ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大変な時代 - 6 ( グローバリストだった堺屋氏 )

2020-03-18 22:04:55 | 徒然の記

 「大競争時代」についての、氏が説明。これがまた、堺屋式「カメレオン」説です。幕末以降の歴史から説き起こし、昭和、平成の日本を語ります。産経新聞に寄稿する保守の顔をしながら、マルクスの経済論を展開します。

 ブレジンスキー氏が、20世紀最大の失敗はマルクシズムだったと言い、平成2年に『大いなる失敗』という本を出版しています。氏はキッシンジャー氏と並ぶ、現代アメリカを代表する戦略思想家だと言われています。キッシンジャー氏は、ニクソン政権ででしたが、ブレジンスキー氏は、カーター政権のブレーンで、アメリカの外交政策に力を及ぼしました。

 堺屋氏も日本政府で似たようなブレーンですが、ブレジンスキー氏の著作を、読んでいなかったのでしょうか。消えゆく思想と位置づけられ、時代遅れとなった社会主義思想を、堺屋氏は評価しています。本物のマルキストでなく、知的飾りとしか考えていないので、他人が何と言っても気にならないのでしょうか。

 息子たちのため、労を厭わず、氏の叙述を転記します。26ページです。

 「われわれが今経験しつつあるのは、日本が近代になってから、」「4回目の変革期だ。」「第一回目は、幕末から明治維新にかけて、徳川幕藩体制が崩壊し、」「明治官僚体制が、形成された時。」「第二回目は、第一次世界大戦の後、」「明治官僚体制から、昭和軍官体制に変わった時。」

 「第三回目は、第一次世界大戦の敗北の後、」「戦後体制が築かれた時。」「そして今、世界の冷戦構造と日本の成長構造が崩壊した後の、」「この時期が、第四回目の大変革期である。」

 第二回目の変革について、私には異論があります。東京裁判を思い出せば、氏の意図が見えて来るからです。「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、悪かった。」と、この結論を導くには第2回目の変革が必要となります。日本の近代化を進めた明治の官僚政治から、好戦的な軍官体制に変わったから無謀な戦争へ走ったと、そう言いたいための布石です。

 206ページを紹介すれば、息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、私の意見にうなづかれる気がします。

 「昭和10年代に、日本の陸軍軍人にやる気がなければ、」「太平洋戦争の悲劇は起こらなかっただろう。」「不幸にして、日本の軍人たちには、やる気満々の人が多かった。」「それを維持するために、軍事費と軍人権限を強めるという誤りを犯した。」

 「このため、やる気のある軍人を出世させ、要職につけた。」「軍人たちは無闇とやる気を出し、戦線を広げ、」「軍備を拡張し、戦う相手を増やしてしまった。」

 長いので省略しますが、「うつむき加減の経済」になった時、企業は闇雲に社員の「士気」を高めず、程々にしないと失敗する例として語っています。講談調の氏の著作を読む人間は、戦前の日本を誤って理解します。大東亜戦争は、単純化した氏の独善の説明では、正しい理解を妨げます。

 例を示したので、また元の26ページに戻ります。事実と捏造を織り交ぜた、「カメレオン的説明」です。

 「今回の変革期は、平成元年のベルリンの壁の崩壊、」「そしてほぼ時を同じくして起こった、日本のバブル景気の崩壊から始まった。」「この二つの現象は、一見別々に見えるが、実は変革の両面なのだ。」

 「世の中を動かすのは、社会の基礎構造としての経済であり、」「政治はその上に浮かぶ、上部構造に過ぎないとする、」「〈 科学的社会主義の 〉 テーゼの正しさが、皮肉にも、社会主義陣営の破壊で、証明された形である。」

 安倍総理の政策が、最近では、国を大切にしているのか、崩壊させようとしているのか、国民を戸惑わせたり、失望させたりしていますが、堺屋氏をブレーンしていたからだと分かりました。

 「冷戦後の世界、それを一言で言えば、メガ・コンペティション・エイジ、」「つまり大競争時代の到来である。」「冷戦後の世界は、北米、欧州、日本の、先進三極に、」「急成長する東アジアなどが加わり、世界的な経済と文化の、大競争時代になってくるだろう。」

 どうしてこのことが、科学的社会主義の正しさの証明になるのか。最初は、理解に苦しみました。

 大競争時代の特徴は、「世界的な資本の移動」「世界的な物の移動」「世界的な人の移動」で、これを言い換えますと、「地球規模での利益追求」、「地球規模での、自由な物の移動」、「地球規模での安価な労働力の追求」となります。

 ここでは言及していませんが、「国家から解放された資本の自由な活動」、「国境の撤廃」「民族主義の撤廃」となり、内容が「グローバリズム」そのものとなります。

 「温故知新の読書」で、反日・左翼と、マルクシズムと、グローパリズムは、突き詰めていけば同じものになると、教えられたばかりです。

  1.  国の否定   2.  民族の否定   3.  宗教の否定

 このような地球国家は、かっての「ユートピア」と同じで、理屈では考えられても、現実にはあり得ない空想です。利益追求という経済優先の、唯物思想ですから、なるほど氏の意見が妥当性を帯びてきます。

