いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-小椋 佳

2021-01-25 07:21:57 | MUSIC

 「小椋 佳」

  1944年1月18日生まれの77歳。

 「銀行員」でありながら、シンガーソングライターとして活躍。

 他の歌手への楽曲も数多くヒット。とんでもない才能の持ち主である。

 

 小椋佳、覚悟のラストアルバム 林部智史に託したもの 朝日新聞 2021年1月21日 12時00分
 「体が言うことを聞かなくなってきて、もう本当に限界だな、と自分で思います。やり残したことは、あんまりありません」。77歳になったシンガー・ソングライターの小椋佳さんが、ラストアルバムとして位置づける「もういいかい」が20日に発売された。同時発売のアルバム「まあだだよ」で小椋が歌を託したのは、40歳以上年の離れた歌い手・林部智史だ。

 「愛燦燦(さんさん)」「シクラメンのかほり」「夢芝居」「山河」……。1971年のデビュー以来、日本を代表するヒットメーカーとして数多くの楽曲を世に送り出してきた。デビューから半世紀を迎えた今年、ラストアルバムとラストツアーをおこない、第一線から身を引く決断をした。

 「黒澤明監督の遺作が『まあだだよ』だったから、僕の遺作になるアルバムは『もういいかい』にしようかな」。全13曲。装飾やギミックをそぎ落とし、ユーモアを交えながら自らの老いや死、人生観をこれでもかとさらけ出し、落とし込んだ詞世界は、聴く者が思わず背筋を伸ばすような凄(すご)みに満ちている。

 「自分で言うのは残念だけど、昔の声が出ません。昔は好きな声を出せたのに」と語る小椋だが、年輪を刻んだ声は、作品の深度を高めている。

 林部智史「まあだだよ」では、林部の静謐(せいひつ)な余韻を残すウィスパーボイスが、小椋の世界にそっと寄り添いながら新しい風を吹き込む。

 美空ひばりさんを始め、多くの名歌手と仕事をともにしてきた小椋。「歌が上手な人はいっぱいいるけど、いい声の人はまずいない。林部さんはとにかく声質が素晴らしい」と小椋は語る。林部は「この小椋さんの詞を完全に消化できることは今後もないとおもうけど、自分なりに歌詞の可能性を見いだして、今僕に見える可能性のすべてが聴く人に見えるような歌い方ができればいいなと思った」と話す。

 林部は、数年前から童謡や唱歌をライブで歌うようになってから、より少ない言葉での表現方法について深く考えるようになった。そんなとき、小椋と共演する機会があったという。「凝縮された言葉の中に色んな物語が詰まっていた。引き算の美しさがあった」と話す。

 内省的で深い詞世界を生みだしてきた小椋。現在の音楽シーンを見て「相変わらず、不思議なくらいくだらない歌がたくさん出てくる」と語る。

 何か変わるかと思ったけど、世の中は何も変わらなかった。
 すでに半世紀前から、既存の歌に反発を感じていた。「人間の芯の部分を歌ったものがなかった。僕は何十年も人間を歌い続けて、何かが変わるかと思ったけど、世の中は何も変わらなかった。僕は歌を発表して、たまたま評判をいただいて、それで終わっちゃったな、と。そういう無力感はある」と話す。

 「創造的な作業をしないと、僕は生きている気がしない。そう思っていた」。創造や独創性に最大の価値を置いた。「人は生まれて、まず親の言葉をまねする。そのうちに、『これが私です』っていう独創性が生まれていくはずなのに、日本ではそこまで行かないことが多い。そこに無念の思いが残る」と話す。「例えば、演歌の多くは、昔の言葉とメロディーの『なぞり』になってしまっている。オリジナリティーを評価する文化が欠けている日本では、それでもよしとされてしまう」と語る。

 今後については、私財をはたいて音楽や撮影スタジオを作り、安く利用してもらう計画を進めている。「僕の音楽界への最後の恩返しです」

 今作が、本当にラストアルバムになってしまうのか。タイトル曲「もういいかい?」では「いい人生 味わわせてもらいました」「疲れました 疲れました もういいかい?」という問いかけに、子どもの声が「まあだだよ」と答える。未来に意味深長な含みを残しつつ、今春、全国30カ所以上を巡るライブツアーで、最後の旅に出る。(定塚遼)

 

 2014年には生前葬としてNHKホールで4日間連続の歌が重複しない100曲コンサートを行った。

 もしかしたら「ラストアルバム」にはならないかも?

