ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『幻想の超大国』 - 17 ( 戦後の外務省は、害務省なのか ? )

2020-01-27 14:20:16 | 徒然の記
 綿花の摘み取り機の普及により、南部から黒人たちが大移動したため、人種問題が北部へ波及し、全米的なものになったと氏が説明しました。米国の黒人問題の概略を知ったところで、別途在日問題について述べます。
 
 朝鮮との交流は古代からありましたが、日本人の朝鮮蔑視が始まったのは、私が知る限りでは明治維新以後の話です。山辺健太郎氏の箸『日韓併合小史』から、引用します。
 
 「明治元年、政府は新政府が成立したことを朝鮮に告げようと、対馬藩に命じて、国書を釜山の朝鮮の役人に渡した。」「国書の中に皇の字が使われ、対馬藩の副書に勅の字が使われていた。」「当時朝鮮は清国を上国として仰ぎ、皇とは清国の皇帝であり、勅とは皇帝の詔勅であり、朝鮮はこの点を咎め、言葉に誤りがあるとして受付けなかったのである。」
 
 列強がアジアを侵略している時、隣国朝鮮と国交を開き、互いに協力しようと呼びかける国書に彼らは応じませんでした。文章では煩雑になるため、時系列で箇条書きにすると、次のようになります。
 
 1.   明治2年 政府は直接外務省から役人を派遣したが、相手にされなかった。
 
 2.  明治3年、政府は三人の役人を派遣したが、朝鮮は窓口を対馬藩にするとして譲らず、決裂した。
 
 3.   明治7年、政府は対馬藩の宗氏を、外務卿の代理として正式に通知したが、回答なしだった。  
 
 4.  明治8年、政府の役人が、外務卿の書面を持ち、面会を求めたが、役人の服装が、洋服になっていたことと、書面の文字の使い方に苦情を言い、5ヶ月を費やしたが取り合われず引き上げた。
 
 朝鮮の政権を握っていたのは大院君ですが、尊大さにおいては、宗主国中国と同じでした。世界の文化の中心は中国であると言う中華思想は、もともと中国の漢民族のものでしたから、当時の清が漢を征服した異民族なので、朝鮮は自分たちこそが中華思想の後継者だと、密かに自負していました。
 
 ですから大院君は、日本を頭から相手にしていません。列強の侵略から国を守るべしと危機を語っても、世界情勢に疎い大院君には、日本が目障りでしかありません。それどころか大院君は、ひどい布告を出しました。
 
   「 日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん。我が国人にして、日本人に交わるものは死刑に処せん。」
 
 日本人は未開の民族で鳥や獣と同じなので、日本人を相手にした者は死刑にすると言う意味ですから、これでは日本政府が憤慨しても無理はありません。西郷隆盛を中心に、征韓論が出てきたのはこの時の話です。朝鮮への怒りと同時に、蔑視の念が政府内で強まりました。
 
 大院君の処置は、差別を遥かに超える非常識な仕打ちです。話しても分からない相手なら、力ずくでも説得すると、日本政府と朝鮮との本格的な対立が始まり、日清戦争、日露戦争へと繋がります。
 
 だから最初に民族差別を始めたのは、朝鮮です。今に始まったことでなく、昔から朝鮮政府は日本に対し、一方的尊大さがあります。慰安婦、徴用工問題なども、昔と同じ「言いがかり」と「捏造」です。慰安婦も徴用工も日本が強制連行し、奴隷のように酷使したから賠償金を払えと、これが彼らの主張です。
 
 慰安婦の話は朝日新聞の「大嘘」が明らかになりましたが、徴用工も同じ「大嘘」です。徴用工とは、戦時中の人手不足を補うため政府が徴用した民間人をですが、朝鮮人だけでなくその数倍の日本人がいます。しかし訴えている韓国人たちは徴用工でなく、職を求めてやってきた応募工です。証明する賃金台帳があるにもかかわらず、彼らは徴用工と言い張ります。
 
 国連の人権委員会で、事情を知らない外国の委員たちが、「在日朝鮮人60万人は、日本が強制連行した者なのに差別している。」と、非難しています。
 
 徴用工を強制連行したという事実だけでなく、在日朝鮮人60万人という彼らの数字も間違っています。政府が公表している数字を元に、説明します。
 
 日本が敗戦となった時、日本にいた韓国・北朝鮮人は徴用工を含め170万人でした。赤十字の仲介で、彼らの帰国事業が開始されましたが、韓国は在日の受け入れを拒否したので、彼らは北朝鮮へ帰国しました。
 
 日本残留を希望した245名を除くと、帰国者の人数は169万人でした。彼らの言う強制連行の韓国・北朝鮮人は、この時点で計算上は0名です。
 
 在日韓国・北朝鮮たちが言う 60万人とは何なのか。調べれば分かりますが、彼らは戦中・戦後のどさくさにまぎれ、職を求めて密航してきた者 ( 不法入国者 ) と、その子孫たちです。
 
 国連の人権委員会に提出された、反日日本人団体の資料は間違った数字をもとに作られています。外務省が、どうして正しい数字で反論しないのかと疑問でなりません。国際社会での議論では、控えめであることが美徳でなく、国益を台無しにする悪徳になりますが、外務省は姿勢を改めません。だから「害務省」と陰口を叩かれますが、そろそろ本気になって欲しいものです。
 
