いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<言 葉> 春の言葉 春雷

2021-03-13 07:21:15 | 言葉

 「春雷」

 昨晩は大阪で「春雷」が。

 「春雷」とは、春に鳴る雷のこと。 立春(りっしゅん)から立夏(りっか)の頃までに発生する雷。寒冷前線(かんれいぜんせん)通過時に発生する界雷(かいらい)で、雹(ひょう)を伴う事もある。 立春の頃の雷は春の到来を伝えるともいわれ、冬眠していた地中の虫たちが雷鳴に驚いて目覚めるという意味から「虫出しの雷」とも呼ばれる。*Wikipedia より

 

 季語でもある「春雷」。

 親季語は「春の雷(らい)」。

 山の背をころげ廻りぬ春の雷 高浜虚子

 

 俳句だけでなく、現代の楽曲にも使われている。

 昭和54年発売の「ふきのとう」の「春雷」は心に響いた曲でもある。

 ♪突然の雷が 酔心地 春の宵に

 

 と書いたが・・・

 実は昨晩の春雷が鳴っていた頃、「爆睡」していた私です(笑

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-森進一

2021-03-13 07:03:12 | MUSIC

 「森進一」

 1947年11月18日生まれの73歳

 森 進一、歌手生活55周年記念で未配信楽曲503曲を解禁  2020年11月18日  歌謡情報

 6月17日にニューシングル『昭和・平成・令和を生きる』をリリースした森 進一が未配信楽曲をリリースする。

 これまで128枚の全シングル作品の音楽配信は行なってきたが、歌手生活55周年の記念企画として、現在入手困難なアルバム収録曲も含め、森 進一の未配信の全楽曲計503曲を3か月(11月、12月、1月)に渡り、一斉に音楽配信スタートする。現在配信中の楽曲を含めると全775曲に及ぶ森 進一作品を、改めて堪能できる。

 森 進一 未配信楽曲 全曲解禁 歌手生活55周年記念企画~ありがとう!昭和・平成・令和と歩んだ55年~

 歌手生活55周年記念企画~ありがとう!昭和・平成・令和と歩んだ55年~
森 進一 未配信楽曲 全曲解禁
 配信サイト
 ■11月18日配信(アルバム20タイトル)
 『旅路』『再会』『女の詩情』『輪廻』『森 進一物語』『くちべに怨歌』『旅情』『湯けむりの町』『別れの接吻』『心の旅路』『愛と涙』『夜行列車』『追想』『男坂・女坂』『新宿・みなと町』『翔べ!森 進一』『一番短い小説』『命あたえて』『男の真情』『北酒場』

 ■12月2日配信(アルバム20タイトル)
 『影を慕いて』『森 進一/女ごころを唄う』『無情の夢』『森 進一のブルース』『紐育物語』『人を恋うる唄』『北国神話』『わが故郷は心のふるさと』『時を紡いで』『悲しいけれど』『浅き夢みし』『花物語』『風のエレジー』『酒無情』『劇場の前』『わるいひと』『うそつき』『女恋港』『こころの雫』『人生ひたすら』

 ■森 進一の名盤アルバムからベスト20曲を厳選したプレイリスト「森 進一・ 珠玉のアルバムからの名曲20選!」公開中

*https://www.kayou-center.jp/24500 より

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<日本酒> 埼玉 文楽/北西酒造

2021-03-13 06:53:42 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈埼玉〉 文楽/北西酒造

 文楽のお酒について

 伝統
 明治27年(1894年)、文楽の創業者、北西亀吉は現在の埼玉県上尾市平塚で日本酒の醸造をはじめました。

 10年後の明治37年(1904年)には、上尾市上町に拠点を移します。

 上尾は五街道のひとつとして名高い中山道沿いの旧上尾宿という宿場町であり、江戸時代に諸大名の参勤交代や、皇族の下向の中継地として使われました。

 また、昔から秩父からの質の良い伏流水が湧き出ることでも知られた、歴史ある地です。

 文楽の由来
 日本の伝統芸能"文楽"。世界に誇る人形浄瑠璃の舞台は、義太夫・三味線・人形遣いの三つの要素で紡ぎだされる物語を通して、国内外の多くの人々を魅了してきました。