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<日本酒> 福島 会津中将/鶴乃江酒造

2021-01-25 07:01:50 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈福島〉 会津中将/鶴乃江酒造

 

 時代は変われど、味へのこだわりは不変です
 鶴乃江酒造は、創業以来二百年以上の伝統を誇る老舗の酒蔵です。 林家は、会津藩御用達頭取を務めた永宝屋一族で、寛政六年分家創業し、屋号を「永宝屋」と称し、当主は代々、平八郎を襲名し伝統的西方を守り続けています。

 みちのくの花の会津は酒どころ・・・と歌われているように、良い米・良い水、そして会津の冬の厳しさは酒造りに最も適しており、風土を知り尽くした地元奥会津の杜氏たちが造り続ける酒は、まさに蔵の芸術品。江戸、明治、大正、昭和そして平成と時代は変わっても私たちの味へのこだわりは変わりません。

 

 母娘杜氏が醸す 優しいお酒 「ゆり」
 お酒は生き物。気配りや思いやりが大切。
 酒造りの魅力は、甘・辛・酸・渋・苦の微妙なバランスが醸し出す味わいです。作り手の技術、惜しまない手間には素直に反応し、心のおごりは許されない厳しい世界です。幼少の頃は、お酒がどうやって作られるのか知りませんでしたが、大学で醸造学を学ぶうちに酒造りに興味を持ち、女杜氏になることを目標に、家業である酒蔵に入りました。

 酒蔵はかつて女人禁制。しかし女性ならではの繊細な気配りをいかし、杜氏や蔵人との協力のもと、優しいお酒が誕生しました。

 「和醸良酒」から生まれた「ゆり」は、酒造技能士の母と一緒に慈しむようにし仕込んだお酒です。和食だけでなく、ちょっぴり洋食も肴に、きめ細かな味をお楽しみください。

 老舗酒蔵に新風を・・・
 蘇る「永寶屋<えいほうや>」
 寛政六年(西暦1794年)、屋号永寶屋を掲げた「永寶」という銘柄の地酒が造られていましたが、新しい地酒「鶴乃江」の誕生により、惜しまれながらも製造中止となりました。

 そして今...伝統の技と進化した技を融合すべく、地酒「永寶屋」が蘇ったのです。

 通常酒造りは、その土地の米・水・風土・蔵元の技術により、「酒」の味が決まるとされています。しかし、地酒「永寶屋」は福島県産米にこだわらず、さまざまなお米と鶴乃江酒造の技術を合わせる事で新しい酒造りを実現したのです。

 生産量が少ないため、お取り扱いを一部地酒専門店様に限らせて頂いておりますが、是非一度ご賞味ください。

*https://shop.sake-japan.jp/?pid=120543072 より

 

 鶴乃江酒造株式会社 福島県会津若松市七日町2番46号

 ブランド一覧

 「会津中将」純米大吟醸 特醸酒・純米吟醸 夢の香・純米酒

 「鶴乃江」本醸造・会津印

 「ゆり」純米大吟醸・大吟醸 山田錦・純米吟醸 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 31.  みやぎサーモン

2021-01-25 06:57:09 | 食品

 登録番号 第31号 みやぎサーモン

 特定農林水産物等の区分 第10類 魚類 ぎんざけ

 特定農林水産物等の生産地 宮城県石巻市、女川町、南三陸町、気仙沼市

 登録生産者団体 みやぎ銀ざけ振興協議会

 特定農林水産物等の特性 おいしさを保つため活け締め処理を施した高鮮度な養殖ギンザケ。身にツヤと張りがあり、包丁を入れると刃をつかむような感触。生鮮で刺身で食べられるほか、生臭くなく、他の食材や様々な調理法にも合わせやすい。

