11月1日の今日はとても陽射しのある秋らしい一日でしたが、
富士山は姿を見せてくれませんでした。
弟が<胸が締め付けられる!!>といって病院に行ってすぐ
救急車で大きな病院に搬送されたと連絡をうけたのは
29日の午後でした。
弟の奥さんから<また、様子を連絡しますから...>との
受話器を置き、連絡次第ですぐ出かけられるように
ボストンバッグに2日分のモロモロを詰めて玄関に、
ハンドバッグも側において...、靴もそろえて...。
いつでも出かけられるように準備を済ませて、
次の電話を待った。
軽井沢にいるけど、小諸の設備のある病院に搬送されたとのこと。
神奈川の我が家からはどんなに乗り継ぎがうまくいっても
三時間はかかるだろう...と考えていた。
<無事、手術が済み、ICU室に移り、先生から様子の
説明がありました>と弟の奥さんから連絡がありました。
<明日も様子をお知らせします...>
夜も更けてきている。 とにかく成功したのだから
今夜は休もう...と、ベッドにはいる。
私とは10歳はなれている弟で、兄弟のなかで
ひとり、父が復員してきてからの子どもだったので
兄弟の間では甘やかされて伸び伸び育ってきた。
昨日の朝、家を出て小諸の病院にお見舞いに出かけた。
その新幹線の車中で<ICUから病室に移りました>との
メールを読んだ。
軽井沢で乗り換え、しなの線で小諸を...と考えて
しなの線改札にむかったが、乗り継ぎが悪く、
一時間ぐらい待合室で待たされる。
きっと気温は低めだろうと予想してはいたけど
新幹線が軽井沢に近づくと、乗客のなかには
結構コートをはおる姿が目立ち、ええっ~そんなに寒いの~、と
心配になったけど、ホームに降り立ったとき、
<わ~寒~い!!>と声がでたほど。
お天気は曇りで、しなの線沿線に姿を見せた浅間山は
霞んでいて、写真に収めることは出来ないほど。
<雪になるのかしら?>って心配は外れたけどやっぱり
神奈川とは大分気温が違うのを実感した。
弟の病名は<心筋梗塞>だった。 左手首より管をいれての
施術だったと傷を見せてくれて、点滴の右手で顔を拭った。
顔を見るまではいろいろ想像して、私の心臓もドキドキして
いたけど、<笑顔>で話してくれたのがせめてもの救いだった。
二年ぐらい前に白内障の施術ぐらいで、この歳まできたけど
<煙草は自殺行為>とお医者さんにピシャリといわれたのが
こたえたらしく、<もう、吸えないなあ、やめるよ> と。
<病気にならなくてはわからないのかしらね...> の
私の言葉に無言だった。
とにかく様子がわかったので三時間ぐらいのお見舞いを
すませ、病院を後にするころ、小諸の日暮れは早かった。
軽井沢からの新幹線はほぼ満席で、東京駅のホームは
三連休がはじまるせいか、乗車待ちのひとで溢れかえり、
暖かいのにはほっとした。
家にたどりついたときは安心感もあってか、くたくた状態で
お風呂に入ってそのまま倒れこむように。
そして今朝はいつもより遅くに起床はしたけど、
疲れを感じることなく一日を過ごすことができた。
今日は弟家族が揃ってお見舞いに行っていることだろう。
大学院生の長男、社会人の長女、それぞれに
父親の病気をどう受け止めているのだろうか、
突然やってくる病気は家族それぞれにいろいろなことを
感じさせ、これからの家族のあり方を
問いかけているのではないだろうか?
退院までスムーズに快癒していくことを私は祈っている。