東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

東京都最南端のバス停

2020-01-21 00:00:31 | 2019_夏_小笠原

 野生のヤギさんに遭遇。

 夜明山の首無し尊徳像が置かれている付近を通過。

 父島の中心地、二見港とは打って変わり、うっそうとしたところを通ります。

 「動物注意」の標識。小笠原らしく、あかぽっぽのデザイン。あかぽっぽとは、国の天然記念物アカガシラカラスバト。人間が持ち込んだ野生の猫が繁殖し、絶滅のふちに追い込まれた時期がありました。10年くらい前から野良猫を内地へ引っ越しさせる作戦が功を奏し、あかぽっぽの個体が増え続けているようです。

 オガサワラグワ(通称オガグワ)の森。小笠原固有の樹木。

 ここでも「小笠原の塩」が製造されています。

 急に道幅が広くなり・・・

 行き止まりの小港海岸。

 村営バスの終点なので、「東京都最南端のバス停留所」となっています。ちなみに最東端のバス停留所は境浦海岸。最西端は西多摩郡檜原村・・・いや、奥多摩町。山梨県の小菅行きの路線バスで東京都最西端となる、西東京バス停留所は留浦(とずら)。最北端は・・・たぶん、北区の都営バスかな?
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今度は長崎鼻展望台へ

2020-01-14 00:00:33 | 2019_夏_小笠原
 父島の名所を時計回りで巡回する予定だったんですけど、長崎鼻展望台への行き方を見失い、夜明山に行って、逆戻り。父島では、なになに鼻、という地名は「海に突出した地形」を意味します。

 都道240号線。現地では、父島循環道路。くるりと一周できます。青ヶ島の都道236号線も、「循環線」だけど・・・上手というところで崖崩れが発生し、現在も通行止め。あおがしま丸が三宝港に接近すると、崖の上部に白いガードレールのようなものが見られます。あれは都道上手。1985(昭和60)年、全長505mの青宝トンネルが開通後はかなり急勾配でつづら折りの道を通らなくても集落の岡部地区へ行けるようになりました。父島の話なのに、なぜか青ヶ島に脱線。236号、240号。似たような数字ですし・・・。

 これから長崎鼻展望台に向かいまーす。

 私は全然気づかなかったんですけど、友人のカメラに入っていた画像です。こんな素晴らしい風景が撮れるなんてすごい!!

 遊歩道入口にガイダンス。世界遺産になる前まではそのような表示はなかったのは記憶している。

 兄島瀬戸。観光ガイドの船であそこに向かい、シュノーケリングするといろーんな熱帯魚と戯れることができます。

 きれいですね・・・海の色が。

 少し奥に二見港。小笠原村の中心地、大村地区が見えます。年間を通して温暖の差がそんなに激しくはなく、1月でも平均20度くらい。内地みたいに厚着はしなくても長袖1枚でも十分かなという感じです。(真冬の間、内地の装いで沖縄へ移動すると、上着が邪魔になるほど)
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夜明山の旧日本軍通信基地跡

2020-01-05 10:25:27 | 2019_夏_小笠原

 首無し二宮尊徳像が置かれた場所の向かい側にこのような小さな道があります。この奥に初めて小笠原に来たときから旧日本軍の施設があることは知っていました。

 うっそうとした森の中にこのような大きなコンクリートで建てられた遺構があります。

 戦前、大日本帝国を守るためアメリカの上陸を防ぐため、このような軍の防衛施設を父島だけではなく、母島にも作られました。
 激しい地上戦は行われなかったんですけど、およそ200キロ離れた硫黄島では日米軍あわせておよそ2万人が亡くなられた激戦地として知られています。現在も、およそ400名の自衛隊が暮らしていて、父島や母島に光ケーブルが来ているお陰で硫黄島でも大手携帯電話3社通話エリアになったのはつい最近のことです。しかし、ネットショッピングのお届け先を「東京都小笠原村硫黄島」にしても配達されないのがネック。

 通信基地の内部。どうやら2階建てのようです。

 通信基地なので、もちろん電気が必要になります。発電機などの機材はすべて撤去されていますが、真ん中あたりは発電機が置かれていたと思われます。

 戦時中の通信手段は、今のようなインターネットの無い時代なので、モールス信号を解読し、送受信していたかも知れません。

 1940年にタイムスリップすると、ここに日本軍が多く駐在していたのであろう。

 「東京都小笠原村」が敷かれたのは、アメリカから本土返還された1968(昭和43)年6月26日から。
 終戦後はアメリカの占領地、戦前の「東京府父島扇村袋沢村」時代に建てられたもの2020年になっても、まだ健在。アメリカ占領下の置かれてあっても、「こんなの日本が軍事目的で建てたものは取り壊そう」と指示が出なかったのは幸い。そうやって、後世に語り継がれています。
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夜明山

