「アベノミクス」という言葉は、国内では評価されていません。それどころか、安倍総理が作った「自画自賛の造語」で、中身は何もない、と言うのが大方の意見です。
野党の議員が冷笑し、マスコミが貶すばかりなので、安倍内閣の宣伝文句だろうと、そのくらいにしか思っていませんでした。近藤氏の本を読み、どうもそうではなさそうだと、少し考えを改め、「アベノミクス」を理解するには、発想の転換が必要だと言う発見に至りました。
「総理は景気が回復したと胸を張るが、私たち庶民の感覚では、」「暮らしは何も良くなっていない。」
マスコミが批判しますが、そもそも「アベノミクス」は、「庶民感覚」との比較で語るものではありません。マスコミ用語に「霞ヶ関の論理」とか、「永田町の論理」と言う言葉があります。「霞ヶ関」は官僚、「永田町」は政治家を指し、官僚や政治家の論理は庶民の常識とはかけ離れたものであると、皮肉を込めて使われます。つまり「アベノミクス」は、「国際政治家の論理」、「世界企業家の論理」で考えなければ、理解できないと言うことす。
270ページには、「アベノミクス」をオバマ大統領とプーチン大統領が絶賛したと、書いてあります。また習近平氏と対立する李克強氏が評価し、自らの経済政策に「リコノミクス」と、似たような名前をつけたことが紹介されています。
息子たちに言います。もう一度アメリカ、ロシア、中国の経済状況を思い出してください。オバマ大統領のアメリカは、財政・金融の巨額赤字に悩むだけでなく、富裕層と貧困層の格差が増大し、庶民の不満が満ち溢れていました。ロシアは、ソ連崩壊以来経済の低迷が続き、中国は、いつ崩壊するかと、世界が期待と不安の目で眺める危うさでした。
日本の報道を見る限りでは、たいした努力もせず、総理が景気の回復に巡り合わせたと、そんな風に伝わりますが、他国と比較をする時、初めて「アベノミクス」の評価が定まります。
平成21年の民主党鳩山内閣から始まり、菅内閣、野田内閣と続く3年間、日本経済は最悪でした。「コンクリートから人へ」と、颯爽とした標語を掲げ、彼らは土木・建設事業を諸悪の根源として否定しました。金権腐敗の自民党政治の弊もあり、国民の多くが、民主党のプロパガンダに惑わされました。
しかしその後、東日本大震災による甚大な被害が加わると、多くの企業が倒産し、就職難の若者が溢れました。日本経済は、先の見えない、暗いトンネルへと突き進むばかりでした。
「2012 ( 平成24 ) 年、衆院選の勝利で誕生した安倍政権は、翌年の参院選でも大勝した。」「加えて日本は、ついにオリンピックまで取ってしまった。」「何よりも、内閣支持率が、」「一年経っても、5割以上を保持している。」「また、日本経済は、アベノミクスで復調著しい。」
これは習近平氏の安倍政権への評価を、中国外交関係者が近藤氏に紹介したものです。つまり「アベノミクス」は、平和で穏やかな日本に住む「庶民感覚」との比較でなく、熾烈な競争が展開される国際社会との比較で語られるべきものだったのです。
オバマ大統領が安倍総理をどのように扱ったか、「アベノミクス」の前後での対応を紹介するのが、一番分かりやすい例です。オバマ氏がどんな政治家だったか、安倍氏がいかに屈辱に耐えたか、日本のマスコミが伝えない姿を知って欲しいと思います。
「第二次世界大戦後、ブッシュ・ジュニア大統領の時代までは、」「アジアのことは、同盟国の日本と決めると言うのが、アメリカ外交の伝統だった。」「それをオバマ大統領は、」「アジアのことは、中国と決めると言う態度を、鮮明にしたのである。」「ビジネスライクな、弁護士大統領にとって、」「斜陽の日本よりも、13億人市場の陽光の方が、はるかに魅力的に映ったのだ。」
オバマ氏の冷淡なあしらいを、項目別に列挙します。
・ 平成26年1月 日米首脳会談要請のため、川相外務次官、岸田外相を派遣するが、オバマ氏拒絶
・平成26年2月 一時間だけ認めると回答。TPP参加と市場開放が議題と、厳しい条件付き
・平成26年6月 習近平氏をカリフォルニアの別荘地へ招き、二日間、8時間の首脳会談
・平成26年6月 イギリスで開催されるG8会議での、日米首脳会談申し出を、オバマ氏拒絶
・ 平成26年8月 ロシアで開催のG20会議で、プーチン、オバマ大統領が「アベノミクス」を称賛。
2年後の6月に、オバマ氏はアメリカの現職大統領として、初めて被爆地広島を訪問し、日本国民に感銘を与えましたが、「アベノミクス」成功前の安倍総理に対しては、終始冷淡かつ非礼な対応をした人物です。
「安倍総理は、歴史の事実を認めない、歴史修正主義者だ。」
オバマ氏は韓国の朴槿恵大統領に与し、捏造の慰安婦問題を否定する総理を冷ややかに責めました。その姿が今も忘れられず、好感できない人物として軽蔑の記憶箱に入れています。こんなオバマ氏でさえ、「アベノミクス」の成功後で、かくまで変貌すると言う事実を知り、総理への認識を修正しました。
と言っても、今後も是々非々で行くことに変わりはありません。ここで言いたいのは、総理個人に好悪の感情があるとしても、政治家としての実績は適正に評価すべきでないかと言うことです。「アベノミクス」と同じ理屈で、下記のように比較の対象を変えれば、同じ安倍氏でも違った評価が出てきます。
安倍総理と習近平氏 安倍総理と金正恩氏 安倍総理と文在寅氏
安倍総理とプーチン氏 安倍総理とオバマ氏
次回は、中国で活躍する日本企業について、眼から鱗の話を紹介いたします。