「雀始巣」
3月20日は「春分の日」。
そして七十二候では「雀始巣」にあたる。
「雀始巣」は、「すずめはじめてすくう」と読む。
「雀始巣(すずめはじめてすくう)」は、雀が巣をつくりはじめる頃で、毎年3月20日から24日頃になります。人家の壁の隙間や瓦の下、交通標識のパイプなどに、枯れ草や藁(わら)、動物の毛などで器用に巣をつくります。
*https://www.543life.com/seasons24/post20200321.html より
「雀始巣」
3月20日は「春分の日」。
そして七十二候では「雀始巣」にあたる。
「雀始巣」は、「すずめはじめてすくう」と読む。
「雀始巣(すずめはじめてすくう)」は、雀が巣をつくりはじめる頃で、毎年3月20日から24日頃になります。人家の壁の隙間や瓦の下、交通標識のパイプなどに、枯れ草や藁(わら)、動物の毛などで器用に巣をつくります。
*https://www.543life.com/seasons24/post20200321.html より
「スティーヴ・ウィンウッド」
1948年5月12日生まれの72歳
MTVのヘビロテだったスティーヴ・ウィンウッド 『ハイヤー・ラブ』 2016年6月6日 2020年10月9日更新
この前一服しようとスタバに寄ったら、たまたまBGMにこの曲がかかっていて、「おおっ!なつかしいな!」と思わずヘビー震いしてしまった。(ヘビロテとは”ヘビーローテーション”のことです)
懐かしのスティーヴ・ウィンウィッド
スティーヴ・ウィンウッド の「ハイヤーラブ」といえば、記事タイトル通り、MTVやらラジオとかその他の洋楽系番組で、しきりにかかってたイメージのある歌。
当時(1980年代後半)は洋楽にハマり始めた頃で、ポイズンとかボンジョビ、マドンナのような分かりやすい派手なアーティストに夢中だったこともあってか、こういう「ブルーアイドソウル」的な曲風と映像は全く興味がなかった。
この曲がヒットした86年だけじゃなくて、その後の87年とか88年にもなぜか繰り返しテレビやラジオでエアープレイされてた記憶があるので、さすがに知らないうちに頭に刷り込まれた感がある。
それでも今聞いてもあんまり違和感ないということは、それだけやっぱり名曲なんだなーと、窓際で一人シナモンをたっぷり放り込んだコーヒーをすすりながら、わけもなく思った午後のひととき。
「スティーブ・ウィンウィッド」ヒストリーと現在
1948年に英国・バーミンガムで生まれたスティーヴ・ウィンウッド。
幼いころから類まれな音楽の才能を発揮し、14歳の頃にはスペンサー・デイビス・グループのメンバーとしてプロ活動を始める。(最初にリリースしたシングルがヒットしして入ったお金で、ハモンドオルガンを購入したという)
ウィンウッドの特徴的ともいえるハイテナーボイスはレイ・チャールズと比較されるほどで、すでにこの頃からその片鱗を見せていたらしい。
1967年にバンドを脱退したウィンウッドは、”トラフィック”というカルテットバンドを結成。
また同じ時期に(1969年)、エリック・クラプトンらと組んだ「ブラインド・フェイス」も結成し、一年ほど活動を続けた。
しかし、やがて繰り返されるツアーやレコーディングの日々に嫌気がさし、ウィンウッドはトラフィックを脱退。数年間は音楽活動から遠ざかっていたという。
1977年にレコード会社からの圧力に負ける形で、自身の名前をつけたソロ・アルバムをリリース。
1986年にはニューヨークに移り、4作目「バック・イン・ザ・ハイライフ」をリリース、このアルバムが米国で大当たりし、ファーストシングルだった「ハイヤー・ラブ」は米国ビルボードチャートで一位を獲得し、さらにグラミーアワードで年間最優秀アルバム賞と最優秀男性ポップボーカル賞を獲得した。
1988年にリリースされたアルバム5作目「ロール・ウィズ・イット」もヒットし、これも米国チャートで一位を記録した。
2013年にはロッド・スチュアートと共に北米ツアー「Live the Life」を敢行、2014年にはトム・ペティ・ウィズ・ハートブレイカーズと共に北米ツアーを行うなど、70才を手前にした今も現役バリバリに活躍している模様。
ウィンウィッドの魅力
この人の歌声を聞いてると、不思議と懐かしい気持ちになるのは、それがかつて何度も耳にしたからというだけではないように思う。
きっとその音域が何か、人の聴覚の奥深くに響くというか、脳みそにじわりとしみ込んでくるような感覚が得られるからではないか。
