原ではいつまでもそのまま放置されています。

 海もいいし、森歩きもいい。今すぐ小笠原へ帰りたいな・・・。

 小笠原の土は内地ではあまり見かけない「赤土」。水はけが悪く、とても滑りやすい。湿っていると靴に土が付着して汚れがなかなか取れなくなるので、新しいものではなく履きつぶしたもので行かれたほうがよいです。
 もう1年経ちますかね・・・コロナがなかったら、今頃はオリンピックで盛り上がり、おがさわら丸も増便し、父島折り返し便。今夏は折り返し便を中止し、父島に3泊係留となっています。
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ちょうど1年前・・・

2020-07-13 00:00:06 | 2019_夏_小笠原
 令和元(2019)年7月の小笠原はとてもよかった。1年後の2020)年7月。まさか、そのような事態になるとは誰も予想はしなかったはず。

 ちょうど職場に髪型がアマビエにそっくりな人がいて、ひそかに「アマビエさま」とニックネームをつけたのは6月の終わり頃。6月29日に出勤したら、あれ!?アマビエの髪型ではなく、ぱっさりと切り落としている!!前のアマビエさまのほうがすごく似合っているのに、もったいないことと思っていたところ、7月に入ってから雲行きが怪しくなり・・・今はもう緊急事態宣言が出てもおかしくないくらいの数値。職場のアマビエさまが髪をぱっさりと切り落としたからそのようになったのはたまたまの偶然なのかも知れませんが・・・
 (※アマビエ=厚生労働省が疫病退散に御利益のある「アマビエ」のイラスト付きで宣伝しているので、多くの方々が目にしているはずだと思います)
 伊豆諸島や小笠原諸島では、7月から来島者自粛を緩和させたばかりだというのに、今の状況を見るとやはり危険な状態になっている。

 1年前の小笠原。もう梅雨が明けているので、今はこのような風景になっているに違いない。

 このようなからっとした暑さになるまで数日後になりそう。

 コロナなんかに負けるな!コロナ退散!!

 この近くにあったコンクリートの小屋。これも戦争中に使われていたもの。

 ということは、この付近でも電気は来ていたということになります。碍子(がいし)と言い、電線から漏電があってもここでストップ!電車もパンタグラフにも必ず取り付けています。これがないと車内に電気が流れて乗客が感電してしまう恐れあり。特に交流区間は2万ボルト。直流区間は1500ボルト。

 ここでも瓶、食器のかけらを当時のまま保存中。

 あんまり聞かない油の名前だけど、何だろう??

 なぜか、ここでも一升瓶。70年経っても、その状態のまま。


 連続発射が可能な機関銃(?)がまだ残されていました。

 タイヤも70年経つのに、その状態のままなんですかっ!車のタイヤは4年前後または走行距離4万キロに達したあたりで交換するんですけど・・・。まだまだ続きはあります。
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ちょうど1年前の父島

2020-07-06 00:00:58 | 2019_夏_小笠原
 「令和」に改元してから2ヶ月後の7月までは全国的に安泰な時期だった。8月になると台風シーズン。1番ひどかったのは9月9日、房総半島を襲った猛烈な台風15号。カーポートなど、家のまわりにあるものを次々と破壊されられ・・・アンテナも向きが変わり、NHKは降雨時に映らなくなる現象。一部の民放でも見られないチャンネルがあるけど、日常生活を送るうえで支障は出ないレベル。
 困っている人を優先させるため、我が家は半年近くになる2月頃から、修理依頼。火災保険では、家屋本体の損傷だけではなく、土地の敷地にある物件も含まれると記載があり、ダメ元で保険会社に交渉してみたところ、家屋に被害がなくても台風災害によるアンテナの修理代や、カーポート、台風災害による損傷を受けたフェンスの交換も支給の対象になるとのこと。
 これだけ直すのにこの費用がかかりますと修理屋さんの見積書と、損傷部分の写真(保険会社が現地で確認する代わりに写真)、請求書を郵送。保険会社の審査がおり、見積書に記載の金額とおりに振り込まれるとのこと。修理業者さんに工事依頼。工事完了後、保険会社から振り込まれた金額を修理屋さんに送金という流れ。火災保険のオプションとして、敷地内の物件も含むを申し込んでおいてよかった。台風による損害は実質自費負担無しで修理してもらえました。
 令和2年の1月16日、中国の湖北省武漢市に滞在し、日本に帰国した神奈川県在住の30代の男性からコロナが検出。日本におけるコロナ第1号。日本政府は武漢が危険な状態と知りつつ、湖北省に渡航歴にある外国人以外の日本上陸を許すなど水際を完璧に封鎖していなかった。春節における中国人の来訪者が多かったこともあり、国内も感染者蔓延。3月頃から横ばいだった感染者数が急増し、ついに4月から「緊急事態宣言」発令。最初は感染者が多い首都圏、関西圏、福岡のみとしたが、その後、ゴールデンウィークは人の出入りが激しくなるので、全国を対象。5月27日に解除されたあとでも、都道府県をまたぐ移動は当分の間自粛。私も、鉄分補充にどこか旅出かけたいと思っても、できなかった。3月、仙台から品川まで特急「ひたち」に乗車して以来、鉄道の利用は皆無。JRをはじめ、全国鉄道会社の売り上げが著しく減少・・・・。