 すっかり書評を離れてしまいましたが、本日でハルバースタム氏とお別れします。沢山のことを省略していますが、私にはこれで十分です。興味のある方は、直接図書館で借りて読まれることを、お勧めします。
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『幻想の超大国』 - 16 ( 南部から北部へと大移動した黒人労働者 )

2020-01-27 08:10:12 | 徒然の記
  奴隷制度が法で禁じられても、黒人差別はなぜ無くならなかったのか。その理由を氏が説明します。
 
 「教育制度も黒人には、貧弱な教育しか受けられないようになっていて、」「黒人たちを、無知なままの状態で置くことで、政治的、法律的な差別を正当化しようとする意図が明らかだった。」「そうすることが南部の、経済的、社会的システムにとって、必要だったからである。」
 
 氏の主張は、アメリカ人として勇気のある意見です。黒人に対する間違った姿勢を、率直に指摘しています。国連人権委員会で日本を批判し委員たちは、日本政府にも、氏のような意見を求めているのだろうと思います。しかしそもそも日本には、アメリカにあるような激しい人種差別が存在していません。
 
 日本の反日左翼活動家たちは、在日韓国・朝鮮人だけでなく、沖縄人やアイヌ人についても、黒人同様の差別があると騒ぎ始め、新しい捏造資料を作成しています。
 
 私たちは、マスコミが伝えないとしても、反日の団体とこれを支援する野党政治家たちについて、知る必要があります。一体日本のどこに、アメリカの黒人問題のような、あるいは南ア連邦のような、過酷な差別があったのか。彼らが世界へ発信する針小棒大な資料が、日本の姿を歪めていることを許してはなりません。
 
 まして沖縄人は、異民族でなく歴とした日本人です。何のために彼らは、わざわざ騒動の種を撒こうとしているのか。反日左翼野党、特に共産党は、なにを考えてこうした活動に力を入れるのか。これはまた、別のところで検証しなくてなりません。
 
 在日韓国・朝鮮人への差別意識が、なぜ日本人の中に芽生えたかについては、黒人問題と同様、在日韓国・朝鮮人問題も、歴史の流れからしか説明できません。だからもう少し、氏の説明を読みます。
 
 「かって、南部の旧態依然たる法律制度のもとでは、黒人は警察力によって抑圧され、思うがままにコントロールされてきた。」「しかし1950 (  昭和25 ) 年代から、1960 (  昭和35 ) 年代にかけて、南部の綿花栽培が大きく変容し、人種問題もまた新たな局面を迎えることとなった。」
 
 「1950年代に起きた最も重要な変化は、綿花摘み取り機械の出現である。綿花の収穫が機械化されたことにより、南部の綿花産業は劇的に変容した。南部の大農園主たちは、何百、何千という黒人労働力を必要としなくなった。」
 
 「連邦政府が法律を改正し、労働者の社会保障の向上と最低賃金の保証を、綿花農場主たちに義務付けたため、彼らは誰も黒人を雇おうと思わなくなった。こうして、黒人労働者たちは、南部では必要とされない存在になった。」
 
 政府の法律改正と綿花の機械化の進展が、突然黒人を南部から締め出してしまいました。こういう事実は日本では教えられませんから、私自身年70余にして初めて知りました。アメリカの悲劇が、ここから新たに始まります。
 
 「アメリカ北部にはリベラルな政治風土があったし、仕事の口も豊富にあり、福祉も充実しているように見えたため、南部の黒人労働者たちは、白人労働者も含め、こぞって北部の州や大都市へと流れていった。」
 
 「かくして、アメリカ史上でも最大級の、人口の大移動が起きた。何百万人という貧しい黒人たち、教育もろくに受けておらず、現代の奴隷とでもいうべき境遇におとしめられていた人々が、家族ぐるみで南部の田舎を離れ、北部の大都市に移り住んだのである。」
 
 「しかし皮肉なことにそうした都市には、もはや彼らを受け入れるだけの余裕がなかった。」
 
 在日の韓国・朝鮮人の人々は、盛んに「差別された」と強調し、日本人の中にも同調する人間がいますが、アメリカにおける「差別」とは、そもそも歴史からして異なっていることを無視しています。「奴隷」という言葉と同様、同じ言葉を使っても、日本とアメリカでは「差別」の中身が違います。横道へ見れるのをやめ、氏の著書へ戻ります。
 
 「こうして、1960 (  昭和35 ) 年代半ばにさしかかる頃には、人種問題は、法律的、政治的な問題であるというより、それは、社会的、経済的な問題となり、人種差別と階級差別とが結びついたものとなった。」
 
 「南部から、北部の大都市に移った黒人たちを待っていたのは、都市の荒廃と、人々の冷淡さだけだったのである。経済的な理由から、彼らは事実上スラムにしか住むことができず、最低の仕事、最低の学校、最悪の環境に耐えていくしかなかった。」
 
 途中ですが、ブログのスペースがなくなりましたので、残りは次回とします。できることなら、次でアメリカの黒人問題と、日本の在日韓国・朝鮮人問題の違いを述べ、書評を終わりたいと考えています。
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