 文楽をこよなく愛した創業者の亀吉は、この三位一体の精神を米、麹、水で造り出す日本酒に生かしたいという想いを込め、銘柄を"文楽"と命名しました。

 文楽の酒造り
 秩父からの質の良い中硬水を仕込み水につかい、蔵人が目指す酒質に合わせて吟味した酒米を丁寧に醸した文楽の日本酒は、淡麗な味わいが特徴です。

 昔ながらの日本酒を大事に造りつづけながら、市場の変化を見据え、平成10年(2000年)にはスパークリングの開発、平成18年(2008年)にはリキュールの製造を開始し、その後、生もと仕込みへの挑戦、麹の甘酒、塩麹などの調味料、化粧品開発など、従来の日本酒のイメージを覆す新しい試みを続けています。

 【職人の技】

 酒蔵文楽の伝統と匠の技は、大吟醸、純米酒をはじめ、数々の個性ある商品に受け継がれています。酒造りの時期限定の“にごり生原酒”、時を重ねるほどに味わいを深める“古酒”、繊細で軽快な口あたりの“スパークリング”。

 文楽は近年、伝統的な仕込方法である、生酛(きもと)造りにも力を入れています。昔ながらの手作業を丹念に重ねて酵母を育て、自然の乳酸菌を取り入れて造る力強い味わいには、日本酒本来のうまさが息づいています。

 それぞれの特徴と味わいのあるお酒を、季節やお料理に合わせて選んでゆく中で、一つの蔵を追求していただく楽しみがあります。


 【仕込み水】
 古くから、旧中山道沿いは良質な水に恵まれていることで名高い土地です。秩父からの弱硬水の井戸水を仕込水に用いています。お客さまに安心、安全な製品をお届けするために水質検査も行なっております。
       

 【日本酒文化の発信】

 古来より日本酒は、神事をはじめ、ひとびとの生活に根付くものでした。
文楽は商品としてだけでなく、四季に寄り添う旬の日本酒、季節の食材に合わせた飲み方や酒器も一緒にご提案しています。
文楽のある席をより豊かな時間にしていただけることが、我々の願いです。

 また、文楽の日本酒は、アメリカ、アジア、ヨーロッパなど20か国以上に輸出されています。
健康志向の高まりを背景に、和食がブームに終わらずに定着してきた海外の地で、海を越え皆様に親しまれています。

 創業以来、代々培ってきた伝統の技と、時代を捉える先進の心を糧に、国内外に日本酒文化を発信しています。

*北西酒造 HP より

 IWC受賞・全国新酒鑑評会5年金賞、北西酒造の「AGEO純米大吟醸・直汲み」がWEBストアで初解禁! 2019.11.22 SAKETIMES

 日本酒応援団株式会社(東京都品川区)は、北西酒造株式会社(埼玉県上尾市)の「AGEO純米大吟醸・直汲み」をWEBストアで11月上旬に初解禁しました。

 世界最高峰の評価を受けた北西酒造の「中取り・直汲み」
、北西酒造株式会社(埼玉県上尾市)の「AGEO純米大吟醸・直汲み」ボトル画像日本酒応援団は「日本酒のあるライフスタイルを、世界中に。」というビジョンのもと、少量生産で「地域の個性を活かした日本酒」を軸に新しい日本酒を製造・販売するベンチャー企業。

 「AGEO」の醸造パートナーである北西酒造は、今年世界最高峰のワインコンテストIWCで「文楽 大吟醸 袋吊無濾過原酒 中汲み」が最高評価の「トロフィー」を受賞、全国新酒鑑評会では今年で5年連続金賞受賞を果たし、注目されている酒蔵のひとつ。「AGEO純米大吟醸・直汲み」は、年間本数120本。もっとも良い酒質の部分を狙い、1本ずつ手作業で直接瓶に詰めていく製法「中取り・直汲み」で醸造した新商品を15セット限定で解禁しました。

 ◎商品概要

 商品名:初蔵出し【先着15セット限定・10%オフ】IWCトロフィー受賞蔵 AGEO/直汲み 2本セット
 販売:公式WEBストア

*https://jp.sake-times.com/special/press/p_ageo より

 北西酒造株式会社 埼玉県上尾市上町2丁目5番5号

 ラインナップ

 「AGEO」生もと純米大吟醸無ろ過生原酒・純米大吟醸無ろ過生原酒2020

 「文楽」純米大吟醸・大吟醸 陶器

 「真」純米吟醸PURE

 「上尾育ち」生粋寒仕込 など

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 78.  佐用もち大豆

2021-03-13 06:48:40 | 食品

 登録番号 第78号 佐用もち大豆

 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 穀物類(大豆)

