「カルロス・サンタナ」
1947年7月20日生まれの73歳
《哀愁のギタリスト》カルロス・サンタナ(Carlos Santana)
カルロス・サンタナ氏は複雑に絡み合うラテン・パーカッションのリズムを初めて本格的にロックに取り入れたギタリストです。なおカルロス・サンタナ氏の率いるバンドが「サンタナ」という名前です(ややこしいですね)。
サンタナの音楽は、当時流行していたブルース・ロックにラテンのエッセンスを融合させたもので、躍動するラテン・パーカッションのリズムセクションと、哀愁あふれる“泣き”のギターソロのコントラストは、それまでにない新鮮なサウンドをロックシーンに吹き込みました。
特に日本では、名曲「哀愁のヨーロッパ”Europa (Earth’s Cry Heaven’s Smile)”」のイメージが強く、「哀愁のギタリスト」という異名がつけられました。ファッションにもこだわりがあり、近年では必ず帽子をかぶっていますが、
Carlos Santana:男性用帽子のブランド
CARLOS by Carlos Santana:男性用、女性用靴のブランド
というように、自らの名を冠したファッションブランドも展開しています。今回は、カルロス・サンタナ氏に注目していきましょう。
Biography
最初から凄かった
1947年7月20日 生 メキシコ ハリスコ州アウトラン・デ・ナヴァロ
メキシコの小さな町、オートランの生まれ。13歳でサンフランシスコに移住し、69年にはレコード・デビュー前にもかかわらず、あの歴史的な「ウッドストック・フェスティバル」に出演するほどの人気を獲得していました。同フェスティバルでの熱演で世界にその名をとどろかせた後、ともにミリオン・セラーとなったデビュー・アルバム『サンタナ(1969)』、セカンド・アルバム『天の守護神(Abraxas。1970)』を発表。当時17歳の若き天才ギタリスト、ニール・ショーン氏(のちに「ジャーニー」を結成)がバンドに加入し、「サンタナIII(1971)」からしばらくは超絶ツインリードのラテンロックというサウンドを展開します。
精神性の変化と活動の多様化
精力的に活動する合間、ジョン・マクラフリン氏の紹介で1973年、ニューヨーク在住の導師シュリ・チンモイ氏に弟子入りします。チンモイ氏から「神のランプ、光、目」を意味するDevadip(デヴァディプ)という名前が与えられ、サンタナ氏はヨーガを通してインドの精神世界を学び始めます。
1970年代のサンタナ氏はジャズ/フュージョンの分野で活動していましたが、いっぽうでファンク/ラテン色を強めた「アミーゴ(1976「哀愁のヨーロッパ」収蔵)」を発表、ジョン・マクラフリン氏やハービー・ハンコック氏等、名だたる名手と共演するなど幅広く活動しました。1980年代にはジャズ/フュージョン路線と並行してロック/ブルース方向のサウンドを模索、ジョン・リー・フッカー氏やウェザーリポート、グレイトフル・デッドらと共演します。その後、妻デボラに捧げたアルバム「Blues for Salvador(1987)」で初のグラミー賞を受賞します。
コラボレーションによる新たな可能性
90年代は不振が続いてレコーディング契約すらなくなったサンタナ氏でしたが、ローリン・ヒル女史のアルバム「The Miseducation of Lauryn Hill(1998)」収録の「To Zion」に参加したことで可能性が開けます。妊娠を機に制作したアルバムで、出産への苦悩と決意を歌うという重要な楽曲に、サンタナ氏のギターは優しく美しい花を咲かせます。このアルバムの成功をヒントに、若手アーティストとのコラボレーションを中心としたアルバム「Supernatural(1999)」が制作されました。この作品は「アルバム・オブザイヤー」を含む8つのグラミー賞、3つのラテングラミー賞を受賞する大成功となりました。
のちにサンタナ氏は、2014年に発表した回想録「The Universal Tone:Bringing My Story to Light(洋書)」について「私はラテン系でもスペイン系でない、光の子です」と語った上で、「ダライ・ラマや教皇、マザー・テレサ、イエス・キリストでなくても、祝福と奇跡を生み出すことはできる」と語っています。
カルロス・サンタナのプレイスタイル
サンタナ氏は、「情熱的」とも「官能的」とも、また俗に「エロい」ともいわれるリード・プレイを最大の持ち味にしています。