あくまで自分の個人的感覚だけど、ちょうどキューバ産のイパネマコーヒーの香りをかいだときと同じような気分になるというか。
言葉で表現するのはとても難しいけど、なんだか「味わい深い」ボイス。
それがスティーブ・ウィンウィッドの魅力であり、多くの人に愛されるゆえんであるのだろうと思う。
加えてウィンウッドの年齢は自分の両親とも非常に近いので、なんだかそのことを聞くと(現役で活躍)、無性に嬉しくなるのだ。
*https://www.yougaku-youga.com/entry/2016-06-06-125627 より
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
〈新潟〉 高千代/高千代酒造
米へのこだわり
酒造好適米 一本〆へのこだわり
当社は全国では珍しい「一本〆」という米を使用して酒造りをしています。このお米は「五百万石」を母に、「豊盃」を父とし、人工交配して育成された固定種です。
平成5年から新潟県で開発され平成17年に県から源原種を移譲されました。今は「高千代酒造㈱」で管理している酒造好適米です。
玄米の形は中、玄米の大小及び粒重は「五百万石」並の大である。心白の発現は良好で剛度は低く、搗精しやすい。精白米の吸収性、消化性、精米係数は「五百万石」並に優れる。などです。
簡単に言うと五百万石に代表される「淡麗辛口」な味わいとは少し違い、米の旨みが出るお酒に仕上がります。つまり、米の風合いが残るお酒になりますので「純米酒」造りに適したお米ということになります。しかし、扱い的には洗米する段階で「限定給水」をしないと米が粘ってしまい機械化した蔵では扱いにくいといった米になります。当社はその「一本〆」を十数年扱い続けて大きな実績(21年、22年と全国新酒鑑評会で金賞をいただいています)をあげています。
また、当社の「一本〆」は自社で原原種を管理し、蔵人が自社栽培する分と、契約農家さんにお願いする分以外は当社では使用していません。これも [安全] [安心] にこだわった当社のこだわりなのです。
精米へのこだわり 自社精米機がある
当社は平成21年度に精米機を導入いたしました。通常、酒蔵は精米を他所の精米所に依頼している委託精米が主流な状況です。それは当然コストの面で有利(自社精米はコストと技術がかかる)だという理由です。
他所の精米所に米(玄米)を預けることで精米を依頼するのですが、新米の取れる時期、また、酒造りの開始時期も各蔵、ほぼ同時期なのでどうしても混みあってしまいます。
そのため、以前は精米が雑になりがちで(ここで言う「雑」とは米が割れてしまっていたり、米が汚れていたりしているといった事例が多いといった事です)丹念に作り上げた米が非常に残念な結果になってしまう といった事が多いのが実情でした。
また、昨今の「食の安全」「産地偽装問題」など不安な要素も多く、酒の顔は見えても米の顔が見えにくい状況でした。
そこで顔が見え、「丁寧で、安全な米造り」の実現を目指し、精米を自社でやりたいといった思いで精米機導入にふみきりました。
精米機には米を精米する際に設定をいろいろ調整出来るのですが、割れたり欠けたりさせない為に、当社では
①精米時間の設定を一番遅く(丁寧に削るよう設定するには少しづつ削るのがよいとされている)して時間をかけ精米する
②精米量を調整し適量(機械の最大要領に対して余裕をみて)な量で精米する の2点です。
この事により米が丁寧に削られるのはもちろん精米機からの取り出しも自分達で行なうので、ゴミや屑を前もって取り除ける利点が生まれより安全・安心に実感がもてるようになりました。
自家栽培米 契約栽培米へのこだわり
自家栽培 これは蔵人たちが米造りの面白さや米造りの大変さを身を持って知ることで「酒に対する姿勢」が大きく変わるとの発想で行なっております。また、平成 年に新潟県からこの「一本〆」の原原種を委譲され、今はここ「高千代」のみで種から全ての管理を任されております。
蔵人たちのプライドが一粒一粒に愛情を込めていくことで酒の価値がいっそう高まり、酒造りに想いを込められるようになります。
酒造りは非常にデリケートであり、忍耐力の必要な場面が多くあります。そんな時にこそ、自分達が育て収穫した米への想いや大地の恵に対しての感謝の念があると不思議と穏やかに、そして酒と優しく会話しているかのような気持ちになれるのです。
この想いがやがて時を超え、「酒」となっていくのですから 出来上がった酒をいただくと、きつかった農作業の苦労も消し飛んでしまいます。
