ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『幻想の超大国』 - 9 ( 工業国アメリカの終焉 )

2020-01-22 13:03:35 | 徒然の記

 「アメリカ国民は今ようやく、かってのような経済的繁栄が、過去のものになってしまったことを、徐々にではあるが意識しつつある。」

 自信たっぷりの彼らが、こんな正直を言うとは思いがけないことでした。

 「実際にアメリカの繁栄は15年ほど前に、すでに終焉を告げていたのだが、未来への不安が、アメリカ全体に影を落とし始めたのはごく最近のことだった。」「今アメリカは、好むと好まざるとにかかわらず、繁栄の時代が終わってしまったと言う事実を、受け入れざるを得なくなっている。」

  著作出版の15年前といえば1988年、日本では昭和63年です。首相は竹下氏で、アメリカはレーガン大統領でした。この頃からアメリカの繁栄が終焉を告げていたとは、気づきもしない私でした。強圧的な日本との貿易戦争や、激しい日本叩きがその表れだったのかと思い当たります。

 「長い年月にわたって、アメリカに富をもたらしてきた、自動車、鉄鋼、造船といった産業は熾烈な競争にさらされている。」「東アジア諸国をはじめとする、かっては後進国だった国々の進出のためである。」

 「その原因は、アメリカ産業界の特殊性と高い賃金水準にある。アメリカ経済が、これまで他の国々に対して、圧倒的優位に立っていたため、アメリカ製品は品質が劣る上に、価格が高すぎるものになってしまった。」「経営者や労働者の報酬も、国際的標準からすると、あまりにも高すぎる。」

 氏の本に惹かされたのは、飾らない叙述でした。自分の国の欠点や短所を正直に述べるのは、誰にでもできることではありません。

 「アメリカ企業の経営者たちは、生産のエキスパートというより、財務の専門家と化してしまった。」「彼らは、自分の会社の製品についてほとんど無知であり、製品に関する知識など、必要なしとみなしている。」「アメリカの経営者たちは、会社の株価を高騰させることだけに心血を注ぎ、自社の製品でなく、株を買ってくれる人こそ、真の顧客であると信じて疑わない。」

 そして現在の日本が、まさにこのアメリカの真似をしつつあります。経営者たちが法外な報酬を取るようになり、製品より株価に目を向け、大切な従業員を疎かにし始め、財務諸表ばかり重視するようになっています。

 「アメリカは、工業に従事する中流階級を大量に生み出した、最初の国家だった。」「そして今、ポスト工業時代の経済へ転換する最初の国家になろうとしている。」「アメリカが、20世紀という 〈石油の世紀〉に、いち早く中流階級主体の、工業化社会へ道を開いたことは、日本をはじめとする諸外国に多大な影響を及ぼした。」

 「現在アメリカが抱えているジレンマは、遠からず後に続く国々の、ジレンマにもなるだろう。」「アメリカで起こることは、遅かれ早かれ、世界中で起こるのである。」「他国に先駆けてその段階に達した国々は、豊かになるにつれ、後に続く貧しい国々のために、道を開けてやらざるを得なくなっていくからだ。」

 日本では、政治家にだけでなく学者や評論家も、氏のような意見を言いません。彼らは、日本と敵対する中国や韓国・北朝鮮の経済について、反中、嫌韓の国民に迎合し、感情的な経済論を述べます。

 「中国破綻、日本隆盛」「明日にも潰れる韓国経済」「日本なしでは生きられない韓国」「大嘘の統計で国民を欺く中国経済」

 保守言論人と言われる経済評論家も、極論で扇動をする限りでは、反日左翼と変わりません。彼らは、どちらも日本に害をなす「獅子身中の虫」です。

 日本への理解は欠けていますが、自国を客観的に語る氏の姿勢には、学ぶべきものがあります。日本の学者や経済評論家の中に客観的意見を述べる人物がいても、マスコミが取り上げません。

 反日左翼か、日本賛美の保守か、彼らは極端な意見を報道し社会を騒がせるのが使命だと勘違いしています。儲けるためのマスコミ、国民を扇動するためのマスコミに堕しているからです。「報道の自由」に守られ、誰にもチェックされないマスコミの奢りです。

 「マスコミが、日本を駄目にしている。」

 残念ながら、これが今回の結論です。

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『幻想の超大国』 - 8 ( ニューヨーク・タイムズ記者の偏見 )

