ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『幻想の超大国』 - 11 ( 日本とアメリカの政党の違い )

2020-01-23 17:19:11 | 徒然の記

  氏は、アメリカの繁栄をもたらした最大の貢献者として、ヘンリー・フォード氏とフランクリン・リーズベルト大統領の二人をあげています。二人とも日本で有名ですから私も知っていますが、ここまで評価されているとは意外でした。

 ルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃を事前に知りながら、アメリカ国民に知らせなかった人物として、私には嫌悪感しかありません。それでも氏の意見を紹介するのは、アメリカを知る手がかりとして有意義である、という気がするからです。

 「アメリカの繁栄の元となったアイディアを生み出したのは、意外に思えるかも知れないが、互いに相手を憎み合っていた二人の男だった。」

 「その一人は、ヘンリー・フォード一世である。」「彼は、普通の労働者たちに目を向け、大量生産方式により自動車のコストを大幅に下げることで、自分の工場で働いている労働者たちを、同時に自動車の購買者とすることに成功した。」「その意味で彼は、20世紀最大の革命をもたらした一人であり、私が思うに、マルクスやレーニンより、遥かに偉大な存在だった。」

 「ヘンリー・フォードが、一般市民のための自動車を作り出したのを受けて、ドイツでは戦後間もなく、フォルクスワーゲンが大衆車の製造を開始した。同じ頃、まだ西欧諸国より、だいぶ貧しかった日本でさえ、ホンダがまずオートバイを作り、続いて、自動車の生産に乗り出した。」

 フォード氏に続き、ルーズベルト大統領の偉大さを語ります。

 「ルーズベルトは、ニューディールの一連の改革を通じて、資本主義をより洗練した形にし、一般の労働者たちの政治的・経済的な権利を守る体制を作り出した。」

 「ルーズベルトのもとで、資本主義はオーナーや経営者のみに利潤をもたらす野蛮なシステムでなく、経営者側の権利要求を、労働者側の権利要求と、うまく折り合わせたものになった。」

 「彼は労働者を産業の奴隷という地位から解放し、基本的な権利を持つ人間に変えたのである。」「ルーズベルトが作り上げたシステムを、全ての国がそのまま導入したのではないが、大部分の国でうまく機能している。だからこそ彼を、この偉大な革命をもたらした、第二の貢献者と呼ぶことができる。」

 ルーズベルトの作ったシステムが、日本に導入されていると知るのは、驚きでした。

 「皮肉なことに、労働者の権利に関するニューディール的な考え方を、率先して日本に持ち込んだのはルーズベルトを憎悪していた、」「ダグラス・マッカーサーだった。」

 「マッカーサーはそうすることで、戦後の日本において、労働組合と経営側のバランスを、うまく保とうとしたのだ。」

 説明をされると、符合する事実が思い出されます。日本では明治44年に工場法が制定されましたが、内容的には労働者の権利を守るより、経営者側に立つ法律でした。組合運動をする者はアカとみなされ、警察に睨まれていましたから、活動は非合法でした。

 調べてみますと、次のような情報がありました。

 「日本の労働法の本格的な形成は、第二次世界大戦後に始まり、1945 ( 昭和20年 )に(旧)労働組合法、次いで1946(昭和21年)に、労働関係調整法が制定された。」

 つまりこれはGHQ統治下のことで、マッカーサーが作らせたものです。それだけでなくマッカーサーは共産党を合法化し、獄中にあった幹部を釈放し、組合活動を認可しました。「占領軍は解放軍である」と、共産党の委員長徳田氏が感激したのは、この時の話です。

 こうしてみますと、良きにつけ悪しきにつけ日本の戦後史は、アメリカ抜きで語れないことが分かります。

 「ブルーカラー層が伸長した時代の、アメリカの政治体制は、高度成長期の日本の体制とよく似ている。当時の民主党は、日本における自民党のような存在だった。」

 全てアメリカの影響だと言いたいのかも知れませんが、そこは違います。アメリカの民主党と日本の自民党が似ているのは、双方が政権を担当したということくらいで、それ以外は似ていません。