この酒に対する高千代酒造の「真面目すぎるくらいのこだわり」が当社の酒に旨みを醸し出しているのです。
約150年の歴史を経て今日の高千代の造りは、より品質の高いものを作り出すことを目指し、昔ながらの手作業による吟醸的な造りを行っています。酒造りは、酵母も麹菌も水分量というものに、大きく左右されるという理由から、水分管理が大変重要です。また、「一本〆(当社こだわりの酒造好適米)」の適正からも吟醸造りに向いた米の特性を活かし手作業による水分管理を最優先させた 仕込み に切り替えました。大量生産の造りとは真逆ですが「美味い酒」を造りたい一心でこの厳しい造りにふみきりました。
*https://www.yuzawa-takahashiya.com/products/detail.php?product_id=544 より
髙千代酒造株式会社 新潟県南魚沼市長崎328番地1
ラインナップ
「高千代」大吟醸古酒秘蔵酒・大吟醸 秘酒・純米大吟醸 魚沼産一本〆 生原酒・純米大吟醸 魚沼産一本〆 壜燗壱火入れ 新潟県内限定流通品・からくち純米酒 プラス19 美山錦 など
「八運高龍」純米大吟醸
「巻機」純米吟醸 生原酒(無濾過)・純米吟醸 生詰原酒ひやおろし・純米大吟醸
竜神ラベル など
「豊醇無盡たかちよ」純米大吟醸 扁平精米 無調整夏生原酒 Summer Blue (吟ラベル) など
登録番号 第85号 伊吹そば
特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 穀物類(そば)
特定農林水産物等の生産地 滋賀県米原市
登録生産者団体 伊吹そば生産組合
特定農林水産物等の特性 伊吹山中腹で栽培されてきた在来種で主に直径4.5mm以下の小粒なそば。甘皮(種皮)の部分が多く、それに由来する緑の色調や香りが強く出る。また、うま味と甘みは他の優良品種と比べても遜色がなく、製粉業者やそば店から高く評価されている。
地域との結び付き 元来の生産地のある姉川上流域は、斜面地で水はけが良く、周囲を山に囲まれ他品種との交雑が生じにくい環境であり、また、米原市は、水はけの良い扇状地上や黒ボク土の圃場を擁し、そば栽培に適する。姉川上流域を通常の採種場とすることにより、在来種を保全しつつ安定した生産を確保する体制を確立し、それより下流の米原市内へと生産域を拡大した。
*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i85.html より
「伊吹そば」及び「伊吹在来そば」(以下「伊吹そば」と称する。)は、伊吹山(1)中腹で栽培されてきた在来種のそば(玄そば)(2)(3)です。
主に直径4.5mm以下の小粒なそばであるのが特徴です。そのため甘皮(種皮)が多く、甘皮に由来する緑の色調で、そば粉や麺にすると淡く緑がかった色合いになります。また、香りが強いことも特徴となっています。
うま味と甘みは他の優良品種と比べても遜色がなく、製粉業者やそば店から高く評価されています。
「伊吹そば」は、生産地内において、在来種(伊吹そば)を用いて栽培されます。直径4.5mm以下の実が全体の70%以上であることを出荷規格としています。
現在の生産地は、姉川の渓谷沿いをはじめ、谷口から広がる米原市内に至ります。姉川(4)上流域は伊吹山の西側に位置し、斜面地で水はけが良く、周囲を山に囲まれ他品種との交雑が生じにくい環境です。また、姉川下流域の米原市でも、水はけの良い扇状地上や黒ボク土の圃場では、そばの栽培に適した地域となっています。
1995年に滋賀県湖北地域農業改良普及センターが在来種(伊吹そば)の種子増殖の取組を開始しました。同センターの協力のもと、姉川上流域の生産者による在来種の試験栽培を通じて、2001年には当該地域を採種場とするまでに生産規模が拡大されました。現在では、他品種との交雑が生じにくい姉川の上流域を通常の採種場とすることで、在来種(伊吹そば)を保全しつつ安定した生産を確保する体制が確立されています。
近年の「伊吹そば」の平均生産面積は約40ha、収穫量は約24tとなっています。出荷された「伊吹そば」は、流通過程において主に製麺用のそば粉に加工され利用されています。
生産者数は、31戸(2018年)となっています。
(1)伊吹山:標高1,377m滋賀県最高峰の山で、山域は琵琶湖国定公園に指定されています。古くから霊峰とされ、現存する日本最古の歴史書である『古事記(712年編纂)』や『日本書紀(720年編纂)』にも記されています。
