「小椋 佳」
1944年1月18日生まれの77歳。
「銀行員」でありながら、シンガーソングライターとして活躍。
他の歌手への楽曲も数多くヒット。とんでもない才能の持ち主である。
小椋佳、覚悟のラストアルバム 林部智史に託したもの 朝日新聞 2021年1月21日 12時00分
「体が言うことを聞かなくなってきて、もう本当に限界だな、と自分で思います。やり残したことは、あんまりありません」。77歳になったシンガー・ソングライターの小椋佳さんが、ラストアルバムとして位置づける「もういいかい」が20日に発売された。同時発売のアルバム「まあだだよ」で小椋が歌を託したのは、40歳以上年の離れた歌い手・林部智史だ。
「愛燦燦(さんさん)」「シクラメンのかほり」「夢芝居」「山河」……。1971年のデビュー以来、日本を代表するヒットメーカーとして数多くの楽曲を世に送り出してきた。デビューから半世紀を迎えた今年、ラストアルバムとラストツアーをおこない、第一線から身を引く決断をした。
「黒澤明監督の遺作が『まあだだよ』だったから、僕の遺作になるアルバムは『もういいかい』にしようかな」。全13曲。装飾やギミックをそぎ落とし、ユーモアを交えながら自らの老いや死、人生観をこれでもかとさらけ出し、落とし込んだ詞世界は、聴く者が思わず背筋を伸ばすような凄(すご)みに満ちている。
「自分で言うのは残念だけど、昔の声が出ません。昔は好きな声を出せたのに」と語る小椋だが、年輪を刻んだ声は、作品の深度を高めている。
林部智史「まあだだよ」では、林部の静謐(せいひつ)な余韻を残すウィスパーボイスが、小椋の世界にそっと寄り添いながら新しい風を吹き込む。
美空ひばりさんを始め、多くの名歌手と仕事をともにしてきた小椋。「歌が上手な人はいっぱいいるけど、いい声の人はまずいない。林部さんはとにかく声質が素晴らしい」と小椋は語る。林部は「この小椋さんの詞を完全に消化できることは今後もないとおもうけど、自分なりに歌詞の可能性を見いだして、今僕に見える可能性のすべてが聴く人に見えるような歌い方ができればいいなと思った」と話す。
林部は、数年前から童謡や唱歌をライブで歌うようになってから、より少ない言葉での表現方法について深く考えるようになった。そんなとき、小椋と共演する機会があったという。「凝縮された言葉の中に色んな物語が詰まっていた。引き算の美しさがあった」と話す。
内省的で深い詞世界を生みだしてきた小椋。現在の音楽シーンを見て「相変わらず、不思議なくらいくだらない歌がたくさん出てくる」と語る。
何か変わるかと思ったけど、世の中は何も変わらなかった。
すでに半世紀前から、既存の歌に反発を感じていた。「人間の芯の部分を歌ったものがなかった。僕は何十年も人間を歌い続けて、何かが変わるかと思ったけど、世の中は何も変わらなかった。僕は歌を発表して、たまたま評判をいただいて、それで終わっちゃったな、と。そういう無力感はある」と話す。
「創造的な作業をしないと、僕は生きている気がしない。そう思っていた」。創造や独創性に最大の価値を置いた。「人は生まれて、まず親の言葉をまねする。そのうちに、『これが私です』っていう独創性が生まれていくはずなのに、日本ではそこまで行かないことが多い。そこに無念の思いが残る」と話す。「例えば、演歌の多くは、昔の言葉とメロディーの『なぞり』になってしまっている。オリジナリティーを評価する文化が欠けている日本では、それでもよしとされてしまう」と語る。
今後については、私財をはたいて音楽や撮影スタジオを作り、安く利用してもらう計画を進めている。「僕の音楽界への最後の恩返しです」
今作が、本当にラストアルバムになってしまうのか。タイトル曲「もういいかい?」では「いい人生 味わわせてもらいました」「疲れました 疲れました もういいかい?」という問いかけに、子どもの声が「まあだだよ」と答える。未来に意味深長な含みを残しつつ、今春、全国30カ所以上を巡るライブツアーで、最後の旅に出る。(定塚遼)
2014年には生前葬としてNHKホールで4日間連続の歌が重複しない100曲コンサートを行った。
もしかしたら「ラストアルバム」にはならないかも?