「越後与板打刃物」
Description / 特徴・産地
越後与板打刃物とは?
越後与板打刃物(えちごよいたうちはもの)は、新潟県長岡市与板地域で作られている刃物です。鍛造技法は「火造り」で、真っ赤に焼いた金属を叩いて形を作っていきます。
越後与板打刃物の特徴は、洗練された鋭い切れ味と使いやすさです。伝統工芸品に指定されているのは、鉋(かんな)・鑿(のみ)・鉞(まさかり)・釿(ちょうな)の4品で、城下町作りが盛んだった江戸時代中期頃から多くの宮大工を支えてきました。年月を経ても越後与板打刃物は品質の高さが追求され続け、確かな切れ味を持つ打刃物として職人たちに愛用されています。近年では家庭用品やアウトドア用品などにも用いられ、日用品としての実用性にも定評があります。
History / 歴史
越後与板打刃物の起源は、戦国時代に遡ります。1578年(天正6年)、上杉謙信の家臣であった直江大和守実綱によって春日山より刀鍛冶職人が与板に連れて来られました。以降、直江家によって鍛冶が根付き、刀だけでなく鉄砲なども製造されるようになります。
江戸時代に入り、信濃川を使った舟運が盛んになると更に与板の地は発展します。そして、江戸時代中期には大工道具が生産されるようになり、「土肥のみ」や「兵部のみ」といったの名品が生まれました。
明治時代に入ると、刀工・松永龍眠斎兼行が刀剣の製作と共に鉋(かんな)の製作にも着手するようになり、有数の大工道具の産地として全国に名を馳せるようになりました。
1986年(昭和61年)、優れた刃物を生み出してきた功績から伝統工芸品に指定され、職人たちの手技により打刃物づくりの伝統が受け継がれています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echigoyoitauchihamono/ より
叩き出しによって出る切れ味 越後与板打刃物
熱い鉄を叩いて叩いてはじめて出る切れ味は、本職の大工から愛され続けてきた。打刃物と言えば包丁など家庭で使われる刃物の印象が強いなか、越後与板の打刃物は鉋(かんな)に代表される、職人が作る職人のための最上の道具としての地位に立ち続けている。
藩主が変わっても守られ続けた伝統
水運信濃川に恵まれた越後、与板の地に刃物がもたらされたのは上杉謙信公の時代。謙信公の四天王のひとり直江大和守実綱が刀剣師をこの地に連れてきたのが始まりと言われている。
その後、藩主が移り変わっても、打刃物の伝統が守られ続けたのは、与板打刃物の名声が全国に轟いていたからだろう。
職人が作る職人のための道具
与板では伝統的に、鉋、のみ、釿(ちょうな)、鉞(まさかり)などの大工道具を中心に製造してきた。大工もまた職人だ。それがゆえに大工道具には優れた品質が求められる。道具作りの技と木工加工の技、これらが組み合わされなければ、日本の優れた木造建築は存在し得ない。日本人が求める木の家、神社仏閣の精巧かつ落ち着きのあるつくりはさまざまな職人の合わせ技なのだ。
鍛錬焼いては叩き、焼いては叩く
「与板打刃物の特長は、手作りの叩き出しによる切れ味の鋭さですよ。」と語る伝統工芸士の久住誠治さん。久住さんは与板金物振興協同組合の理事長でもある。
「地金に鋼をつける鍛接(たんせつ)から鍛造(たんぞう)、焼き鈍し(やきなまし)、何度も焼いては叩くを繰り返すことが切れ味を出す秘訣です。」体を鍛えることの語源“鍛錬”の言葉の意味がはじめて体感できる工程だ。しつこいくらい繰り返す。
柔らかいが粘りのある地金に固いが脆い鋼を鍛接(たんせつ)し、焼いて叩いてひとつになる。違う性質のものが補完し合って鋭い切れ味が現れる。
「ウチは先代から本職の鉋だけしかやってないよ。」とは鉋刃職人の田中昭吾さん。「職人に選ばれる道具を作っていることが誇りだね。」と自信の言葉。
「鉋作りは、打刃物、研磨、そして台作りの分業制
鉋は刃を焼いて叩いただけでは鉄の塊。厳密な温度管理の中で焼き込まれた刃は、次の研磨職人の手によって刃物になる。そして台作り職人が作った台に組み合わされて初めて鉋になる。鉋作りの技の競演は、次の共演者たる大工職人の手に渡って、そして初めて本当の道具になる。
直接売りでも安くはできない。問屋との長い付き合い
久住さんは人気の彫刻刀職人だ。新潟市で行われた展示即売会では5日間で200セットも売れてしまったという。全国から直接買いに来る人も多い。しかし、「問屋より安くは売れないな。」と、問屋との付き合いを大事にしている。「問屋が大工に卸してくれることで与板の打刃物は名声を得てきたんだ。そして問屋は売れない時には自分で在庫を抱えることで職人から買い取ってきたのだからな。」職人の確かな技と、それを卸してきた問屋との長年の付き合いをそう簡単にはなくせないらしい。そう言いながらも時代の波だろうか、「最近は在庫を職人に押し付ける問屋もいるな。」と日本の大メーカのやり方が伝統工芸の世界にも波及してしまっているようだ。
「木造建築がある限りなくならない。なくしちゃいけない。」
「最近は包丁を作る職人が増えたよ。」他の産地でよく見かける包丁は、ここ与板ではあまり見かけない。職人に選ばれ続けた道具作りのプライドが一般の人に売れやすい包丁を避けてきたのか。「与板の包丁は評判いいよ。よく切れるって。そりゃそうだろう。」
日本人はなぜか木の家に住むと気持ちが落ち着くようだ。コンクリートの家ではどこか満足できない雰囲気がある。木の家の文化を失ったら、ただでさえ忙しい私たちは気の休まるところをなくしてしまうかも知れない。木の家に住む気持ちよさは、近い将来、人々の心を再び捉えるだろう。その時に、与板の職人の技がまた生きる。
「職人の仕事というのは欲が涸れてきたくらいで丁度いいもんです。我が強いうちはまだまだ。」半世紀以上の時間を職人として生きてきた久住さんの言葉だけに説得力がことさらだ。こんな言葉が自然に口をつく職人たちの作る家に住めたら、きっと心も体も健やかになれる、そんな気にしてくれる与板打刃物だ。
職人プロフィール
久住誠治 (くすみせいじ)
こぼれ話
目に見えない結晶を管理する伝統の技
打刃物を作る工程の特徴は、何度も何度も「焼いて叩く」ことを繰り返すことでしょう。1,000度以上の高温で焼いたと思ったら、160度の低温の風を吹き付けてみたり、400度で焼いてまた叩いたり・・・。温度の調整は職人の目と勘による火加減で行っているのですから長年の経験だけがなせる技なのでしょう。
さて、この温度。なんでこんなにいろんな温度で焼くのかと思ったら、温度の違いが鉄の結晶に大きく関わっているようです。高温で焼くと結晶の組織が乱れ、それを中温、低温で整えます。刃の粘りや使い心地は、目には見えないこの結晶をどうコントロールするかにかかっています。それが焼き入れ、焼き鈍しだったのですね。
近年になって結晶を顕微鏡で見ることができるようになり、素晴らしい職人の技がミクロの目で見て改めて評価されているそうです。
*https://kougeihin.jp/craft/0705/ より
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