日本を離れ、イギリスやニュージランドに長く住んでいると、世間知らずとなり、つまらない自論に固まってしまうのでしょうか。他国に住んでいても立派な日本人学者が沢山いますが、中には氏のような愚かな人物がいます。
私が朝日新聞の定期購読者だった頃、同じような人物の意見を新聞で読んだことがありました。平成25年の1月29日の紙面を全部使った、冷泉彰彦氏への特集記事でした。
氏はニュージャージー州の日本語学校高等部主任を勤める、米国在住20年の人物でした。真鍋弘樹という朝日の記者が、インタビューして書いたものです。
「こうした奇妙な記事を、紙面の一面全部を使い、国内に配信する朝日新聞の意図が、不可解でならない。」
これはその時の感想ですが、内容を簡単に言いますと、「安倍総理の言うこと為すことは、決して米国では理解されないばかりでなく、日本の国益を損なう」、という冷泉氏の談話です。
「戦後の現職首相が戦前の日本の行為について、名誉回復をしようとしている。」「戦後の改革を否定して、戦前からの一貫性を持ちたいと言う、ファンタジーを持ちたがっている。」
冷泉氏は反安倍の朝日新聞が見つけた、格好の在米日本人でした。氏の発言は7年前のものですが、こんな記事ばかり書いていたから、今日の朝日新聞の衰退があります。
将棋面氏の意見も似たり寄ったりの偏見で、ウケ狙いの軽い学者です。
「国家に強くコミットしているわけでないのに、素朴に〈 日本はすごい 〉と感じる傾向を、私は〈 ぬくぬくナショナリズム 〉と呼んでいます。」
テレビコマーシャルで、視聴者の目を引く宣伝用語を考える人を、コピーライターと言います。短い言葉で消費者の心を捉え、企業の製品を買わせる言葉の魔術師のことです。「感情共同体」とか、「ぬくぬくナショナリズム」などと、造語を乱用する氏は学者でなく、商人と言うべきでしょう。コピライター諸氏の真剣さとは別しゅの、軽薄な商売人です。
「日本を愛するのは当たり前と思考停止に陥れば、同調圧力がのさばって、中立的な人たちまでもが敵視されるようになる。」
日本を愛するのは自然の気持ちと思う私は、思考停止の人間ということになります。異なる意見を持つ人間を敵対視し、怒らせるのが反日左翼学者のやり方です。相手を挑発して、無用な対立を生じさせます。
氏の言葉は、国を愛する国民への冒涜で、反日左翼風に言えば「差別」「ヘイト」になります。自分たちが使うときは平気なのですから、始末に負えません。私に言わせて貰えば、反日左翼を嫌悪し、同調するお花畑の住民を軽蔑しているだけです。中立的な人を敵視するどころか、中庸の人は国民の宝です。
全国配信される新聞記事を利用し、言いたい放題の氏と異なり、私は世間の片隅でわずかな訪問者の方々に向かい、「ねこ庭の独り言」をつぶやいているに過ぎません。いったいどちらが、社会に悪影響を及ぼしているのでしょう。
「そもそも共和主義的なパトリオティズムでは、共通善を脅かす暴政こそが、敵でした。」「それは無批判な愛国心とは異なり、短所は短所として直視する、愛の眼差しを向ける姿勢です。」「ぬくぬくでは、為政者に簡単に操作されてしまいます。」
共和主義とは、共通善とは何なのか。コピライターにも劣る氏の意見を、無批判に掲載する共同通信社の幹部も、似たような人物なのでしょう。千葉日報新聞の読者ばかりでなく、地方に住む読者をバカにしているから、こんな記事が配信できます。
氏の言う「共和主義」と「共通善」について調べると、意外なことを発見しました。この二つの言葉を将棋面氏が、なぜ説明しないのか。答えは、私が常々主張する課題にありました。
1. 皇室の護持
2. 憲法改正 ( 国の独立のための軍の再建。)
「共和主義」と「共通善」は、皇室を否定する主張につながります。将棋面氏はばかな学者でなく、共同通信社と同じ目的を持つ「皇室否定論者」でした。話の焦点を分散させないため、皇室問題につきましては後日のブログといたします。
まずは、共同通信社の御用学者・将棋面氏の記事を片付けなくてなりません。次回に、一区切りをつけます。