いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<言 葉>春の言葉 仲春

2021-03-07 07:13:10 | 言葉

 「仲春」

 三春(初春・仲春・晩春)のうちの半ば。ほぼ陽暦の三月にあたる。はじめは春浅い感じが少し残っているが、日を追って春の気が満ちてくる。

*きごさい歳時記 より

 二十四節気の「啓蟄」から「清明」の 前日までのこととされる「仲春」。

 「春の中」をあらわす。

 季語として、時候として用いられる。

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-森山良子

2021-03-07 07:07:45 | MUSIC

 「森山良子」

  1948年1月18日生まれの73歳

 森山良子、現役医師からの医療現場の現状を訴える詞を曲にし、初披露へ
2/14(日) 5:00配信

 シンガーソングライターの森山良子が、自身のもとに届いた医療現場の現状を訴える医師の“詞”を“歌”にし、2月15日にラジオ番組で披露する。

 『オールナイトニッポン MUSIC10』(ニッポン放送 毎週月~木曜 22時~)の月曜日のパーソナリティは森山良子が担当しているが、同番組に呼吸器疾患の専門医師から医療現場の現状を訴えるメールとともにひとつの詞が届いた。医師は「今回の緊急事態宣言は、前回ほどの緊張感を持って受け止めてもらえていない気がします。ふと、思いついて、メッセージが伝わるきっかけにと作詞してみました。この詞を使って、リスナーの皆さんに病院で起こっていること、またコロナの怖さをわかっていただければ幸いです」という思いで作詞したとのこと。

 1月25日の番組でその詞を森山自身が朗読したところ、リスナーから「あらためてコロナとともに生きている今を見つめなおすことが必要と思いました」「この詩をみんなに聞かせたい」という反響がメールやTwitterで数多く寄せられた。その反響を受け、森山自身が番組スタッフと話をしているときに誰彼となくメロディをつけてみたら?という話になり、急遽、この詞に森山自身が曲をつけて歌にすることになった。その曲「つたえたい この場所から」が15日(月)の「オールナイト ニッポンMUSIC10 」のなかで初めて披露される。

 森山は今回、曲をつけるに至った思いについて「番組で朗読をさせて頂きながらコロナで亡くなった方、またその御家族の思い、そして、それを支えてゆく医療現場にいらっしゃる方々の事を考え 胸にこみあげる気持ちがありました。毎週の生ライヴコーナーで歌にしてはどうかと メロディをつけさせていただきました」と語った。また、自身の番組へのメッセージがひとつの曲になりそれが番組内で披露されることについて、医師は「森山良子さんの目に留まったことの縁と、朗読、さらに歌っていただけることに大変感謝しています。朗読、気持ちが伝わり自分も感動しました。曲はそれ以上で、いろいろな世代の方に聴いていただき、それぞれ感じていただければと思います。素晴らしいメロディが、自身、家族、仲間を守る行動につながると信じています」と話している。

 緊急事態宣言発令下、現役医師の医療現場を訴えるメッセージがひとつの曲として結実した奇跡のコラボレーションは聴き逃せない。

 ◆医師から番組に届いた詞

 「つたえたい この場所から」

いま、あいするひとから、ひとつのいのちが、わかれをつげた
ぼくらは、わすれない、スマホのむこうで、手をふる顔を

そう、きみらに、まもりたい、かぞくがいるから
つたえたい、きょうはおうちで

そう、きみらに、たいせつな、なかまがいるから
つたえたい、いまはひとりでも

そう、みんなに、これまでの、きせきがあるから
つたえたい、みんなでしんぼう

けさ、しずかなへやから、さいごのリズムが、ぽつんときえた
ぼくらは、わすれない、スマホのむこうで、はげます声を

そう、きみらも、あのころの、かぞくのおもいで
わすれずに、きょうのきもちを

そう、きみらが、あいたくて、あえないまいにち
つたえたい、ひとりでないこと

そう、せかいに、これからの、あしたがあるから
つたえたい、しばしのしんぼう

※曲は森山さんがアレンジした歌詞を使用しています。

*https://news.yahoo.co.jp/articles/7da5f11dc381a41b4031368e1b5e68c7bcb29b09?page=1 より

 

 息子である「森山直太朗」も活躍中。売れるまでは「森山良子の息子」「親の七光り」と呼ばれたくないため「直太朗」と名乗っていた彼だが、「さくら」で大ブレーク。今や「親子二代」活躍中ミュージシャン。今や「森山良子」の方が「直太朗のお母ちゃん」と呼ばれるように(笑

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<日本酒> 群馬 水芭蕉/永井酒造

2021-03-07 07:01:21 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈群馬〉 水芭蕉/永井酒造

 話題の「MIZUBASHO PURE」を醸す群馬・永井酒蔵。蔵が運営するカフェで味わう酒蔵グルメ 2016.05.29 更新

 

 武尊山(ほたかやま)のふもとに位置し、美しい川と豊かな自然に恵まれたのどかな田園風景が広がる群馬県川場村。ここに、今注目の発泡清酒「MIZUBASHO PURE(水芭蕉ピュア)」を醸す酒蔵・永井酒造があります。築130年の旧蔵を改築した直営店「古新館」にある酒蔵らしいメニューが人気の「蔵カフェ」で、ここでしか味わえない酒蔵グルメを堪能しながら「水芭蕉ピュア」誕生のお話を伺ってきました。

 尾瀬のやわらかな水に惚れ込み酒蔵を創業
 永井酒蔵は、群馬県のJR沼田駅から車で20分ほどのところにあり、1時間に1本運行している川場村循環バスなら「門前下」停留所のすぐ目の前です。

 創業は明治19(1886)年。尾瀬の大地が育んだやわらかな地下水に惚れ込んだ初代蔵元・永井庄司さんは、その地下水が湧き出る川場村の地に「永井酒蔵」を創業しました。

 口当たりは柔らかでふわりと膨らみ、ほのかな甘みすら感じる美味しいお水でした。そんな上質な水から造られる永井酒造の主な銘柄は、創業時から地元で愛され続ける「谷川岳」と、1992年に新たに醸造をはじめた「水芭蕉」。
「水芭蕉」は、すっきりとした透明感のある味わいで、まさに川場村の水質を活かしたお酒です。
 シャンパン製法でつくられた日本酒「水芭蕉ピュア」

 永井酒造では、発泡清酒、純米大吟醸酒、熟成酒、デザート酒という4種類の「水芭蕉」を、それぞれ前菜、魚料理、肉料理、デザートに合わせて楽しむ、まるで日本酒のフルコースのような「NAGAI STYLE」を提案しています。

 中でも2008年11月にお披露目となった発泡清酒「水芭蕉ピュア」は、5年がかりの大変な苦労をもって開発された特別なお酒です。
その製法は、シャンパンと同じように発泡させるために、瓶の中に酵母を入れて“瓶内二次発酵”させるという珍しいもの。開発段階では、この発酵に耐えられず、計500本もの瓶を割ってしまったそう。さらに、瓶燗火入れの段階でまた200本を失敗。合計700本もの失敗を重ねて完成しました。そうした苦労の賜物でしょうか。うっとりするほど美しいきめ細やかな泡の、本当にシャンパンのように華やかな味わいの日本酒に仕上がっています。

 口当たりは滑らかで、シャンパンと同じ心地良い泡が口の中で優しく弾けます。米の旨みを感じるので、やはり日本酒だなと実感しますが、シャンパンと比べてキレが良く後味はすっきり。
まさに乾杯に相応しい、華やかでいながらも香りが後に残らないお酒です。

 この「水芭蕉ピュア」、フランスで権威ある美食ガイドで3つ星を獲得しているレストラン「メゾン・ピック」に採用が決まったそうで、ワインリストにも掲載されるとのことです。
 旧蔵を改築し、試飲も楽しめる直営店に

