ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

朝鮮 ( 「花郎 ( ファラン ) 」と「骨品制度」 )

2018-07-26 23:51:17 | 徒然の記

 金達寿(きむ・たるす)氏著『朝鮮』( 昭和33年刊 岩波新書 )を、読了しました。本の裏扉にある氏の略歴を、紹介します。

 「大正8年朝鮮に生まれ、平成9年に死亡、77才。」「昭和5年に、来日。」「昭和16年、日大芸術科卒業。」「昭和17年から、19年まで、神奈川新聞・京城日報の記者。」「昭和21年から24年まで、雑誌「民主朝鮮」の編集者」

「氏のペンネーム・・金達寿、大澤達雄、 金光淳、朴永泰、孫仁章、金文洙、白仁。」

 214ページの文庫本で、目次が五章に分かれ朝鮮の歴史が書かれています。

 1.  民族  2.  歴史  3.  植民地と独立  4.  文化  5.  今日の朝鮮

 氏は「民族」と「歴史」と「文化」で170ベージを使っています。本を執筆するため歴史書を何冊も読んだと、あとがきで説明している通り熱のこもった内容です。朝鮮の古代史を語る、冒頭の言葉に強く心を動かされました。

  「朝鮮の歴史の流れを一口で言うとすれば、それは一貫して、外圧と抵抗とのそれであると言うことができると思う。」「どこの民族にしても、戦争をしなかったものはなく、またその体験をしなかったものはいないであろう。」

 「だがわが朝鮮のように、終始一貫その生まれ出る時からして、戦争という外圧に、さらされてされてきたものはないであろう。」「しかもそれは、今日に続いている。」

 敗戦以来、日本もまた国の独立を失い、73年経った今でも、米軍の基地が全国にあります。沖縄の基地以外はマスコミが取り上げませんので、日本が独立国であるかののように国民も錯覚しています。

 ひと時は、世界第二の経済大国などと得意になりましたが、国際社会での見方は、「日本はアメリカの属国」でしかありません。国内では「アメリカの同盟国」という言葉で説明されていますが、事実はそうでありません。

 だから私は、金達寿氏の無念さが分かります。朝鮮は、大国のつばぜり合いのため南北に分断され、北も南も一つの独立国になれないままです。日本は分断されていませんが、米国、中国、ロシアといった、大国と意思を通ずる「獅子身中の虫」たちがいて、内部で国の独立を妨害しています。

 国の独立を奪われたままの国民同志として、私は氏の怒りと悲しみを理解します。理解するのはその部分だけですが、有意義な書であることに変わりはありません。と言うより、まちがいなく啓蒙の書です。

 「676年、新羅は高句麗と百済を打ち負かし、三国の統一を果たした。」「新羅による統一は、朝鮮の歴史、ひいては朝鮮民族の形成にとって、まさに画期的な大事業であった。」

 「新羅が朝鮮を統一するまでは、朝鮮は、政治的に分裂していただけでなく、種族的にも分裂していた。」「北方の高句麗族と南方の韓族は、」「有史以前には同種のものであったのかもしれないが、長い間の生活習慣の差や、政治的対立によって、言語、習俗が違い、両者を統一した朝鮮人は、まだいなかった。」

 慰安婦問題などで、一方的な攻撃をしてくる現在の韓国ですが、隣国のよしみでしょうか、客観的な歴史には興味を覚えます。676年と言えば、日本は白鳳時代です。天武天皇の世ですが、古事記も日本書紀も編纂されていない時ですから、確かにこれは朝鮮の古史です。

 「韓族出身の新羅が朝鮮を統一してから、韓族の持つ言語・習俗が、朝鮮を支配し、種族的統合が成立した。」「新羅が唐軍を追い出し、朝鮮の政治的統一を成し遂げたことが、今日の朝鮮を生み出すもとであった。」「その意味で新羅の統一は、朝鮮民族の歴史にとって一大転換期であった。」

 新羅による朝鮮を統一を可能にしたものとして、氏は「花郎 ( ファラン ) 」と「骨品制度」 という、聞きなれない言葉を教えてくれました。生まれて初めて聞く言葉なので、氏の説明をそのまま紹介します。