 「令和」で安泰だったのはもしかしたら、最初の2ヶ月だったかも知れない。今の小笠原は三密を避けるため、乗船人員を減らしたり、繁忙時における父島発着便を中止するなどにして、去年に比べると非常にハードルが高くなっています。

 70年以上昔からの残骸。

 「ここは島の通信インフラでとても重要なところです」

 「小笠原村 夜明山中継所」って書かれている小屋。

 本土との光ファーバーが海底ケーブルで結ばれており、夜明山周辺でも携帯各社が使えるような無線基地局。ここでもインターネットに繋がっており、全世界に向けてテレビ電話も可能。

 戦時中のトロッコ跡!?

 生い茂ったジャングルから開けた場所へ。

 今日のお天気はとっても良い。夏らしいお天気。

 今からでもすぐ小笠原へ飛んで行きたいな。

 夜明山から扇浦まで見えるそうです。あそこに私たちの泊まっているホテルが・・・。

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防空壕跡

2020-06-30 00:15:35 | 2019_夏_小笠原

 今度は防空壕跡へ。ジャングルの中に佇む洞窟のようなところです。

 当時の日本軍人が使っていたのであろう、茶碗。

 読者さんから「碍子(がいし)」ですよ、と教えていただいたので、これも電線を支えるための道具なので、戦時中は電気が来ていたってことですね。

 沖縄の防空壕でも似たようなガラス瓶が転がっていました。医薬品を詰めていた瓶だろうと思います。

 実際、洞窟の天井から水がポタポタたれる箇所があったので、その水瓶で水をためて生活用水にしていたかも知れません。

 別の場所に出口がありました。

 その近くにビール瓶。戦時中からそのままあったものを持ち帰ったりしてはいけないので、永久的にそのまま放置されています。

 DAINIPPON の刻印。大日本は今のサッポロビールやアサヒビールの前身。現在の日本は、「日本国」が正式名称だけど、日本が降参するまでは小さな島國が日本周辺の外国を乗っ取るような強大なニュアンスを込められ、「大日本帝國」と誇示。その流れにより、韓国は「大韓帝國」と名乗り、のちに「大韓民国」が現在の正式国名。
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宇宙航空研究開発機構(JAXA) 小笠原追跡所の近くでも・・・

2020-06-24 00:11:11 | 2019_夏_小笠原

 今度はこの場所へ移動。何年か前に真夜中の首無し二宮たかのり像はどんな雰囲気なのか見てみたくてバイクを走らせたところ、オレンジとホワイトでライトアップされたきれいなパラボラアンテナ。あとになって、なんでこんな場所にあるんだ?と調べてみたら当時の名称は「宇宙開発センター」。

 鹿児島県の種子島宇宙センターと深い関わりがあります。

 桑ノ木山付近にひっそりと建つ管理棟もあります。もちろん、職員さんは常勤。中心地の二見港まで車でおよそ20分の辺境な地。二見港付近の飲食店に出前を頼んでも距離的に無理っぽいなので、毎日お弁当持参なのかも知れない。お疲れ様です・・・。

 近代的な建築物と対照的に、古びた廃墟があります。

 戦前、軍の施設として使われていたコンクリートの建物。

 軍人のまかない、鉄板焼き??

