近藤氏の著書で一番驚かされたのが、習近平、李克強両氏の激しい対立関係でした。仲が良くないとは感じていましたが、ここまで険悪だったとは意外です。長くなりますが、該当する叙述を紹介します。
「ダボス会議の期間中、李克強首相は、ある国の首相との会談で、次のように述べたそうである。」「中国には、無限の可能性がある。」「私が、その好例ではないか。」「若い時は一介の農民だったが、今や一国の総理だ。」「だから私は、何も恐れるものがないのだ。」
ここまで自信たっぷりの人物とは知りませんでしたが、こう言う人間でないと、中国ではのし上がれないのでしょう。
「中国には、農村出身で皇帝になった人物が、過去に三人いる。」「漢の高祖・劉邦、明の高祖・朱元璋、そして毛沢東である。」「李克強と会談した首相は、彼はまるで自分を皇帝に擬えているような、イメージを受けた、と語っている。」
「だが実際は、李首相は中国の皇帝ではない。」「共産党の序列で言えば、彼は二位であり、」「一位は、極左政治家 ( 極端な保守派 ) の、習近平主席である。」
「だがダボス会議での、李克強の演説の中には、」「習近平の演説の中に必ず入る〈 屈辱の100年から、中国ドリームへ 〉 、 〈 社会主義の堅持〉 、〈人民に奉仕する 〉 といった表現は、ただの一言もなかった。」
「李首相は、開放、開放、開放と、絶叫する、」「紛れもない、極右政治家 ( 極端な改革派 ) なのである。」「 2013 ( 平成25 )年以降の中国社会は、言ってみれば、一本の太い綱を、」「本物の皇帝 ( 習近平 ) が左に引っ張り、皇帝気取りの ( 李克強 ) が、」「右に引っ張っている。」「13億の中国人は、その張り詰めた綱の上に乗り、」「大揺れなのだ。」「なんと緊張感のあふれる、かつ不安定な社会だろうか。」
習近平氏は、建国の父・毛沢東を目指し、李克強氏は、経済発展の父・鄧小平を目指しています。今は党内で並び立っていますが、二人が今後どのようになるのか、党内には危機感が漂っていると言います。タイトルとともに、氏の予測を紹介します。
「習近平と李克強の最終闘争近し」( 256ページ )
「 2014 ( 平成26 )年以降、中国は二つの危機に向かっていくように、思えてならない。」「一つは、習近平と李克強の最終闘争である。」「極左と極右の路線対立は、如何ともし難く、」「いずれ、雌雄を決しなくてならない。」「換言すれば、中国が社会主義を堅持するか、」「市場経済の発展を優先させるか、である。」「社会主義を堅持すれば、経済は停滞するし、」「市場経済を優先させるのであれば、政治の民主化が必須となる。」
「もう一つの危機は、国民の蜂起である。」「経済が停滞し、失業者が溢れ、」「不動産バブルが進行して、マンションが買えず、」「インターネットでの、表現の自由を奪われ、」「社会保障の、セイフティーネットは整備されず、」「現代版奴隷制度と揶揄される、戸籍制度は廃止されず、」「環境汚染は深刻化し・・・と言うことが続けば、」「国民のマグマは増大していく。」「そんな中、どこでマグマが爆発するか分からない。」
貧しい農村部から、職を求めて移動してきた若者たちが、地下シェルターやマンンションの空室で暮らする姿が、「ネズミ族」「アリ族」と言う言葉で語られています。電気も、換気もない地下シェルターでは、ネズミしか住めないと言うところからついた名前です。
マンションの一室で貧しい若者が共同生活していますが、狭い部屋に鮨詰めになっている様子が、アリの巣に似ているのだそうです。都市部には、百万、千万の単位でいるそうですから、国民の蜂起もありえない話ではありません。
2020 ( 令和2 )年までに両者のいずれかが倒れているだろうと言う、氏の予測は外れましたが、次の予測は当たるのかもしれません。
「このように内政に行き詰まった、習近平主席が、」「国民の怒りの矛先を、日本に向け、」「尖閣奪取と言う暴挙に出るリスクも、想定しておかねばならない。」
韓国の大統領も、国民の不満が溜まり、政権基盤が危うくなり始めると、決まって「日本叩き」を始めました。韓国人と同様に中国人も「日本憎し」でまとまり、政府への不満を忘れます。両国はよく似た行動をしますが、原因は次の二つです。
1. 自己満足でしか無くなっている、中華思想
2. 勝手な解釈をされている、儒教思想
私から見れば、習近平氏も李克強もどっちもどっちですが、近藤氏は李克強氏の方を評価しているようで、周氏には厳しい意見を述べています。次回はそれを紹介することにし、本日はここで一区切りです。