四季優彩 Annex

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さよなら寝台特急「富士」「はやぶさ」

2009年03月15日 00時06分35秒 | ニュース

東京と九州を結ぶ最後のブルートレイン「富士」と「はやぶさ」が13日夜発の列車をもって廃止されました。

私が子供の頃は「富士」「はやぶさ」とも憧れの列車で「富士」は東京から東海道本線、山陽本線、日豊本線(大分、宮崎経由)を経由して西鹿児島まで24時間以上かけて走る日本で最長区間を走る列車で、「はやぶさ」は東京から東海道本線、山陽本線、鹿児島本線(博多、熊本経由)を経由して西鹿児島まで走る日本で2番目に長い区間を走る列車でした。

その当時は花形のブルートレインも速さでは今や飛行機や新幹線に負け、値段では高速バスに負けて利用客が激減していました。おまけに車両も30年以上経っており、カーテン1枚で区切られている開放式寝台中心の設備も時代遅れとなり、人々に敬遠される原因となりました。

効率ばかりを考えるJRも、ブルートレインにお金をかけず見放したかたちになりました。機関車に引かれる客車列車は加速が遅く、通勤電車の足手まといにもなりますし、新幹線の方が高収益ですからJRとしても早く廃止したかったのでしょう。

ブルートレインが次々に廃止されてゆく姿を見るのは旅好きの私にとっては本当に寂しい限りです。ゆっくり車窓の景色を楽しみながら長距離を移動できる寝台列車は旅情をかきたて贅沢な時間を演出してくれる列車でしたが、時代の流れでしょうか・・・。

西日本方面の寝台列車はJRが手をかけなかった為に次第に陳腐化して行ってしまいましたが、「北斗星」や「カシオペア」のような北海道への寝台列車のように現在のニーズに応えるような豪華設備を備えれば、まだまだ生き残る道はあったと思うので本当に残念です。

ちなみに「富士」と言う愛称は昭和4年に日本で初めて付けられた特急列車の愛称で、当時は全て一、二等車(特別車両)の超豪華列車で東京-下関を結んでいました。下関からは連絡線で釜山へ行き、釜山からは再び列車で朝鮮半島、満州、中国を経由し、シベリア鉄道を経てヨーロッパへと続く国際列車だったのです。そんな由緒ある「富士」という列車名が消えてしまうのは本当に残念です。いつか復活して欲しい列車名ですが、「つばめ」のように新幹線の愛称で軽々しく使うのだけは勘弁して欲しいです。

コメント
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