ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

共同通信社の御用学者 - 4 ( 理想は、国旗も国家もないオリンピック )

2020-01-16 12:53:50 | 徒然の記
 共和主義について調べますと、次のように説明されています。
 
 「共和主義という用語は君主制の国においては、民主主義に基づき、君主の廃位を要求すること、つまり君主制廃止論を意味する場合が大半である。」「君主制の比重が大きい国(イギリス)において、共和主義は依然として君主制廃止論であり、反封建主義的な、左派の色彩を帯びている。」
 
 これが教科書的な説明ですから、氏が記事の中で「共和主義」について読者に説明しないはずです。日本の政治体制は、イギリスと同様に「立憲君主制の国」と国民の多くが思い、私もそう考えています。説明の通りだとすれば、氏と共同通信社は、天皇を廃位しようと考えていることになります。
 
 日本の政治体制について調べますと、色々な捉え方があることが分かります。
 
 「議会制民主主義の国」「議院内閣制の国」「間接民主制の国」「象徴天皇制の国」とあり、「立憲君主制の国」とは説明されていません。外務省の見解では、次のようになっています。
 
 「広い意味では立憲君主制の国といえるが、正確に言うと象徴天皇制の国である。」
 
 憲法の規定で、天皇陛下は「象徴」となっていて、「元首」でありませんからこうなるのでしょう。今回の「ねこ庭」では、日本の政治体制についてこれ以上踏み込まないことにし、将棋面氏の記事に戻ります。
 聴き慣れない「共通善」という言葉についても、調べてみました。
 
 「 〈公共性〉 を重視する共和主義は、思想的に独自の立脚点として公民道徳( Civic virtue )や、共通善( Common Good )などを強調するようになり、政治的には、直接民主制よりも代議制(間接民主制)など、混合政体を主張するようになった。」「共通善には、〈 公共の福祉 〉の訳語があてられる場合もある。」
 
 何ということはありません。「公共の福祉」という言葉を使えば、誰にでも分かるのにそうしません。専門馬鹿と言われる学者は、よくこのようなことをします。
 
 「第二共和政期のスペインでは、スペイン内戦において、民族主義者に支えられたフランコ将軍のナショナリスト派に対抗し、社会主義者、共産主義者、無政府主義者を、共和主義者と呼んだ例がある。」
 
 ネットの情報ですが、これによりますと将棋面氏は、社会主義者、共産主義者、無政府主義者の仲間、ということにもなります。もしかすると氏には心外な説明なのかもしれませんが、私が言いたいのは、言葉は使う人により、時と場所により、違った意味になるということです。読者に理解されようと思うのなら、勝手な用語を濫用せず丁寧な説明をしてください、ということでもあります。
 
 「重要なのは、〈 他人はともかく自分は 〉 という態度です。」「愛国的であるかどうかは、個人の問題であるべきです。他人に義務として押し付ければ、非寛容な社会になってしまう。」
 
 氏の説明もいよいよ、最後の部分になりました。共同通信社の御用学者の意見に我慢するのも、もう少しです。曲学阿世の徒の説教だと知れば、異を唱える気にもなりません。「貴方はそう思いますか。私はそう思いません。」と冷静になれます。
 
 「五輪も、日本代表かどうかに拘らず、個人選手が努力の結果、秀でた能力を発揮する場として、楽しめば良いのではないでしょうか。」
 
 これもまた、一つの意見です。広い日本には、そういう考えの人もいるはずです。少数意見でも否定せず、許容するのが日本です。
 
 「将来は、国旗も国家もなく、気づいたら、あのメダリストは、どこの国の人だったと、なればいいですね。」
 
 令和2年1月4日の千葉日報に掲載された、共同通信の全国配信記事、「五輪は個人で楽しむ。」が、終わりました。自分の国が負けたら、相手国の選手に物を投げたり国旗を破ったりする国が、日本の近くにあります。氏の意見は、そんな国の新聞に掲載すべきでしょう。あるいはオリンピック国際委員会へ行き、演説すればもっと効果的でしょう。
 
 滅多に聞けない少数意見でした。息子たちも、日本にはこんな学者がいて、こんな通信社があることを、ちゃんと知るべきです。そして、日本が、いかに寛容な国であるかをこの実例で理解してください。
コメント (2)
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