 もう80年近くの建物なのに、造りはしっかりしている。

 ガイドさんいわく、発電機が置かれていた土台、とのこと。今は二見港近くの父島火力発電所から島のあらゆる場所まで送電されるが戦前はここで発電。

 まるで額縁。

 階段に上ってみたくなりますが・・・

 崩落の恐れがあるので、立ち入りは厳禁!

 これは何だろう?電気の抵抗??
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大根山公園でランチ

2020-06-18 00:00:53 | 2019_夏_小笠原

 二見港を一望できるところでランチ。1日コースなので、ガイドさんの奥様が作って下さったお弁当も付きます。

 左側の建物らしきものは戦跡。


 二見港に敵が入ってこないか監視していたところかな。

 戦時中はここで四六時中見張りかな?

 比較的新しい墓地の近くです。

 どこで骨をうずめたいのかは全く考えていないんですけど・・・ここなら。

 大きなおむすび2個、お魚のみりん醤油焼きセット。野外でいただくのは本当に久しぶりです。食事だけではなく小笠原の空気も美味しい。ごちそうさまでした!

 やはり、こういうゆったりとした島で暮らしてみたいな~。
 (追記)
 7月から緩和が始まりますが、夏休み中は繁忙期の父島折り返し便を中止し、入島できる人員を制限するなど、例年に比べるとやはりハードルが高いです。コロナの「コ」や台風の「た」すらなかった、去年(2019年)の7月は安泰でした。
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今度は別の場所へ移動移動

2020-06-11 00:04:10 | 2019_夏_小笠原

 今度はなぜか、小笠原村の墓地へ。

 このエリアはたぶん、先住民の墓地だと思います。観光マップには「ここは墓地ですよ!」とか載っていませんしね・・・。
 ガイドさんいわく、「そろそろお昼時なので、ここで1時間程度の休憩でーす」

 ここは東京から南へ1000キロの亜熱帯。ガイドさんの経歴を拝見すると・・・
 「大阪市旭区生まれ。茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。
 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。
 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。
 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。
 その後、小笠原・父島に移住。
 島でダイビングインストラクターなどの仕事を経験後、
 2000年独立開業。
 小笠原・父島で、
 山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。
 経験と知識は豊富だが、
 人付き合いがやや苦手で、いまだにお客様対応でたまに失敗している。(涙・悲)

 いやいや、マルベリーさんのご主人さまは、聞こえない人からの申し込みがあると、わざわざ筆談ボードで丁寧にガイドしてくださるので、コミュニケーションリテラシーは高いほうなんです。
 ガイド業は2000年からスタートと書かれているが、翌年、同じご主人さまに依頼したときにとても丁寧な対応だったのが忘れられず、ン十年後の今、同じ方に依頼。人との出会いを大切にしているお方です。

 「ここは大根山公園です。三日月山に向かう道を途中で左に折れた先にある公園なので、二見港を一望できるところです」
公園といっても、園内は大部分が墓地になっており、旧日本軍の戦跡も残されています。



 「どうやって、ここに持ち込まれたのか、いつからそこにあったのか、わたしも詳しく知りません」とのこと。
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三日月山展望台付近の戦跡

2020-06-05 00:00:03 | 2019_夏_小笠原
 新しいところに変わって早くも2ヶ月。まだ電子が浸透しておらず、「ハンコ」文化。印鑑の出番がかなり増え、引き出しも、ぜーんぶ「紙ファイル」で埋まっている。自動改札君と一緒に仕事をしていたときは、起案をパソコンでアップ。まるでホンモノの自動改札機みたいにIC系交通カードまたは切符裏面の情報が正しければ扉が開くと同じように決裁も驚くほど速かった。ここでも同じようにパーチャルの自動改札機を使ってペーパーレスを!と今日実践。急にデジタルとは少し無理があったみたいだけど、あとでキーワードの検索にかければ、該当する電子文書も出てくるし、探す手間も省けるんじゃないかな・・・。
 ここからは令和元(2019)年7月に訪ねた、小笠原の話題。