 特定農林水産物等の生産地 兵庫県佐用郡佐用町

 登録生産者団体 佐用もち大豆振興部会

 特定農林水産物等の特性 グリシニン(タンパク質)含有量が多く、加熱するともちもちした食感を有する在来種の大豆。一般的な品種と比較すると大粒で約3割重く、ショ糖をはじめとした糖質含量が高く甘味が強い。大豆を専門に取り扱う流通業者からこれらの品質が高く評価されている。

 地域との結び付き 耕地は千種川水系の川砂が混ざった水はけの良い肥沃な土壌で大豆の生育に適している。また、登熟期に当たる9月から収穫される12月まで10度以上の昼夜の寒暖差が得られ、子実の肥大が良好である。地域では、種子専用ほ場を設け、原々種、原種、種子の厳格な管理を行い、品種固有の特性や形質、純度の維持に努めている。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i78.html より

 

 「佐用もち大豆」は、佐用町内のみで生産している在来種の大豆です。
 一般的な大豆の品種と比べ大粒で約3割重く、グリシニン(タンパク質)含有量が多いため、柔らかいが粘りが強い独特の食感があり、また、ショ糖をはじめとした糖質含量が高く甘味が強いのが特徴です。
 大豆を専門に取り扱う流通業者からこれらの品質が高く評価されています。

 「佐用もち大豆」は、佐用町内において、佐用町内の種子専用ほ場で生産された種子を用いて栽培しています。
 被害粒、未熟粒及び異種穀粒の合計が35%以下、著しい被害粒等が5%以下、異種穀粒が2%以下で異物混入がなく、ふるい目7.3mmのふるいで振るって、ふるい上に残る粒の全量に対する重量比が70%以上で、水分が15.0%以下のものが出荷されます。

 「佐用もち大豆」の生産地は、千種川水系の川砂が混ざった水はけの良い肥沃な土壌となっており、大豆の生育に適した地域です。また、登熟期に当たる9月から収穫される12月まで、10度以上の昼夜の寒暖差が得られ、子実の肥大が良好になる気候条件も有しています。
 古くから味噌作りが盛んな生産地では、加工に適した大豆への関心が特に高く、1988年に「佐用もち大豆」の種子生産が町内のほ場で開始され、兵庫県農業試験場の協力を得ながら優良系統の選抜に取り組み、1989年には23haまで作付面積が拡大されました。

 1994年以降は、種子生産のために専用のほ場を設け、地域で種子の厳格な管理を行い、品種固有の特性や形質、純度を維持するとともに安定的な種子の生産を図ることで、一定の品質を保ちながら作付面積を増やしてきました。
 2017年には、生産者約400名が、約70haで約80tの「佐用もち大豆」を生産しています。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/78.html より

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<漢字検定> 1級 読み 16.回答 17.出題

2021-03-13 06:37:04 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 救恤  -きゅうじゅつ-困っている人に見舞いの金品などを与えて救うこと。

 


 問2 束脩  -そくしゅう-束ねた干し肉。古く中国で、師に入門するときなどの贈り物としたもの。転じて、入門するときに持参する謝礼。

 


 問3 鶴唳  -かくれい-鶴が鳴くこと。また、その声。

 


 問4 捍格  -扞格-かんかく-意見などが食い違うこと。互いに相手を受け入れないこと。

 


 問5 甄別 -けんべつ-はっきりと見分けること。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 驍名  

 

 問2 聯想  

 

 問3 蠹毒  

 

 問4 灌注  

 

 問5 蜑戸

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 神奈川 鎌倉彫 

2021-03-13 06:28:28 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「鎌倉彫」

 陰影ある彫りの味わい、深みある漆の色調、そして、日本古来の素材である木の温もり。これらが見事に調和した伝統的工芸品、「鎌倉彫」。宋の影響を受け、仏具として作られはじめて以来、800年の時を超えて受け継がれ、気品と風格はそのままに暮らしに溶け込み広く愛されるようになりました。伝統を守りながら、つねに現代に息づく物づくりを目指す鎌倉彫は、誇るべき工芸品としていまも進化を続けています。

  歴史
 鎌倉時代~禅宗寺院から生まれた鎌倉彫~
 13世紀半ばより、禅宗の移入に伴い宋から伝えられた美術工芸品の中に、堆朱(ついしゅ)と呼ばれる盆、大香合(だいこうごう)などの彫漆品(ちょうしつひん)がありました。それらは漆を幾重にも塗り重ねた面に精巧な文様を彫刻した、大変高価で貴重なものでした。これに影響を受けた仏師たちがその意匠をもとに、新たな木彫彩漆(もくちょうさいしつ)の仏具を作りはじめたのが鎌倉彫の始まりです。