2019-12-28 00:00:46 | 2019_夏_小笠原

 今度は夜明山へ進みました。

 これでも都道240号線。「都道」の標識はあまりないようです。青ヶ島では最近、「236号線」の標識整備。

 道路の左側にありました。

 首無し二宮尊徳像。

 校門。

 もともとここに学校があったわけではなく、戦火が激しくなる前に道路の向かい側の軍事施設付近に設置されました。ところが、1997(平成9)年の台風6号で台座が転倒。私が初めて小笠原に訪ねたときは今の位置ではなく、道路の向かい側だということは記憶している。同じく1997年のときですが・・・。
 説明文によると、1968(昭和43)年、小笠原を日本に返還する前にアメリカ軍が戦利品として首を持ち帰ったようです、とのことです。「ようです」なので、はっきりしたことは不明。
 怖いもの見たさで真夜中にあそこへ肝試しに行ったら、雨が降っていないのに像だけが汗をかいているかように、ツユがついていたとか、子どもの声が聞こえたとか・・・。見つけた記事は >こちら 。でも、私が昼間行ったときはそんな霊気は全然感じませんでした。
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旭平展望台

2019-12-19 00:00:48 | 2019_夏_小笠原

 今から5ヶ月前の7月22日、父島。落石注意、動物注意を1枚の標識にまとめたもの。内地だと滅多に見かけない小笠原特有のもの。

 内地では、7月だというのに梅雨空模様が続き、気温もそんなに上がらなかったのに、ここに来るともう夏真っ盛り。小笠原では梅雨がないので、GWを過ぎるともう夏本番ですかね・・・。

 次は長崎展望台のところを旭平に来てしまいました。

 これも小笠原だけの標識。

 今、いるところは赤い地点。

 この眺めは都会の喧噪さを忘れさせてくれます。


 きれいだな~!!
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小笠原郵便局

2019-12-10 00:00:47 | 2019_夏_小笠原
 カメセンターで可愛いハガキをゲットし、小笠原郵便局へ。そのハガキを暑中見舞い代わりにして・・・

 シンプルに62円切手に風景印。ご当地切手を用意するつもりだったけれど、額面が10,20円(1973年小笠原国立公園記念)、15円(1968年小笠原復帰記念),20円,20円(1975年小笠原コウモリ、ハハジマメジロ)この組み合わせで62円にするのが大変。15円×4枚+2円のワンコロ(秋田犬)または20円×3枚+ワンコロの方法もありますが、風景印を2ヶ所押さなければならず、ハガキの表面が狭くなってしまう・・・。62円分の切手が貼られていても、風景印と通常印一緒に押すことは不可能。どちらか1種類のみ。

 小笠原郵便局   7月22日引き受け
 おがさわら丸搭載 7月24日 15:30 父島出航
          7月25日 15:30 竹芝桟橋到着
 新東京郵便局   7月25日 21:00 中継
 関東近辺なら   7月26日 配達

 小笠原から青ヶ島宛
 小笠原郵便局   7月22日引き受け
 おがさわら丸搭載 7月24日 15:30 父島出航
          7月25日 15:30 竹芝桟橋到着 (25日の早朝青ヶ島近海通過)
 新東京郵便局   7月25日 21:00 中継
 たちばな丸搭載  7月26日 22:20
          7月27日 「あおがしま丸」欠航  
 三根郵便局    7月27日  9:30 中継 (保管)
 あおがしま丸搭載 7月29日  9:30 出航
          7月29日 午後配達 

 インターネットは瞬時、即時。はがきや手紙は長ーい道のり。
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小さなカメちゃん

2019-12-02 00:00:00 | 2019_夏_小笠原

 「鶴は千年、亀は万年」と言い、昔から長寿の代名詞のように言われていますが、この大きさになるまでは7~8年(私の推測)くらい??長い歳月をかけて成長します。

 ここではウミガメを育てていますが、一般の人が捕獲し、飼育することは国際法により禁じられています。

 大きくなったら、小笠原の大海原に放すらしいですが、寿命については正確なデータもなく推定する手段もないため解明できていないそうです。リクガメは最長250年生きている実績もあるので、ウミガメも長生きというイメージがあります。

 この水槽は・・・


 小笠原小学校の5年生が総合学習のため、飼われています。内地だと滅多に経験ができないものです。

 カメセンター前の浜にあったもの。台車っぽいですが、戦前のもの?それとも最近のもの?

