いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

昨日の藤井二冠-3/10

2021-03-11 15:09:03 | 将棋

 2021/03/10(水)
 第79期 順位戦B級2組 11回戦

 VS  中村太地七段

 127手で勝利!

 10戦全勝で順位戦終了。

 来期は、昇級し「B級1組」へ。

 

 次戦は、

 2021/03/23(火)
 第34期 竜王戦 2組ランキング戦 準決勝 (持ち時間:5時間)

 VS 松尾歩八段

 

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-財津和夫

2021-03-11 07:33:13 | MUSIC

 「財津和夫」

 1948年2月19日生まれの73歳

 財津和夫のがん、ステージについて。復帰した今の喜び&天才と呼ばれる理由  2020.07.03
 70年代初頭からチューリップのリーダーとして知られ、並行してソロ活動も行ってきた財津和夫(ざいつかずお)さん。

 J-POP界のレジェンドであるだけに、2017年のがん公表に驚いた人は多かったことでしょう。

 ここではがんのステージや、どのようながんだったのか、また復帰した今の状況について詳しくみていきます。

 あわせて「天才」と呼ばれる理由についても考えてみたいと思います。

 財津和夫のがんとステージについて
 2020年に72歳を迎えた財津和夫さんは、1948年2月19日生まれの福岡県福岡市出身。

 本名も同じです。

 香椎高校在学中からビートルズに憧れ、卒業後の浪人時代にわざわざ上京してビートルズの武道館コンサートを体験しています。
 チューリップの前身となるグループはすでに西南学院大学時代から存在し、チューリップとしてレコードデビューしたのが1972年。

 翌年の『心の旅』がオリコンチャート1位となったあとも、『青春の影』『虹とスニーカーの頃』などのヒット曲を送り出しました。

 チューリップは1989年にいったん解散しますが、その後も期間限定で何度か再結成。

 財津和夫さんはグループの活動と並行して1978年からソロ活動も展開し、1993年にはチューリップのセルフカバー曲『 サボテンの花~ひとつ屋根の下より~』が高視聴率ドラマの主題歌として大ヒットしました。

 2017年6月、チューリップ45周年ツアーの最中に大腸がんを公表した財津和夫さん。

 5月末にツアー中の福岡で意識を失うほどの腹痛におそわれ、救急病院で腸閉塞と診断されます。

 大腸がんの可能性ありと告げられ、早急な手術をすすめられましたが、財津さんは東京での手術を希望。

 6月に東京で下行結腸がんの内視鏡外科手術を受けています。

 大腸がんは発生した部分により結腸がんや直腸がんに分かれ、下行結腸がんは結腸がんの一種。

 内視鏡手術とは、5ミリから2センチほどの切開創からカメラと手術器具を挿入して行う外科手術です。

 これが財津和夫さんにとって初めての入院体験でした。

 「これは現実だよな」と思いながら、このまま死ぬかもしれない、いや助かるかもしれない、という思いが交互に浮かんだそうです。

 時間がたってようやく、こうなった以上はどうしようもないと受け入れることができたと語っています。

 がんのステージについては公表されていないようですが、同志社大学客員教授・松本クリニック院長の松本浩彦先生によると、財津さんは腸閉塞で発覚したということで、おそらくステージ2より悪い状態だったのではないかとのこと。

