ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

共同通信社の御用学者 - 3 ( 皇室否定の御用学者、将棋面氏 )

2020-01-15 14:41:25 | 徒然の記
 日本を離れ、イギリスやニュージランドに長く住んでいると、世間知らずとなり、つまらない自論に固まってしまうのでしょうか。他国に住んでいても立派な日本人学者が沢山いますが、中には氏のような愚かな人物がいます。
 
 私が朝日新聞の定期購読者だった頃、同じような人物の意見を新聞で読んだことがありました。平成25年の1月29日の紙面を全部使った、冷泉彰彦氏への特集記事でした。
 
 氏はニュージャージー州の日本語学校高等部主任を勤める、米国在住20年の人物でした。真鍋弘樹という朝日の記者が、インタビューして書いたものです。
 
 「こうした奇妙な記事を、紙面の一面全部を使い、国内に配信する朝日新聞の意図が、不可解でならない。」
 
 これはその時の感想ですが、内容を簡単に言いますと、「安倍総理の言うこと為すことは、決して米国では理解されないばかりでなく、日本の国益を損なう」、という冷泉氏の談話です。
 
 「戦後の現職首相が戦前の日本の行為について、名誉回復をしようとしている。」「戦後の改革を否定して、戦前からの一貫性を持ちたいと言う、ファンタジーを持ちたがっている。」
 
 冷泉氏は反安倍の朝日新聞が見つけた、格好の在米日本人でした。氏の発言は7年前のものですが、こんな記事ばかり書いていたから、今日の朝日新聞の衰退があります。
 
 将棋面氏の意見も似たり寄ったりの偏見で、ウケ狙いの軽い学者です。
 
 「国家に強くコミットしているわけでないのに、素朴に〈 日本はすごい 〉と感じる傾向を、私は〈 ぬくぬくナショナリズム 〉と呼んでいます。」
 
 テレビコマーシャルで、視聴者の目を引く宣伝用語を考える人を、コピーライターと言います。短い言葉で消費者の心を捉え、企業の製品を買わせる言葉の魔術師のことです。「感情共同体」とか、「ぬくぬくナショナリズム」などと、造語を乱用する氏は学者でなく、商人と言うべきでしょう。コピライター諸氏の真剣さとは別しゅの、軽薄な商売人です。
 
 「日本を愛するのは当たり前と思考停止に陥れば、同調圧力がのさばって、中立的な人たちまでもが敵視されるようになる。」
 
 日本を愛するのは自然の気持ちと思う私は、思考停止の人間ということになります。異なる意見を持つ人間を敵対視し、怒らせるのが反日左翼学者のやり方です。相手を挑発して、無用な対立を生じさせます。
 
 氏の言葉は、国を愛する国民への冒涜で、反日左翼風に言えば「差別」「ヘイト」になります。自分たちが使うときは平気なのですから、始末に負えません。私に言わせて貰えば、反日左翼を嫌悪し、同調するお花畑の住民を軽蔑しているだけです。中立的な人を敵視するどころか、中庸の人は国民の宝です。
 
 全国配信される新聞記事を利用し、言いたい放題の氏と異なり、私は世間の片隅でわずかな訪問者の方々に向かい、「ねこ庭の独り言」をつぶやいているに過ぎません。いったいどちらが、社会に悪影響を及ぼしているのでしょう。
 
 「そもそも共和主義的なパトリオティズムでは、共通善を脅かす暴政こそが、敵でした。」「それは無批判な愛国心とは異なり、短所は短所として直視する、愛の眼差しを向ける姿勢です。」「ぬくぬくでは、為政者に簡単に操作されてしまいます。」
 
 共和主義とは、共通善とは何なのか。コピライターにも劣る氏の意見を、無批判に掲載する共同通信社の幹部も、似たような人物なのでしょう。千葉日報新聞の読者ばかりでなく、地方に住む読者をバカにしているから、こんな記事が配信できます。
 
 氏の言う「共和主義」と「共通善」について調べると、意外なことを発見しました。この二つの言葉を将棋面氏が、なぜ説明しないのか。答えは、私が常々主張する課題にありました。
 
 1.  皇室の護持
 2.  憲法改正 ( 国の独立のための軍の再建。)
 
  「共和主義」と「共通善」は、皇室を否定する主張につながります。将棋面氏はばかな学者でなく、共同通信社と同じ目的を持つ「皇室否定論者」でした。話の焦点を分散させないため、皇室問題につきましては後日のブログといたします。
 
 まずは、共同通信社の御用学者・将棋面氏の記事を片付けなくてなりません。次回に、一区切りをつけます。
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共同通信社の御用学者 - 2 ( 将棋面 貴巳 ( しょうぎめん たかし )氏 )

