「大阪仏壇」
Description / 特徴・産地
大阪仏壇とは?
大阪仏壇(おおさかぶつだん)は、大阪府大阪市、八尾市、東大阪市、堺市、岸和田市などで作られている仏壇です。仏壇として一般にイメージされるような漆塗金仏壇の他に、唐木の木目をいかした唐木銘木仏壇(からきめいぼくぶつだん)も作られています。
大阪仏壇の特徴は、「高蒔絵(たかまきえ)」と呼ばれる技法を用いて漆を高く盛り上げ、あたかも錺(かざり)金具をつけたような装飾が施されていることです。錺金具を釘で打ちつける必要がないため、仏壇の木地を傷めることもありません。柱には金箔が押され、彫刻に彩色が施されています。宗派に合わせて、扉前面に付けられる錺金具の形状を違えていることも特徴の一つです。
1982年(昭和57年)には、大阪仏壇は、その技術の高さを認められ、国の伝統工芸品の指定を受けています。
History / 歴史
大阪と仏教との結びつきは深く、仏教が伝来した552年(欽明天皇13年)まで遡ります。この年、難波津の御津浦(現大阪市中央区三寺町)へ、百済から6人の仏師や大工、細工師などの職人が、経文と共に渡ってきました。
593年(推古天皇元年)に、聖徳太子が四天王寺を建立する際にも、百済からさらに4人の技術者が招かれています。これらの職人、技術者らが定住し、仏壇や仏具を作り始めたのが、そもそもの始まりではないかと言われています。
1496年(明応5年)に蓮如が、大阪に石山本願寺を建立し、周辺に寺内町ができて、大阪周辺での仏壇仏具の需要拡大に拍車がかかりました。江戸期には、幕府の政策ともあいまって、仏壇が広く普及し、大阪の仏壇製造拠点としての役割も確立します。
天明期(1781~1788年)には、農人橋お祓筋(現在の大阪市中央区)の仏師である池田屋小林弥吉が、戸障子、蒔絵、彩色が施された仏壇を作り、これが大阪仏壇の原型になったといわれています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/osakabutsudan/ より
仏教とともに愛された大阪独特の優れた技術
飛鳥時代、仏教の伝来とともに百済から仏工・造寺工が難波津に渡来。その地から芽生えた大阪仏壇は、やがて、漆金仏壇と唐木銘木仏壇の二部門が製作されるようになった。今でも変わらぬ伝統工法による仏壇は、人々に安らぎを与えてくれる。
荘厳さを追求した豪華な作りの漆塗金仏壇
西暦552年、百済より海上交通の要津であった難波津(今の大阪)に経文とともに6人の仏工(仏師)・造寺工(大工・細工師)などが遣わされてきた。また、西暦593年、聖徳太子が四天王寺建立の際にも、百済から技術者を呼び寄せ、現在の上町台地に住まわせた。後に、これらの技術者が仏壇仏具の製造に力を入れ、大阪の天王寺周辺が仏壇の産地として形成されていったのである。その後、仏教が広まるとともに、大阪独特の優れた製作技術・技法も大阪府下一円に広まった。
漆塗り金仏壇の特徴は、内部上段の前面に高蒔絵の技法を施してあること。これはまるで段金具を打ち付けてあるかのように見える。この技法により、金具による木地の損傷が防げるのだ。
堅牢性を誇り重厚な造りの唐木銘木仏壇
江戸初期の頃から各家庭に仏壇を安置する習慣ができ、これに応えるため、船場御堂前の仏壇調整処や、付近に住んでいた指物師たちが、杉・松・桧などで簡単な戸棚仏壇を創るようになった。
江戸中期には、紫檀、黒檀、花梨材は唐(から)の木と呼ばれ輸入量も増え、唐木細工専門の職人も生まれ、独特の技法をあみ出した。
江戸後期には唐木・桑・桜・拳などの素材で、寺院様式や、漆金仏壇を模した扉付き仏壇が大阪で作り出されたのだった。
豊かな色使いが美しい、女性彩色師に聞く
春場所の力士たちの色とりどりののぼりがはためく大阪府立体育館の裏手。伝統工芸士、井村佐和子さんの自宅兼仕事場がある。日当たりの良い三畳ほどの小部屋には、彩色用の面相筆や、顔料や仏壇の部品がところ狭しと並べられている。「初めは近所に住む彩色家の方がおられたので、お手伝いをすることでこの世界に入りました。修行というより、初めは見よう見まねで習いました。あれから30年、たくさんの彩色を手がけることでバリエーション豊かな彩色を施せるようになりました。きれいな作品が仕上がるととても楽しい気分になります。」どの作品も女性らしい柔らかな色調となっている。彩色を施す部分は、よく見なければ分からないような仏壇の奥にまではめ込まれる。たとえどんな裏側にまわる部分であっても、決して手は抜いていないのだ。
伝統の技術と心は娘さんが受け継いで・・・
嫁いだ娘さんが毎日、彩色を手伝いに来る。彩色の技能を母から娘へと教え伝えていくのだ。「ここ3年思った色づくりが出来るようになって、だんだん仕事として楽しめるようになりました。最初は顔料の溶かし加減がつかめなくて苦労しました。」と語る娘の光子さん。欄間彩色用には濃いめに溶き、柱にはゆるめに溶く。色加減の顔料何グラム、にかわを抑えるために胡紛を何グラムといった化学式で作り出せる色ではないから、長年で培う「勘」が大切なのである。「娘には、初めのうちは失敗は付き物だよ。だけどみなさんが、毎日拝む物なのだから、心を込めて塗りなさいねと言っているんです。それはもちろん自分にも言い聞かせる言葉ですけどね。」出来上がった作品から、塗り手の暖かな心が伝わってくるようだ。
こぼれ話
お彼岸
お彼岸という言葉は古代インド語の「パーラミター」を「到https://kougeihin.jp/craft/0813/彼岸」と訳したことに由来します。これは極楽浄土という真実の理想の郷・悟りの世界を意味しています。迷いや苦悩に満ちたこの世の「此岸」(しがん)に対して、理想の彼方の処「彼」をさす言葉です。仏教では、彼岸にたどり着くことが出来るとされています。このことからも、仏教行事の中でも、もっとも仏教思想をふまえた行事といえるでしょう。しかし、彼岸の行事は仏教発祥地であるインドにも、中国にもない、日本独特の行事なのです。
みなさんご先祖の供養をしていますか?家族や先祖のことを思わなあかんDE実行委員会(後援:全日本宗教用具協同組合、大阪宗教用具商工協同組合、仏壇文化研究所)が吉本新喜劇癒しバージョンを上演し、家族や先祖の大切さを吉本流に伝えるというものです。今年が第1回目、2001年5月26・26日、なんばグランド花月にて開催。
*https://kougeihin.jp/craft/0813/ より
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