 大腸がんの7割から8割は進行がんで見つかるそうで、腸閉塞もかなり進行した状態ということです。

 がんから復帰した今、喜びを嚙みしめる
 手術は成功したものの、続く抗がん剤治療には悩まされたという財津和夫さん。

 副作用で手足がしびれ、味覚や嗅覚にも影響があらわれて食が進まず、すっかり痩せてしまいました。

 それでも1年に満たない翌年の春にはソロコンサートツアーで復帰。

 「みなさん抗がん剤治療を受けながら仕事をしておられますよ」という医師の言葉が大きな励みになったようです。

 9月には闘病のためキャンセルしたチューリップのコンサートの振替公演と快気祝いを兼ねたツアーもスタート。

 ファイナルを翌2019年7月7日に故郷の福岡で迎えています。

 この日は奇しくもアマチュア時代から苦楽をともにしたギタリスト・安部俊幸さんの命日でした。

 今は復帰できた喜びをしみじみと噛みしめながらステージに立っていると明かしている財津和夫さん。

 復帰してしばらくたったこともあり、観客も病気は過去のこととして一緒に歌ってくれるそうです。

 音楽以外のことを引きずらずに客席とステージがつながっている感じがして、とてもうれしいと述べています。

 作曲家としての天才ぶりはチューリップにとどまらず
 日本のポール・マッカートニーと称されることもある財津和夫さん。

 日本のポピュラー音楽界を代表する天才メロディメーカーの一人でしょう。

 『心の旅』『青春の影』『サボテンの花』といったヒット曲はもとより、『みんなのうた』に採用された『切手のないおくりもの』は小学校の音楽の歌集などにも掲載され、国民的な愛唱歌として今も歌い継がれています。

 また松田聖子さんや中森明菜さん、藤井フミヤさんらさまざまなアーテイストへの楽曲提供も忘れることはできません。

 とりわけ松田聖子さんへの提供曲は多く、『夏の扉』『チェリーブラッサム』『白いパラソル』といった一連のヒット曲は、アイドルとしての聖子さんの人気を不動のものに。

 音楽にとどまらず、俳優業やエッセイ執筆なども行い、多彩な表現者として活動してきた財津和夫さん。

 病魔を克服してステージに戻ってきてくれたのはうれしいかぎりです。
 2022年にあたるチューリップ50周年ツアーも期待できそうですね。

*https://asuneta.com/archives/64923 より

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<言 葉> 春の言葉 春愁

2021-03-11 07:27:18 | 言葉

 3月11日 あれから10年。

 その日にちなんで「福島忌」や「原発忌」という言葉が使われたりするが、私は使いたくない。

 ただ忘れられない日になったことは事実。

 

 で、今日の言葉は「春愁」。

 読み方は「しゅんしゅう」。

 意味は、春の季節に、なんとなくわびしく気持ちがふさぐこと。春の愁い。

 

 いつか「福島忌」や「原発忌」に代わる言葉が出てくることが望まれる。

 

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<日本酒> 埼玉 帝松/松岡醸造

2021-03-11 07:13:43 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈埼玉〉 帝松/松岡醸造

 

 江戸時代から続く歴史
 酒どころ越後頚城郡姉崎の、酒造りに関わる家柄に生まれた初代 松岡祐エ門。祐エ門は「求める酒造り」に適した地を目指して、嘉永4年(1851年)に当地へ蔵ごと移築し創業しました。

 当時の小川町は、秩父往還と八王子街道が交差する交通の要衝で、生活物資の集積地でした。毎月多くの市が立ち、商人が集まる場として栄えていました。また、米穀の少ない秩父方面と米の生産の多い平野部を結ぶ中継ぎの穀物商も多くいたといいます。そこには当然お酒を楽しむ消費環境が整っており、祐エ門はこの小川町の賑わいに目を付けました。

 仕込み水
 この地はそれだけでなく、酒の仕込みに重要な「良質な水」にも恵まれていました。秩父山系を源とする湧水は石灰岩層で浄化され、ミネラル豊富な硬度の高い天然水となって湧出します。硬水なのに柔らかく感じられるこの特異な水が、祐エ門の求める清酒を造り出しました。※詳しくは「帝松のこだわり」へ記載

 水・米・消費環境 の三拍子が揃ったこの地は、酒造りを営むには十分すぎるほどの環境でした。

 帝松
 創業当時は「大坂屋」の屋号を名乗り「松盛(まつざかり)」という酒銘で販売していました。その後、現在の「帝松」を代表銘柄としました。
「帝」は日本国の最高位を表し、「松」は変わらぬ緑から繁栄のシンボルで、「酒造りの頂点を末永く後世に維持していきたい」という想いから名付けられたといいます。

 帝松は全体的にフルーティーで甘みのある味わいが特徴で、その品数はサイズ違いを含めると150アイテムにも上ります。「多くの方々に美味しくお酒をお召し上がりいただきたい」という想いから、個人差のある消費者の味覚に合わせこれだけのアイテム数まで増えました。

