いいもの見ぃ~つけた!

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-山下洋輔

2021-01-31 14:06:44 | MUSIC

 「山下洋輔」

  1942年2月26日生まれの78歳。

 ジャズの虜にさせた我流のピアノ
 1週間ピアノに触れないとツライという山下さんにとって、音楽はもはや体の一部だという。

 幼少の頃からピアノに親しんできたそうですが、正式にレッスンを受けていたわけではありません。ご本人の言葉を借りれば“じゃれていた”にすぎないとか。むしろ、ヴァイオリンのほうが本格的で、小学校の頃からちゃんとしたレッスンを受けていました。やがて、中学3年のときに、当時大学生だった兄のジャズ・バンドにピアニストとして参加し、初めてスイングジャズを弾くことに。それ以後いよいよ本格的にジャズに打ち込むようになります。
 「一応はピアノが弾けたので参加したんですが、そのうちバンドの技量に満足できなくなって、それでいろいろなアマチュアのところを転々としては腕を磨きました。人前で演奏することもあったんですが、一度とてつもない額のギャラをもらったことがあって、それでもうこの道しかないと決めてしまった。」

 こうして将来進むべき道を決定づけたピアノ。しかし、本格的にレッスンを受けていたヴァイオリンと違い、基礎さえも習っていない全くの我流。
 「もともと譜面を渡されるのがイヤな性格なんです、いろんな意味で。ヴァイオリンをやめてピアノに乗り換えたのも、自分で好き勝手に弾けるというのが性に合っていたから……。ジャズに惹かれたのも同じような理由で、型にとらわれることなく自由な演奏ができるからです。」

 “この道しかない”と決めてからはもうジャズ一筋。気の向くままに弾きまくり、テクニックはぐんぐん上達していきます。でも、どこまで行っても満足することはできない。“一度専門的に音楽を学んでみよう”という思いが自然に芽生え、国立音楽大学の門をたたくことになるのです。

 大学は“宝の山”
 「入学願書の履歴欄には、確か『現在ジャズピアニストとして活躍中』と書いたと思います。ジャズマンの代表として入学するんだ、みたいな生意気な意識があったんですね(笑)。」

 大学時代はそれこそ自由奔放で、勉強もそこそこに野球ばかりしていたと話す山下さん。作曲科(現在の作曲学科)に籍をおく一方で、積極的なプロ活動を展開。1965年、日本で初のフリージャズを志向するグループ、富樫雅彦カルテットに、翌66年には、渡辺貞夫のグループに参加。    そして、同年8月には自己のトリオを結成し、その年の暮れに滞在中のエルビン・ジョーンズとセッションを重ねています。
 「学校を一歩出たら、もうジャズ、ジャズでしたね。クラシックは僕には生理的に合わないんです。でも、根っからダメというわけではなく、本当はいいもんなんだという幻想みたいなものが絶えず僕の中にはあります。」

 この春、バッハ生誕300年の誕生日に『J.S.バッハへの捧げ物』と題した演奏会を開いたのも、こうした意識の表れだとか。また、大学卒業後、山下洋輔トリオを結成し、フリーミュージックをはじめたことが自らの音楽的なエポックになったそうです。
 「大学は“宝の山”です。掘り出すほどに金銀財宝がザクザク出てくる。問題はどこを掘り出すかで、僕のような型破りな者でも、掘り方次第では多くのことが得られます。とにかく自分の好きなことをやるのが一番。天才はそんなにいるわけではないのですから。」

 ジャズを愛する山下さんもまた、型にとらわれることのない自由な発想の持ち主であるようです。

*https://www.kunitachi.ac.jp/introduction/kunion_cafe/interview/50on/ya/yamashitayousuke.html

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<日本酒> 福島 國権/國権酒造

2021-01-31 13:59:39 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈福島〉 國権/國権酒造

 全国新酒鑑評会で11年連続金賞を獲得する、福島県・国権酒造のぶれない酒造り 2019.03.12

 全国新酒鑑評会で金賞を獲得する酒蔵の数が、都道府県別で6年連続1位を更新中の福島県。錚々たる実力蔵がひしめくなかで、金賞の連続記録でトップを行くのが福島県南会津町の国権酒造です。

 2018年で11年連続金賞を獲得した国権酒造の吟醸酒造りについて、蔵元社長の細井信浩さんと杜氏の佐藤吉宏さんにお話を伺いました。

 出品酒のレベルを上げて、市販酒にフィードバック
 国権酒造は創業明治10年(1877年)。今でこそ新酒鑑評会では11年連続の金賞を受賞する県内有数の蔵元ですが、昭和30年代には厳しい経営環境のため一時「集約製造」に参加し、醸造を他の蔵と集約して3年ほど造りを止めたこともありました。

