4. 令和2年3月 5日 「原爆展 内容変更要求」「外務省 被団協へ」
「日本を取り戻すための、正しい動き」として取り上げた4件の、最後になりました。実質は二段組みの小さな記事です。
日本原水爆被害者団体協議会 ( 被団協 ) の原爆展について、外務省は過去3回支援を行ってきましたが、今回は、展示パネルの表現に変更を求めているという記事です。
事実が省略されていますから、事情を知らない読者には、理解できない記事になっています。反日・左翼の活動には、説明不足の記事が多いというのが新聞の特徴です。いつもなら、「報道しない自由」を駆使する共同通信社が、記事にしたというだけでも、今回は評価できます。
記事に入る前に、日本原水爆被害者団体協議会 ( 被団協 ) について、紹介します。
《 日本原水爆被害者団体協議会 ( 被団協 ) 》 昭和31年設立
「広島と長崎で、原爆の被害を受けた被害者の生存者(被曝者)によって、」「都道府県ごとに結成されている、被爆者団体46団体が加盟する、被爆者唯一の全国組織。」
〈 活動内容 〉
・核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償要求
・日本政府、国連、諸国政府への要請行動
・核兵器の廃棄、撤去、核兵器廃絶国際条約の締結、国際会議の開催、非核法の制定、原爆被爆者援護法の国家補償の法律への改正、被爆者対策の充実など
〈 広島県原爆被害者団体協議会の分裂 〉
・広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)は、」「1962 ( 昭和37 ) 年のソ連の核実験と、1963 ( 昭和38 ) 年の部分的核実験禁止条約の評価をめぐり、下記二つに分裂した。
・原水爆禁止広島協議会 ( 社会党・総評支援 ) と、原水爆禁止日本協議会 ( 共産党支援 )
・社会党・総評の主張・・「いかなる国の核実験にも反対」
・共産党の主張・・「帝国主義国の実験と防衛的立場の社会主義国の実験を、同列に論じるのは誤り。」
読めば分かる通りこうした「反戦・平和団体」は、共産党と社会党が後ろにいて、反日活動に利用しています。広島には同名の被団協が二つあり、理事長の名前で区別するという分かり難さです。分裂したりくっついたり、反日団体はこんなことを繰り返しますから、外にいる人間はさっぱり理解できません。
旧社会党が、今はなんという党名になっているのか、旧民主党は、以前はどんな党が集まって一つになったのか。立憲民主党と国民民主党が、都議選後にはなんという名前だったか。いつも分からなくなります。政党の対立や分裂に左右される平和団体は、名前と裏腹に、内輪の争いで平和な時がありません。
以前からある反核団体として、私が知っているのは次の二つです。
1. 原水爆禁止日本協会 ( 原水協 ) 昭和30年設立 ・・共産党系
反核・平和運動組織として、労働組合などを単位に、各都道府県に下部組織を持つ。
2. 原水爆禁止日本国民会議 ( 原水禁 ) 昭和40年設立・・旧社会党系
前述のように、昭和38年の原水協大会時に、共産党と社会党(現・社民党)の路線対立により分裂しましたが、その背景は次のようです。
「運動開始当初、原水爆禁止運動は超党派で形成され、マスコミ各社もこぞって支援する、〈 国民的運動 〉だった。」「しかし党派間のイデオロギーと、私利私欲の争いを嫌い、去っていく人が多くなり、」「結局、政党による系列団体化、という結果に終わったという見方もある。」
被団協と原水協・原水禁との関係はどうなっているのか。被団協が、全国統一の唯一の組織だというのであれば、原水協・原水禁の上部組織なのか。・・という具合に、生半可な知識では、こんがらがるだけです。どうせ反日・左翼活動家たちの、道具ですからこの辺りで紹介をやめます。
記事の内容に触れないまま、スペースが無くなりました。ややこしい左翼に関わると貴重な時間が無駄になり、 不毛な国会と似てきます。
申し訳ないことですが、次回がメインとなります。