 社長の酒
 そんなスタンスで仕込んでいる清酒ばかりの中で、お客様からひときわ人気なのが「社長の酒」です。
 一度聞いたら忘れられないネーミングのこのお酒は、5代目祐治の時代に販売を開始しました。

 吟醸酒がまだ一般に知られていない昭和の高度経済成長期、清酒はまだ級別制度で、特級でも一級でもない無鑑査の吟醸酒として販売を開始しました。これは埼玉県における吟醸酒流通の先駆けで、評判が評判を呼び、当時「埼玉県で一番の吟醸酒を造る蔵」とまでいわれるほどになりました。

 もともとは清酒鑑評会出品用に極少量しか醸造せず、残った酒は弊社の社長が使用する贈答用などに限られていたこのお酒。タンクには目印として「社長の酒」と書かれ、それがこの名の由来だといいます。現在はその名称から、縁起の良い「出世酒」として親しまれています。

 酒米
 愛飲家の方々に喜んでいただきたい思いから、酒造りの中でも特に「酒米」にはこだわっています。兵庫県吉川町産の山田錦 特A級米、山形県産の山酒四号(通称 玉苗)、岡山県赤磐市産の備前雄町、埼玉県オリジナルのさけ武蔵など、清酒の種類によって品種や産地などにこだわり、酒造りを行っています。

 

 ミネラル豊富な天然水を使用
 秩父山系のミネラル豊富な天然水を使用
 お酒は水が命。水の善し悪しでお酒の味は大きく変わってしまいます。
 当蔵の位置している小川町は、昔から「酒造りの適地」として知られており、良質な水が採取できる地としても有名でした。帝松の酒造りに使用しているこの特異な仕込み水は、地殻変動によって海が隆起してできた石灰岩の山々が連なる秩父山で濾過された天然水です。この秩父山に降った雨が石灰岩の中で濾されて山々を抜け、伏流水となり、数十年の歳月をかけてここ小川町の地下を流れます。当蔵では、それを地下130メートルから汲み上げ仕込み水として使用しています。

 この水は「硬度127mg/ℓ」と、日本の仕込み水としてはトップクラスの硬水です。これは酒造りに最適な仕込み水として知られている兵庫県灘の「宮水」以上に硬度が高く、ミネラル分が豊富であることが某酒類卸業者の調査により判明しました。しかし実際にこの特異な天然地下水を飲んでみると、「硬水なのに柔らかい」不思議な水であることを感じていただけます。

 このミネラル分豊富な天然水は、酵母の発育を促し、特有の旨味とキレ、そして丸みを造り出します。さらに、併せて低温発酵タンクを用いることで通常よりも低温帯でゆっくりと発酵させることができ、帝松特有のまろみと奥深さを持ったお酒が生まれます。

 雑味を消し米の特徴を引き出す精米
 当蔵は、酒造りの原料となる「お米」へのこだわりを持ち続けてきました。お米にはそれぞれ特有の旨味と香りがあり、兵庫県産「山田錦」や岡山県産「備前雄町」、埼玉県産「さけ武蔵」、山形県産「山酒4号(通称 玉苗)」など、目指す酒質に合わせて全国から厳選したお米を使用しています。

 酒造りには、皆さんが普段口にしているお米よりも粒の大きい「酒造好適米」という酒造り専用のお米を使用します。お食事用のお米は玄米の状態から7~8%程まわりを磨いたものですが、当蔵では最低でも30%以上は磨いています。なぜお米を磨くかというと、お米の表面はタンパク質などの栄養分が多いゆえに、お酒になった時に雑味が出てしまうからです。香り高く旨味のあるお酒を造る為には、お米を磨くことが必要です。また、磨きすぎてもそのお米の持つ特徴などの「味」の部分がなくなってしまうため、それぞれの特徴を見極めながら、美味しさを最大限引き出せる部分まで磨いています。

