氏は、アメリカの繁栄をもたらした最大の貢献者として、ヘンリー・フォード氏とフランクリン・リーズベルト大統領の二人をあげています。二人とも日本で有名ですから私も知っていますが、ここまで評価されているとは意外でした。
ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃を事前に知りながら、アメリカ国民に知らせなかった人物として、私には嫌悪感しかありません。それでも氏の意見を紹介するのは、アメリカを知る手がかりとして有意義である、という気がするからです。
「アメリカの繁栄の元となったアイディアを生み出したのは、意外に思えるかも知れないが、互いに相手を憎み合っていた二人の男だった。」
「その一人は、ヘンリー・フォード一世である。」「彼は、普通の労働者たちに目を向け、大量生産方式により自動車のコストを大幅に下げることで、自分の工場で働いている労働者たちを、同時に自動車の購買者とすることに成功した。」「その意味で彼は、20世紀最大の革命をもたらした一人であり、私が思うに、マルクスやレーニンより、遥かに偉大な存在だった。」
「ヘンリー・フォードが、一般市民のための自動車を作り出したのを受けて、ドイツでは戦後間もなく、フォルクスワーゲンが大衆車の製造を開始した。同じ頃、まだ西欧諸国より、だいぶ貧しかった日本でさえ、ホンダがまずオートバイを作り、続いて、自動車の生産に乗り出した。」
フォード氏に続き、ルーズベルト大統領の偉大さを語ります。
「ルーズベルトは、ニューディールの一連の改革を通じて、資本主義をより洗練した形にし、一般の労働者たちの政治的・経済的な権利を守る体制を作り出した。」
「ルーズベルトのもとで、資本主義はオーナーや経営者のみに利潤をもたらす野蛮なシステムでなく、経営者側の権利要求を、労働者側の権利要求と、うまく折り合わせたものになった。」
「彼は労働者を産業の奴隷という地位から解放し、基本的な権利を持つ人間に変えたのである。」「ルーズベルトが作り上げたシステムを、全ての国がそのまま導入したのではないが、大部分の国でうまく機能している。だからこそ彼を、この偉大な革命をもたらした、第二の貢献者と呼ぶことができる。」
ルーズベルトの作ったシステムが、日本に導入されていると知るのは、驚きでした。
「皮肉なことに、労働者の権利に関するニューディール的な考え方を、率先して日本に持ち込んだのはルーズベルトを憎悪していた、」「ダグラス・マッカーサーだった。」
「マッカーサーはそうすることで、戦後の日本において、労働組合と経営側のバランスを、うまく保とうとしたのだ。」
説明をされると、符合する事実が思い出されます。日本では明治44年に工場法が制定されましたが、内容的には労働者の権利を守るより、経営者側に立つ法律でした。組合運動をする者はアカとみなされ、警察に睨まれていましたから、活動は非合法でした。
調べてみますと、次のような情報がありました。
「日本の労働法の本格的な形成は、第二次世界大戦後に始まり、1945 ( 昭和20年 )に(旧)労働組合法、次いで1946(昭和21年)に、労働関係調整法が制定された。」
つまりこれはGHQ統治下のことで、マッカーサーが作らせたものです。それだけでなくマッカーサーは共産党を合法化し、獄中にあった幹部を釈放し、組合活動を認可しました。「占領軍は解放軍である」と、共産党の委員長徳田氏が感激したのは、この時の話です。
こうしてみますと、良きにつけ悪しきにつけ日本の戦後史は、アメリカ抜きで語れないことが分かります。
「ブルーカラー層が伸長した時代の、アメリカの政治体制は、高度成長期の日本の体制とよく似ている。当時の民主党は、日本における自民党のような存在だった。」
全てアメリカの影響だと言いたいのかも知れませんが、そこは違います。アメリカの民主党と日本の自民党が似ているのは、双方が政権を担当したということくらいで、それ以外は似ていません。
自民党は労働者の権利を守る党でなく、むしろ経営者側の党で、組合から資金をもらい、労働者の権利を主張しているのは反日左翼の社会党でした。
そして全く似ていない点は、アメリカの民主党と共和党が共に祖国を愛しているのに、戦後日本の政党は、保守も野党も「愛国心」を失っているところです。もっと日本を観察しなさいと、この部分では注文がつけたくなりました。
書評はやっと70ページです。329ページの本ですから前途遼遠ですが、いつものことなので気にしません。気にする点があるとすれば、私がいなくなった後で発見しても、長すぎるブログを、息子たちが読んでくれるかという点です。