 対岸は父島の中心地、二見とも言われている大村地区。右に見える白い船は「ははじま丸」だけど、右の船は何だろう??昨日見かけたニッポン丸!?この船はあまりにも超大型のため、二見港の沖で係留し、そこから小さな通船で渡るんですが、あの船は桟橋に着岸。ニッポン丸じゃないかも?とカメラの遠望モードで撮影。

 貨物船の共勝丸でした!!不定期便で東京の勝どき、月島から出航し、父島までおよそ48時間。東京を出て3日の朝に到着。食事付きで「おがさわら丸」より安い料金で乗れると情報はありますが、現在も一般旅客が乗れるどうかは不明。仕事を持っている人だと、この船よりも24時間で着ける「おがさわら丸」のほうが便利です。
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カメセンター

2019-11-24 00:00:37 | 2019_夏_小笠原

 センター内の資料。カメを使った、レトルトパック。未開封のようだけど、かなり年季が入っています。

 初めて小笠原に上陸した1997(平成9)年、カメの煮込みを食べてみましたが・・・クセが強くて臭い。もう二度と食べる気が・・・と思ったら、今回お世話になったホテルで出されたものは臭みもなくバッチリ!初めて食べたときの調理した人の腕が悪かっただけなのかも。青ヶ島の郷土料理はほとんど鮮魚だけど、一押しは鶏鍋。ここ、小笠原ではカメを使った料理。ウミガメは保護対象になっているため、年間で130頭まで捕獲可能となっています。

 ウミガメは鳥類と同じく、歯を持っていません。口の周りがくちばしのように硬くなっているので、簡単に引きちぎることができます。

 屋外の水槽にいました。私が餌をくれるかと思ってなついてきます。

 カメだけではなく、戦争時の遺品も展示。

 戦前、戦火が最も激しかったのは硫黄島。今は小笠原村だけど、戦前は硫黄島村。人口1018名(1943年/昭和18年)。戦争さえなければ、サトウキビ栽培など農業が行われていた平和な島だった。戦争の激化とともに本土防衛の最前線となり、日米軍合わせて2万人戦死者が出たところ。1945(昭和20)年3月26日以降勝利となった米軍の航空基地となりました。

 父島、母島も日本軍の要塞だったため、米軍の空爆を何度かありました。一般住民を巻き込んでの陸上戦は免れましたが、島のあちこち、爆撃を受けた跡や軍施設の遺構などが見られます。

 沖縄でも見かけるし、南国らしい風景。

 沖縄では真冬でも咲いてくれるハイビスカス。


 次回は小さな赤ちゃんカメをリポート。
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おがさわら3日目

2019-11-16 00:00:00 | 2019_夏_小笠原
 1日目は24時間も船、2日目は父島に着いた日の午後、シーカヤックの経験コース。今日は3日目になります。本当は3日目も私の高望みで幻のジニービーチ1日ツアーの予定だったんですけど、昨日の解散時に面と向かってキャンセルは非常に言いづらいのか、夜になって、とっても丁寧な言葉使いでキャンセルの連絡。今日は楽しかったでーす!と余韻に浸っているときに「今日の様子を見させていただいたんですけど、明日はやはり無理ですわ・・」と言いづらかったでしょう。たぶん。予定がまるまる1日つぶれてしまいましたが、父島をゆっくりと見回ればよい。

 3日目の朝ごはんは和食系。あとはご飯とお味噌汁。
 朝のNHK連続ドラマをちゃっかりと視聴。7月は北海道と東京を舞台にした「なつぞら」。
 出かける用意したところ、サングラスがないのに気づく。
 「昨日、シーカヤックからの帰りに私はサングラスつけていたっけ?」
 「そこまでは覚えていないんですよ・・・もしかしたら、解散した場所に置き忘れたか、それともインストラクターさんのクルマの中?忘れ物に気づいたら、連絡があるはずだけどね・・・」
 福澤諭吉さんに近い値段で買ったお気に入りのものなので、無くしたとしたらショック。
 小笠原の夏は日差しも強く、眩しいくらいサンサンギラギラ。サングラスはどうしても欠かせないものだけど、そのうち慣れるかも・・・と諦めながらバイク置き場へ。
 バイクの網かごに探していたサングラスがぽつんとあるのではありませんか!!
 「あああっ!!よかった!!」