(2)そば:そばの実は、ヨーロッパなどではガレットの原料として知られていますが、日本では、そばの性質が異なるため、多くの場合、そば粉を水と練って生地にし、それを細く切って麺を作ります。この麺を茹でたものを、魚のだしと醤油をベースとしたつゆにつけて食べるのが一般的です。
(3)玄そば:そばの実の殻がついている状態のものを指します。
(4)姉川:滋賀県北部を流れる一級河川(延長39km)。1570年に武将の織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景連合軍との間で姉川の戦いが繰り広げられたことでも有名です。
*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/85.html より
前回の回答
次の漢字(熟語)の読みを答えてください。
問1 瞞着 -まんちゃく-ごまかすこと。だますこと。
問2 戌亥 -乾-いぬい-戌 (いぬ) と亥 (い) との中間の方角。北西。また、北西から吹く風。
問3 慟哭 -どうこく-悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。
問4 黴菌 -ばいきん-人体に有害な細菌などの微生物の俗称。転じて、汚いものや厄介もののたとえ。
問5 誣罔 -誣誷-ふもう-作りごとを言って人をそしること。誣謗 (ふぼう) 。誹謗 (ひぼう) 。
今回の出題
次の漢字(熟語)の読みを答えてください。
問1 仄聞
問2 蟄伏
問3 籀文
問4 殄滅
問5 爬掻
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書 より
「小千谷紬」
Description / 特徴・産地
小千谷紬とは?
小千谷紬(おぢやつむぎ)は、新潟県小千谷市周辺で作られている織物です。雪深い地域として知られる小千谷地方では、古くから越後上布(えちごじょうふ)と呼ばれる麻布が織られてきました。やがて新しい機織りの技法が伝わると、小千谷を中心として麻の縮布として広まったのが小千谷縮(おぢやちぢみ)として発展しました。独特のシボがあり、紋様が緯糸(よこいと)のみで作り出されます。
この小千谷縮の伝統的な技法と、1000年以上も続く越後上布の技術を取り入れて織られる紬が小千谷紬です。着物に仕立てた時の霞がかかったような柔らかな印象は、緯糸(よこいと)の紋様に玉繭(たままゆ)の糸の経糸(たていと)が重なることで作り出されます。
「緯総絣」(よこそうがすり)で織られる絣(かすり)や縞(しま)などの模様の他、無地や白紬が作られています。小千谷紬の特徴は、真綿の手紡ぎ糸のふっくらと軽くて温かみがある風合いや、絹の光沢となめらかな手触り、素朴な味わいです。着べりがしないため、気軽な外出着などとして用いられています。
History / 歴史
小千谷地方では古くから麻を使った越後上布と言われる織物作りが盛んでした。寛文年間(1661年~1672年)に、この地に滞在した播麿明石藩の武士であった堀次郎将俊が、夏の衣料として最適な布に改良し、シボのある小千谷縮が誕生します。また、縞などの模様を織る技術も編み出し、それまで織られていた白布以外の布が作られるようになりました。こうしてできた小千谷縮の技法は小千谷を中心として広まり、この地方で織物産業が発展していきました。
この小千谷縮の技法を取り入れて、江戸時代中期に絹糸で織られるようになったのが小千谷紬です。当初は屑繭から糸を紡いで自家用として作られていました。
江戸時代末期から明治初頭にかけて飢餓が起こって麻糸の原料となる苧麻(からむし)が不足するようになると、縮から養蚕へと移る生産者が多くなります。絹織物に従事する者も増え、小千谷地方の工芸品として広く知られるようになりました。古くから養蚕が広まっていたことや越後上布を作ってきた技術、湿った冬の空気が機織りに向いていたことなどから、この地域の産業として発展しました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/ojiyatsumugi/ より
温かみある小千谷紬の世界
経緯(たてよこ)に違う糸を使うことで風合いを出す紬。雪の多い新潟でもさらに豪雪地帯に位置する小千谷に受け継がれる織物。
温かみを感じさせる紬(つむぎ)、繊細な縮(ちぢみ)