 「花郎というのは一口で言うと、当時の青年組織のことであるが、しかしそれは、貴族の子弟のみに限られていた。」「彼らは将来の国家幹部として、青少年の頃から団体生活を通し、儒・仏・仙の教義を学び、世俗五戒の心情を養った。」

 「君に忠、親に孝、朋友相信じ、万物に対して慈悲心を、といったシロモノであるが、敵に対しては退くことを知らずという、物凄い仙の教義が叩き込まれていた。」「新羅がよく三国を統一し得た裏には、花郎たちの、勇猛果敢な戦いがあったのである。」

 「花郎」には、どこか戦前の日本軍人を彷彿とさせるものがあると感じました。次は、「骨品制度」です。

 「骨品制というのは、新羅の貴族社会の支柱でした。」「いわば、古くからの社会体制であり、骨は血族を意味し、品は身分・地位の意味です。」「つまり人は生まれながらにして、その血統により、身分の差がつけられるということです。」

 「第一骨は、朴、昔、金の三氏で、代々の王となれるのは、この第一骨に限られています。」「第二骨は普通の貴族を構成し、以下第三骨、第四骨、その下にも、いつくかの骨があり、それぞれの骨の中に身分と地位が定まっている。」

 この辺りの、氏の叙述が面白いので、そのまま転記します。

 「なんとも鬱陶しい話であるが、第17代あたりから王位がハッキリと、金氏のみの世襲となった。」「これは従来の第一骨貴族の間に、不満をよんだばかりか、他の貴族の権勢欲に対しても、スキを与えることになった。」「こんちくしょう、それなら俺様も、ひとつ、王様になってやるぞと、言うわけである。」

 「退屈していた貴族の間に、王権の争奪戦が始まった。」「以後、10年間、20年間、30年間と、貴族たちが殺し合い、王位の簒奪を繰り返した。」「中央の王権を巡る、血なまぐさい争いは地方に反映しないはずがない。」

 ということで、それは地方での農民の暴動という形で、頻発していきます。この状況を、氏は何の疑問もなくつぎのように語ります。

 「農民がなぜ暴動を起こすか、ということについては、言うまでもなく、このような封建体制にあっては、それは時期さえ来れば、いつでも起こりうるものなのである。」

 日本でも、百姓一揆があちこちで生じていますが、朝鮮のそれとは、違っているように思えてなりません。これについては、いつか述べることとして、新羅の体制の土台だった「花郎」関する、氏の説明に戻ります。

 「だが、花郎貴族も、三国統一が終わり、太平に慣れてくると、」「次第に崩れ始めた。」「戦場に勇名を馳せた彼らも、今はなんのことはない、」「花鳥風月を弄ぶ、ただの貴公子に変じてしまったのである。」「彼らがこうであるから、他の貴族たちは、」「おして知るべしと言うわけだ。」

 「彼らは、骨品制の伝統的な権力と、」「地位を守るだけの、存在となってしまった。」「そこではまた、当然のこととして、かって外に向けられていた、権勢欲、嫉視、反目といったものが、内に向けられ渦を巻き始めた。」

 「平和な時代であるにもかかわらず、農民たちは、こうした貴族の、豪奢な生活を支えるため、いっそう隷属化を促進され、やりきれなくなっていた。」

 農民の暴動が頻発し、地方の豪族が結びつき天下は乱れ、やがて新羅は首都圏だけを支配する、一勢力となってしまいます。この状況についても、氏は何の疑問もなく、つぎのように語ります。

 「豪族とて、農民の味方であるはずはないが、しかし、とにかく支配者が変われば、少しは良くなると思ってもこれは致し方ない。」

 常に外敵に責められる朝鮮と、外敵のない島国の日本との違いでしょうか。ここに私は、明確な思考の差異を認識しました。確信でなく、推測に過ぎませんが、ご先祖様たちは、日本の中心を重要視し、国民の心が常に一つの権威を守るような制度を作ろうとしていた・・ということです。権勢欲にかられた、身勝手な支配者によって、国の中心が乱れないように、天皇を抱くことの大切さを知っていたのです。

