ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『幻想の超大国』 - 2 ( 「真珠湾の奇襲攻撃」 )

2020-01-18 17:13:01 | 徒然の記
 まず驚いたのは、本の書き出しが「パール・ハーバー」だったことです。米国人が日本を非難するとき、必ず「真珠湾の奇襲攻撃」から始めますので、つい身構えました。
 
 しかし内容は予想と異なり、意外な回想でした。こう言う語り方をする米国人もいるのだ、と言う意味で紹介します。
 
 「私と同世代のアメリカ人なら、ある二つの決定的な瞬間に、自分がどこにいて、そのニュースをどうやって聞いたかを、はっきりと、覚えているだろう。」「ひとつはケネディー大統領が、ダラスで暗殺されたと言う知らせを聞いたときであり、もう一つは、日本が真珠湾を攻撃したときである。」
 
 「ケネディー暗殺と真珠湾は、われわれの人生に大きな影響をもたらした事件だった。」「私は今でも、暗殺の瞬間の映像を見るたびに、29才のサイゴン駐在特派員に戻り、真珠湾のことが話題に上るたびに、7才の子供に返ったような気分を味わう。」
 
 昭和16年東条内閣は、11月1日に和戦両論併記の決定を下し、12月1日午前零時までに外交交渉がまとまらなければ、武力発動する覚悟をしました。米国との戦争を回避したいと、懸命の努力を続けていましたが、アメリカ側の回答は、満洲国からの日本軍全面撤退要求でした。ハル・ノートとして知られていますが、陸軍も海軍も飲めない要求で、日本への宣戦布告に等しい最後通告でした。
 
 日米の外交交渉は、12月1日午前零時までに戦争の回避ができず、「万一の僥倖」に賭けた陸軍も、海軍も、開戦以外に選択の余地がなくなりました。このまま時間を無為に費やせば、備蓄の石油が底をつき、戦艦も戦闘機も戦車も動かせなくなり、日本は自滅するしかありません。こうして真珠湾攻撃が始まりました。
 
 切迫した事態に追い込まれた日本が、国運をかけていたとき、米国の一般国民はどのようにしていたのか。氏の叙述は、それを教える貴重な資料です。
 
 「その日、私たちは日帰りで郊外にドライブに出かけ、そこで昼食をとっていた。当時、自動車を買って間もないアメリカ市民は、皆、そうやって休日を過ごしていたのだ。」
 
 「あの頃はまだ、スポーツ中継を見るためのテレビもなければ、ニンテンドーのテレビゲームも、ビデオデッキも無かった。」
 
 「アメリカはまだ貧しく、娯楽とレクレーションの分野で、世界の最先端をいく国にはなっていなかった。人々の生活はシンプルで、日曜日に父親が何かしようというと、家族全員がそれに従った。」「そしてその 何かとは、家族を車に乗せて、目的もなく、何処かへ行くことだった。」
 
 「連れて行かれる子供達の大部分は、そんなドライブには飽き飽きしていた。しかしあの時代には、ドライブに行きたくないなどと、両親に言うことは許されていなかった。」「子供達が、そう言える時代が来るのは、その後、25年を待たねばならなかった。」
 
 アメリカ人は誰でも、自分の気持を常に発言すると思っていましたが、昔はそうでなかったと知りました。国民性は、時の流れにより変化するもので、米国も例外ではなかったのです。
 
 「ドライブから帰る途中で、いつものニュース番組が突然中断し、臨時ニュースが流された。それが重要なニュースであることは、子供心にも、アナウンサーの声の調子からわかった。日本人が、真珠湾を爆撃したと言うのだ。」
 
 「これは戦争になるぞと父がそう断言し、9才だった兄と二つ年下の私は、それを胸に刻み込んだ。戦争という言葉が、何を意味するのかも、日本人とは何者なのか、真珠湾がどこにあるのかも、全く知らなかったのだが・・。」「あの時代、孤立主義をとっていたアメリカの国民は、あまり旅行というものをしなかった。」
 
 「とはいえ、車の中であのニュースを聞いたとき、アナウンサーや両親の口調の真剣さから、私と兄は、直ちに真実を悟った。これまでとは、生活が、すっかり変わってしまうだろうと。」
 
 氏の暮らしは戦争のため一変して、困難な日々となるのですが、驚いたのは、ここまでの文章の中に、日本を批判したり攻撃したりする言葉がなかったことです。子供の記憶にはなかったとしても、アメリカ人は「パール・ハーバー」という言葉を聞けば、激しい批判を始めます。
 
 外務省の在米大使館の職員たちの大失態のため、宣戦布告文書が、時間内に届けられなかったため、「不意打ちをした卑怯者の日本人」という汚名を、私たちはずっと着せられたままです。
 
 大使館のことは、日本の恥ずべき手ぬかりですから、私はいつも、「真珠湾攻撃」について、アメリカ人から非難されても甘受しています。だから氏の叙述の穏やかさに安堵し、こんな米国人もいるのだという発見もしました。
 
 氏の姿勢を、息子達だけでなく「ねこ庭」をされる方々にもお伝えしたいと、そんな気になりました。
 
 本日は、ここで一区切りといたします。
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