 酒造りに使用する 精米したお米
 酒の生命線である「醗酵」を徹底管理
 酒造りの生命線である、発酵を管理する設備「発酵タンク」。当蔵では、杜氏の狙った温度帯を確実にキープできるように最新の低温発酵タンクとコンピューターを用いて、きめ細かな温度管理を行っています。このタンクは二重構造となっており、外側部分に冷水が回る仕組みとなっています。この仕掛けで温度管理を徹底することにより、「発酵」をコントロールしています。

 お酒の種類にもよりますが、発酵には酵母造りから数えると50日程度の日数がかかります。上記の通り仕込み水には、酵母の発育を促すミネラル分豊富な天然水を使用しているため、このタンクを用いてより低温帯でゆっくりと発酵させることにより、フルーティーな香りと特有のまろみのあるお酒を作り出すことができます。

 酒の生命線である「醗酵」を徹底管理
 香りと旨みを維持する搾り
 当蔵では、大きなフィルター型の搾り機を使用しています。これはもろみが空気に触れ、吟醸酒などの高級酒特有の香りが飛ばないようにするためのこだわりです。この搾り機はアルミの板とゴムの板が交互に並んでおり、油圧でもろみがこぼれないよう締め付ける構造になっています。この各板の間にもろみを流すと、空気に全く触れずもろみを搾ることができます。搾り立ての生原酒や吟醸酒はすぐに冷蔵庫で保管され、それ以外のお酒は貯蔵庫に送られ熟成を待ちます。大吟醸に関しては、もろみの重みだけで搾る「袋吊り」という伝統的な方法を用いています。

 お酒を造る二つの菌
 日本酒を造るために重要な菌が2つあります。「麹」と「酵母」です。「麹」はカビの一種で、米のデンプンを糖に変える働きがあります。「酵母」は麹がつくった糖を食べ、アルコールと旨味成分を造る働きがあります。
 ※酵母がアルコールを造り出すとき、炭酸ガスを一緒に発生させます。新酒に炭酸が含まれているのはこのためです。

 麴菌と酵母菌にも様々な種類がありますが、当蔵では酒米同様に目指す酒質に合わせ使用しています。
 この「麹」と「酵母」の作用をコントロールすることが旨い酒造りの秘訣のため、細心の注意を払い作業を行います。

 松岡醸造株式会社 埼玉県比企郡小川町大字下古寺7-2

 ラインナップ

 「帝松」超特選 鑑評会出品用  大吟醸原酒 桐箱入り・和色シリーズ 玉苗(山酒4号)純米吟醸酒 蒼(あお)-「玉苗」使用・生吟・備前雄町 38%精白純米大吟醸 『鳳翔』 ・兵庫県産山田錦 38%精白大吟醸  など

 「社長の酒」帝松 限定醸造 吟醸 出世酒 など

 

 「玉苗」とは、

 「山酒4号」とは、昭和53年より、河合克行氏(現(株)アスク代表取締役)の指導の下、河合氏と旧村山農業高校作物班の生徒との共同研究により作出・選抜され、昭和58年に「山酒4号」として種苗登録(近年になって「玉苗」の呼称がついた)された酒造好適米です。

*http://www.murayama-ih.ed.jp/job0jqab2-22/ より

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 76.  小笹うるい

2021-03-11 07:05:27 | 食品

 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 野菜類(うるい)

 特定農林水産物等の生産地 山形県上山市東地区、本庄地区の一部 

 登録生産者団体 山形農業協同組合

 特定農林水産物等の特性 うるい特有のぬめりが強く、シャキシャキとした食感。食用として好まれる茎の白い部分が一般的なうるいに比べて2割程度長い。
 光沢がある鮮やかな外観と食味の良さから市場での評価も高く、一般的なうるいに比べて高値で取り引きされている。

 地域との結び付き 生産地は蔵王連峰の裾野に位置する中山間地域で、うるいが自生していた山中と気象条件が近似。火山灰を含み水はけが良いが適度に粘性がある土壌は、作土も深くうるいの栽培に適している。
「小笹うるい」の苗を地域外へは持ち出さないことで生産農家の意思統一が図られてきたことから、現在もこの地域内のみに栽培が限定されている。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i76.html より

 

