「四日市萬古焼」
Description / 特徴・産地
四日市萬古焼とは?
四日市萬古焼(よっかいちばんこやき)は、三重県四日市市で作られている陶磁器です。古くより、茶碗や皿などの日用品、壺などの芸術品が作られてきました。
現在では、紫泥(しでい)急須や土鍋が代表的な生産物となっており、特に土鍋においては国内生産の土鍋の8割から9割が萬古焼と言っても過言ではありません。
四日市萬古焼の特徴は、使用される陶土から生まれる優れた耐熱性です。土鍋の陶土には、葉長石(ようちょうせき、別名ペタライト)と呼ばれる熱に強いリチウム鉱石を40%ほど混ぜています。それにより強度が増し、直火や空焚きにも耐える耐熱性が生まれます。この技法は、四日市萬古焼の特許となっており、他では見ることができません。
また急須は、鉄分を多く含む土「紫泥」を用いて焼き上げます。含まれる鉄分が炎によって独特の色合いを生み出し、また使うほどに味わいのある光沢が増していくのが魅力です。
毎年5月中旬には、四日市市の萬古神社周辺において「萬古まつり」が開催されます。地元の窯元から出展される陶芸家の作品の数々と触れ合えるほか、手頃な価格で販売されることもあり、全国から多くの人が訪れます。
History / 歴史
萬古焼の歴史は、今から約300年前に遡ります。江戸時代の元文年間(1736年~1740年)、商人であり、茶が趣味であった沼波弄山(ぬなみ ろうざん 1718年~1777年)が、現在の三重郡桑名町に自ら窯を開き、茶器を焼き始めたのが始まりです。また、自身の作品に「いつまでも永遠に変わらぬ生命をもつ」という意味の「萬古不易」の印を押したことが、萬古焼の名前の由来と言われています。
弄山の死後、一時期途絶えた萬古焼ですが、その約30年後、江戸時代後期になり、古物商であった森有節(もり ゆうせつ)・千秋(せんしゅう)兄弟により再興しました。抹茶に代わり、流行しはじめた煎茶のための急須が誕生したのがこの時期です。
萬古焼は、時代とともに「古萬古」、「有節萬古」、「明治萬古」などと呼ばれ、それぞれに異なる点を有しています。もともと四日市が発祥ではなかった萬古焼が「四日市萬古焼」と呼ばれ四日市に定着したのは、明治時代に入ってからです。港があり、燃料である石炭を入手しやすかったこと、貿易港として流通に適していたこともあり、全国有数の陶磁器の産地として発展を遂げました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yokkaichibankoyaki/ より
伝統を「守る」から「作る」へ
創始者沼波弄山が自分の作品が永遠に伝わるべく願いを込めて「萬古不易」の印を押したことからその名がついたという萬古焼。必要とされる機能と美しさは守りながら、新たな作品を産み出し続ける急須作家に話を聞いた。
急須は雑器、用途性が大事
伊藤さんが萬古焼にたずさわり始めたのは38年前。「親がやっとったから跡を継いで、気楽に始めた」という。それ以来萬古焼の代表的作品である急須を作り続けている。習うと言うよりは仕事の手伝いから見よう見まねで、最初は手や口、フタなどの部品を作ることから始まったそうだ。
5年間親元で素地師(素地をメーカーに買ってもらい、焼成は別のところにまかせてしまう)の仕事をしたあと独立。自分の窯を持ったことで「丁寧にしやんといかん、いい品物を作らなあかん」と思うようになった。
その思いは急須のつくりに現れている。萬古急須は軽ければ軽いほどよいので極限まで薄くし、注ぎ口は適度なカーブをつけることで注いだときにこぼれないようにする。急須本体の大きさは、茶碗をセットにする場合のバランスまで考え抜く。「急須は雑器だから用途性が大事」という。
自分の色を求めて
萬古急須の特徴は鉄分の多い陶土を用いた朱泥・紫泥にある。この陶土は酸化焼成する(焼成の際に十分な酸素を送り込みながら焼く)と鮮やかな朱色に、還元焼成する(酸素不足で蒸し焼きのような状態で焼く)と深みのある小豆色になる。酸素の量や温度、焼成時間、窯の大きさや形によって微妙に色合いが変化する。また陶土の配合によっても変わってしまう。伊藤さんも自身の色を出すために様々な努力をしたという。「形はそう変形できやせんしねぇ。焼きや土を変えてみた。長石を使って違う色を出したり色々とやってみたし、焼いてへたって(変形して)しまったこともあった。自分の色を出すためにやったけど、今のものが作りやすいし、ええ色になったと思う」という急須は美しく、形にはひとつの無駄もない。
使えば使うほど色と艶が増す萬古焼
萬古焼は使えば使うほど手の油分や茶渋でいい色合いになり、艶が出てくる。洗剤をつけたり、たわしでこすりすぎたりすると、表面が削れてしまい黒くなってしまう。伊藤さんの家にある器はよく訪問客に持っていかれるそうだ。時には「そっちの色の方がええ」とお茶の葉が入った急須をそのまま持ち帰られることもある、と嬉しそうに語られた。
四日市で作られる焼物が「四日市萬古焼」
伝統的な萬古急須の形と色がある。伊藤さんが修行を始めたころはそれが萬古焼だと学んだそうだ。しかし時代が変化するにつれ、様々なものが求められるようになった。だからこそ、色々なものを見て学び、新しい作風を生み出していかねばならないという。だから弟子(ご子息の伊藤美秀さん)には人とのつき合いを大切にすること、百貨店での展示や作陶展を見て回ることを勧めるそうだ。「作陶展などは最初はよく一緒に行っていたけど、最近は一人で行く方がいいと言われる。子離れもせぇなあかん(しないといけない)し」とこのときばかりは父親の顔を見せた。伊藤さんご自身の作品も型にとらわれていない。窯変(窯の中での温度変化でグラデーションのような文様を作る作品)や釉掛けの急須も作るし、香炉や大きな瓶も作る。それは「伝統を守るだけではあかへん(だめ)」と新たなものにチャレンジし伝統を作る、という姿勢によるものだ。
一生修行、死ぬまで修行
数々の作陶展で入選し、雑器でありながら芸術的な急須を作り続ける伊藤さんだが、今もなお修行中だという。「人のできやんことをしたいけど、なかなかできやんね(人のできないことをしたいけど、なかなかできない)。それはみんな一緒ちゃうかな」。人よりいいものを作り、みんなに使ってもらうのが一番よい、使っていただいているのが一番嬉しいと、笑いながら言われた姿が印象的だった。
こぼれ話
萬古焼歳時記
例年5月の第2土・日曜に開かれる「萬古まつり」は、四日市に萬古焼をもたらした先人達の偉業をたたえる萬古神社の大祭に協賛して開かれる市。萬古焼業者がこぞって大安売りをすることで知られています。市価の3~7割引は当たり前で、15万人の人手で大にぎわいです。
使い古した土鍋に感謝する「土鍋供養祭」は、萬古焼の土鍋が全国シェアの80%以上を誇ることから始められた行事です。萬古焼のさらなる発展、新たな創造をめざして開かれる「四日市萬古焼綜合コンペ」や、入賞作が実際に製品化され、市販される「四日市土鍋コンペ」。新たなる伝統を生み出そうという気概が伝わってきます。子どもを対象にした陶芸教室や陶芸コンクールには多くの子どもが参加しています。
*https://kougeihin.jp/craft/0410/ より
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