今日で4回目になります。息子たちに知ってもらいたいと思う氏の意見が、ここから始まります。
「日本の爆撃機が、ハワイ諸島上空に姿を現し、アメリカ全土を震撼させた日からちょうど50年が過ぎた。その間に私はあの運命の朝には敵だった日本と、普通のアメリカ人以上に深く関わるようになった。」「私はそのことを、嬉しく思っている。」
「私の本はアメリカでと同じくらい、日本でも読まれているし、私はしばしば日本へ講演にも出かけている。」
「ソ連が超大国としての地位を失った今、日本とアメリカは、異質な二つの大国として、世界情勢の中で並び立っている。」「日本は、経済的な意味での超大国となり、アメリカは今では経済こそ弱体化したものの、政治的、軍事的には、超大国としての地位を守っている。」
昭和57年の中曽根内閣以来、昭和62年の竹下内閣、短命だった宇野、海部内閣そして宮沢内閣と、日本では不安定な政治が続いていましたが、氏の目には日本が「経済的な意味での超大国」として、見えていたのです。
というより当時の日本は、つい先日までの中国のように年々経済発展をし、貿易大国として世界中から利益を得ていましたので、実際そうだったのかも知れません。
「この両国が互恵的な関係を維持することは、どちらの国にとっても必要だが、最近ではこの関係が危うくなり、不協和音が流れ始めている。それはおそらく、必然的な結果なのだろう。」「これほど健全な関係を保ち相互に依存していながら、この二つの国家は、社会、文化、言語などの面で全くかけ離れた存在だからである。」
ここでもう一度、最近読んだアメリカ人の著書を、並べてみます。
1. 主としてアメリカ産業の犠牲のもとに、日本が経済大国として極めて急激な成長を遂げたこと。
2. これと並行し、かってアメリカの栄光だった中核産業が様々な問題を抱えるようになったこと。
3. 共産主義社会に起きた大きな変化が、日米間の相互依存関係を変質させたこと。
「真珠湾がもたらした何よりも重要な結果は、それが良きにつけ悪しきにつけ、日本とアメリカを結びつけたということである。二つの国は戦争のため、否応なく結びつけられてしまったのである。」
「戦争が起きてしまった以上日米両国は、太平洋の覇権を巡るそれぞれの野望に、互いに無関心ではいられなくなった。」「両国は、かって勇者たちが戦った相手に対するように、相互に尊敬の念を持って強く結びついていた。」
この文章を読んだ時、反日の朝日と提携したニューヨーク・タイムズ社の記者の意見かと、いささか驚きました。
「当初日米の経済関係は、アメリカを学ぶべき師としてスタートした。」「アメリカは、大量生産と中流階級主体の民主主義において、世界をリードする存在だったからである。」「しかし近年になると日本の勃興によって、そうした図式は根底から変化してしまった。」
「今では両国間で、数多くの合弁企業が設立されているだけでなく、かっての弟子が、師であるアメリカを教えるようになっている。」「日本人がアメリカに渡りアメリカ人に、高品質の製品を大量生産するやり方を教えているのだ。」
弟子の分際で先生を追い越し、いい気になるとはとんでもない礼儀知らずだ、許してなるものかと氏は言いません。夷狄の分際で、中華の国である中国と韓国を追い越し、手助けしようなどとは思い上がった日本だと、隣の二国は大騒ぎします。ここがアメリカと、中国、韓国・北朝鮮の違いでしょうか。
だからアメリカが素晴らしいと、そんなことは言いません。次回の氏の意見を知れば、どちらも似たような国だと分かります。NHKや朝日や毎日などのマスコミに惑わされず、息子たちはどうか自分で世界と日本を知ってください。