 自民党は労働者の権利を守る党でなく、むしろ経営者側の党で、組合から資金をもらい、労働者の権利を主張しているのは反日左翼の社会党でした。

 そして全く似ていない点は、アメリカの民主党と共和党が共に祖国を愛しているのに、戦後日本の政党は、保守も野党も「愛国心」を失っているところです。もっと日本を観察しなさいと、この部分では注文がつけたくなりました。

 書評はやっと70ページです。329ページの本ですから前途遼遠ですが、いつものことなので気にしません。気にする点があるとすれば、私がいなくなった後で発見しても、長すぎるブログを、息子たちが読んでくれるかという点です。

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『幻想の超大国』 - 10 ( 米国人と日本人の反省の違い )

2020-01-23 09:25:49 | 徒然の記

 久しぶりに学生時代の自分に戻り、学徒として氏の説明に耳を傾けます。

 「かくして、今世紀に入ってアメリカが最初に生み出し、50年以上にわたって繁栄の土台としてきた、ブルーカラー中流階級が、永続的なものでないことが明らかになった。」「こうしたことこそ、現在のアメリカが直面している危機の本質に他ならない。」

 「アメリカは、ここ数十年の長きにわたって、類を見ないほどの繁栄を享受したきた。」「その間、アメリカン・ドリームの中核となってきたのは、子供たちの世代は、親の世代より良い生活ができるという信仰だった。」

 「しかしアメリカは、ついに旅路の果てにまで行き着いてしまった。」「今アメリカ人の多くは、口にこそ出さないものの、次の世代は今のような生活を維持できないのではないかという、深刻な恐れを抱いているのだ。」

 陽気で、時に乱暴で、騒々しく、しかし親切で横柄でもあったアメリカ人が、ここまで本心を語るとは考えもしないことでした。できることなら私たちも、戦前の日本の一時期を、氏のように自らの言葉で問い直すことはできないのだろうかと、そんな想いに駆られます。

 「ベトナム戦争は、ウィリアム・フルブライト元上院議員の言葉を借りれば、 〈 力の傲慢〉を、象徴するものだった。同じように、第二次世界大戦後のアメリカは、〈 豊かさの傲慢〉ゆえに数多くの経済的過ちを犯した。」

 「アメリカ国民はアメリカの産業が、国内市場を永遠に独占し続けることができ、外国の企業などは競争相手にならないと信じ込んでいた。」「こうした過ちの多くは、確かにアメリカ固有のものである。」

 悲観的な意見を聞かされても、敬意を覚えるのはなぜだろう。暗い事実を語っていても、氏が卑屈にならないのはなぜかと考えました。そして発見したのは、愛国心でした。愛国心を失わなければ、国の状況が如何様に変化しても、国民は誇りと自信を失わないという発見です。だから、次の言葉が続きます。

 「しかしそれでもなお、世界経済が新たな秩序に移行しつつある現在、アメリカの経験は、諸外国とりわけ日本への教訓となるだろう。」「国際的な競争が激化する時代に、ブルーカラー中心の産業形態を維持し続けるのは困難である。」「貧しいが、向上意欲に燃えている国々が、低賃金で労働力を維持できることを武器に、工業に進出し、基礎的な分野を一手に引き受けることになるからだ。」

 この謙虚さが、私たちには欠けていました。世界第二の経済大国になった時、〈 豊かさの傲慢〉のため、日本は多くの国に敵を作ってしまいました。「東京裁判史観」を信じ、形だけの反省をし、卑屈になりながら、結局は〈 豊かさの傲慢〉に負けてしまいました。

 米国人と、私たち日本人の反省の違いがどこから生まれるのか、決定的な原因は愛国心です。氏は愛国心を失っていないから、厳しい反省をしても、アメリカそのものには希望を抱いています。

 第二次対戦後のに日本の多くは、日本の過去を否定しご先祖を憎み、国そのものへの信頼を捨てました。つまりごく普通の国々が持っている、愛国心を捨てたのです。愛国心のない人間の反省は、その場限りのもので根っ子がありません。