一聴してサンタナだとわかる、太く甘い音色
フィードバック奏法を駆使した、長く伸びるロングトーン
ピッキングのニュアンスや音の切り方などの表情付け
一見カンタンそうなフレーズでもニュアンスの再現は至難の技で、70歳を越えた今なお豪快な速いフレーズもラクラク弾きこなします。こうした持ち味が、強豪ひしめく音楽界においてサンタナ氏を唯一の存在にしています。
また、プレイ中の恍惚とした表情も大きなポイントです。あまりビブラートに頼らないこともあって、一部で「音の気持ちよさのあまり、ビブラートをかけることすら忘れてしまっている」とささやかれることすらありました。もちろん必要な場面ではしっかりビブラートをかけますから、むしろビブラートを使うかどうかの選択も表現のバリエーションにしているわけです。
*https://guitar-hakase.com/1733/ より抜粋
デビュー半世紀 サンタナは今もエネルギー全開! 連載「知新音故」 小倉エージ2019.7.12 16:00週刊朝日
半世紀前、ウッドストックのロック・フェスティヴァルに出演し、デビュー・アルバム『サンタナ』で聴く者たちに衝撃を与えた。そんな語り継がれるバンドが、アニヴァーサリー・イヤーの今年6月、『アフリカ・スピークス』を発表した。テーマはずばり“アフリカ”だ。
「サンタナ」のリーダー、カルロス・サンタナはメキシコ出身。米国との国境の街ティフアナで暮らし、耳に届いたカリブの音楽、さらにブラジル音楽、アメリカのR&Bなどから“アフリカ”を感じとっていたと明かす。そもそもアフリカ音楽に関心を抱いていたわけだ。
実際、アフリカ音楽に取り組もうと考え始めたのは、1988年、欧州公演の際にパリでアフリカ音楽のCDを100枚あまり買い込んでからのこと。曲を吟味してプレー・リストを作り、それらを“ひな型”としてアイデアを練ってきたという。
ヒップ・ホップやカントリー、ポップスを手掛けてきたリック・ルービンに制作を依頼。リック所有のスタジオでわずか10日で49曲を録音したという。今回収録されたのはボーナス・トラックを含め13曲だ。
スペインのマジョルカ島出身の歌手、ソング・ライターのブイカが起用された。ギニアからマジョルカに政治亡命した両親のもとに生まれたブイカは、フラメンコをベースに活動をはじめ、ジャズ、ソウル、レゲエ、ヒップ・ホップなどの要素を取り入れたスタイルだ。ザラッとした乾いた感触のある歌声、インパクトは強烈で、そんな彼女は作詞とヴォーカルをまかされた。
カルロスとブイカによるオリジナルは2曲のみ。オリジナルの曲名や創唱者が明記されているのもあるが、作詞こそブイカだが曲の大半は改変したもので、原曲作曲者の名前も併記されている。
アフリカこそ“文明のゆりかご”というナレーションで始まる表題曲「アフリカ・スピークス」。早々にカルロスのギターとブイカが掛け合いを聴かせる。「ヨ・メ・ロ・メレスコ」は、70年代のロック風で、プログレ風味を取り入れたもの。テンポ・アップしてからのカルロスの超絶的なギターが、往年の彼を思い起こさせる。
ゲスト参加したカリブ系のローラ・マヴーラが作詞、ヴォーカルで加わった「ブルー・スカイズ」は、9分を超える本作でのハイライト曲。スローなジャズ・テイストによる演奏をバックに、ローラがしっとりとした歌を聴かせる。途中からワイルドなブルース・ロック調へと変化。カルロスのエネルギッシュなギター・ワークに息をのむ。
R&B/ソウル・テイストの「パライソス・ケマードス」での伸びやかなギターもファンを喜ばせるに違いない。陽気なカリプソ調の「ブレイキング・ダウン・ザ・ドア」は、ライヴで盛り上がりそうだ。
カルロスのハード・ロック・ギターに、妻でドラマーのシンディ・ブラックマンのソロなどを織り込んだ「カンドンベ・クンベレ」はラテン・ロックとアフリカ音楽を融合させ、本作の意図を感じさせる。
この新譜でブイカとの共作による新しいオリジナルを手掛け、サンタナ本来のラテン・ロックやジャズ、フュージョン的要素を加味したスタイルを生み出した。
ベスト・セラーとなり、グラミー賞9部門で最優秀賞を得た『スーパーナチュラル』から20年。サンタナが、今なおエネルギー全開であることに興奮を覚えずにはいられない。(音楽評論家・小倉エージ)
*https://dot.asahi.com/wa/2019071000049.html?page=2 より