 うちが住んでいるところはあまりにも田舎過ぎたため、下水道無し。小笠原村では下水道が整備されているなんて、ここよりも進んでいる。

 今度は街に向かう途中に小笠原海洋センター(地元では通称カメセンター)があるのを思い出し、立ち寄り。今から22年前の1997(平成9)年、2代おがまるで来たきり。入り口がどこにあるかすっかり忘れてしまった。周辺の民家、オジサマが私たちの様子を見て「カメセンターか?」と察し、「あっち側の道から入って行けば!」と大きな身振り。

 工事中の風景になっているので、22年前との様子が変わっているかも知れない・・。

 今の時間、8時30分。ちょっと早すぎたのか、開館準備中・・・。

 カメセンターから見える海。

 ははじま丸が係留中。今までの小笠原は秘境感たっぷりの母島へ直行してばっかりだったけれど、今回は珍しく父島中心。八丈島を踏み台にして青ヶ島ばっかり直行していると同じように今まで父島をおざなりにしていたので、今回は久しぶりにじっくりと見回ろうと。

 玄関先ではウミガメの頭蓋骨が・・・。どういったいきさつで置いたのか不明ですが・・・小笠原ではウミガメを食用にするんですよね。も・し・か・し・た・ら・・

 入館料は無料でした!

 館内では展示資料、屋外では卵から孵ってきたばかりの赤ちゃんカメをある程度大きくなってから大海原へ放すそうです。
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半日のシーカヤックだけでも疲労感100%

2019-11-05 00:00:00 | 2019_夏_小笠原
 シーカヤックの予約はおよそ1ヶ月前。日本財団電話リレーサービスを通じて電話。最初は私の高望みで「幻のジニービーチ1日ツアーを申し込みたいですが・・・」「シーカヤックは初めてですか?」「はい」「初めてでしたら、おがさわら丸が父島に到着した午後から初心者向けの体験コースを申し込まれてから、でないと難しいです」「そうですか。では、初心者向けのコースを体験してからジニービーチ1日ツアーを申し込むという形でよろしいですか」こんなやりとりをして、スマホのメールアドレスを交換。
 つまり、半日の体験コースと翌日の上級者向けのジニービーチ1日ツアーをセットで申し込み。ジニービーチは陸路からだと遊歩道しかなく、片道だけでも2時間かかる。風景は沖縄の石垣島で見かけた、川平湾に匹敵するほどの絶景。徒歩2時間かかるところをシーカヤックで行けば楽ちんだろうと最初は甘い考えを持っていた。
 半日の体験コースで失敗だらけでも、ちゃんと所定のコースをこなし、戻っているので、もう合格でしょう!明日は大丈夫でしょう!!と、どうしても行きたい!!とオーラーが放っていた。
 インストラクターさんから明日の予定についての説明。「今日はお疲れ様でした。明日の予定なんですけど、明日の朝、海の様子を見て、携帯に連絡しますね」「はい、明日もよろしく~」。宿へ帰ろうとしたら、インストラクターさん「やはり、今夜メールします」。
今日お世話になった御礼を言い、解散。
 「今日はずーっとべた凪だけど、明日の朝になると海が豹変するっていうんですかね?」と友人に話しかけ。いち早く察した友人いわく「いや、それは違うと思うよ。今夜のうちに連絡するってことは、不合格。たぶん、明日は来なくていい、とその場で言いづらいから間を空けてメールで連絡するってことだよ」「はぁ・・・?そうなんですか。今度は不合格の連絡ですかね」


 この小笠原らしい風景を眺めながら、夕食タイムまで爆睡。初めてのシーカヤックで体力はもう摩耗。

 今夜のメニュー。

 小笠原の土壌は酸化鉄が多く含まれる赤土なので、農地には向いていない土地がほとんど。年間を通じて暖かい地域、夏野菜を育てやすくするため土壌改良した畑にゴーヤのほか、シカクマメ、島オクラを育てるところもあります。地産地消の宿なので、メニューに「島ゴーヤのチャンプルー」と記載。
 小笠原に来て、お刺身。これはメバチマグロ。

 今夜は和食でした!明日は洋食!?

