今回は、尾野剛志氏の話を中心にブログを進めます。
「匿名にする理由は、障害者が差別されてきた偏見がなくなっていないからです。」
「だから多くの家族は、子どものことを隠しているんです。」「私の知っている人ですが、1日だけテレビで顔を出したところ、」「故郷の方から、電話がかかってきたそうです。」「自分の子が障害者とわかったら、親戚、近所みんなから、いろいろ言われて恥ずかしい思いをする。」
「だから、それまで知らせてなかったようなんです。」「そういう差別が続いてきたことが、今回の事件で犠牲者が匿名になった理由です。」
私には、氏の話がよく分かりました。子供を持つ親なら、誰でも思い当たります。息子や娘の縁談相手の家族に、重度の身体障害者がいると分かって、二の足を踏まない親はいません。自分はそうしないと、断言できる人が何人いるでしょう。私自身にも、言い切る自信がありません。
それはやはり、差別とか偏見とか、そういう言葉でしか語れない気がする一方で、当然の気持だと、反論したい思いもあります。そうであれば、障害児の存在を隠したがる親たちの心も、斟酌しなくてなりません。尾野氏の話を続けます。
「敢えて、きつい言い方をさせていただくと、名前を出したくないという家族の方々が、当人でなく、家族が差別されるから、名前を出したくないという、自分の保身で出さないんだと、僕はそう思っています。」
「ただ、最終的に決めるのはご家族だから、心が癒えて、話してくれるのを待つしかない。僕がそれに対して、実名にしなさいとは言えません。」
私は氏の意見にも賛成しました。障害のある子供への思いやりでなく、自分が陰口を言われないための保身・・・、それもあるだろうと考えました。命を絶たれた子供なのに、名前さえ呼ばれないのですから、「植松からだけでなく、彼らは家族にも殺された」、という氏の言葉の意味も分かります。
「僕が知っている範囲でも、子どもが津久井やまゆり園にいるのに、一度も来ない人がいるんです。」「障害をもった人が亡くなった時に、家族が、同じお墓に入れないという例もあるんです。」「これが現実なんです。」
「知的障害者であっても、自分の子どもは可愛いんですが、それをわかちあえない。だから仕方なく隠す人がいるんです。」
障害があっても子供を愛する親がいて、忌避する親もいるでしょう。それこそ人生いろいろ、親もいろいろですから、第三者には分からない話になります。氏の話だけで、他の家族の人たちを判断するのは難しいと感じました。
「事件の後家族会で、その問題について話す機会もありませんでした。」「去年の10月6日のお別れ会には、県の部課長も来たのに、遺族は一人も来ませんでした。まだ気持ちの整理が、ついていなかったのでしょうね。」
「ただそれから時間がたって、今年 ( 平成29年 )7月22日に、芹が谷園舎で、祈りの集いをやったのですが、その時は亡くなった19人のうち、8人の方の遺族、親戚なども含めて、十数人が来ていらっしゃいました。」
「僕が名前と顔を出して息子のことを語るのは、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです。」
複雑な犠牲者の家族のことが、心を暗くし、思案に暮れるしかできない自分です。それでも私は、「黙ってしまうと、植松に負けたことになる」という、氏の言葉に励まされました。そして微かな落胆が、次の瞬間に来ました、
「僕は妻と再婚しましたから、一矢は僕の子ではないのです。」「一矢が4歳の時に知り合って、全然恥ずかしいと思ったこともないし、障害を持った子がいることを、隠そうと思ったこともありません。」
つまり一矢君は、氏と血の繋がりがなかったのです。家族たちが一番気にかけているのは、血の繋がる家族のことで、親から子へと伝わる遺伝があるため、障害児を隠そうとします。
一矢君は奥様の子供ですから、家族としては氏と無縁でありませんが、冷静に語れる背景には、氏自身の血に、障害児の遺伝がないという確信があるような気もします。
他の家族会の人たちには、実名秘匿について氏に語る資格があるのかと、そんな気持ちがあったのでないかとも思ったりします。しかしその尾野氏にしても、自分に真似のできない親の姿ですから、部外者の私が、あれこれ推測しているのが次第に恥ずかしくなります。
むしろ私が考えなくてならないのは、どうすれば自分の中から、偏見や差別をなくすことができるかでしょう。無くすことはできませんが、減らしたり、障害のある人たちに、辛い思いをさせない工夫とか、努力しようと思います。正直に言って、これはやはり至難の技ですが、尾野氏の言葉が支えとなります。
「黙ってしまうと、植松に負けたことになるんじゃないか、」
車椅子の利用者のことを考えてみれば、周りの道路は段差ばかりですし、駅や公園の階段には、スロープがまだ少ししか設置されていません。国会議事堂にしても、障害者の議員のため、昨年やっと改装されました。おそらく日本は、障害者の人々には不親切で、無関心な国なのかもしれません。
言い足りないことが、沢山ありますが、まずは自分の足元から始めよです。中途半端ですが、今回でこのブログを終わります。