 「 〈 科学的社会主義の〉テーゼの正しさが、」「皮肉にも、社会主義陣営の破壊で、証明された形である。」

 ならば氏は、これがまた、強いものだけが生き残れる、「弱肉強食」の野蛮社会につながっていることを、読者に語るべきです。それが「両論併記」であり、優れた官僚の良心ではないでしょうか。

 スペースの限界のため、ここで一区切りしますが、氏の著作の有害性を少しでも理解してもらいたいので、次回も続けます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大変な時代 - 5 ( 愛国心をなくした、優秀官僚 )

2020-03-18 14:33:08 | 徒然の記

 今回は、堺屋節をそのまま披露します。

 「何より決定的なのは、これからの日本は人口が増えないこと。」「特に若年人口が、急速に減り出すことだ。」「平成6年には、満20才を迎えた人が、206万人もいたが、」「平成7年には、202万人になり、平成8年には、184万人になる。」

 「さらに5年進んだ平成13年には、153万人になり、」「平成27年には、124万人にまで減る。」「こればかりは、大量の移民を受け入れない限り、」「避けられない。」

 この書が出版されたのは、平成7年の橋本内閣の時です。阪神大震災の発災時、自衛隊への出動要請をためらい、被害を大きくした無能な村山内閣の後です。バブルが崩壊し、金融業界が破綻して、いかに救済するかと上を下への大騒ぎでした。

 このような混乱時に、氏は人口減を予測し、大量の移民の必要性に目を向けていました。普通ならこれを「先見の明」というのでしょうが、私には「先見の悪知恵」としか言いようがありません。

 人口の大幅減は、国力を低下させ、国の衰退につながりますから、頭脳明晰な官僚である氏が、危機感を抱くのは当然です。私のような凡人は、即座に「大量の移民」を考えつきません。「人口減の原因は何なのだろう。」「人口を増やす方策は、無いのか。」、こんなことしか思いつきません。

 出版時にはまだ、「移民法」に結びつけるほどの優先度がなかったのか、話が別の方へ進みます。これも、私に思いつけない新鮮な悪知恵でした。

 「避けがたい若年人口の減少にしても、気楽さと、」「面白さを生み出す余地を作る、要因ともなりうる。」「子供が減れば、国民社会全体の、教育負担は減少する。」「人口が増えなければ、住宅を増やす必要もない。」「住宅が増えなければ、都市を広げる工夫も、」「道路や地下鉄を延ばす費用も、必要ではない。」

 「いくらか贅沢な暮らしをするとしても、」「住宅投資や、公共投資が大幅に減らせるし、」「資源やエネルギーの使用量も、抑えられる。」「生活の質の向上ぐらいは、利用の高度化、効率化で、十分賄えるはずである。」

 「つまり、経済が 〈うつむき加減 〉になり、国際社会での責務が増え、」「若年人口が減少するということは、」「より多くの選択の自由と、今を楽しむ余裕が、この国に生じるということである。」

 「うつむき加減の経済」という言葉も、氏の造語でしたが、残念ながら「団塊の世代」のように、世間に広まりませんでした。それより、「低成長時代」とか、「先の見えない安定成長経済」という、言葉の方が流行りました。

 「うつむき加減」という暗い言葉より、「成長」という前向きな言葉にマスコミがなびいたのだと思います。「低成長」も、「先の見えない安定成長」も、実質は「うつむき加減」と同じですが、テレビのコマーシャルと同じで、明るい言葉の方が、国民に喜ばれるからです。私も「うつむき加減の老人」と言われるより、「若さを保っている老人」と呼ばれる方が、嬉しく感じるのと同じ理屈です。

 高度成長経済の時代は、設備投資や公共事業に、多くの資源や生産力が向けられ、国民は勤倹貯蓄の生活を強いられていたと、氏が説明します。高くなる一方の住宅を買うのに、あくせくし、会社に縛られ、遠距離通勤をしていたのだと語ります。そういう気持ちはなかったはずなのに、氏の説明を読むと、そうだったかもしれない、そうだったのかと、納得してしまいます。

 著書の中で、住宅の取得ということを、人生の一大事のように氏が語ります。確かに住宅は大切ですが、私はそれを一生の大事と思ったことがありません。自分が定年後に戸建ての住宅を取得できたのは、真面目に働いた結果、そうなったと思っています。特に家を持とうと、計画しませんでしたし、そのために頑張った記憶もありません。感謝するといえば、安月給にもかかわらず、私に黙って貯金をし、家を買う準備をしていた家内です。

 このように氏の意見は、疑問を抱かせても、何となく納得させる、カメレオン的叙述です。私自身に限れば、糟糠の妻への感謝を発見したことが、収穫でした。

 「常識破壊」と「大競争」という言葉が、本書につけられた副題です。「常識破壊」については、概略紹介しましたので、次回は「大競争」へ進みます。氏の悪知恵に興味のある方だけ、「ねこ庭」へ足をお運びください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする