いいもの見ぃ~つけた!

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<都市の異名> 水の都 13.

2022-10-03 07:58:55 | 都市の異名

 「水の都 広島」

  太田川下流の三角州地帯に市街地が形成されている。*Wikipedia より

 「水の都ひろしま」構想

 太田川と瀬戸内海の存在は、広島市の大きな個性であり、また快適な環境の源となっています。その魅力をより一層引きだしていくためには、「水の都」づくりという方向で市民・企業・行政それぞれの努力を計画的に結集していく必要があります。

 このため、平成2(1990)年3月に国・県・市の3者が協力して、広島市の太田川デルタを対象に「水の都整備構想」(以下「整備構想」といいます)を策定し、水の都づくりのための共通のよりどころとしてきました。
 整備構想策定後10余年の間の努力の結果、現在では都心部を中心に美しい水辺が形成されつつあります。しかし策定当時と比較すると、社会経済の状況や市民ニーズなどが大きく変化してきています。水の都づくりにおいても、これまでのように、護岸や緑地などの整備を着実に進めていくことにあわせて、既に整備された河岸緑地などの利用を活性化させて、川や海を市民により身近なものにしていくことが重要になってきました。

 そこでこれまでの実績を踏まえ、時代の変化にあわせて整備構想を見直し、新たに「水の都ひろしま」の実現に向けて取り組むための“よりどころ”として、この構想を策定しました。引き続き、市民や企業の新たなアイデアや意見を求めながら取り組みます。

 「水の都ひろしま」構想の目的は、以下の3点です。

 1.水辺等における都市の楽しみ方の創出
 2.都市観光の主要な舞台づくり
 3.「水の都ひろしま」にふさわしい個性と魅力ある風景づくり

 この構想は、これまでの水辺の整備にくわえて、水辺の活用や活動を円滑かつ効果的に進めるためのネットワークづくりなど、ソフトな取り組みを重視しています。また、市民の主体的な水辺活動について新たなアイデアを喚起する役割も期待しているところから、具体的な事業に展開しにくい内容や、実施主体が明確でない内容についても、取り組みとしてとりあげています。

 構想策定の経緯
 「水の都ひろしま」構想は、市民と行政の協働で策定することを基本としました。このために、平成12(2000)年度から3回の市民ワークショップおよび市民フォーラムを実施しながら平成14(2002)年5月に新・水の都委員会が構想(原案)をとりまとめました。さらに、この構想(原案)に対する市民のアイデアや意見などを踏まえたうえで、平成15(2003)年1月に「水の都ひろしま」構想を策定したものです。

*https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/mizunomiyako/4487.html より

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<和製英語> モーニングコール

2022-10-03 07:54:00 | 国産ジン

 「モーニングコール」

 一般的には朝に起床することを目的として、主にホテルや旅館などで指定した時間に自分の客室へ電話をかけてもらうサービスである。*Wikipedia より

 英語では、「wake-up call」。

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<みかん> 青島

2022-10-03 07:49:21 | 果物

 「青島」-晩生温州みかん

 静岡市福田ケ谷の青島平十氏が1950年(昭和25年)以前に自園の尾張温州の枝変わりとして発見したもので,品種登録はされていない。

 果実は大果で果形はきわめて扁平である。果面は油胞が小さく滑らかで外観が良好である。果皮はやや厚くしまっており,浮皮にはなりにくいほうである。肉質は柔軟であるが,じょうのう膜がやや厚く硬い。

 高糖度系に属し果汁の糖度は高く,クエン酸濃度は他の系統と大差ないので味が濃厚で食味が良い。

 樹勢は強いが隔年結果を防ぐため施肥量はやや多めに,しかも夏肥の比率を高めにする。また,排水対策を十分行ない,有機物を投入し,土つくりをして地表面近くの細根を増加させる。糖度が高く,減酸は早いほうであるが,着色がおそいため,12~1月出荷では,特に高温予措で着色を促進させる。

 「青島」といえば、最初に浮かぶのが静岡県のJA三ケ日。しかし、そうか病の特効薬であった「ダイホルタン」が使用禁止になって、そうか病が止められず、早生温州品種に切り替えようかとのお話も伺ったが、なんとかしのいでもらいたい。