 スマホに着信を知らせるランプ。シーカヤックのインストラクターさんからのメールだ!!開けてみたら・・・・ん!?ものすご~~~く、丁寧な言葉で明日の予約はお引き受けできません、という内容。さすがにインストラクターさんの優しさもあるのか、失礼にならないような内容でした。ジャンジャン・・・・。
  私「インストラクターさんからメール来ていたんだけど、すごく丁寧な言葉で明日はダメだってさ・・・」と予想を的中した友人に語りかけ。
 友人「やはり、インストラクターさんの考えていたとおりだね。今日の様子を見て、明日も引き受ける自信はなかったってことだね」
  私「幻のビーチへは・・かなり憧れたんだけど、ダメか??」
 友人「は?明日も行けると思っていたの!?」
  私「そうなんですよ、ジニービーチは幻のところなので、行ってみたいんだよ」
 友人「もし、明日も本当に実施するとしたら、行けるの!?」
  私「そう」
 友人「私だったら、今日体験してみて、もう勘弁なんだよ。中止の知らせが入り、正直に言うとほっとした」
 
 はい。高望みの私は考えをなかなか曲げなかったんだけど、後から考えてみれば、友人の言うとおり。かなり慣れない体で1日ツアーとなると体のあちこち故障が出てダウンするはず。プロの目で私たちの様子からにすると、厳しいと判断を下したのであろう。
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次のスポットでまた小休憩

2019-10-28 00:00:01 | 2019_夏_小笠原
 小笠原村でもこのたびの台風21号で家屋の屋根が飛ばされたり、倒木もあったりして被災状況は甚大のようです。災害に遭われた島民の皆様に心からお見舞い申し上げます。年間を通じてたくさんの観光客が訪れるところです。1日でも早く「日常」に戻れることを願っています。

 1979(昭和54)年の風景が・・・・

 40年後、2019(令和元)年の姿。風化しすぎていますね・・・。

 海底の様子です。

 1944(昭和19)年に沈められてから75年目。完全風化は・・・たぶん120年後の2064(令和46)年かも。令和は語呂合わせの018に関係あるらしく、2064から18を引くと、令和に換算。

 次のスポットへ移動。今度は小さな入り江のような場所。

 インストラクターさん「今から、おが丸の見送りに行くので、私が戻ってくるまでここで待ってください」とのこと。
 なるほど、夏休み期間中のも父島に着いてすぐ折り返す着発便。(11時に到着し、その日の15時30分出発)夏休み以外の通常ダイヤだと、父島に着いて、現地で3泊。波も出ていなくて穏やかなので、ここでもシュノーケル。
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十数年ぶりに対面かな?濱江丸(ひんこうまる)

2019-10-17 00:00:00 | 2019_夏_小笠原
 初心者向け体験コースの休憩場所は、境浦。出発時点は扇浦なので、数キロの距離を2人で漕いだということになる。
 境浦といえば、小笠原のちょっとした観光スポット地になっているのは太平洋戦争中の1944(昭和19)年、父島近海で米軍の爆撃を受け、自力で境浦までたどり着ぎ、放棄されたままになっている。120m級の巨大船だったのに、少しずつ風化され、自然の力で解体されつつ。海面上に残った部分は少なくなりました。
 初めて泳いで濱江丸に接近したのは、2代目のおがさわら丸がデビューした年の1997(平成9)年。計算してみたら、今からもう22年前。海面上に残っている部分は大きく、和式の便器までも見られたんですけど、いまはもうすっかり崩れ落ちています。


 使用したデジカメは2011(平成23)年製造のDMC-FT3(パナソニック)。もう8年前の製品、ゴムパッキンが劣化していないか、出発前に湯船に沈め、検証。その結果、今でもまだ使える。
 今度は水中メガネもその頃に購入しているため、かなり劣化・・・。時々水が入ったり、すぐ曇ったりして水中メガネを装着しながらの撮影は厳しい。どちらも新しいものを買えばいいですが・・・「海に行く」のは年に1回、最近は2~3年ごと。ジジィになったから昔みたいに童心に返って海で泳ぐことはこの先、あまりなさそう??だから、新品を買うよりも昔使っていたものを利用。


 立ち泳ぎしながら、撮影。

 液晶モニターが見えづらい状態で撮ったため、ひも状のものが・・・

 75年前の残骸を確認しつつ・・・・

 40年前を比較。この写真は1979(昭和54)年に撮影されたものなので、ちょうど座礁40年目。船に樹木の種が付き、しっかりと生えていますね。

<<番外編>>

 1979(昭和54)年の入港中風景。今の新しい船も「あおがしま丸」だけど、村営時代も木の葉のように揺れる小さな黄色い船も「あおがしま丸」でした。黄色い船は1972(昭和47)年から1992(平成4)年まで20年間活躍。還住丸は、1992(平成4)年から2013(平成25)年まで活躍。21年間。今の新しい船は2014(平成26)年1月から。
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父島に着いた日の午後からはシーカヤック!

