ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

私の詩と歌

2020-03-11 23:00:31 | 徒然の記

 突然ですが、詩を作りました。(  震災の日に寄せて  )

 

   この日々は つらくない

   この涙は  暖かく やさしい

   この日本は 素晴らしい

   温かい涙の 流せる国・・

   愛する息子たちへ送る 私の詩

 

 もう一つ、先日歌を読みました

 

   君は今 いかにおわすや

   青き海に ただ一筋の白き航跡

 

  無粋な私も、時には、詩人になれます。ならずにおれない、時があります。

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日本を取り戻すための、正しい動き - 5 ( 敗訴を重ねる植村隆記者 )

2020-03-11 18:38:03 | 徒然の記

   3.   令和2年3月  4日 「元朝日記者 二審も敗訴へ」

 二段組の小さな記事なので、全文を転記します。「え、まだこんなことをしていたのか。」・・記事を目にした、第一印象です。記憶の箱から植村隆を、全部消していので、ゾンビに出会った気持ちでした。

 「従軍慰安婦報道に関わった、元朝日新聞記者の、」「植村隆氏が、記事を捏造したと、論文や週刊誌で批判され、」「名誉を傷つけられたとして、藤沢市の西岡力客員教授と、文藝春秋に、」「損害賠償などを求めた訴訟の、控訴審で、」「東京高裁は3日、植村氏の請求を棄却した一審判決を支持、植村氏の控訴を棄却した。」

 読みづらい、切れ目のない文章がなので、白石裁判長の判決は箇条書きにします。

  ・ 論文や週刊誌の記事は、植村氏の社会的評価を低下させる名誉毀損に該当する。

  ・しかしこれは意見や評論の域を脱したものでなく、損害賠償責任はない。

   〈  訴訟対象案件 〉

   1.   平成3年に植村氏が書いた記事を捏造と指摘した、西岡氏の論文

   2.  平成26年に週刊文春が掲載した、同趣旨の記事2件

 裁判記録を見ると、植村は今回だけでなく、過去に3回の敗訴判決を申し渡されていました。参考までに、要点のみ紹介します。

   1.   令和元年6月26日 東京地裁判決・・請求棄却 

     西岡氏と文芸春秋社への損害賠償請求

   2.   平成30年11月9日 札幌地裁判決・・請求棄却 

     櫻井よしこ氏と、文芸春秋社他3社への損害賠償請求

   3.   令和元年2月6日 札幌高裁判決・・請求棄却 

     櫻井よしこ氏と、文芸春秋社他3社への損害賠償請求

 今回の東京高裁判決は、1.の東京地裁判決を受けたものと分かりました。彼が判決を不服とし、さらに最高裁まで控訴するのか。記事には書かれていませんが、最後まで抵抗すると考えます。

 なぜなら植村の裁判は、彼個人の裁判というより、反日・左翼勢力の支援で行われているからです。敗訴しながら裁判を続けるには、多額の資金が必要で、植村個人が負担できるはずがありません。平成27年に彼が初めて裁判を起こした時、170人の大弁護団が結成されたという事実が根拠です。この時彼が、都内で記者会見した時の言葉も残っています。

 「23年前に自分が書いた、2本の記事が、捏造と批判され続け、」「その結果、家族や周辺まで攻撃が及んだ。」「私の人権、家族の人権、勤務先の安全を守るため、戦う。」

 弁護団の団長は中山武敏氏、副団長は小林節氏と海渡雄一氏、事務局長が神原元氏で、彼らの戦闘的談話も紹介します。

 「インターネット上で、植村氏や、家族を脅迫する書き込みをした人たちも、」「捜し出し、一人残らず提訴していく」

 崔善愛氏や香山リカ氏たちも、「植村裁判を支える市民の会」を結成し、彼の支援を行っています。

 有名な反日・左翼活動家がここまで彼を持ち上げ、気勢をあげていますから、今更降りることはできないでしょう。反日・左翼の言論が国民の支持を失い、裁判官さえ敗訴としている事案を、虚しいと知りつつ彼は今後も法廷で争うのです。不毛な後半生ですが、「自分が撒いた種は、自分で刈り取る」しかありません。

 この記事を読んだ時も、日本の社会が大きく動いているのを感じました。彼らの時代は終わった・・・という実感です。

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日本を取り戻すための、正しい動き - 4 ( 元朝日新聞記者・植村隆 )

2020-03-11 13:02:02 | 徒然の記

  3.   令和2年3月  4日 「元朝日記者 二審も敗訴へ」

 ( 私が呼び捨てにするのは、本多勝一、吉田清治、植村隆、田原総一郎という、反日・左翼とペテン師だけです。)

 この記事にある「元朝日記者」というのが、植村隆のことです。朝日記者の立場を利用し、大ウソの「慰安婦問題」を捏造した張本人です。朝日新聞は当時まだ日本の一流新聞社と思われ、世界のマスコミが注目する会社でしたから、彼のウソ記事は、あたかも事実であるかのように世界に拡散しました。

 韓国政府と中国が彼の記事に飛びつき、韓国内は言うに及ばず、アメリカやヨーロッパにまで、「慰安婦像」が建つようになったのは、彼の記事のせいです。単なる売春婦の話が、彼の記事で強制連行された少女の話になり、「性奴隷」にまで拡大されました。国連が非難決議を採択し、日本を批判し、日本人が責められ、私たちがどれだけ苦しめられたか、忘れることのできない屈辱の日々があります。

 名前を聞くだけで嫌悪感が生じ、顔写真を見ると吐きそうになります。息子たちのため、彼に関する情報を整理してみようと思います。

 「昭和33年、高知県高須市生まれ。」「早稲田大学卒業後、昭和57年朝日新聞入社。」「昭和62年、韓国、廷世大学留学。」「帰国後、東京本社、大阪本社を経て、」「テヘラン特派員、北京、ソウル特派員を歴任。」

 ソウル特派員時代に慰安婦に関する記事を19本書き、特にこのうちの二本が、大きな反響を呼びました。

  1.   韓国人元慰安婦、金学順の証言に関する捏造

  「騙されて慰安婦になった」という証言を、「軍に連行された」と書き換えた。

  2.   「慰安婦」が、「挺身隊」と同じ意味であるかのように、記事を書いた。 

 私事について言及するのは気がすすみませんが、重要な背景となりますので、情報を紹介します。

  ・ 仙台支局時代に結婚したが、離婚

  ・  現在の妻は、「太平洋戦争犠牲者遺族会」で働いていた女性

  ・  女性の母親は、同会幹部の梁順任 ( ヤン・スニム ) 

  ・  慰安婦問題取材のため訪韓した植村が、証言者となる慰安婦を探している時巡り合い結婚した。

  ・  同遺族会は植村の記事から4ヶ月後に、日本政府に対し「慰安婦賠償裁判」を起こした。

  ・  植村の記事で扱われた金学順は、この裁判の原告の一人である。

 「植村は、身内に利害関係者がいる裁判に関する記事を書いたことになる。」と、ネットで道義面を指摘されています。

 平成26年8月に、朝日新聞が一連の慰安婦報道の間違いを認め、渋々謝罪しました。謝罪のメインは、ペテン師吉田清治の記事でしたが、社長まで辞任する騒ぎとなり、植村もこの時早期退職しています。退職させられたのか、自ら辞職したのか、詳しく知りませんが、彼が裁判を起こしたのはこれ以後の話です。

 自分が撒いた種は、自分で刈り取るというのが、成人に求められる責務です。これについて次回で述べますが、もう読みたくないという方は、スルーしてください。書いている私自身がそんな気持ちですから、お勧めしません。

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