 私には、まだ人生が十分残っていますから、この推測につきましては、今後勉強することとし、明日はまた氏の著作に戻りたいと思います。

 「古きを訪ねて、新しきを知る。」、我那覇さんが教えてくれた「温故知新」です。歴史の中には、現在の日本や韓国、あるいは北朝鮮や中国との関係が事実として残され、沢山のヒントを与えてくれます。眼前にある問題は、簡単に解けるものでありませんから、マスコミの雑音に惑わされないためにも、読書の必要性がある気がします。

 「急がば、回れ」です。

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4 コメント

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夏の休暇の日に思う。 (あやか)
2018-07-27 14:36:34
猛暑の日が続いておりますが、お元気でいらっしゃいますか?
今回は、『朝鮮』をテ-マをしたブログとの事、、、、楽しみにしております。
いつも、猫庭さまは、いろいろな書物を読み、たえず勉強しておられ、私も見習わなければならない、と思います。
金達寿さんの『朝鮮(岩波新書)』は、私も学校の図書館で、ぱらぱらと読んだ事があります。
ぱらぱら程度ですので、書評をすることは出来ませんが、概説的な朝鮮史としては、まあ、有益な書物でしょう。
 金達寿さんの名前は聞いた事があります。作家の司馬遼太郎さんとも懇意にしていらっしゃったようですね。
金達寿さんには、確か『玄界灘』とかいう小説もあり、また昭和40年代に『日本の中の朝鮮文化』という連作紀行文を、書いています。内容は、古代日本にやって来た帰化人(渡来者)の事績にまつわる神社仏閣・遺跡などを述べたものですが、金達寿氏は、かなり過剰な朝鮮文化の影響力を強調したり、牽強付会な部分が多く、今では(日本の中の朝鮮文化の書物)は、かなり批判されているようです。

ただし、今回、猫庭さまが引用しておられる岩波新書版の『朝鮮』に限って言えば、客観的に記述して居られるようですね。
 ただし今の韓国朝鮮は、複雑な政治問題や、いびつな反日ナショナリズムが横行しており、さらには歴史考証がでたらめな韓流歴史ドラマの氾濫で、韓国朝鮮人自身も自国の歴史を客観視しにくいと思います。
 それに加えて資料が乏しいんですね。
朝鮮の最古の歴史書といえば『三国史記』と『三国遺事』ですが、どちらも日本の『古事記』『日本書紀』よりも、ずっと後の時代に編纂されたものです。(日本の古事記・日本書紀は、奈良時代に書かれた物ですが、朝鮮の三国史記は、日本の平安時代後期の作であり、三国遺事は鎌倉時代の作です。)
 朝鮮人自身によって書かれた朝鮮古代史はそれだけであり、そのほかにチャイナ人から見た朝鮮半島の歴史書は豊富にありますが、いづれもチャイナ人本位の書き方であり、公正であるとは限りません。
 
金達寿氏は、そういう限定的な資料を考証して岩波の『朝鮮』を著述されたと思いますが、執筆しながら朝鮮民族の様々な不運(古代の歴史書の喪失もふくめて)を嘆かれたんじゃないかと思います。
  
 古代新羅が『朴、昔、金』の3つの王家の交替があったことは確かですが、第2王朝の昔氏の始祖『昔脱解』
が、実は日本人であったことが、前掲の『三国史記』に明記されています。
 しかし、これは、今の韓国朝鮮人にその事を言うと嫌がると思いますし、これも、韓国人が自国の歴史を客観視出来ない一例でしょう。
 
 日本人の学者には、戦前は、朝鮮の歴史や文化について、かなり熱心で良心的な研究がなされていました。
(朝鮮を統治していた大日本帝国が朝鮮の歴史や文化を抹殺しようとしていた、という風説は事実に反しています)
金達寿さんご自身も、そういう古い世代の日本人の学者の朝鮮史の学説の感化を受けていたと思います。