 地域との結び付き 宮城県のリアス式海岸は、水深が深く波も穏やかで、7月後半まで海水温が20℃以下と低いことから、ギンザケの養殖に適している。宮城県は「養殖ギンザケ」発祥の地であり養殖の開始は昭和51年頃(国内養殖ギンザケ生産量のシェア9割超)。平成8年頃に生餌から人工配合飼料に切り替えるとともに、活け締めによる鮮度保持技術を向上させてきた。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i31.html より

 

 「プライドフィッシュ」でもご紹介済み。

 

 「みやぎサーモン」は、宮城県産ギンザケを水揚げした後に、ギンザケ本来のおいしさを保つため鮮度保持処理を施した、高品質・高鮮度な魚です。その特性は、鮮度保持処理を行うことにより、身をおろすために包丁を入れると刃を掴むような感触、身にツヤと張りがあり、「刺身で食べられるサケ」という鮮度にあります。
 宮城県は「養殖ギンザケ」発祥の地であり、誕生以来、当地で試行錯誤を繰り返しながら養殖技術を確立してきました。従来は生餌を用いていましたが、人工配合飼料に切り替えたことにより、生餌由来の生臭みがなくなり、一段と食味が向上しました。
 また、活け締めによる鮮度保持処理の技術を向上させ、生食用の養殖ギンザケの生産に取り組み、高品質で安定した生産量が確保できるようになりました。現在では、水産加工、流通、販売を含めた地域の基幹産業となっています。

 ギンザケは、成長が早いことなどから養殖に適した魚種とされ、宮城県において、1977年より本格的なギンザケ養殖が開始され、翌年には生産量が約80トンに飛躍し、現在では国内の養殖ギンザケ生産量のうち、宮城県の生産量は94%を占めるに至っています。
 1996年頃からは、生餌から人工配合飼料に切り替えるとともに、活け締めによる鮮度保持処理の技術を向上させ、生食用養殖ギンザケの生産に取り組んできました。活け締めは、キリ等を用いて魚の中枢神経を破壊、脱血を実施したうえで、概ね5℃以下に保った海水タンクに漬け込む方法で行います。
 宮城県においては、従来から養殖ギンザケを生で食する食習慣がありましたが、1990年代始め、宮城県漁業協同組合連合会等が、県内及び首都圏向けにギンザケの需要拡大対策に取り組み、その中で生食用としての食べ方の提案を行ってきました。
 宮城県の牡鹿半島北部の沿岸は代表的なリアス式海岸であり、水深が深く潮が穏やかで、魚類の養殖に適した湾が多く存在しています。また、7月後半まで海水温が20℃以下と低いこと、さらに、県内や近隣に、蔵王山系等の豊富な融雪水を活用した種苗(人工ふ化~稚魚育成)生産場が多く存在し、これらの生産場から海面の養殖場まで稚魚を短時間で輸送することができることから、ギンザケ養殖に最適な環境となっています。
 加えて、「みやぎサーモン」の生産地には魚市場や水産加工場が点在し、水揚げされた魚を、鮮度を保った状態で迅速に処理する機能を備え、旬を迎える3~7月には、水揚げ当日に生鮮で消費者まで届けることが可能となっていることも、宮城県沿岸で「みやぎサーモン」を生産、流通できる背景となっています。

 サケは、古くは縄文時代から利用してきたとされ、我が国の食生活にとって欠かすことのできない魚種です。ギンザケは、天然ではオホーツク海や北部太平洋海域に生息する冷水性の魚類で、水温20℃以下の水質の良い海域でのみ生息し、もともと日本には生息していない魚種でした。しかしながら、この地域の漁業協同組合が成長が早く養殖に適していることに着目し、海面養殖試験を行い、成功を収めました。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/31.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 21.回答 22.出題

2021-01-25 06:54:17 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 阿鼻叫喚-あびきょうかん-非常な辛苦の中で号泣し、救いを求めるさま。非常に悲惨でむごたらしいさま。地獄に落ちた亡者が、責め苦に堪えられずに大声で泣きわめくような状況の意から。▽「阿鼻」は仏教で説く八熱地獄の無間(むけん)地獄。現世で父母を殺すなど最悪の大罪を犯した者が落ちて、猛火に身を焼かれる地獄。「叫喚」は泣き叫ぶこと。一説に八熱地獄の一つの大叫喚地獄(釜かまゆでの地獄)の意。

 