 温州みかんの中で最も甘いのが晩生品種。青島はその代表で、JA三ケ日の代表である。3月まで貯蔵・出荷できる。盤の有る土地を選ばないと、隔年結果性が強くなるので注意。盤が浅い園での栽培は飛竜台木がオススメ。

*http://www.ykken.jp/14681945672897 より

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<慣用句・諺> 疵を求む など

2022-10-03 07:41:50 | 慣用句・諺

 「疵を求む」

 《「韓非子」大体から》ことさらに人の欠点や過失を探し求める。毛を吹いて疵 (きず) を求む。

 

 「気勢が上がる」

 気分が盛り上がる。

 

 「鬼籍に入る-きせきにいる」

 死んで鬼籍に名を記入される。死亡する。

 

 「機先を制する」

 相手より先に行動して、その計画・気勢をくじく。

 [補説]「機先を征する」と書くのは誤り。

 

 「奇想天外より落つ」

 普通の人の思いつかないような考えが、ふと浮かんでくる。奇想天外より来る。

 

*goo辞書 より

 

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< 国産ジン > (未定)/ヘルジアンウッド

2022-10-03 07:34:52 | 国産ジン

 「 (未定)/ヘルジアンウッド」

 

 "薬都のジン"ハーブ使い生産へ 立山のヘルジアンウッド運営会社  北日本新聞(2021年6月8日)

  立山町日中上野の美容と健康の体験型施設「ヘルジアンウッド」を運営するGEN風景(前田大介社長)は、施設周辺を含め県内で栽培したハーブを使った蒸留酒「ジン」の生産に乗り出す。前田社長は「薬都の富山らしいジンを造りたい」と意気込む。計画が地域総合整備財団に事業採択されたことを受け、町は7日の町議会本会議で、補助金1020万円を盛り込んだ一般会計補正予算を提案した。

 同社は前田薬品工業(富山市向新庄町)の関連会社。ジンは植物によって香りづけした独特の風味が特徴で、原料や製法、産地などに強いこだわりを持つクラフトジンを生産する。地元で採れたユズやヒノキの活用も検討している。

 蒸留所は施設周辺などでの整備を検討しているが、GEN風景は「研究開発中であり、着工や商品発売の時期など詳細は明らかにできない」としている。

 同社は昨年、ハーブ畑を併設したヘルジアンウッドを開業し、ハーブ料理を中心にしたレストランとアロマ工房を運営する。レストランは「ミシュランガイド北陸2021特別版」で一つ星に入った。年内にスパやサウナホテルをオープンさせ、来年は建築家の隈研吾さんが設計する宿泊施設が完成する。

 立山町白岩・芦見地区ではフランス人醸造家による日本酒造場の整備も進んでおり、今冬から仕込みを開始するとみられる。

*https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000027707 より

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<伝統野菜> 静岡 大代こんにゃく

2022-10-03 07:25:59 | 伝統野菜

 「大代こんにゃく」

【生産地】静岡市葵区

【特徴】

【食味】

【料理】

【来歴】

【時期】

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D22-%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/#i-23 より

 梅ヶ島の達人 志村幸男さん 第2回「大代の農業~こんにゃくからお茶へ~」

 大代の農業~こんにゃくからお茶へ~

 昭和30年代から40年ころにかけて、こんにゃくをやめて、みんなお茶をやるようになった。

 お茶はもともと少しあったところと、こんにゃく畑をお茶に変えてやった。そのころ梅ヶ島に茶業研究会というもんがあって、お茶のやぶきたという品種が良いということだった。それで茶業研究会が買ってきたやぶきたを分けてもらって、植えただよ。

 そのころは各家で製茶していたな。それで、それじゃあ大変だってんで、大代に共同の工場を作ろうってことになった。工事資金は静岡市から近代化資金を借りてやることになった。そのとき大代の人らにその了承を得るために、おらともう1人で1軒ずつ家をまわっただよ。それで工事ができることになって、昭和45年に工場が完成した。

 共同組合の初代組合長は志村昭さんで、他にも販売係や製造部長、会計とか他にも色んな役職があった。昭和49年からはおらが組合長になって、昭さんが副組合長になった。そのころ大代のお茶は味が濃くてくせがあって、なかなか高く売れなかったんだがな、農協の販売担当の人が売り込んでくれた。あとは、商人が駆け引きが上手でな、負けないようにするのが大変だった。