2020-01-22 08:01:28 | 徒然の記

 只今、57ページです。朝日新聞と提携する会社の記者の意見かと思えば、割愛しようと思ってもなかなかできません。

 「真珠湾当時、日本とアメリカはどちらも相手を軽蔑していた。アメリカは旧来の固定観念にとらわれて、日本をバカにしていた。アメリカ人のイメージする日本人は、小柄で出っ歯の黄色人種であり、版で押したように眼鏡をかけている。」

 「日本の工業力で作れるのは、せいぜい安物のおもちゃくらいのものだ。それに奴らは、戦闘機を操縦できない。人種的な理由で、飛行機に乗ると平衡感覚を失うからだ、と言った具合である。」

 「日本側のアメリカ人観は、これはまた性質が異なっていた。何よりも日本民族の優秀性、という信念から成り立っていた。日本人は、戦場で勝敗を決するのは武士道精神だと考え、アメリカ人は日本人と違って、祖国のために命を投げ出しはしないと信じていた。」

 「こうした差別意識は、いわれのないものであり、今ではもう信じている人間はいない。しかし私は、現在の日米間の対立を見ていると、次のような確信を抱かざるを得なくなる。」

 私が注目したのは、次の言葉です。

「人間は皆仲間であり、肌の色は違っていても、本質的には似たところが多い。ジャーナリズムや教育の場では、こんな考え方が常識とされている。そのため誰もが、他国の人々のことをよく知りさえすれば、やがて必ず共通点が見つかると信じている。」

 「しかし日本とアメリカの場合は、この考え方は当てはまらないように思えてならない。お互いを知れば知るほど共通点ではなく、相違点の多さに気づかされるのではないだろうか。」

 「日本人とアメリカ人が違うのは、もともと異質だからであり、生活環境、歴史、言語や文化が、全く異なっているからだ。」

 氏は生活環境や歴史や言語や文化が違っていれば、他の民族についてもそう考えるのでしょうか。しかしどうやら氏の意見は、日本人についてだけ語られているようです。民族の共生を盛んに主張する朝日新聞の提携先の、ニューヨーク・タイムズの記者の意見で、高々27年前の本であると言うところに、私はこだわります。

 「人間は皆仲間で、肌の色は違っていても、誰もが他国の人々のことをよく知りさえすれば、必ず理解しあえる。」「日本人は、もっと外国人を受け入れ、寛容な共生社会を作らなくてならない」

 朝日だけでなく、日本のマスコミは最近こうした記事を盛んに書いています。日本の文化を破壊する、安倍総理の「移民法」や「アイヌ新法」についてもこの論理で賛成しています。

 だが肝心の、ニューヨーク・タイムズ社の記者である氏が、ハッキリ否定しています。「日本人とだけは、いくら知り合っても、互いの共通点は見出せない」と言うのですから、朝日新聞は記事の論調を変更するか、同社との提携をやめるかする必要があるのではないでしょうか。

 氏の論理は、次のようになります。

 「われわれがすべきなのは異質な社会を観察し、その相違点や欠点まで含めて、全てを額面通りに受け入れ、敬意と若干の譲歩をもって、相手に接することではないだろうか。」

 「もしそうした道を選ばず、互いの相違点や、相手の寛大さに敬意を払うことを怠れば、恐るべき結果が待ち受けているだろう。それはわれわれが、50年ほど前に、真珠湾で学んだことである。この試練を乗り切るためには、あの運命の日の教訓を生かさなければならない。」

 またしても、真珠湾の話です。気に入らないのは、譲歩し寛大さを見せるのは、まるでアメリカの側であるような書き方です。一神教の国々の頑迷さと比較をすれば、八百万の神様李いる日本の方がずっと寛容なのですが、そう言う知識はありません。

 「世界はみんな友達、話し合えば、誰もが仲良しになれる。」

 朝日新聞だけでなく、共同通信社、NHKもこんな論調でオリンピックを語り、共生社会を主張します。移民を受け入れない日本は、狭量な社会だと決めつけています。

 内容を知れば、氏の意見にもマスコミのキャンペーンにも賛成できなくなります。

 日本は日本、外国は外国と、それぞれが自分の国を大切にすればそれで良いのに、身勝手な理屈を述べ氏は日本を批判しています。共通点がないと言われても、日本のマスコミまでが加わっています。

 書評はやっと60ページで、真珠湾の話もここでお終いです。次回からは、本題の「アメリカの落日」に入ります。

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