 ここは三日月山展望台へ向かう途中です。昨日もここを通ったんですけど、全然気づきませんでした。

 火薬庫跡地。敵に見つからないように火薬庫の上に土をかけてカムフラージュ。

 戦後70年以上経っているのに、造りがしっかりしている。

 室内はもちろん何もありません。

 そろそろ夏の予定・・・のはずだけど、今のところまだ未定。東京の島々へ行きたいんだけど、まだ歓迎できる状態ではないし・・・。けっこうしぶといな。コロナは。武漢で最初にコロナを発見した医者がこれは危険なウィルスだと早期に警告しようとした矢先、「社会の秩序を著しく乱す」「虚偽の発言をした」として逮捕。その後、医者自身も感染され、天に召されました。
 ウィルスは単独では増殖できず、ヒトや動物の細胞の中にウィルスのまわりにあるスパイクにより侵入し増殖。細菌は細胞分裂をして自己増殖。コロナは前者にあたりますが、ウィルスに感染された人が飛沫により他の人にもうつし、また違う人にもうつす。日本政府もハードルを上げ、春節の時期でも中国全土からの入国を禁じていれば、こんなことにならなかったはず。湖北省を対象とした日本政府の対応は甘すぎる!と多くの方がそう思っていたはず。
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2019年7月の小笠原は穏やかだった

2020-05-29 00:18:13 | 2019_夏_小笠原
 2020年6月の小笠原は3航海以上滞在者を対象に観光客の受け入れを許可するそうです。3航海とは「おがさわら丸」が3回二見港に寄港するスケジュールなので、簡単に言うと3週間以上。入島14日間は外出禁止、隔離された場所で待機。何もなければ15日以降は観光ツアーに参加できるとは2週間も抑留されるなんてね・・。発表内容を読んでも隔離されている間の生活方法とかよくわからない内容ばかりなので、6月いっぱいは最初から自粛したほうが良さそうです。


 監守衛舎跡地。

 DAINIPPONと刻印されているビール瓶もそのまま。戦前からずーっと褪せることはなく、その場で転がっています。内地のビールメーカーさんに返すと、自動洗瓶機で洗って中身を浄化。製造したてのビールをこの瓶に注入して王冠で蓋。令和になっても「DAINIPPON」の刻印が入っている瓶ビールが出回りそう。
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父島の中心地でも戦跡

2020-05-22 00:25:18 | 2019_夏_小笠原
 5月20日の午前10時に出発した船は、21日の午前10時、父島の二見港に入港。乗船客の数はなんと27名。緊急事態宣言が出た4月7日から一斉休業。観光客が小笠原に出かけても泊められるところは皆無なので、27名は業務に関わる方々だと思います。
 緊急事態宣言が解除されたとたん、大勢の人が押しかけてしまわないか、ちょっと心配もあります。東京から1000キロ離れたところ、しかも交通手段は24時間の船しかない。引き続き来島自粛要請を続けるかどうか。
 「コロナ」の「コ」すらなかった、去年(令和元年)の7月、小笠原はよいお天気が続き、とっても穏やかだったのに。

 今度は父島の中心地に向かいます。このあたりは清瀬あたり。本土の東京都でも埼玉県に突っ込んだ清瀬市がありますが、父島でも「清瀬」という地名があります。
 ここは、父島要塞大村第一砲台の予備電灯格納庫跡地。1921(大正10)年7月から二見港防衛のため、工事開始、電灯といっても、兵器格納庫。

 この写真は2010(平成22)年1月28日撮影。

 予備電灯格納庫の跡地は、小笠原警察署の職員住宅が新しく建てられています。わずか9年の間なのに、激変。

 小笠原住宅の向かいの風景。

 今度はあそこへ向かいます。父島要塞大村第二砲台跡。

 ガジュマル。沖縄でも風よけに植えられているので、よく見かけます。内地だと気候にあわないのか、全然見かけないものです。


 今も残る、油庫。砲台管理用の機械油や発電機用として重油を保管していたところ。


 さすがに「油」のにおいは全然しませんでした。

 村道から入ったところの森の中。
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