 これまで何度か紹介しましたが、マレーシアのノンチック氏の書いた詩を思い出します。氏は戦時中に日本が受け入れた東南アジア留学生の一人で、戦後マレーシアの上院議員になっています。アセアンの設立に尽力した、リーダーの一人です。この詩は、日本人が失っているものを教えています。謙虚に読みたいものです。
 
 かって 日本人は 清らかで美しかった
 かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
 アジアの国の誰にでも
 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
 何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
 おこりんぼや わがままな人もいた
 自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
 いなかったわけじゃない
 
 でも その頃の日本人は そんな少しの いやなこととや
 不愉快さを超えて おおらかで まじめで
 希望にみちて明るかった
 
 戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
 学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
 まじめに
 自分たちの父祖や先輩は
 悪いことばかりした残酷無情な
 ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
 だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
 私たちはそんなことはいたしませんと
 いえばよいと思っている。
 
 そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
 自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
 うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
 ひとりよがりの 
 自分本位の えらそうな態度をする
 そんな 今の日本人が 心配だ
 
 ほんとうに どうなっちまったんだろう
 日本人は そんなはずじゃなかったのに
 本当の日本人を知っているわたしたちは
 今は いつも 歯がゆくて 
 悔しい思いがする
 
  自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
 ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
 自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
 さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
 こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
 
 どうして日本人は
 こんなになってしまったんだ         
 
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『幻想の超大国』 - 9 ( 工業国アメリカの終焉 )

2020-01-22 13:03:35 | 徒然の記

 「アメリカ国民は今ようやく、かってのような経済的繁栄が、過去のものになってしまったことを、徐々にではあるが意識しつつある。」

 自信たっぷりの彼らが、こんな正直を言うとは思いがけないことでした。

 「実際にアメリカの繁栄は15年ほど前に、すでに終焉を告げていたのだが、未来への不安が、アメリカ全体に影を落とし始めたのはごく最近のことだった。」「今アメリカは、好むと好まざるとにかかわらず、繁栄の時代が終わってしまったと言う事実を、受け入れざるを得なくなっている。」

  著作出版の15年前といえば1988年、日本では昭和63年です。首相は竹下氏で、アメリカはレーガン大統領でした。この頃からアメリカの繁栄が終焉を告げていたとは、気づきもしない私でした。強圧的な日本との貿易戦争や、激しい日本叩きがその表れだったのかと思い当たります。

 「長い年月にわたって、アメリカに富をもたらしてきた、自動車、鉄鋼、造船といった産業は熾烈な競争にさらされている。」「東アジア諸国をはじめとする、かっては後進国だった国々の進出のためである。」

 「その原因は、アメリカ産業界の特殊性と高い賃金水準にある。アメリカ経済が、これまで他の国々に対して、圧倒的優位に立っていたため、アメリカ製品は品質が劣る上に、価格が高すぎるものになってしまった。」「経営者や労働者の報酬も、国際的標準からすると、あまりにも高すぎる。」

 氏の本に惹かされたのは、飾らない叙述でした。自分の国の欠点や短所を正直に述べるのは、誰にでもできることではありません。

 「アメリカ企業の経営者たちは、生産のエキスパートというより、財務の専門家と化してしまった。」「彼らは、自分の会社の製品についてほとんど無知であり、製品に関する知識など、必要なしとみなしている。」「アメリカの経営者たちは、会社の株価を高騰させることだけに心血を注ぎ、自社の製品でなく、株を買ってくれる人こそ、真の顧客であると信じて疑わない。」

 そして現在の日本が、まさにこのアメリカの真似をしつつあります。経営者たちが法外な報酬を取るようになり、製品より株価に目を向け、大切な従業員を疎かにし始め、財務諸表ばかり重視するようになっています。

 「アメリカは、工業に従事する中流階級を大量に生み出した、最初の国家だった。」「そして今、ポスト工業時代の経済へ転換する最初の国家になろうとしている。」「アメリカが、20世紀という 〈石油の世紀〉に、いち早く中流階級主体の、工業化社会へ道を開いたことは、日本をはじめとする諸外国に多大な影響を及ぼした。」

