第15回 2013年2月19日 「水晶に命吹き込む神の手~山梨 ジュエリー~」リサーチャー:田中美里
番組内容
今回のイッピンは、まばゆい輝きを放つ「山梨のジュエリー」。山梨県は、国内で作られるおよそ3分の1のジュエリーを生産する一大産地だ。リサーチに向かったのは、女優・田中美里さん。世界でも最高の技術を持つといわれる、水晶から180の面を削り出す職人や、石から自由自在に作品を彫り出す究極のワザを持つ職人と出会っていく。「神の手」が生み出すと賞賛される、山梨のジュエリーの魅力を、とことんお届けする。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201302191930001301000 より
ここまでしかわかりませんでしので、勝手に調べてみます。
「清水幸雄」
40年以上、宝石研磨一筋。だから誰にもできないことができる。
山梨県甲府市にある(株)シミズ貴石。ここには世界で唯一の技術を持つ宝石研磨職人がいる。
手擦り職人の第一人者、清水幸雄氏だ。
今回は、現役の職人でありながら、県立宝石美術専門学校で教鞭を執り、後継者の育成にも力を入れる清水氏に迫った。
この石は平面がいっぱいありますね。何面体ですか?
それは180面体。俺が作ったんだよ。キキョウカット(※1)って言うんだけど、これを切れるのは世界中でも甲府の職人だけ。こいつに出会ったのはジュエリーマスターを受験しようと思って、師匠のところへ相談に行ったとき。「これをやってみろ」って見せられたのが最初。で、師匠が教えてくれたのは、「まず12面体を切れ」ということだけ(笑)。後は全部自分で見よう見まねで作ったよ。俺も職人だから、最初見たときにどうやって切ればいいか分かったんだよね。3、4個失敗しただけでできた。
キキョウカット(※1):正五角形12枚で囲んだ正12面体をベースに、それぞれの五角の中心に向かって稜線のある5面のファセット・カットをし、合計180面を有するカット。
完成したのを見て師匠もビックリしたでしょうね?
「よく切った!」って褒められたよ。その後、師匠はすぐ亡くなっちゃったけど、ご霊前にキキョウカットを供えてきたよ。やり方を教えてくれなかったのが逆に良かったのかもしれない。絶対切ってやろうと思ったよ。
ここまで形を整えるには、やはり機械を使って?
いやいや。これは手擦りじゃないとできない。機械を使ってもキキョウカットは絶対できないよ。手擦りってのは、石を手で持って、平面研磨機に直接当てて研磨する技術。手先の感覚と摩擦の音だけで切るんだよ。手擦りは世界的に見ても、ここ甲府の職人だけができる難しい技術なんだ。せっかくだから今ちょっと見せてあげようか?
手擦りのときはどんなことに気を使います?
荒削りからだんだん細かい砂を使って削っていくんだけど、一番気をつけるのは力加減かな。削る面によって力を微妙に変えないとならないから。ほら、見てごらん。
すごい!何の変哲も無い原石が10分ほどでこんなに綺麗になるなんて!
今から最後の仕上げをしてピカピカに光らせるよ。青粉って言う酸化クロムを使ってケヤキの木に当てて磨くんだけど、カット面と同じ角度で当てないと綺麗に光らないんだ。これが素人にはできないんだよね。俺みたいに長年やっていると、ちゃんとカット面が平行に当たっているか摩擦の音で判断できる。いつも同じような音に聞こえるでしょ?けど俺には音の違いがすぐ分かるんだ。はい、もう完成!
綺麗!たった10分くらいなのに。
これはエメラルドカットっていうんだ。手擦りでここまでできるようになるには10年かかる。180面体のキキョウカットが切れるようになるには20年以上かかるな。職人も少なくなったからね。今このカットができるのは俺だけだよ。
へえ!とんでもなく難しい技術なんですね。そもそも清水さんがこの業界に入ったきっかけは?
兄がこの仕事をしていたから、なんとなく自然に入ったんだよ。けど、若い頃、修行している身分のときはかなり辛かったなあ。昔は研磨するときに使う砂が高価だったから、どこの工房も砂を再利用するために桶を洗って、砂の粗さを揃える作業を下っ端がしていたんだ。水を使うから冬は寒くてさ。大変だったけど、歯を食いしばって頑張ったよ(笑)。今の自分があるのはそういった下積み時代があるから。この業界入って40年以上経つけど、評価されてきたかなって思うのはここ数年。自分としてはまだまだ一生修行だなって思っていて、満足することなんてない。今までやってきてこれは!ってのはないんだ。だからこれからもっと技術を磨いて色んなものを作っていきたいね。
そういえば、県立宝石美術専門学校で教壇に立たれていますね。
そう。一週間に一回教えに行ってるよ。学生がデザイン考えてくるから、使う石の種類を教えてあげたり、研磨の指導をしたりして一緒に一つの完成品を作り上げていくんだ。学生たちが色々なアイデアを持ってくるんだけど、プロじゃ考えつかないような面白いものがいっぱいあるんだよ。
学生さんとのエピソードはあります?