 そのあと、昭和50年に静岡市の農協から話があって、大代のお茶が全国の品評会に出ることになった。昭和54年まで4年間やることになるんだが、2等が2回で3等が2回と毎年入賞しただよ。初年度の会場が九州の嬉野(佐賀県)で、船で行って2泊したな。八女(福岡県)のお茶を見に行ったりもして、楽しかった。工場の運営も上手くいっていた。

 志村伝一君がずっと会計をやってて、等級によって配当を分けるための計算があってな、それがすごかっただよ。運営を見に春野町(現浜松市)から見学に来たりしたもんだ。だけど、品評会の受け持ちが終わったころから、大代の人が減ってきたり、お茶の価格が下がってきたりした。平成9年に大代の工場をやめて、梅ヶ島の共同工場のまるうめ共同茶業組合で今の形でやることになった。

*http://umegashima.jp/tatsujin/post.html?d=83 より

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<The Wonder 500> ものづくり 384 北室白扇 半田手延めん

2022-10-03 07:23:28 | The Wonder 500

 「 384 北室白扇 半田手延めん」

 有限会社 北室白扇 徳島県美馬郡つるぎ町半田字松生108番地5

 

 半田素麺の歴史
 半田手延べそうめんは、約200年ほど前の江戸後期には、すでに全国にその名を広めていました。
時の将軍に阿波の名産品として献上された記録もあり、代表的な阿波の味として現在に至っています。
 この伝統的な「技」は現在も受け継がれています。おいしい、腰の強いそうめんをつくるために、小麦粉を塩水でねり、延ばし、これを熟成させて、さらに引き延ばしながら乾燥させます。製造工程の一つ一つに、昔ながらの技が、心が生きています。

 川船
 徳島県には一級水系川「吉野川」があります。
 幹川流路延長194 km、流域面積3,750 km²の河川は、麻植郡を中心に勢力を広げた忌部族の時代から、阿波の交通の大動脈でした。その後の江戸時代以降には、この傾向はさらに強まり、半田から徳島へ下る船には、藍玉、炭、マユ、薪などの物産を運び、帰り船(上り)には、干し鰯、米、塩、わかめ、いりこなどを持ち帰っていましたが、徳島からの帰り船は季節により半田に帰るまでに、一週間を要す事もあったようです。

 常夜灯
 灯台の役割を果たした
 小野浜港常夜灯の風景 船には、港が必要で半田には半田川河口との合流点に重要中継点として小野浜港を作り、小野浜港は江戸時代中期より、吉野川帆船交通の発達により発展し、半田川流域の玄関口としてにぎわっていました。
 この常夜灯は大正3年(1914)3月25日の鉄道開通まで88年間、川灯台としての役割も果たしました。 この常夜灯には、「文政九戌年五月吉日」と彫られています。

 半田素麺の始まり
 諸説がありますが、天保の時代、当時小野浜港より撫養方面へ運航していた平田舟の船頭が、家族の自給用や副業として行わせたのが始まりだといわれています。製麺の方法は、約270年程昔、大和の国、奈良県磯城郡三輪町から淡路の福良付近にある撫養(現在の鳴門)に入り、板西、市場各地を廻って、ここ半田の地に、その製法が伝えられたといわれています。

 半田素麺の歩み
 夕焼け 吉野川を上下する平田船により、原料の小麦粉、塩、油などの入手は容易で、船頭家の副業であった小野を中心に、田井、逢阪、東西久保、木ノ内へと普及しました。明治四年の生産量は56トン。小麦粉の製粉は、井川谷の水車で行っていました。
 昭和八年の世界恐慌で、生産は激減したが、その後回復し生産高675トンに達しました。
 戦中戦後の大混乱を経て、昭和二十九年には半田手延べ素麺協同組合が再編され、足踏み式の製造から電動機械化、乾燥設備の新設などが進められました。

 「推薦コメント」

 数多くある日本の素麺ですが、その中でも何度口にしてもその都度、力強さと品格を感じるのが、この「北室白扇 半田手延べめん」です。国内外て愛される日本食の持つエレメンツを豊富に備えた逸品です。-丸若裕俊-

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