 「古新館」は20年前まで使用されていた蔵を改築して造られました。古い物と新しい物が共存している場所にしたいという想いで名付けたそうです。

 古新館では「水芭蕉」の各ラインナップを無料で試飲することができます。

 なかなか選べない!という方は、蔵人さんに好みや予算などを伝えれば、きっとお気に入りの1本となるお酒を選んでくれることでしょう。

 通常、食用米を使ってお酒を造ると、どうしても日本酒としては味が弱い仕上がりになってしまいます。それでも地元のお米を使いたいと4年間研究を重ね、やっと2015年に満足いくものが完成。地元の人たちからも美味しいと太鼓判を押されました。
 「蔵カフェ」で味わう酒蔵グルメ
 古新館の中には、仕込み水・麹・酒粕などをつかった酒蔵ならではのメニューが並ぶ「蔵カフェ」があります。メニューはすべて蔵人が自ら考案しているのだとか。

 ひんやりとした空気感の中、小上がりに座ると気分も落ち着きます。

 今回いただいたのは、地元の特産品である川場村産のお米「雪ほたか」と地鶏、こんにゃくを使用した川場村名物「かわば丼」。

 「かわば丼」は、川場村内10カ所で販売されていますが、「蔵カフェ」の「かわば丼」は、酒蔵ならではの調理法で作られた丼となっています。

 塩麹を使って照り焼きにした地鶏に、醤油麹を味付けに使った鶏そぼろを加えた丼と、刺身、天ぷら、煮物にした3種類のこんにゃく。地元野菜のサラダに麹ドレッシングを添え、酒粕汁を付けたセットで提供しています。

 醤油麹の甘めでコクのある味付けが地鶏によく合い、こんにゃくも新鮮さを感じさせる味わい。優しい風味の酒粕汁が蔵カフェらしさをアップしていて、バランスの良い組み合わせです。

 「蔵カフェ」では、他にも永井酒造の商品を使ったメニューが楽しめます。

 2016年の夏は、新スイーツとしてかき氷を出したいと考えているそう。「水芭蕉かき氷」、想像しただけでも美味しそうです。

 ドリンク類も酒蔵らしいものが揃っていました。

 珈琲は水出しのため、仕込み水の柔らかい口当たりはそのままに、程よい豆の風味と主張しすぎない焙煎具合でした。
焙煎のスペシャリストに「水芭蕉」の仕込み水を送り、それに合うように豆を焙煎してもらっているそうです。

 取材日はまだ出来上がっていませんでしたが、「水芭蕉ピュア」、「水芭蕉純米大吟醸」、「水芭蕉ヴィンテージ」、「水芭蕉デザート」の4種類で構成される「NAGAI STYLE」に合わせたおつまみを開発中だそうです。あの美しいお酒、「水芭蕉ピュア」にはどんなおつまみを合わせるのでしょうか。「蔵カフェ」のメニューに追加されるのが楽しみです!

*https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1018/ より

 永井酒造株式会社 群馬県利根郡川場村門前713

 ラインナップ

 「MIZUBASHO」PURE

 「水芭蕉」DESSERT SAKE・純米大吟醸 雪ほたか・純米大吟醸プレミアム・純米大吟醸 翠 など

 「谷川岳」純米大吟醸 など

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 72.  こおげ花御所柿

2021-03-07 06:58:58 | 食品

 登録番号 第72号 こおげ花御所柿

 
 特定農林水産物等の区分 第3類 果実類 かき
 
 特定農林水産物等の生産地 鳥取県八頭郡八頭町
 
 登録生産者団体 鳥取いなば農業協同組合
 
 特定農林水産物等の特性 旧郡家(こおげ)町の在来品種で200年以上前から栽培されている「花御所柿」を用いる。
 一般的な柿と比べて甘く、果肉が緻密でジューシー。
 昭和22年には戦後初の全国果実展示品評会において、花御所柿が柿の部1等賞となるなど、高く評価されている。

 地域との結び付き 1780年頃に奈良県から御所柿を持ち帰って栽培したことが発祥であり、200年以上前から栽培されている。
明治42年に農林省園芸試験場の恩田博士が花御所柿と命名。昭和44年から「こおげ花御所柿」の名称でブランド化を推進。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i72.html より