 その後国権酒造は独自の醸造を再開しますが、3年間のブランクは大きいものでした。売れ筋だった普通酒の商圏はすでに他の酒造に侵食されていたため、これまで同様の商売のやり方で売上を以前通りの規模に戻すことも難しい状況。ところが、ここで当時の蔵元は一念発起します。当時はあまり大きな注目を浴びていなかった品質の高い高額品に力を入れ始めたのです。

 福島県の酒蔵としては、いち早く大吟醸酒を商品化。また、このころから全国新酒鑑評会で金賞を取ろうと吟醸造りに力を入れたのだそう。これは、市販酒の酒質をより高めるには鑑評会の出品酒のレベルを上げて、その成果を市販酒にフィードバックする必要があるという、蔵元と杜氏の共有認識に沿った戦略でした。

 その結果、国権酒造は昭和55年(1980年)から4年連続して金賞を獲得するまでになったのです。

 4年連続金賞受賞で変わった蔵の意識
 「最近でこそ、金賞の連続記録は多くの蔵が実現していますが、当時は3年連続金賞でも全国的に話題になったほどで、4年連続は周囲に非常に驚かれました。当時、大吟醸は二級酒として売っていましたが、随分と注文が増えたと聞いています」と細井さん。

 

 4年連続金賞受賞をきっかけに、品質の高い酒で勝負しようという蔵の意識はさらに高まりました。そして平成4年(1993年)に日本酒の等級制度(特級、一級、二級)が廃止されたことを契機に、国権酒造は普通酒と決別。特定名称酒(本醸造、純米、純米吟醸、大吟醸など)のみを造る経営へと舵を切っています。

 軸のぶれない酒を目指して
 平成4年(1993年)から平成30年(2018年)までの27年間で、国権酒造が獲得した金賞の数は19回。福島県の酒蔵としてはトップクラスの成績です。

 その立役者が、級別廃止の直前に国権酒造の杜氏となった佐藤吉宏さん。岩手県紫波町で農家の長男に生まれた御年67歳です。夏場は農業を、冬場は酒造りをするという典型的な南部杜氏で、鑑評会以外でもいろいろな賞を獲得している腕っこきの佐藤さんから、出品酒造りへの心構えについて、次のように語っていただきました。

 「ずっと山田錦35%精米の大吟醸で出品していますが、理想のお酒というのは、香味のバランスが良く、呑んだ後にスッと切れることです。そのゴールを目指して、逆算で糖化酵素の力がある麹を造り、望ましい香りを造る酒母を育て、醪の温度管理をしっかりやります。

 我々が理想とする出品酒の軸はぶれません。金賞を獲得した酒蔵のお酒の多くが香り高いという年もありますが、翌年はそれを参考に香りを出すようにしたりはしないのです。

 

 出品したお酒については、後日、審査員からの指摘が送られてきますが、これは欠点だと理解して蔵元と徹底的に議論し、造りの修正に活用しています。ここまで11年連続で金賞を獲得する間には、出品する段階で、絶対金が取れるなと確信した年も何度かはありますが、たいていは予想がつきません」

 原発事故がレベルアップの転機に
 一方、蔵元の細井さんは福島県全体のレベルアップが大きいと話します。

 「東日本大震災の原発事故が大きな転機でした。それまでも、県の指導でレベルは上がってきていましたが、原発事故で福島の酒造の運命共同体としての意識がはっきりとして、各蔵がそれぞれ持っている技術やノウハウが惜しげもなく相互に提供するようになったのです。これが間違いなく、金賞数でナンバーワンの県になった要因です」

 現時点で、5年連続以上金賞を獲得している福島県の酒蔵は以下の7蔵です(括弧内は銘柄名)

 11年連続受賞=国権酒造(國権)
 10年連続受賞=東日本酒造協業組合(奥の松)、名倉山酒造(名倉山)
 8年連続受賞=大和川酒造店(弥右衛門)
 7年連続受賞=松崎酒造店(廣戸川)、鶴乃江酒造(会津中将)
 6年連続受賞=白井酒造店(萬代芳)
 酒造りの真骨頂は、その過程にある

 11年連続で全国新酒鑑評会の金賞を受賞することにはもちろん大きな価値があります。しかし、国権酒造の酒造りの真骨頂は、その結果ではなく過程にあるのではないでしょうか。

 自分たちの理想の信じる理想の日本酒造りに向けて毎年チャレンジを続けるなかで、あるいは福島県という大きな運命共同体の中で、ときには協力し、ときには切磋琢磨するなかで、国権酒造の日本酒は今もぶれずに成長を続けています。