2019-09-30 00:00:00 | 2019_夏_小笠原

 今回の宿は「ホテルビーチコマ」さんです。口コミでは高得点を得られているとおり、港での受付からお見送りまでスタッフさんの対応がとっても丁寧でした。「何かご不明な点がありましたら、お尋ねください」とフロントに筆談ボートまで備え付けられており、なんと合理的配慮が進んでいるところ。

 ホテルの隣にあった、コンビニ代わりの24時間営業のミニショップ。ほとんど飲み物、アルコール飲料、インスタント麺、菓子類の自動販売機だけど、地元の方が買い物に来られる、日常雑貨品や調味料などは朝から夕方まで有人販売。なるほど、ここは街の大村地区からバイクでおよそ15分なので、わざわざ街に行かなくても、滞在中に必要なものはここに行けば買える。(タバコまであったかどうかは見ていなかったんですけど、ここはレストラン、客室も含め、全館禁煙なので、売ってないかも)

 ここが父島最南端の郵便ポスト??ミニショップ内でも切手の発売や「ゆうパック」の受付あり。郵便のみ取り扱う「扇浦簡易郵便局」かな。正式に認証すると、小笠原村内の郵便局は父島にある本局の「小笠原郵便局」、「母島簡易郵便局」に加え、3局目になる。各種消印や風景印も常備していれば、郵便マニアがわっと押し寄せてくるに違いない。

 毎朝9時に収集に来ます。1日に1回のみ。窓口に出せば「小笠原」だけど、ポストは新東京郵便局小笠原集配作業所の管轄なので、「新東京」の消印かも?そんなに気になるなら、自分宛に投函して検証すればよかった。

 午後からは予約しておいたシーカヤック。日本財団の代行リレーサービスを通して電話。シーカヤックでしか行けない、幻のビーチまで行けるツアーを申し込みたいです。海底にボートの影が見えるほど、透き通るほどのブルー。あそこにはどうしても行ってみたい!とかなり私の高望み。私が耳が聞こえないとわかり、連絡方法はどうしますか?と言われ、スマホのメール交換。
 「今までシーカヤックの経験はありますか?まったく初めてでしたら、まずは、おがさわら丸入港日の午後から体験ツアーがあるので、ぜひ練習を受けてみてください」練習で慣らしてから本番ってことかな~とさっそく申し込み。
 待ち合わせ場所に颯爽とインストラクターさん登場~!小笠原に移住してからもう20年(?)なので、肌の色も日焼けしているし、もうすっかり現地の方ですね。
 「〇〇さんですね~」「はーい、お願いします」「あなたは私の話してることわかりますか?」「ごめんなさい、まったく聞こえないです」(身振りでなんとか通じる程度)
 「今から準備運動です。ストレッチ体操しましょう」(しばらく経過したあと)「〇〇さんって、日頃から何か運動でもしていますか?」「いえ、全然していないんです」(顔が引きつる)

 今日のゲストは仲良し大学生の4人組と私たち2人組で3隻。
 「まず、こぎ方なんですけど、2人とも同じペースで漕ぐ。後ろの人が前の動作を見て、同じように・・・ちぐはぐな漕ぎ方をすると前に進めないですから」

 しゅっぱーつ!!

