ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大変な時代 - 2 ( 左翼史観は、便利なツール )

2020-03-16 22:10:17 | 徒然の記

  肝心の書評より、経歴の方に関心を引かれるというのは、珍しい経験です。右のようで左でなく、反日のようで、保守でもなくという、まるでカメレオンみたいに、角度を変えると色が変わる不思議な人物です。

 「経済企画庁長官、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任。」

 前回の民主党政権時の、左翼政府ならまだしも、自民党政権でこういう職務に就くというのですから、氏が保守と見られていた証拠でしょう。

 「また、株式会社堺屋太一事務所および、株式会社堺屋太一研究所の、」「代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても、活動していた。」

 しっかり金儲けに精を出しているところも、竹中氏に似ています。竹中氏は「パソナグループ取締役会長」、「オリックス社外取締役」、「SBIホールディングス社外取締役」、他にもありますが、一番儲けているのは、安倍内閣が作った移民法です。外国人労働者は、全て人材派遣会社を通じて入国してきますが、その窓口が、パソナグループや、オリックスという業界の大手です。

 堺屋氏の博覧会プロデューサー業は、通産官僚の時代に、有名な「大阪万博」をコーディネイトした時の、経験と人脈を活用したものですから、金儲けでは竹中氏の先輩とも言えます。堺屋氏は、竹中氏ほどに憎まれていませんので、野党の議員から「役職を利用して、金儲けしている。」と、批判されたことがありません。( 美しいバラは刺があっても、愛されますが、刺のある竹中氏のような男は、攻撃されます。)

 もう少し、堺屋氏の経歴を辿ってみます。

 ・「昭和29年、住吉高校卒業後、受験に失敗。滑り止めの慶應大学に入るが、すぐ退学。」

 ・「2年間の浪人の後、昭和31年東京大学に合格。当初は建築に興味を持ち、工学部建築家を目指す。」

 ・「教養課程で経済学に興味を抱き、経済学部へ転入。

 ・「経済学部で、大河内一男教授(後の総長)に師事。」「経済学部で3番目の成績で、卒業した。」

 氏の東京裁判史観が、どこで身についたのかが分かりました。後の総長・大河内一男教授への師事という事実の中にあります。話が飛びますが、終戦の翌年(昭和21年)に、大日本帝國憲法を改正しなければならないと、政府が改正事業に着手しました。東大総長南原繁氏が、政府とは別に、学内に「 憲法研究委員会」を設けました。

 「多数の優れた学者を持つ、東京帝国大学としても、」「これについて、貢献する責務があると考えられたからであろう。」「発案者は南原総長であったが、学内にそうした気運がみなぎっていたことも、確かであった。」

 「  」内の叙述は、3年前に「変節した学者たち」と題して、11回のシリーズで書いたブログからの引用です。南原氏は、日本の第一級の人材を集めましたが、同時に彼らは皆、GHQに協力する、反日・左翼学者でした。南原氏は、このほかにも学内に「東大社会科学研究所」という、左翼学者の養成所を作り、日本の学界と思想界を左翼思想で染め上げた人物です。

 前回も紹介しましたが、「 憲法研究委員会」の委員一覧表を、貴重な資料ですから、再度転記します。

 委 員 長    宮沢俊義(法学部)

 特別委員  高木八尺(法学部)  杉村章三郎    岡 義武  末弘厳太郎

       和辻哲郎(文学部)  舞出長五郎(経済学部)

 委  員  我妻 栄(法学部)  横田喜三郎    神川彦松   尾高朝雄

       田中二郎      刑部 荘     戸田貞三(文学部) 

       板沢武雄      大内兵衛(経済学部)  矢内原忠男

       大河内一男     丸山真男(法学部)   金子武蔵(文学部)  

 左翼政治家たちの理論武装を助け、反日マスコミ擁護の論陣を張り、彼らの果たした役割の大きさと、汚染度の高さは、戦後74年経っても元に戻せないのですから、今の「武漢コロナ」以上かもしれません。

 強力な「左翼ウィルス」に接触しても、堺屋氏が一途な左翼にならなかったのは、おそらく、氏が生まれながらに持っている、ご先祖からのDNAだろうと思います。世間での金勘定を忘れない、現実主義者の心が、左翼の空論にのめり込むのを引き留め、飾りの知識としてだけ身につけさせたのだと考えます。

 多くの東大生がそうであるように、堺屋氏も、「頭脳明晰」、「学術優秀」、「何にでも即答できる知識の塊」となり、その分だけ「魂の抜けた」日本人になったようです。私のような無知な人間を相手にする時、左翼史観は便利なツールです。整然とした論理で、あらゆる社会現象を説明しますから、知識のない人間はうなづくしかありません。