 「小笹うるい」は、うるい(1)特有のぬめりが強く、シャキシャキとした食感を有し、食用として好まれる茎の白い部分が一般的なうるいに比べて2割程度長いのが特徴です。
 光沢がある鮮やかな外観と食味の良さから市場での評価も高く、一般的なうるいに比べて高値で取り引きされています。

 「小笹うるい」は、生産地内で栽培している「小笹うるい」(上山系統)を株分けした苗を用い、生産地内で栽培します。
 出荷規格は、病害虫の被害がなく、茎葉の長さが25cm以上です。

 「小笹うるい」の栽培は、明治20年代後半に、上山市に住む農家が上山市東地区の山中のうるいの群生地から採取したものを自宅付近に植え、自家消費用野菜としたのが始まりです。
 生産地は、火山灰を含み水はけが良く適度に粘性がある土壌であり、作土も深いため、うるいの栽培に適しています。

 生産地では、「小笹うるいの苗を生産地域外へは持ち出さない」という、生産農家の意思統一が図られてきたため、現在もこの生産地域内のみに栽培が限定されています。
 1945年頃から、自家消費用だったうるいを商品として青果店等に販売しはじめました。1980年頃には本格的に市場出荷を開始したことによって、「小笹うるい」の名称での市場評価が確立しました。
 2018年現在、生産面積は約1.3ha、7tを生産しています。

 (1)うるい:大葉擬宝珠(オオバギボウシ)という植物の若葉を「うるい」と呼び、日本では古くから山菜として食されています。葉柄の軟らかい部分を根もとから切り取り、ゆでたものを適当な長さに切っておひたしとして食べるほか、ゴマあえ、みそ汁、煮もの、酢のもの、てんぷらなどで食します。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/76.html より

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<漢字検定> 1級 読み 14.回答 15.出題

2021-03-11 07:00:20 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 峻別  -しゅんべつ-厳しくはっきりと区別すること。また、その区別。

 


 問2 狡黠  -狡猾-こうかつ-ずるく悪賢いこと。また、そのさま。

 


 問3 涵養  -かんよう-水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。

 


 問4 舳艫  -じくろ-舳先 (へさき) と艫 (とも) 。船首と船尾。

 


 問5 欷歔 -ききょ-すすり泣くこと。むせび泣き。欷泣 (ききゅう) 。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 貶謫  

 

 問2 肯綮  

 

 問3 覬覦  

 

 問4 詠懐  

 

 問5 塵埃

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 東京 東京無地染

2021-03-11 06:55:37 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「東京無地染」

 求めていた色はすべて、自然界にあった。
 無地染とは、一反(13メートル弱)の白い生地を顧客の好みの色に染める、最も基本的な染色法である。色見本は微妙な濃淡の違いも含めて百七十色あり、柄や厚さが異なる生地にオーダー通りの色を再現することは容易ではない。目安となる色の設計図はなく、職人は基本となる五色の染料を混ぜ合わせ、理想の色に近づけていく。色彩感覚を研ぎ澄ませるために体調を整え、作業中は集中力を途切れさせないために来客の応対もしないという。古代の草木染めに始まる無地染は、自然界の色彩を衣服に映し込む技だといえる。ナチュラルな色合いは飽きがこず、品の良さを特徴とする。一度染めた無地染はほかの色に染め直すことも可能で、年齢に応じて色を変える顧客も多い。オーダーメイド以外にも、職人の感性を生かしたストールの制作も行い、どんな洋服にも合わせやすい色合いが人気だ。近年は着物業界以外からも注目を集め、デザイナーが考案した色のグラデーションを用い、竹材のブラインドを染める試みも行っている。
 主な製造地 新宿区、中野区、杉並区ほか
 指定年月日 平成3年8月15日
 伝統的に使用されてきた原材料 生機、マルセル石鹸、精錬助剤、絹布白生地、植物染料、化学染料、染色助剤
 伝統的な技術・技法
 精錬:生機は、生糸に含まれたセリシン、脂肪、その他の天然不純物を持っている。それらを除去し、フィブロインを残すことで絹特有の優れた風合い、光沢を出すために行う工程。
 前処理:精錬に使用した溶剤を充分に洗い落とすために清水にさらし、振り洗いする。
 地入れ:精錬された白生地の表面を平らにし、染め斑が出ないようにするために行う処理。
 中性浴:絹の特色、手触、身体への馴染み、光沢、絹鳴り等他の繊維に見られぬ優れた点を活かす最適な染法である。
 色合せ:色を構成している明度、彩度、色相の三属性を見本に合せる。見本と同じ色にするには均衡を保ちながら濃度を上げ染色する。
 後処理:染色後、色止めで後処理し、染色物の湿潤、堅牢度を向上させる。
 沿革と特徴
 古代より現代に至る染色法の中でもっとも基本的な染めは無地染(浸染)である。草木の根、花、葉、皮、果実等で布地に色付けすることから始まる。