2020-01-15 10:12:48 | 徒然の記
 「五輪は個人で楽しむ」「危険な、何となく愛国」
 
 記事のタイトルが踊り、将棋面氏の意見の前に共同通信社の前置きが入ります。
 
 「東京五輪・パラリンピックが、今夏に迫っている。」「ナショナリズムを高揚させるという指摘もある一大イベントに、私たちは、いかに望むべきか。」「政治思想史が専門でニュージランド・オタゴ大学の、将棋面貴巳さんに聞いた。」
 
 将棋面氏の意見を、紹介します。
 
 「スポーツにおける選手と観客は、〈非対称な関係 〉にあります。」「選手が国境をどんどん越えて、活躍していく一方、応援する側は自国の代表として、ナショナルアイデンティティーと結びつけて、考えるからです。」
 
 「その意味で五輪は、ナショナリズムを世界中に撒き散らすという、」「大きな問題を、はらんでいます。」
 
 オリンピックが、ナショナリズム高揚の場だというのは世界の常識です。国を背負って選手たちが戦い、それぞれの国民が自国の選手を応援する。それが大きな問題だと、誰が考えているのでしょう。選手の中に肌の色の違う者がいても、自国のために戦っていれば、その選手は自国の人間です。そう言う意味でなら、いったい〈 非対称な関係 〉のどこが悪いのでしよう。
 
 日本でも最近は、サッカーや相撲で、外国人が沢山混じるようになりましたが、それをうるさく言う人はあまりいません。選手だけが国境を超えているのでなく、日本の観客の意識も、既に国境を超えているのではないでしょうか。
 
 「日本の選手は日の丸を背につけ、優勝すれば君が代を歌う。」「観客は、メディアを通じて拡散するそうしたシンボリックなものに対する、警戒心を持っておく必要があります。」
 
 氏は、いったい何を喋っているのでしょう。国を背負って選手たちが戦い、優勝すれば国歌を歌う。高々と、国旗も掲揚されます。オリンピックでは日本の選手だけでなく、世界の選手が同じことをします。氏が留学していた英国や、現在勤務しているニュージランドでは、こうしたことに対し「警戒心」を持ちなさいと、国民に報道しているのでしょうか。それとも日本だけは警戒が必要と、バカな提案をしているのでしょうか。
 
 「私は近年、 〈愛国〉 を研究してきました。」「長い歴史のスパンで見ると、古代ローマにおけるパトリオティズム ( 愛国心  ) とは、自由や平等といった、市民にの共通善を重視する、共和主義的な思想でした。」
 
 古代ローマを喋る前に古代日本を語り、ご先祖様たちが抱いていた 〈愛国心 〉についてなぜ語らないのか。西欧の共通善が当時の日本にはあったのか、なかったのか。いったい共通善とは何なのか。むしろ氏に問うてみたくなります。
 
 善と言い正義といい、こう言う概念は曖昧なもので、国、時代、宗教により、それぞれ違った内容になります。私のような普通の親父でも知っているのに、氏は絶対の定義があるような話し振りです。
 
 「だがフランス革命以降国民国家の形成過程で、国民の独自性にこだわる、ナショナリズムが折り重なってきた。」「国家という世俗勢力が、教会から〈 聖なるもの 〉を奪って行き、人々の自己犠牲の対象が国家に移って行きました。」
 
 ルネッサンス以前の教会は、〈 聖なるもの 〉というより、教皇の富と権力が各国の王より勝り、西欧に君臨する独裁帝国と同じでした。国境と民族を超えた教会の勢力に対抗し、民族を中心とした国が力を増したという事実を、氏は勉強していないのでしょうか。その一番良い例が英国国教会で、氏の留学していた英国です。かっての十字軍は国家と同様に、人々に自己犠牲を求めていたではありませんか。
 
 「日本においても昨年、天皇の代替わりに伴う、〈即位礼正殿の儀 〉 などの行事を通じ、国家の持つ 〈 神社性 〉が、顕在化しました。」「国民はテレビなどで、その映像を見て、無自覚に〈 感情共同体 〉に参加してしまう。そうした、〈 何となく愛国 〉は、非常に危険です。」
 
 なんだそれが言いたかっただけかと、拍子抜けがしました。古代ローマとか、フランス革命は関係のない話で、単に意見を権威づける飾りでした。「何となく愛国」が危険というのなら、戦後74年間の「何となく平和」や「何となく戦争反対」はもっと危険で、日本人の魂をダメにしたのではなかったか。むしろ私はこの点について、この曲学阿世の先生と話してみたくなります。
 
 ここで止めてもいいのですが、息子や孫たちが新聞記事に惑わされ、御用学者にたぶらかされないかと心配になります。「ねこ庭」を訪問されている方々は、どうぞもうお引き取りください。おつき合いの必要は、どこにもありません。
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