 「こおげ花御所柿」は、200年以上前から鳥取県八頭郡八頭町(旧郡家(こおげ)町)で栽培されている在来品種の花御所柿(1)です。
 果実の形状は丸みを帯びた四角形、縦に切ると丸みのあるハート形をしています。果肉の繊維がきめ細かで柔らかく、まろやかな食感で果汁が多いことなどが特徴となっています。平均糖度は17度以上あり、中には20度を超えるものもあります。
 「こおげ花御所柿」は、着果基準を定めた栽培管理、独自の出荷規格による選果により品質が高く安定していると評価され、進物や贈答品として高い需要があります。

 「こおげ花御所柿」の生産には、品種として花御所柿を用います。
 栽培方法は、剪定・摘蕾・摘果などについて、生産者団体が定めた着果基準に準じて行うものとしています。
 収穫した柿は、独自の出荷規格により果色・熟度・生傷・ヘタスキ(ヘタと果実の間に隙間のある柿。ヘタスキが発生すると果実の外観が損なわれるなど、「こおげ花御所柿」の特性が損なわれる。)・果形・大きさなどで選別し、等級・階級に仕分けして出荷されます。

 「こおげ花御所柿」で用いられる「花御所柿」は、江戸時代(2)の天明年間に、八頭町の「花」という地域出身の野田五郎助が、大和国(3)の御所柿(4)を一枝持ち帰り、渋柿に接木したことが発祥とされています。
 生産地の土壌は下層が石礫で土層が浅く、柿の木が若木の時から収穫しやすい樹姿に育てることができたことなどから、地域では花御所柿の栽培が盛んに行われました。
 1909年、「花(はな)」の地域名に因んで、「花御所柿」と命名されました。また、1969年から生産地である「郡家町(こおげまち)」の「こおげ」を加えた「こおげ花御所柿」の名称でブランド化を推進し、花御所柿の中でも果色・熟度・生傷・ヘタスキ・果形・大きさといった基準を満たすものを「こおげ花御所柿」とする規格を定めました。
 2005年、郡家町は合併により八頭町にかわりましたが、それ以降、生産者のみならず地域のさまざまな関係者が一体となり、「こおげ花御所柿」を核とした地域振興にも取り組んでいます。

 (1)花御所柿:天明年間(1781年~1789年)に旧郡家町の農民・野田五郎助が現在の奈良県から御所柿の枝を持ち帰って、渋柿に接木したのが始まりとされています。
 (2)江戸時代:1603年~1867年。日本の時代区分の一つで、江戸(現在の東京)に幕府が置かれていた時代を指します。徳川家康を初代将軍とし以後徳川将軍家を中心とした藩政政治が行われました。
 (3)大和国(やまとのくに):我が国で古代から使われてきた地理区分の名称で現在の奈良県にあたる地域です。1871年明治時代に入り「国(くに)」の呼称は廃止されました。
 (4)御所柿:奈良県御所市の原産で、日本の甘柿のルーツとも言われる柿です。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/72.html より

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<漢字検定> 1級 読み 10.回答 11.出題

2021-03-07 06:52:36 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 舟楫 -しゅうしゅう-
 1 ふねとかじ。また、ふね。

 2 ふねで運ぶこと。水運。

 


 問2 縹色 - はなだいろ-薄い藍 (あい) 色。浅葱 (あさぎ) と藍の中間くらいの色。花色。

 


 問3 検覈  -けんかく-厳しく調べること。

 


 問4 斂葬 - れんそう-死者を墓穴などにおさめ葬ること。

 


 問5 軋轢 -あつれき-仲が悪くなること。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 軒輊  

 

 問2 頤使  

 

 問3 禰宜  

 

 問4 流眄  

 

