「南風原花織」
Description / 特徴・産地
南風原花織とは?
南風原花織(はえばるはなおり)は、沖縄県島尻郡南風原町を中心に生産されている工芸品です。
県内で採取された琉球藍やフクギなどの植物を用いて染色された糸で織り上げられています。
南風原花織の特徴は花のように美しい図柄に立体感があること。一見すると刺繍のように緻密な図柄は、長年の修行と経験を積んだ職人だけがなせる技です。
History / 歴史
南風原花織の歴史は古く、明治時代にはその技術を伝承したという記録が残っております。
大正3年(1914年)には、南風原村立女子補修学校が設立され、多くの婦女子が花織の技術を習得し、先祖代々から伝わる技術と合わさって独自の技術を発展させていきました。
戦後は、生き残った人たちが貧窮生活の中からあらゆる材料をかき集め、再興に向け織物の生産に尽力し、現代においても時代のニーズに応じて改良されながら織り続けられています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/haebaruhanaori/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0137/ より
南風原花織:王朝の祝い着として発展
繊細な花柄を織り出す紋織物
かすりのように、経緯が一本ずつ交互に織り合わせれる織物を平織といいますが、2本、3本と糸をとばして変化をつけた織物を組織織もしくは紋織といいます。沖縄ではそれを「花織」といい、南風原花織は多様な色彩の花糸を使った立体感のある浮き柄が魅力的で、高い人気を得ています。
かすりに代表される一般的な平織りでは、タテ糸を通す綜絖(そうこう)と呼ばれる器具を2つ使うのが普通ですが、南風原花織では8枚ほど(多いときは10枚)もの綜絖を順番に操作して図柄を浮かび上がらせます。それだけ複雑で職人の腕が問われ、たいへんな手間と時間をかけてつくられる織物です。
母から娘と伝わっていった伝統技法
南風原町では、明治のころから花織の技法を母から娘へと伝承させてきました。1914(大正3)年4月には南風原村立女子補修学校が設立され、たくさんの女性が織物の技術を習得しました。先代から伝わる花織の技術とあいまって、独自の花織・浮織の技法を確立していきました。
南風原花織の特徴
南風原花織の染色の特徴は、県内で採取される琉球藍、福木、テカチ染め等の植物染料を用いることです。化学染料については、絹は酸性染料、木綿はスレン染料、反応染料、直接染料を用いています。
南風原花織には、ヤシラミ花織、クワアンクワアン織り、タッチリーなど、産地にしか存在しない名称がありその模様は花のように美しく図柄に立体感がでて華やかな印象を受けます。
*https://www.haebaru-kankou.jp/index.php/texitile/haebaru-hanaori.html より
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