 今回も氏は、著書の中で、随所に左翼史観を述べますが、反日学者でないため、執拗な叙述をしません。知識人の飾り文句として、料理の味つけ程度の引用ですから、ぼんやり読んでいると気づきません。意図しているというより、無意識の内に、氏の性格がさせるのだと、私は好意的に推測しています。

 すでに故人でもありますし、少しくらい贔屓の引き倒しをしても、分かる人には分かってもらえると、今回はいい加減な弁解をしています。

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大変な時代 ( 堺屋太一氏は、棘を抜いた竹中平蔵氏 )

2020-03-16 16:52:18 | 徒然の記

 堺屋太一氏著『大変な時代』( 平成7年刊 講談社 )を、読了。3月2日に、近藤大介氏の著『日中再逆転』を読み終えてから、15日が経ちます。

 いつもなら1週間もあれば読む本が、「武漢コロナ」のため、すっかり遅れてしまいました。堺屋氏は、マスコミに盛んに登場し、何かと話題の多い人でしたから、顔と名前をよく知っています。「団塊の世代」と言う言葉を考案したのも、氏なので、時代を見通す嗅覚のある、優れた人間と言う印象があります。

 大宅壮一氏が、「一億総白痴化」と言う言葉を考え出し、テレビ時代を予言しましたが、簡潔な言葉で時代を捉える知恵は、誰もが真似られるものではありません。まして、時代を超え全国に通用する「言葉」となれば、考案者に「優れた人間」と言う称号を、贈りたくなります。

 それなのに私は、氏の著書を読みながら、「この人は、本当に優れた人物なのだろうか。」と、幾度かベージを閉じました。人なつこい笑顔と、穏やかな語り口の氏を、テレビで何度も見ていますが、著書を読み、意見を知るのは今回が初めてです。期待していたので、その分失望もあったかと思います。

  1. 国の主権回復のための、憲法改正

  2. 国の歴史と伝統を取り戻すための、皇室護持

 「この二つの課題を語らない政治家、あるいは学者を、私は日本を愛する人間と思いません。またそれを語らない人たちを、私は保守と呼べません。」・・この思いは、私の中にある一つの物差しです。堺屋氏も当然国を大切にする人であり、保守の論客だろうと思っていましたが、氏は最後まで、この二つに触れませんでした。

 「ならば氏は、反日・左翼か。」と問えば、そう言う気配はありません。氏のような考え方をしていても、日本の未来を予測し、読者に明日が語れるのかと、驚く気持ちもありました。最後まで読み終えた今、結論を先に言いますと、

 1. 氏の著書は、そのまま息子たちには勧められない、悪書の仲間である。

 2. 氏の思考の基本には、以下のものがある。

  (1)  東京裁判史観    (2)  国を軽視するグローバリズム (3)  経済優先の唯物史観

 反日・左翼学者のように紋切り型の言葉を使わず、国を敵視し、批判攻撃することをしませんが、結果として氏の主張は、日本の否定に繋がります。こういう書が世に出回り、氏のような人物がいるという発見が、今回の成果だったかと、予想外の読後感です。氏と似た人物を探すとすれば、竹中平蔵氏ではないかと思います。負けん気の強さと、あくの強さという刺を抜けば、そのまま堺屋氏になるのではないかと、そんな気がします。

 結論を先に述べてしまいましたが、息子たちのためには、どこがそうなのか、どうしてそんな偏見に囚われるのかと、疑問に答えなくては遺言の役目が果たせません。堺屋氏を詳しくご存知の方は、退屈されるでしょうから、スルーしてください。どうせ私は、時間を気にしない年金生活者で、現在は「武漢コロナ」で自宅待機中ですから、いくら書評に時間をかけようと、一向に構わない境遇です。

 氏の経歴を、ネットで検索しました。

 「昭和10年、大阪市生まれ」「平成31年 83才で死去」「東大経済学部卒」

 「元通産官僚、小説家、評論家、位階は従三位、勲等は旭日大綬賞」

 「本名は池口小太郎、ペンネームは、安土桃山時代の商人であった先祖の名前」

 竹中氏は小説を書きませんが、大臣になったり、会社役員になったり、政党のブレーンになったり、八面六臂の活躍をするところが境屋氏とそっくりです。「刺を抜かれた竹中氏」とは、自分の言葉ながら、気に入っています。その分反感や嫌悪感が少なくなりますので、もう少し氏の経歴を追い、書評の参考にしたくなりました。

 つい先日、83才で亡くなられたことも知りましたので、相応の敬意を払いつつ、次回へと進みます。

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