 仏教の伝来(552年)と共に藍、紅花が渡来し、奈良平安時代には大和民族独特の染め技術が確立され、無地染は地染をはじめ、ぼかし、絞り等が盛んに行われた。

 鎌倉時代になると絹織物が発達し、草木染めに必要な灰汁、鉄媒染、酢の発達により、浸し染は大きく進歩し「江戸紫に京鹿の子」といわれたものである。このことは江戸時代の染色のうち鹿の子絞りは京を第一とし、紫染は江戸産を最上とするという意味で、東西両都の染色の特徴を言い当てたものである。

 このように江戸紫、江戸茶をはじめとする無地染は、江戸庶民文化として芽生え庶民の間で広く愛用された。

 現代の無地染は手作業が中心で、色無地は、色抜きして再び染め替えることができます。最初に明るい色を選び、次には年齢にふさわしい渋味のある古代紫、紺、抹茶などを選ぶ。また、お嬢様にお譲りになる場合には、色を替えて染めると、若々しい雰囲気にもなる。時代が変っても流行に左右されることなくいつまでも美しく着られる。

*https://dento-tokyo.jp/items/33.html より

*https://kougeihin.jp/craft/0212/ より

 

 Description / 特徴・産地

 東京無地染とは?
 東京無地染(とうきょうむじぞめ)とは、江戸時代中後期の染物職人たちにより使われた江戸紫・藍・紅花・江戸茶等の無地染を起源として発展した染物です。
 現在の主な産地は、東京都の新宿区、中野区、杉並区や神奈川県となっています。
 無地染は染色法の中で最も基本的な技法ですが、東京無地染には絹織物が使われるため、控えめでありながらも品のある印象を与えてくれます。ただ、13mにも及ぶ反物をむらなく仕上げるのは至難の業。しかし、東京無地染はたしかな技術で美しく染め上げています。これが、単色染めでありながらも格式高いとされる理由です。
 現在の東京無地染は、染料の進化や生地の高級化に対応しながらも、江戸時代より伝わる色見本を手がかりに微妙な色の違いを今も表現しています。
 また、色無地は一度染めた色を色抜きしてほかの色に染め直すこともできるため、年齢や流行に左右されずいつまでも美しく着ることができます。

 History / 歴史
 藍と紅花が仏教の伝来と共に渡来して以降、奈良・平安時代には大和民族独特の染め技術が確立。無地染には地染をはじめ、ぼかし、絞り等が盛んに行われるようになりました。
 鎌倉時代には絹織物が発展し、草木染めに必要な灰汁、鉄媒染、酢も進化したことから、浸し染は大きく進歩しました。江戸時代には紫紺で染めた「江戸紫」が「江戸っ子の粋」としてもてはやされるようになります。
 当時の様相を反映する言葉に「江戸紫に京鹿の子」というものがありますが、これは「江戸時代の染色のうち、 紫は江戸、鹿の子絞りは京を第一とする」という意味で、東西両都の染色の特徴を言い当てたものです。
 このように江戸紫、江戸茶をはじめとする無地染は、江戸庶民の間にひとつの文化として芽生え、広く愛用されました。
 現在も普段着として取り入れたり、紋を入れて準礼装として着用したりと、時代を超えて息づいています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tokyomujizome/ より

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