 しかし、私のは出遅れている。インストラクターさんはあっちこっちに移動したりして大変そう。

 私は前、友人は後ろ。時々、私の漕ぎ方で大丈夫なのかと時々後ろを振り向くため、ペースが狂ってしまったのが原因らしい。

 第1回目の休憩地は、堺浦ビーチ。

 そう、近くに座礁船があるところ。

 今から8年前に購入したパナソニックの防水カメラ(DMC-FT3)、パッキンが劣化していないか、出発前に浴槽に浸かり検証。それでも防水機能は働いていた。2011(平成23)年に購入してから、使ったのは島旅のときだけなので、利用頻度は低い。本当は8年も経っているので、パッキン交換したほうがいいですが・・・。

 この付近でシュノーケリング。
 
 もう少しで座礁船。もうカメラが古くなっているのか、液晶モニターの画面が太陽光で反射しているのか見えづらい。電源が入っているはずなのに、消えているように見えるので、何度も電源を押したとか・・・。
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宿へ向かう途中・・・

2019-09-19 00:00:00 | 2019_夏_小笠原
 「おがさわら丸」チケットは通常、東京出港日の2か月前の同日午前9時より発売だけど、特別期間中(ゴールデンウイーク、夏休み、年末年始)は2ヶ月前ではなく、一斉発売日を設けている。2019(令和元)年の夏休み期間中の一斉発売日は5月27日。この日は電話もインターネットも全部パンク。夏休み期間中はお盆も含まれているので、なかなか取りづらくなっている。JRの座席予約システムは強靭な日立製作所が開発。乗車日の1ヶ月前の10時から一斉発売。座席数がとても少なく、大変人気のある臨時列車は瞬時に発売完了。北海道から九州まで一斉に電話で時報を聞きながら「10時00分0秒をお知らせします。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」の「ポ」が聞こえるタイミングで「発信」ボタンを押す。押したタイミングから順番に座席を瞬時に割り当て。瞬時に「完売」。全国から殺到しているはずなのに、フリーズしない。発売日初日はお盆を除く夏休み期間、お盆期間の2回に分けて、予約受付をすればスムーズになるかも知れない。
 おがさわら丸のチケットを確保できたら、宿の予約をするのが従来の手筈だというのに、時代が変わったのか「おがさわら丸のチケットを購入する前に、宿を確保したほうが良いです。特に繁忙期。」とのこと。ゴールデンウイーク、夏休み、年末年始はおがまるの発売前でも、確保したほうが良いとのこと。もうすっかり出遅れてしまった。

 日本財団電話リレーサービスを利用して、宿のリストを見ながら片っ端から電話。前にお世話になったところの宿にもかけてみましたが、「シングルのが1部屋空いているんですけど、2人だとさすがに狭いですよ・・・荷物を部屋の中に置けず、外の通路とか置くとかにしないと厳しいです。うちのところで泊めてあげたいんですけど、こんな状態ですからね・・・申し訳ないですけど~」
 
 「父島にいらっしゃる日はいつからなんですか」「7月20日の船で行きます」「21日から3泊なんですね」「少々お待ちを・・・(調べる様子)」「この日は予約でいっぱいなんです、ごめんなさいね」

 5~6軒目でやっと、部屋が空いていますよ、と言われたところを速攻で予約。「今のところ、空いているところはバスルームやトイレは共同の和室になりますが、よろしいでしょうか」「はい」で予約成立~!!「街から離れたところにありまして、ホテル内にミニショップも備えています」「はい」。
 「ホテルビーチコマ」というネーミング、父島の中心地、大村の東町や西町から少し離れたところ?どうなんだろ?と確認してみると、な、な、な、なんと!扇浦という静かなところ。
 日本本土に復帰した1968(昭和43)年6月26日から正式に「東京都小笠原村」が発足されましたが、戦前、父島に「大村」「扇村袋沢村」、母島に「沖村」「北村」、硫黄島に「硫黄島村」の5つの村があった。私たちが泊まるところは、南部の旧「扇村袋沢村」付近。戦前、交通も発達していないので、町を形成しているところを1つの村として役場も置かれていた。
 1968(昭和43)年6月25日までは八丈支庁に属する孀婦岩(そうふがん)が東京都最南端、しかも日本最南端。人が暮らしている有人島は青ヶ島村が最南端。


 扇浦に向かう途中に「境浦」があります。

 大連汽船が1936(昭和11)年に建造したばら積み貨物船。太平洋戦争で日本海軍に徴用され、1944(昭和19)年に空襲により父島で大破放棄された。貨物船として活躍できたのは、わずか8年。残骸として、75年もこの状態で・・・。

