本は、第一章から六章に分かれています。執筆している記者数が14人なので、単純計算をすると、各章を最低二人で書いていることになり、三人の場合もあります。一人の人物が一冊の本を書く場合に比べ、テーマが重複したり、分散したり、一貫性が欠ける理由も分からないではありません。
知らないことを沢山教えられているので、苦情ばかり言わず感謝すべきなのに、つい忘恩の学徒になる自分を反省しています。今後は、日経の記者諸氏に感謝と敬意を忘れないように心がけ、93ページです。
「中国では、都市と農村に分けた、二つの戸籍管理制度がある。」「農村から都市への、人口流入を規制するためだ。」「したがって農村出身者は、都市の戸籍が簡単に得られない。」「戸籍がないと、都市部で家や車が買えず、医療や教育など、」「都市住民が享受できる、公的サービスからも排除される。」
「地方出身者にとって、都市戸籍のあると無しでは、」「人生がまるで違うと言っても、過言ではない。」
不法建造物である、地下シェルターの改造部屋に住む「ねずみ族」は、こうした状況下で生まれました。彼らの住む部屋には窓がなく、昼夜を問わず薄暗く、夏は猛烈な湿気に襲われます。こんな場所に住むのは、ネズミくらいのものですから、彼らは「ねずみ族」と呼ばれます。
しかし「ねずみ族」より、さらに酷い環境にいるのが「アリ族」です。定職につけない若者が、同じ境遇の者たちと、ルームシェアしている場合を言います。名前の由来は、狭い部屋で、蟻のように、多人数でひしめいて住んでいるところから来ています。
もう一度、前回の国家統計局の数字を、思い出してみます。
「都市人口は、6億9千万人、農村部は6億5千万人」「都市人口のうち、約2億人が農村からの出稼ぎ者である。」
共産党政府を支持している富裕・中間所得層の人数は、都市人口の6億9千万人です。ここから農村の出稼ぎ労働者の2億人を引きますと、4億9千万人になります。出稼ぎ労働者が4億人だという別の数字を使えば、2億9千万人です。
つまり中国の人口13億人の内、共産党政権を指示している国民は、たったの2億9千万人だということになります。率にして約23%です。70%を超える国民が不平と不満を持ち、独裁政権を支持していないという結果になります。
ここで私は、先に読んだ近藤大介氏の『日中再逆転』を思い出しました。出版年度も同じ平成25年ですから、氏の予測の的確さを感じさせられます。平成26年以降の中国の危機が、2つあると述べていました。
1. 習近平と李克強の最終闘争。
「社会主義を堅持すれば、経済が停滞し、」「市場経済を優先させれば、政治の民主化が必須となる。」
2. もう一つの危機は、国民の蜂起
「経済が停滞し、失業者が溢れ、」「インターネットでの、表現の自由を奪われ、」「現代版奴隷制度と揶揄される戸籍制度が廃止されず、」「環境汚染は深刻化し・・・と言うことが続けば、国民のマグマは増大して、どこで爆発するか分からない。」
列強の植民地にされないため、明治・大正時代に、日本が近代化を押し進めた時も、貧しい農村が、安い労働力の供給源となりました。細井和喜蔵の『女工哀史』や、徳永直の『太陽の無い街』で描かれる姿に似ています。世界のたいていの国が、貧困から脱し近代化する過程で、一度は通った道です。
中国の場合は、その期間の短さと、規模の大きさが日本と比較にならず、さらに悲惨な状況になっています。日本の場合労働者の敵は、常に資本家とその傀儡政府で、金に目の眩んだ無慈悲な政府を倒せば、労働者の政府ができ、ユートピアが作られるという、希望がありました。
マルクスの思想が広がり、若者たちを鼓舞・激励しました。しかし中国の場合、出稼ぎ労働者4億人を含む70%以上の国民を弾圧しているのは、頼りとすべき労働者の政府です。先に、希望の灯がありません。かってのソ連と同じで、中国のマルクシズムも、すでに破綻していることがこれで分かります。
話をもう一度、「ねずみ族」と「アリ族」に戻します。彼らは、大中国の建設者であり、不可欠の労働力でありながら、都市への流入を拒まれている除け者です。爆発的な流入が、すでに危険な水準を超えているのは、近藤氏の書からも伺えました。
「もう一つの危機は、国民の蜂起」」という、近藤氏の予測が、決して絵空ごとではないと感じます。経団連も、中国国民の怒りのバワーを軽視し、金儲けばかりにうつつを抜かしていると、痛い目に遭います。中国国民を人間でなく、「安い労働力」としてだけ見るのを、そろそろやめる時ではありませんかと、私が言いたいのはここです。