越後には、古くからある麻織物の流れを汲む小千谷縮と、その技法を絹織物に生かした小千谷紬の二つの織物がある。長い冬、雪に囲まれた地域で、気の遠くなるような作業を通してこれら二つの織物は生まれた。今もその伝統技術は受け継がれ、上質の織物を世に届けている。今回はそんな小千谷紬の伝統工芸士である高橋汎聚(ぼんしゅう)さんにお話を聞いた。
手紡ぎ糸の微妙な風合い
小千谷地方では古くから、くず繭(まゆ)を利用した紬が少量生産されていた。もともと、この地域は養蚕が盛んだったためらしい。現在では豊かな織りの技法を持つ小千谷紬だが、織られ始めた江戸中期当時には白地、無地、縞柄だけの単純な色と柄しかなかった。そこから徐々に絣模様を入れる技法が改良され、現在の豊かな表現につながっている。
独特の味わいの秘密は繭から糸を紡ぎ出す時に、丹念に手で紡いでいるからだ。手紡ぎ糸は、糸足が長く、糸の撚りが微妙な味を持っている。糸をまとめて真綿にした時の風合いが、どこを取っても均一な機械紡ぎの糸と異なってとても個性的だ。紬にすると更に個性に深みが出る。たいへん紬に適している。
商品は着てもらえばよくわかります
また、経糸(たていと)に玉糸(玉繭から作った小節のある糸)、緯糸(よこいと)に手紡ぎ糸を使うので、緯絣(よこかすり)の模様に経糸が霞のようにふわっとかかって、反物にした時の雰囲気を柔らかくしている。更に「着物になったときに光沢もあるし、風合いもいい。」とのこと。小千谷紬は小千谷縮の麻織りの技法を絹の手紡ぎ糸に移し変えて作られているだけに、派手さより素朴さと、長く使った時の味わい深さを持っているそうだ。そのよさの違いは、「着てみないことにはわからない。」と言う。
こういうものだと思ってやっている
小千谷の生産システムは、分業化が進んでいて、大きな特色として、出機(でばた)がある。出機とは織物業者が織機を貸与、原料糸を支給して賃織りしてもらうというものだ。この織りも、近世の織布と違い、機械化されている部分はある。しかし、製織に際しては、この縦横が綾をなし作り出す絣のため、人手による柄合わせをして織っていかなければならない。忍耐力を要する手作業は、今も依然として小千谷の繊細な絣を作るために必要な手段なのだそうだ。このように大変な作業、しかし高橋さんは言う。「仕事は、みなそういう面があるでしょ。それを自分で、どう受け取るかっていうのは、その人の感じ方だから。」織り機に向かうと、ぱたんぱたんという音を心地よく響かせた。織機と人が一体になったかのようである。
「小千谷の紬」を作っていく
技術はきわめて伝統的に受け継いでいっている小千谷紬。一人前になるためには「頭と腕」が必要だそうで、「早い人なら1年でできるし、もたもたしてれば何年かかってもだめだなぁ。」と手厳しい。もちろん、一人前になったとしても、「自分が、こうなるといい色になるんだろうなと思っていても実際織ってみると、「あれ?」っていうものたまにはできる。」と言う。熟練した職人ですら、なかなか思った通りには行かないようだ。ただ、そんな苦労とも取れる部分に対しても「それはずーっとついてまわるものだと思いますね。」と穏やかな声で語る。これからのことについて尋ねてみると「人のどうとかこうとかどうよりも、自分の特徴を前に出さなければならない。」と一言。自分の仕事に常に厳しく機を織り続ける。
職人プロフィール
高橋汎聚 (たかはしぼんしゅう)
それまでも同じような織物の仕事をしていたが、後継ぎとして、30歳からこの仕事を始めたという。
こぼれ話
小千谷紬・これから~職人はかくも語りき~
小千谷紬の職人、高橋さんは、未来についてのビジョンをこう語ってくれました。「人に頼って売っていくより、これからは、自分で作ったものは自分で売るという考えじゃないとつらいんじゃないか、という気がするんだよ。」つまり、人と人のコミュニケーションが大事だということ。そのやりとりのなかで「相手の本当に求めているもの」を探ることができないといけない、ということです。また、そのニーズの一つが「縮の変わった色。」確かに、縮など織物は比較的色の地味なものが多いです。しかし、そうではなく鮮やかな色も必要だ、ということです。「あえてそういう色をつくるっていうのはおもしろい。それですよ、考え方、見方というのは。」と強気とも取れる発言。しかし、それは「あそこなら品があるんだろうな」あるいは「あそこにある色ならいいな。」という信頼を得ていこう、得られるものを作ろうと言う心意気がこめられているのではないでしょうか。
*https://kougeihin.jp/craft/0113/ より