 境浦の観光スポットとなっています。

 境浦は都心より東に位置しているため、「東京都最東端」のバス停と書かれています。

 はじめて小笠原に来たときはそんな看板なんてなかったのですが、世界自然遺産の観光地として各所に現在位置の地図が整備されています。

 1番大好きな花、ハイビスカス。

 この花を見ると、「南」にやってきたんだな~と実感できる。見られるのは、八丈島から南かな。沖縄はもちろん、あちこち咲いています。生命力が強く、台風で吹き飛ばされても次々と蕾を作り、きれいに咲かせてくれる。
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小笠原村唯一の中華料理店

2019-09-06 00:05:05 | 2019_夏_小笠原

 2019(令和元年)7月21日。東京・竹芝桟橋を午前11時に出航して、24時間後はもう小笠原の父島っ!!昔、貧乏だった頃は雑魚寝の2等和室。混み合っているときは1人あたりのスペースが狭くなり、夜中にトイレへ行って戻ると、他人にスペースを取られてしまう。無理にして割り込む。こういった苦情がたくさんあり、世界遺産に登録された2011(平成23)年頃、乗車定員を減らし、2等和室に1人あたりのスペースを確保できるようにライン引き。
 2016(平成28)年からの新おがさわら丸は2等でも、寝台特急サンライズの「のびのび座席」を連想してしまうかように、寝具のマットに毛布と枕も用意されている。頭側には仕切りもあるため、隣の人と目が合うという心配もない。
 旧おがさわら丸だったら、2等和室は病院によくある四角い枕、数も限られていて取り合いも・・・。かなりグレードアップしているのに、料金は旧おがさわら丸と変わらないので、実質値下げかなと思います。
 
 もうオジさんになってしまったので、ビジネスホテルと同格なスタンダード1等室。客室の中に冷蔵庫やバスタブが備え付けられているスイートとか、はコクオウ様レベルでないと無理無理。1度、スタンダード1等室を経験してしまうと、今度また小笠原へ行くことがあっても、グレードダウンすることは出来ぬ。
 サンライズも、若かった頃は特急料金のみで乗れる「のびのび座席」ばっかり利用していましたが、歳をとってしまうとシングルを予約。サンライズに「シングル」と「ソロ」があり、どれも個室ではありますが、違いはスペース。シングルはモータの付かない付随車(サハネ)または運転席の制御装置が付いている車両(クハネ)なので、部屋の空間は広い。ソロは、モーターの付いている(モハネ)なので、機器とかに見えないカバーで覆われているため、空間はシングルに比べると若干狭い。しかも、モータの音が気になりなかなか快適とは言えないかも。ちなみに格安な「のびのび座席」はモータが付く車両。
 

 3年ぶりの風景。懐かしい。父島のメインストリート。ここから奥の役場あたりまで飲食店やお土産店などが建ち並ぶ中心街。

 7月21日。東京では梅雨空模様ばっかりで肌寒い日が続いていたのに、ここはもう夏本番!

 湾岸通りですか・・・内地の東京でも「湾岸通り」の標識あり。たしか、国道357号線。内地の湾岸通りは騒音と排気ガスだらけだけど、ここはとても静か。

 小笠原や沖縄など亜熱帯気候でよく見かけるガジュマル。成長すると巨木になるので、日除け、防風や防潮の為に植えられているようです。
 あらかじめ予約しておいた父島タクシー(今は「小笠原観光」という社名に変更)でレンタバイクの手続き。時間単位や1日単位で借りて返して、また借りるよりは入港中(船が来た日から船が出る日)で借りたほうが割り引かれ、手ごろな価格になります。

 小笠原村で唯一の中華料理店。ラーメンや炒飯、餃子、冷やし中華などなど基本的な中華はもちろんのこと、多彩なメニュー有り。
 いつも職場のランチは中華店の出前なのに、小笠原に来ても中華。最近、珍事件の発生もなく、落ち着いてきた感じ。父島でも「天津丼」もあり。
 JR九州の日豊本線。大分県の中津を出ると、東中津、今津(いまづ)、天津(あまつ)、豊前善光寺・・・といった駅名が続く。
 「あまつどん」とメモに書いているのを見られ、「てんしんどんですよ~」と指摘され、とんだ赤っ恥をかいたことも。

 冷たい麺にしようかなと迷いましたが、昨夜、船内の夕食はサラダ冷やし中華をいただいたばかり。無情にエビが食べたくなったので、エビ塩らーめんを注文。小笠原産の塩入りでしょ、きっと!

 禁煙マークが嬉しい。食事中にタバコを吸われると堪んないだもの。あつーい夏にあつあつのラーメンでも美味しかったでした!ごちそうさまでした。
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