 問5 遁走

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 東京 江戸木版画

2021-03-07 06:39:55 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「江戸木版画」

 およそ1200年前には木版を利用した蛮絵(ばんえ:鳥獣や草花などを丸い形に図案化した文様)が施された装束(しょうぞく)が奈良県にある東大寺の正倉院に所蔵されているなど、日本の木版技術は長い歴史を持っています。
 江戸時代(1603~1867年)初期に菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が浮世絵を製作した頃から、木版画が一般に普及しはじめたといわれます。下絵を書く「絵師(えし)」、下絵をもとに版木に彫る「彫師(ほりし)」、紙に摺る「摺師(すりし)」の分業体制が確立したのもこの頃です。
 当初は墨一色であったものを、丹(朱色)など筆で着色し、次第に複雑な着色を施すようになり、漆絵あるいは紅絵(べにえ)と称する美しい手彩色版画となります。
 後の寛保年間(1741~44年)末頃には紅摺り絵といわれる紅と緑の2色で色を摺る方法が開発されました。明和2(1765)年、鈴木春信(すずきはるのぶ)によって「錦絵」という形式が開発され、10色以上の色彩の多色刷りが可能となり、木版画の技術は頂点に達することになります。
 その後、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)が写実的で精緻な表現技法を確立したことで浮世絵は完成の域に達し、江戸時代末期には葛飾北斎(かつしかほくさい)、安藤広重(あんどうひろしげ)が、木版画の色彩美を生かした風景画を多数残しています。
 江戸木版画の技術により、浮世絵は広く流通し、江戸を代表する大衆文化となりました。その技術は、今もなお受け継がれており、特に台東区が主な製造地として知られています。

 江戸木版画の製作工程は、絵師がまず薄い和紙に墨一色で原画を描き、次に彫師が原画を貼った板(桜材など)に小刀で彫り(多色刷りの場合、1色につき1枚の色版が必要)、摺師が版木にそれぞれの色の顔料を塗り、ばれんで紙の背面より力を入れてこすって仕上げます。絵師、彫師、摺師がそれぞれの熟練の技を発揮し、一体となって美しい木版画の表現をつくり出すのです。

*https://craft.city.taito.lg.jp/craft/2030/ より

*https://kougeihin.jp/craft/1405/ より

 Description / 特徴・産地

 江戸木版画とは?
 江戸木版画(えどもくはんが)は、江戸時代に手法が体系化し浮世絵などの印刷物が浸透することに貢献しました。
 江戸木版画の特徴は、絵師・彫師(ほりし)・摺師(すりし)が版元(はんもと)による管理のもと、共同で1つの作品を作り上げることと、色の表現方法です。通常の絵画は、顔料の色で表現されていますが、江戸木版画は、和紙の繊維が持つ色と顔料の色が合わさることで表現されています。
 木版を作るための材料には、主に桜材が使われます。桜材が持つ木目の細かさや耐久性が、何百枚も摺り上げる江戸木版画に適しているためで、摺りには、生漉奉書(きずきほうしょ)と呼ばれる紙を使います。生漉奉書は、楮(こうぞ)を原料とし手作られる、越前和紙の高級品で、ふっくらと柔らかな風合いでありながら、多色摺りにも耐える耐久性を持つので江戸木版画に適しています。

 History / 歴史
 江戸木版画の技術や技法が確立したのは、江戸時代の後期と言われています。木版印刷そのものは飛鳥時代からありましたが、木版印刷が木版画になったのは平安時代後期です。木版画が誕生してすぐの頃は、墨1色の墨摺絵(すみずりえ)で主に仏の姿が木版画で描かれていました。主に宗教で使われていた木版は、江戸時代になり庶民の娯楽である滑稽本や瓦版などとしても使われるようになります。 1744年(延享1年)頃になると、さらに木版画の技術が向上しました。墨に紅と草の2色を加えた、紅摺絵(べにずりえ)が生まれ、江戸時代の多色刷りに少し近づきます。しかし、木版のズレを防ぐ工夫がなかなか生まれず、多色刷りが生まれるまでは色は2色が限界でした。 1764年(明和1年)、大久保甚四郎や小松屋三右衛門らにより多色摺りが開発され、翌年には多色摺りを使った錦絵が江戸で流行し、錦絵の祖と呼ばれる鈴木春信の活躍もあり、錦絵の需要が広がっていきました。ついには江戸の大衆文化として、多くの絵師たちが活躍するようになります。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/edomokuhanga/ より

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