第248回 2020年3月17日 「伝統に磨きをかけて~福岡 上野焼(あがのやき)~」リサーチャー: 中山エミリ
番組内容
茶の湯に使われる器「茶陶」作りで知られる福岡の上野焼。その伝統を重んじながら、今、新たな表現を加えた器が次々に誕生している。その一つが、ごく薄手で口当たりの良いカップ。そこには卓越した成形技術と、材料の土の配合に、ある工夫が…。さらに伝統の釉薬で絵付けをしたカラフルな皿や、懐石料理で使う小鉢を洋食にもあうようアレンジした斬新な器など。進化を続ける上野焼の魅力、職人の情熱に中山エミリが迫る。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202003171930001301000 より
薄手で口当たりの良いカップ(上野焼 庚申窯)
上野焼の大きな特徴のひとつに「薄作り」があります。
非常に薄作りの軽い作りが特徴です。
茶陶として発展した上野焼は、他産地の陶器と比べると、非常に軽くて薄い作りが特徴です。
上野焼は、小倉藩の藩主だった細川忠興が御用窯として開かれ、「遠州七窯」の一つに数えられていました。
遠州の好みは口当たりの良い「薄作り」でした。
福岡県福智町には20の窯元があります。
人気の薄作りのカップを作っているのは、「庚申窯」(こうしんがま)です。
「庚申窯」は、明治期に上野焼の復興に尽力した高鶴萬吉(こうづるまんきち)の弟・高鶴城山(じょうざん)の末子であった高鶴 智山(ちざん)により昭和46(1971)年の時に築窯されました。
今や、磁器やグラスなど薄くて軽い器は当たり前。
窯元の高鶴さんはそれを陶器で、薄作りの器を作っています。
薄作りの秘密は、上野焼は白い土、きめ細かいものを使用しています。
そして、轆轤を挽く技術。
指の感覚だけで強度を保てるギリギリを狙います。
飲み口が求める薄さになったら1日乾燥させ、それ以外の部分を作っていきます。
削るのは器の底から腹にかけてで、断面を見ると飲み口は1.8mm、その下の部分も2mm以下にします。
地元の観光列車では、車窓を眺めながら食事が出来るのですが、ここで高鶴さんの器を使用することが出来ます。
庚申窯 福岡県田川郡福智町上野1937
熊谷守さん(上野焼・守窯)
「薄作り」の他に上野焼の特徴というと、「緑青(ろくしょう)流し」と言われる透明釉、もしくは白釉の上に緑色の銅釉が流れたものが挙げられます。
上野焼の地元では鉱物が豊富に採れたために釉薬の精製が発達し、この緑青釉を始めとして、藁白、鉄釉、灰釉、飴釉、伊良保釉、紫蘇手、卵手、虫喰釉、三彩釉、琵琶釉、透明釉、総緑青、柚子肌など他産地と比較して数多くの釉薬が使われており、これも上野焼の特徴の1つと言えます。
しかし器に絵柄を描く絵付けは上野焼の伝統にありませんでした。
そこに敢えて挑戦したのが「守窯」(まもるがま)の熊谷守さんです。
熊谷さんは 「庚申窯」で陶芸の基礎を学んだ後、 独立されました。
色付けを顔料で出すのではなくて、全て釉薬の塗り分けによって色を出しています。
釉薬は焼くとガラス質に変化するため、通常は焼く前にかけて丈夫さと光沢を出すのに使用します。
2つ以上の釉薬をかけて、熱で溶けて混ざりあう効果を狙うこともありますが陶器で絵付けに使うのは珍しいことです。
熊谷守さんは、熱で溶ける釉薬が混ざり合わないように、化粧土を塗った皿に先端が1mm程のハリでひっかき、輪郭を描きます。
そうすれば釉薬が溶けても溝から流れ出すことはなく、焼き上がるとどの色も他と混ざることはなく、立体的に浮かび上がります。
守窯 福岡県田川郡福智町上野1991
上野焼「割山椒」(上野焼 渡窯)
「割山椒」(わりざんしょ)とは、 和食に使われる向付や小鉢の一種です。
器の口の部分に三箇所切れ目が入っており、山椒の実がはじけた形を表しているとされます。
今では日本中で作られている形ですが、実は上野焼が発祥で、400年前に茶懐石用の器として創られました。
その割山椒に新たな可能性を見出したのは、「渡窯」(わたりがま)の渡仁さんです。
渡さんは20年以上前から割山椒に様々な工夫を凝らしています。
中でも、直径27cmと一般的なものと3倍程大きい割山椒は、テーブルの上において洋食用としても使えるようになっています。
上野焼宗家 渡窯 福岡県田川郡福智町上野3065
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Fukuoka/Agano より
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