 ちなみに、今年の出品酒造りについて、佐藤さんは「かってないほどに山田錦がやわらかくて困惑している。これほど造りづらいのも久しぶり。今年は結果が心配です」と本音をポロリと漏らしていました。

 平成最後の造りの出来はいかに。全国新酒鑑評会の結果が今から楽しみです。

 (取材・文/空太郎)

*https://jp.sake-times.com/knowledge/sakagura/sake_g_kokken より

*https://item.rakuten.co.jp/hamadaya/10002289/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_115_1_10000448 より

 国権酒造株式会社 福島県南会津郡南会津町田島字上町甲4037

 ブランド一覧

 「國権」特撰大吟醸・大吟醸・純米大吟醸 (金ラベル)・純米吟醸 (銀ラベル) ・純米吟醸 (銅ラベル)・純米酒・本醸造

 「一吉」純米大吟醸

 「てふ」純米大吟醸・純米生貯蔵酒 など

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 37. 万願寺甘とう

2021-01-31 11:56:26 | 食品

 登録番号 第37号 万願寺甘とう

 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 野菜類(とうがらし(青とう))

 特定農林水産物等の生産地 京都府綾部市、舞鶴市及び福知山市
 登録生産者団体 全国農業協同組合連合会

 特定農林水産物等の特性 辛み成分のない甘味種とうがらし。ピーマンのような肉厚な果肉を有する。大型果であるが果肉は柔らかく、丸ごと食べられる。肩部のくびれとやや湾曲した果形が特徴。さわやかな甘い香りと、ほのかなとうがらしの香りが匂う独特の風味。

 地域との結び付き 舞鶴市万願寺地区で「伏見とうがらし」が自然交雑して誕生した「万願寺甘とう」の在来種を基に京都府が品種「京都万願寺2号」を育成。種子の採種など品種の維持については、生産地の生産者部会と地元JAによって管理されており、この地域でしか生産できない。

 *https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i37.html より

 

 「田子の浦しらす」は、静岡県田子の浦沖で獲れ、同県富士市田子の浦港に水揚げされたしらすで、鮮度が良く、傷が付いていない形の良い状態で水揚げされ、透明でぷりぷりとした食感が特徴です。
 生しらすは、元より鮮度が落ちやすく変色しやすい性質ですが、「田子の浦しらす」は鮮度の高さから、朝の水揚げ後、管理次第で当日の夕方まで透明でぷりぷりとした食感を保つことができます。生しらすを冷凍しても、解凍後も透明でぷりぷりとした食感で、水揚げ時と区別がつかないほどです。
 釜揚げにしても鮮度が高く、身に傷が少ないため、茹で上がるとしらすが首の辺りで折れ曲がり、『しの字』型でふっくらとした旨味の濃い釜揚げしらすができます。
 このようなしらすの鮮度・品質の高さから、日本の中でもしらすの漁獲量が多い静岡県の他の漁港のしらすの価格と比べても明らかに高い価格で取引されており、近隣のしらすの産地の流通・加工業者も、田子の浦産のしらすを買い求めるようになっています。
 「田子の浦しらす」の最大の特徴である鮮度の良さの要因のひとつには、漁場の近さがあげられます。駿河湾最北に位置し、富士山や南アルプスの雪解け水により山の栄養が豊富に注ぎ込むことなどにより、田子の浦港から近いところにしらすの好漁場があるため、しらすの鮮度を落とさずに港まで移動することができます。
 また、田子の浦の漁場は地形が急深なため、二艘曳きの漁法には適さず、一艘曳きの漁が続けられてきました。一艘曳きは二艘曳きほど量は獲れませんが、しらすを傷付けずに漁獲できるのです。
 そして、各漁船では、しらすの漁獲後に船上ですぐにしらすをザルに移し、水分を切りながら多量の氷により氷締めします。ザルを使用することで余分な水が切れるため、しらすがふやけるのを防ぎます。また、多量の氷を入れてしらすを傷付けずに手でかき混ぜます。この氷締めの作業を徹底することで、しらすの鮮度が保たれるのです。

 田子の浦周辺では明治時代から浜辺から地引網漁でしらすを獲っていましたが、1961年に漁港が完成すると大型船が係留出来るようになり、しらす漁船による漁獲に移って行きましたが、一艘曳きの漁法はその時以降続けられ、透明でぷりぷりとした食感を持った鮮度の良いしらすを水揚げしてきたのです。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/37.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 27.回答 28.出題

2021-01-31 11:38:31 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 朝盈夕虚-ちょうえいせききょ-人の一生が儚いことのたとえ。「盈」は満ちるという意味で、「虚」は「盈」の対語になる言葉で、空になるという意味。朝に繁栄したものが夕方には滅びるという意味から。

 


 問2 規行矩歩-きこうくほ-心や行動がきちんとして正しいこと。品行方正なこと。また、古いしきたりや決まりごとにとらわれて融通のきかないこと。歩き方がきちんとした法則にかなっている意から。

 


 問3 口角飛沫-こうかくひまつ-激しい勢いで議論を闘わすさま。

 


 問4 麟子鳳雛-りんしほうすう-将来性のある子供のたとえ。麒麟の子と鳳凰のひなの意から。▽麒麟も鳳凰も想像上の動物で霊獣・霊鳥とされ、これらが現れると、めでたい兆しとされた。

 


 問5 輿馬風馳-よばふうち-速度が並外れて速いことのたとえ。「輿馬」は乗り物と馬のこと。「風馳」は風のように速く走ること。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 咳唾成珠

 

 問2 長身痩躯

 

 問3 棄甲曳兵

 

 問4 光焔万丈

 

 問5 臨淵羨魚

 

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 秋田 秋田杉桶樽

2021-01-31 06:51:49 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「秋田杉桶樽」

 

 歴史
 秋田市寺内にある高清水公園内の秋田城遺跡から、15~16世紀のものとみられる桶と榑の底板、取手類が発掘されています。 慶長17年(1612年)秋田藩家老「梅津政景日記」に、旧雄勝町の酒屋で桶が使用されていたという記録が残っています。旧角館町の青柳家には、文久年代(1830年)の手桶、おひつ、岡持が残っています。これは溜塗りで銅たが、竹たがが使われています。形状は現在のものと同じです。
 特徴
 秋田杉を使った桶樽の歴史は古く、秋田城からは平安後期と推定される桶が見つかっています。
江戸時代の亨保年間には佐竹藩の保護のもと産地が形成、大量に生産されました。
 桶は柾目の材料を使い、竹・銅たがなどで締め、木底をはめた器で、おひつなどのように固定した蓋のないものをいい、樽は主として板目の材料を使い酒樽など固定した蓋のあるものをいいます。
 特に、天然秋田杉は年輪が揃っていて木目が細かく美しく、香りも良く収縮が少ないため狂いが生じにくい特徴があり、秋田杉樽桶の木のぬくもりは、生活に潤いと豊かさを与えてくれます。

 産地
 秋田県 能代市、大館市、八郎潟町、秋田市、横手市、男鹿市、北秋田市、湯沢市、鹿角市、上小阿仁村、五城目町、にかほ市、羽後町

*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/akita_04.htm より

*https://kougeihin.jp/craft/0605/ より

 

 Description / 特徴・産地

 秋田杉桶樽とは?
 秋田杉桶樽(あきたすぎおけたる)は、秋田県の大館市、能代市周辺で平安後期頃から作られている桶や樽です。素材には秋田杉を使い、職人の手によって一つ一つ制作されています。柾目(まさめ)と呼ばれる木目のまっすぐな材料を使い、竹や銅製の箍(たが)を嵌めて仕上げた蓋のない製品を桶と呼び、板目の材料を使った蓋のある製品を樽と呼んでいます。
 秋田杉桶樽の特徴は、秋田杉の香りと優れた吸水性です。秋田杉には独特の良い香りがあり、お酒の味をより一層よいものにすると言われています。また、湿気に強く収縮が少ないため、狂いが少ない製品を製作することができることも特徴です。塩分濃度を調整するという独特の長所もあり、漬物を漬けるのにも適しています。秋田杉は木目も美しく、職人による丁寧な手仕事と共に、現代まで受け継がれています。
 History / 歴史
 秋田杉桶樽の起源は古く、秋田城遺跡で発掘された桶などの破片は平安時代後期に制作された、最古のものと推定されています。江戸時代に当時の秋田藩主から奨励されたこともあり、産業として定着し大規模に生産されるようになりました。秋田藩の家老が記した「梅津政景日記(うめづまさかげにっき)」には、1612年 (慶弔17年)に、城下で秋田杉を使った酒樽が使用されていたとの記述があります。このように江戸時代頃から庶民に愛用されてきた秋田杉桶樽は、当時から現代と変わらない形のものが使用されていました。
明治時代から大正時代にかけては桶や樽の需要が増加し、頑丈な秋田杉桶樽は庶民に好まれていました。当時は洗濯用の盥(たらい)やご飯を保存する御櫃(おひつ)、醤油樽など様々な用途に用いられましたが、1960年代ごろからプラスチック製品の台頭などにより徐々に姿を消していきます。
 近年はその高い品質や木のぬくもりなどが見直されるようになりました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/akitasugioketaru/ より

 

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