「尾張仏具」
Description / 特徴・産地
尾張仏具とは?
尾張仏具は、愛知県名古屋市とその近隣(尾張地区)で作られています。浄土真宗の中興の祖、蓮如の布教によって宗教的基盤が形成され、名古屋城築城の際に城郭の西に堀川が開削された事により木曾桧などの物資が容易に調達できるという環境でものづくりの基盤が形成されました。
木製漆塗り製品を中心に多種多品目の仏具が作られています。各工程において宗旨宗派、寺院用具・在家用具の違いなど製品の細かなところまで専門化され、良質な製品を全国に供給しています。特に木魚と丸金台は現在では日本全国では尾張地区でしか生産されていません。木花の軸曲げ「さく割」や、金箔置きの「重押し」など独自の技法を持っています。また、仏具の他に神具、祭礼具も生産されています。
History / 歴史
尾張仏具 - 歴史
江戸後期において下級武士の内職であった飾屋職の技術が基盤となり、仏壇に収める仏具を製造することから発達しました。
明治期には木曽桧を利用した名古屋仏具は品質も極めて良好と評され、東西に販路を広げ、愛知、岐阜、静岡の近県から東京方面、京都、大阪、神戸方面全国の仏具産地の多くも名古屋製品を取り寄せて販売しました。
昭和初期に入ると、仏壇とともに仏具の一大生産地となりました。さらに販路は拡大され、台湾、満州、樺太、朝鮮へも輸出をしていました。製造工場は尾張地区で630を数え、従業員も1700人を擁しました。
第二次大戦では空襲の影響で全国的に寺院や仏像、仏具が焼失されましたが、その後の復興機運の中で、昭和25年ごろから仏具の修復や製造が始まり、徐々に全国へも販売が始まりました。
平成26年に発足した尾張仏具技術保存会が申請活動を始め、平成29年1月26日に経済産業大臣により伝統的工芸品に指定されました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/owaributsugu/ より
沿革
江戸初期から仏壇と共に生産され、江戸後期には下級武士の内職として発展し、明治期には卸商を中核とする問屋制家内工業によって量産性が高まりました。大正期には第一次世界大戦の戦後反動恐慌によってデフレ不況に突入しましたが、関東大震災後の復興により業界は活性化されました。昭和初期に入ると販路は拡大され、台湾、満州、樺太、朝鮮へも輸出されました。
特徴
木製漆塗り製品を中心に多種多品目の仏具が作られています。各工程において宗旨宗派、寺院用具・在家用具の違いなど製品の細かなところまで専門化され、良質な製品を全国に供給しています。特に木魚は現在では日本全国では尾張地区でしか生産されていません。木花の軸曲げ「さく割」や、金箔置きの「重押し」など独自の技法を持っています。
製造工程
木地製造・彫刻・下地・漆塗り・彩色・錺金具・蒔絵の各工程の分業制です。1000以上ある品目の仏具を、注文に応じてこれらの工程を組み合わせて製作します。
主な製品
仏像・宮殿・須弥壇・厨子・前机・焼香机・経机・天蓋・幢幡・香炉・香炉台・経箱・木花・供花・輪台・三宝・位牌・木魚・山車・神棚など
伝統的工芸品指定
指定年月日 平成29年1月26日
団体の概要
尾張仏具技術保存会 会員数 73名(平成29年1月現在)
*https://www.pref.aichi.jp/soshiki/sangyoshinko/511.html より
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