一度、学生と研磨の勝負をしたことがあるよ。俺とその学生がそれぞれ石をカットして、どちらの作品が綺麗か、みんなに評価してもらったんだ。ハンデとして、俺は利き手じゃない方の手でカットしたんだけど、まあ、結果は当然自分が勝ったんだ。けど、その学生は一生懸命カットして、驚くくらい綺麗に仕上げたんだ。今までこんなに頑張った子はいないって褒めてあげたよ。素晴らしい生徒だった。学生たちはみんなプロが唸るようないいものを持っているんだ。提案してくるアイデアもすごく面白い。だから、今は辛いかもしれないけど、一生懸命努力を重ねて、自信を持って職人の道を進んでほしいと思うよ。
若い世代への温かいお言葉、ありがとうございます!これからも第一線の現役の職人として、また学生たちの指導者として、一層のご活躍を期待しています。
2010年11月4日 インタビュー掲載
株式会社シミズ貴石 山梨県甲府市高畑1丁目13-18
*https://www.pref.yamanashi.jp/shokuninryugi/shokunin/story0004.html より
「詫間宝石彫刻」
詫間宝石彫刻とは
数億年の自然美を、甲府の彫刻技術によってオーセンティックで普遍な作品として現在に甦らせる
甲州水晶貴石細工について
自然が生んだ天然貴石の透明感あふれる色合いと輝き。甲州水晶貴石細工は精を極めた彫刻と入念な研磨技術によって、 この天然貴石の秀れた味わいに人生の感性を経た「美」を加えているのが特徴です。
我が国唯一の特殊工芸品甲州水晶細工の歴史とは、今から約千年前景勝地「御岳昇仙峡」の奥地金峰山周辺からの水晶原石 の発見に始まります。水晶発見当時は原石のまま置物などに珍重されていました。今からおよそ200年前、天保年間 (1930〜1944) 京都の「玉造」より職人を迎え、鉄板の上に金剛砂をまいて、玉の手磨き方法を習得したのが水晶加工の始まりです。 明治後期には手摺加工から足踏み回転式に改良され、更に大正初期の電力加工により飛躍的に進歩し現在に至りました。
昭和52年には通商産業大臣指定 ( 伝統的工芸品 ) 産業と認定されています。
詫間宝石彫刻の歴史
1955年に先代、詫間悦二が叔父で現代の名工、故詫間正一氏に弟子入りしました。
15歳で単身甲府に呼ばれ丁稚奉公として働き始めました。
正一氏は当時の甲府で盛んだった仏像などの宗教的な製品よりも、美術工芸品に力を入れ、今でも続く水晶工芸の流れを作り、その影響力は大きなものでした。当時は企画品を作る職人が主流でしたが、正一氏は一貫して美術工芸品にこだわったのです。
その後、原石の販売会社に努めていた母 いし子との結婚を期に27歳で独立、1967年に「詫間宝石彫刻製作所」を立ち上げました
父悦二も正一氏の流れをくみ美術工芸品の制作を得意としていました。当時翡翠の加工は至難の業と言われていました。悦二氏は、翡翠を光らせる特殊技術を独自に考案し、山梨の職人では快挙である「科学技術庁長官賞」を受賞しました。これにより悦二氏の作品は、翡翠の第一人者として認められ、上野の国立科学博物館の「翡翠展」に出品され、稀代の工芸家として脚光を浴びました。
1995年に次男康二氏が入社します。それを期に「詫間宝石彫刻」に社名を変更しました。この当時の主な生産は貴石彫刻の置物などの生産依頼でしたが、康二氏がジュエリー業界で培った金属加工技術を取り入れたことで、徐々に今のようなジュエリーの生産に着手するようになっていきました。
2003年現在地に工場を移転。それと同時に三男亘が入社しました。
2000年初め置物などの制作と共に比較的高額なジュエリーの制作も依頼されることが多くなり始めました。石象嵌(せきぞうがん)や石と金属の同摺(どうずり)は詫間宝石彫刻独自の作品として細々と発表していましたが世間から注目を浴びることはありませんでした。
2000年終盤から、「詫間宝石彫刻」は大きな転機を迎えます。
新生ジュエリーブランドへの技術提供を始めたのを機に徐々に「詫間宝石彫刻」が認知されるようになり他の有名ブランドから次々に声がかかるようになり、山梨の当社工場に見学に来るようになりました。これにより業界内で「詫間宝石彫刻」がもつ彫刻技術の認知度がさらに高まってきたのです。
2020年に旧工場跡にshowroomをオープンしました。康二氏は以前より自分の作品を顧客向けに展示するスペースが欲しいと考えていました。多数のブランドに技術提供していることは一切公開していなかったですが、自らの技術を自らプロデュースした空間で顧客に提供したいと考えたのです。
今後は、オリジナルブランドである「詫間宝石彫刻」を直接顧客に届けてまいります。2021年には自社ブランド強化と若手職人育成のために、法人化しました。
しかし残念なことに2022年に先代の詫間悦二が他界しました。悦二氏が培った彫刻技術は、二代目に受け継がれており、さらに後世に伝承すべく若手の職人育成にも力を注いでまいります。
詫間宝石彫刻製作所 山梨県甲府市丸の内3-26-1
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