 私個人としては、韓国や北朝鮮の傲慢無礼な態度や在日朝鮮人の一部の身勝手な態度には怒りを感じますが、それは論外としても、やはり朝鮮人に対して、忍耐強く長い目で見ることも必要でしょう。
 そういう見地から見まして、猫庭様の『朝鮮』にかんする御研究に期待しています。
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追記 (あやか)
2018-07-27 15:25:21
前回のブログも拝見しました。
 途中で、『道場破り』みたいな人が闖入したようですが(苦笑)。。。。
しかし、『猫庭様の道場』は簡単には破れないですよね。、、、まあ、入り口で怒鳴ってるだけです。

 それはさておき、本論は「国民が望む野党」との事ですが、結局のところ、今は健全な野党がいないんですね。
『消去法(ダメならものから消して行く選択法)』で考えたら自由民主党しか残らないんですね。
「今時の若者」に、案外、自民党支持が多いのもそのためです。
今の「若もん」は、現実的ですからね、、、、

 ただ、年輩のかたにお聞きしますと、昭和時代のころは、比較的健全な野党が有ったそうです。
「民社党」(社民党じゃないですよ)という政党がそれで、「穏健な労働組合」を支持基盤にしていたそうです。
自民党よりも前に『憲法改正』を主張しておられ、非常に真っ当な政策を掲げていたらしいですが、残念ながら少数党だったらしいですね。

猫庭様のブログは、全然、偏っていないと思いますよ。
猫庭様のブログが右に偏ってるというならば、今の社会がよほど左よりになってるって事ですね。

 御長男のかたが、そのことで少し心配なさってたと言うことですが、、、、
たぶん『政治的な意見のブログ』をすると、いろんな激しい批判や嫌がらせを受けるんじゃないかと、、、、
長男さんは、そういうことでお父様(猫庭さま)のことを気づかっておられたんだと思います。
 長男さんは、猫庭様と、お考えは少し違っていらっしゃるかも知れませんが、親孝行なかただと拝察します。

もちろん、猫庭様のブログは、続けていただきたいです。

65歳になってから、この愛国保守のブログを始められたとの事ですが、御立派だと思います。

★反対に、65歳になってから『左翼ブログ』を始めたとすれば、これはもう、おつむがイカれてますね。
(そんなヒトも、かなりいるそうですよ。団塊の世代の人にそんなのがいるらしいです)(苦笑)
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金達寿氏について (onecat01)
2018-07-27 17:08:40
あやかさん。

 金達寿氏については、今回初めて知りました。
「過剰な朝鮮文化の影響力を強調したり、牽強付会な部分が多く、」というのは、今回でも同じですね。

 しかし私が注目せずにおれないのは、古代朝鮮への熱い思いです。今の朝鮮を見れば、氏の心の拠り所は、何処にもありませんから、アイデンティーを求めずにおれないのだと思います。

 帰化人という言葉を渡来人に変えたのは、氏の功績であるらしいので、感心もしています。本人が言っているのでなく、他の資料で読みました。

 あと何回続くのか、自分でも分かりませんので、朝鮮及び朝鮮人への、読後の結論はまだ控えておくことといたします。

 「忍耐強く、長い目で見る。」というところは、同じです。「見るだけにしておく、ことが大事。」
・・(ほんの少し、感想を言います。彼らの日本人への恨は、永遠に消えませんから。)
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民社党 (onecat01)
2018-07-27 17:26:11
あやかさん。

 私は「年配の方」ではありませんが、民社党については、記憶があります。初代は、西尾末広氏だったと思います。

 当時は自民党も、露骨な会社側の政党でした。スト破りに、平気でヤクザ者を集めたりする経営者を、黙認していました。社会党は、何でも反対とデモと怒号の党で、あの頃から不毛の野党でした。

 その中間を行く、民社党でしたから、私は応援していました。国民性としては、是々非々なのに、政党は右左をはっきりさせたがるのでしょうか。浪花節の春日一幸氏以降は、鳴かず飛ばずで、いつの間にか消えてしまいました。

 今にして思いますと、マスコミがそうしたのでないかと、そんな気がしています。是々非々で丸く収まってしまうと、記事にならないし、憲法改正などされたら大変だと、マスコミが無視したせいかも知れません。

 熱い夏です。二つもコメントを頂き、有難うございます。二つの感謝をお返しいたします。
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