 室町時代~公家と書院と鎌倉彫~
 室町時代にかけて、京都の南禅寺、知恩寺、金蓮寺他、多くの寺院に伝えられる大香合や鎌倉国宝館の獅子牡丹文硯台(ししぼたんもんけんだい)など、また東北でも中尊寺、示現寺の椿文様の笈(おい)などの優品が生まれました。この時代の公家の日記「実隆公記」に「鎌倉物(かまくらもの)」という言葉が初めて現れ、以来、これら鎌倉ゆかりの木彫彩漆が一般的に鎌倉彫と呼ばれるようになったといいます。

 江戸時代~茶道の一般化と鎌倉彫~
 江戸時代、茶道の普及とともに、茶入、香合、香盆(こうぼん)が多く求められるようになりました。この頃は精緻な蒔絵が非常に発達を遂げましたが、一方、雅味(がみ)のある鎌倉彫も人々に好まれ、元禄に出版された「萬寶全書(まんぽうぜんしょ)」という茶道具の手引書にも「鎌倉雕(かまくらぼり)」の名が見られます。そんな時代の中で、侘、寂、粋など、江戸文化の香りを持つ鎌倉彫の作品も生み出されました。

 明治・大正時代~生活工芸品としての鎌倉彫~
 明治になると神仏分離令が公布され、続く廃仏毀釈運動によって仏師たちは仕事を失いました。これを転機に仏像制作から生活の中で使われる工芸品としての「鎌倉彫」に活路を見い出した仏師の中に、後藤齋宮(ごとういつき)、三橋鎌山(みつはしけんざん)の名がありました。明治22年、横須賀線の開通とともに鎌倉は別荘地として栄え、訪れる人々への日用品やお土産として作られるようになり、現在の鎌倉彫へと発展して行きます。

 現代~そして、現代へ~
 高度成長期を経て生活にゆとりが生まれた現代。大量生産の工業製品に対して手仕事の暖かさが求められ、鎌倉彫も多くの人に愛用されるようになりました。また、趣味としてカルチャー教室でも人気を呼び、愛好者は全国に広がっています。1979年、当時の通商産業大臣から伝統的工芸品としての産地指定を受け、伝統鎌倉彫事業協同組合を中心に後継者の育成や新しい製品づくりが積極的に行われています。 

*https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/shoukou/kamakurabori.html より

 仏像や仏具から日用品へ
 こんもりとやさしい風情の山、緑豊かな谷戸、目を凝らせば彼方に相模の海。古都・鎌倉は、風光明媚な地だ。
 今から800年あまり前、武家政治の中心地となった鎌倉では、中国の宋から伝来した禅宗が急速に広まっていく。禅とともに宋から入ってきた文物のなかにみごとな彫漆工芸品があり、当時の仏師や宮大工はこれと同じようなものをつくろうと試みた。そうして始まったのが、鎌倉彫である。歴史を紐解いてみれば、もともとは仏像や仏具から始まったものだが、しだいに硯(すずり)箱、文鎮、香合(こうごう)、鉢、盆、皿など、日常で使われる品々もつくられるようになっていった。それは、彫・紋様・漆がみごとに調和した、一つの小さな宇宙だ。

 「技はもちろん、背景にある文化を総合的に学びなさい」
鶴岡八幡宮からほんの少し足を伸ばせば、そこはもう鄙びた風情がどこか懐かしい扇ガ谷(やつ)の里。浄光明寺のすぐ隣に翠山堂工房を構える、木内晴岳さんを訪ねた。古武士の風格漂う、矍鑠(かくしゃく)とした人である。出身は信州、13歳のとき老舗の和菓子店へ奉公に出た。勉学の傍ら、繊細で芸術的な感性が必要とされる菓子づくりに精を傾ける。「でも、食べられたら一瞬でなくなってしまう――それが私には寂しかった。何か自分で作った“もの”を魅力ある形として残せる仕事がしたい、真剣に考えましたよ。」
 18歳で故郷を後にする。父が愛読していた歴史書に出てくる鎌倉の地にたどり着き、寸松堂・佐藤宗岳の門をたたいた。何でも身につけたい、自分を鍛えたい、木内さんのひたむきな態度に心打たれた師匠は、親身になって指導してくれた。先輩職人の前では生半可な知識を口にしてはならない。日本はもちろん東洋の古典を精読しなさい。鎌倉彫の技も含めて、その背後にある文化を総合的に学びなさい、と。師の教えは今、自らが後進の指導に当たるとき引き継がれている。

 作り手と買い手の間に、「遊び」が漂うような作品を
 工房にこもりひたすら目の前の仕事だけに追われる生き方を、木内さんはよしとしない。海外旅行にもよく出かける。行く先々で、魂を揺さ振られる強烈な体験もした。シルクロードを旅したとき、悠久なる時の流れに身を浸し、遠く仏陀の時代に思いを馳せた。アフガニスタンで出会った蝙蝠の図案に新鮮な驚きを感じ、スペインとポルトガルの国境近くで鍛冶屋が日本刀を打っているのを見て度肝を抜かれた。「鎌倉彫とは関係ないと思うでしょう。でも、じつはあらゆるものや風景のなかに図案のヒントが隠されている。なぜ引きつけられるのか、それはインスピレーションですよ。」
 職人たるもの、常に手は動かしつつ、いいよそ見をしながらいこう。伝統技術の上に革命的な感性を乗せていこう。そうして作り上げた品を、気に入って買ってくださる人との間で、何かを共有できたらいい、ゆとりとか遊びの心が漂えばいい、と木内さんはいう。

 作り手の人間力が作品に深みを与える
 十数年前、初めて作った盒子(ごうす)を買ってくれた医師の方から、こんな手紙をもらったことがある。――鎌倉を訪れたとき、たまたまあなたの作ったものを見た。気になったけれど、何となく買わずにやりすごした。2回目もそうだった。そして3度目、今度こそ迷わず手に入れた。今、私の目の前に置いてある。これを見る度、鎌倉の風景、そのとき吹いていた風、咲いていた花まで思い出す。いいものを作ってくれて本当にありがとう。
 「職人冥利に尽きるとは、このことでしょう。私はいっさい余計な説明はしていない。けれどもその方は、“もの”から何かを感じ取り買ってくださった。互いに会ってもいない、言葉を交わしていなくても、そこにはものを通した会話が成立しているんです。」
 彫・紋様・漆が融合した小宇宙、鎌倉彫。そこに作り手の人間力が加わり、その深みはいやがうえにも増していく。

 職人プロフィール

 木内晴岳

 1917年生まれ。35年に鎌倉彫の世界に入り、54年に翠山堂工房の経営につく。『現代の鎌倉彫』『鎌倉彫手鏡文様集』などの著書がある。

*https://kougeihin.jp/craft/0507/ より

 Description / 特徴・産地

 鎌倉彫とは?
 鎌倉彫(かまくらぼり)は、鎌倉市周辺で作られている漆器です。鎌倉時代を起源とし、当時中国から入ってきた美術工芸品の中に、堆朱(ついしゅ)、堆黒(ついこく)という木地に厚く漆を塗り重ねた品がありました。その工芸品に日本文化や柄を取り入れたものが鎌倉彫と呼ばれるようになった経緯があります。
当初は、仏像や仏具を作る仏師が中国の美術工芸品影響を受けて、カツラの木やイチョウの木を使用した器に彫刻を入れ、仕上げに漆を塗っていたものを鎌倉彫といいましたが、現在では、硯(すずり)箱や文鎮、皿、盆などの日用品も作られています。
 鎌倉彫の特徴は、文様以外の部分には刀痕をつけ、彫り跡をあえて残すところです。朱色の漆に墨を蒔き付けることで浮かび上がらせる手法も用いられ、800年もの間、彫りと塗りの技術が高められてきました。
 日常生活に彩りを加えてくれる鎌倉彫は、鎌倉市を訪れる人々を魅了しています。

 History / 歴史
 鎌倉彫は、鎌倉時代に仏師や宮大工によって生産が始まり、室町時代になると香を収納する香合(こうごう)として寺院で用いられました。その後、茶の湯の文化の発展するにつれ茶道具としても香合や茶箱に鎌倉彫が採用されていきます。
 江戸時代には仏具としての鎌倉彫から日用品にも使われるようになり、次第に唐物風の彫り物だけでなく日本独自のデザインが確立されていきます。
明治時代に入ると、明治政府が掲げた神仏分離令によって廃仏毀釈が起こります。この運動が広がり仏師は減りましたが、残った仏師のなかで仏像彫刻から鎌倉彫に技術を活かし発展させていったのが、後藤齋宮(ごとういつき)と三橋鎌山(みつはしけんざん)の2人です。以降、鎌倉彫は日用品として人々の生活に入っていきます。
 現代ではインテリアの一部に使うこともあり更なる発展を遂げ、1979年(昭和54年)には経済産業省により伝統的工芸品として認定を受けました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kamakurabori/ より

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