 問2 蓋棺事定-がいかんじてい-人は死んではじめて、その評価が定まるということ。また、生前の評価は利害などがからんでいるので、あてにならないことのたとえ。

 


 問3 紅毛碧眼-こうもうへきがん-赤い髪の毛、青い眼の人の意で、西洋人を指す。▽「紅毛」は江戸時代、オランダ人についての呼称。ポルトガル人やスペイン人を南蛮人と呼んだのに対する呼称。のち、一般に西洋人を指すようになった。「碧」はみどり・あお・あおみどり色のこと。西洋人の目の色の形容。「碧眼紅毛」ともいう。

 


 問4 臥薪嘗胆-がしんしょうたん-将来の成功を期して苦労に耐えること。薪の上に寝て苦いきもをなめる意から。▽「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。もとは敗戦の恥をすすぎ仇あだを討とうと、労苦を自身に課して苦労を重ねること。

 


 問5 曲学阿世-きょくがくあせい-学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。▽「曲学」は真理を曲げた正道によらない学問。「阿世」は世におもねる意。「阿」はへつらいおもねる意。「阿世曲学」ともいう。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 孝悌忠信

 

 問2 温文爾雅

 

 問3 蚕食鯨呑

 

 問4 嘉辰令月

 

 問5 焚書坑儒

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より 

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 宮城 雄勝硯

2021-01-25 06:46:05 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「雄勝硯」-おがつすずり

 「雄勝硯」は江戸時代初期の元和年間(1615年-1624年)、牡鹿半島へ鹿狩り訪れた仙台藩主伊達政宗に献上され、称された。二代目藩主伊達忠宗は雄勝硯師を藩お抱えとしたほか、雄勝石産地を「お止め山」として一般の採石を禁じて保護した。近現代も愛用され、1985年(昭和60年)に通商産業大臣(当時)より伝統的工芸品に指定された。

 東日本大震災(2011年)で硯工場が被災し、職人が産地を離れるなどの被害を受けた。現在では硯の代わりに、高級食器に加工した「雄勝石皿」が主力製品となっている。*Wikipedia より

*https://kougeihin.jp/craft/1001/ より

 

 Description / 特徴・産地

 雄勝硯とは?
 雄勝硯(おがつすずり)は、宮城県石巻市雄勝で作られている硯です。硯工人が1つ1つ丁寧に手で彫り、磨いて作っています。伊達藩の庇護を得られたこと、また、良質な原材料が豊富に採石できたことから、生産が盛んになりました。
 雄勝硯の特徴は、光沢のある漆黒や美しい天然の石肌模様、墨がすりやすく色の出も良いという使いやすさ、劣化に強いことなどです。その高い耐久性は、原材料である雄勝石(おがついし)が持つ性質のおかげといって良いでしょう。雄勝石は、黒色硬質粘板岩の一種で玄昌石(げんしょうせき)とも呼ばれ、圧縮や曲げに強く、吸水率が低く、硯以外では屋根などの建築資材として使われる他、石皿などのテーブルウェアなどとしても利用されるようになりました。
 雄勝硯の生産は、東日本大震災の影響で一時停止していました。幸いなことに、技術も採掘場も失われておらず、復興も始まっています。

 History / 歴史
 雄勝硯の起源は室町時代頃です。1396年(応永3年)の建網瀬祭初穂料帳(たてあみせまつりはつほりょうちょう)の中に硯浜の名称が出てきていることから、この頃にはすでにあったのではないかと言われていますが、詳しいことは分かっていません。
 江戸時代に入り、伊達政宗に雄勝硯を献上して気に入られたという逸話も残っています。伊達政宗の墓から雄勝硯が出てきていることからも、伊達政宗は雄勝硯を愛用していたことが伺えます。硯師2代目忠宗もからも愛され、ついに伊達藩のお抱えとなります。硯師だけでなく採掘場も伊達藩によって保護され、ますます栄えていきました。封内風土記(ほうないふどき)によると、江戸後期には特産品となり、雅物として扱われていたことが分かります。
 1985年(昭和60年)に雄勝硯は伝統工芸に認定され、美しく実用的な雄勝硯の技術は現在にまで受け継がれてきました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/ogatsusuzuri/ より

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