 「現在アメリカが抱えているジレンマは、遠からず後に続く国々の、ジレンマにもなるだろう。」「アメリカで起こることは、遅かれ早かれ、世界中で起こるのである。」「他国に先駆けてその段階に達した国々は、豊かになるにつれ、後に続く貧しい国々のために、道を開けてやらざるを得なくなっていくからだ。」

 日本では、政治家にだけでなく学者や評論家も、氏のような意見を言いません。彼らは、日本と敵対する中国や韓国・北朝鮮の経済について、反中、嫌韓の国民に迎合し、感情的な経済論を述べます。

 「中国破綻、日本隆盛」「明日にも潰れる韓国経済」「日本なしでは生きられない韓国」「大嘘の統計で国民を欺く中国経済」

 保守言論人と言われる経済評論家も、極論で扇動をする限りでは、反日左翼と変わりません。彼らは、どちらも日本に害をなす「獅子身中の虫」です。

 日本への理解は欠けていますが、自国を客観的に語る氏の姿勢には、学ぶべきものがあります。日本の学者や経済評論家の中に客観的意見を述べる人物がいても、マスコミが取り上げません。

 反日左翼か、日本賛美の保守か、彼らは極端な意見を報道し社会を騒がせるのが使命だと勘違いしています。儲けるためのマスコミ、国民を扇動するためのマスコミに堕しているからです。「報道の自由」に守られ、誰にもチェックされないマスコミの奢りです。

 「マスコミが、日本を駄目にしている。」

 残念ながら、これが今回の結論です。

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『幻想の超大国』 - 8 ( ニューヨーク・タイムズ記者の偏見 )

2020-01-22 08:01:28 | 徒然の記

 只今、57ページです。朝日新聞と提携する会社の記者の意見かと思えば、割愛しようと思ってもなかなかできません。

 「真珠湾当時、日本とアメリカはどちらも相手を軽蔑していた。アメリカは旧来の固定観念にとらわれて、日本をバカにしていた。アメリカ人のイメージする日本人は、小柄で出っ歯の黄色人種であり、版で押したように眼鏡をかけている。」

 「日本の工業力で作れるのは、せいぜい安物のおもちゃくらいのものだ。それに奴らは、戦闘機を操縦できない。人種的な理由で、飛行機に乗ると平衡感覚を失うからだ、と言った具合である。」

 「日本側のアメリカ人観は、これはまた性質が異なっていた。何よりも日本民族の優秀性、という信念から成り立っていた。日本人は、戦場で勝敗を決するのは武士道精神だと考え、アメリカ人は日本人と違って、祖国のために命を投げ出しはしないと信じていた。」

 「こうした差別意識は、いわれのないものであり、今ではもう信じている人間はいない。しかし私は、現在の日米間の対立を見ていると、次のような確信を抱かざるを得なくなる。」

 私が注目したのは、次の言葉です。

「人間は皆仲間であり、肌の色は違っていても、本質的には似たところが多い。ジャーナリズムや教育の場では、こんな考え方が常識とされている。そのため誰もが、他国の人々のことをよく知りさえすれば、やがて必ず共通点が見つかると信じている。」

 「しかし日本とアメリカの場合は、この考え方は当てはまらないように思えてならない。お互いを知れば知るほど共通点ではなく、相違点の多さに気づかされるのではないだろうか。」

 「日本人とアメリカ人が違うのは、もともと異質だからであり、生活環境、歴史、言語や文化が、全く異なっているからだ。」

 氏は生活環境や歴史や言語や文化が違っていれば、他の民族についてもそう考えるのでしょうか。しかしどうやら氏の意見は、日本人についてだけ語られているようです。民族の共生を盛んに主張する朝日新聞の提携先の、ニューヨーク・タイムズの記者の意見で、高々27年前の本であると言うところに、私はこだわります。

 「人間は皆仲間で、肌の色は違っていても、誰もが他国の人々のことをよく知りさえすれば、必ず理解しあえる。」「日本人は、もっと外国人を受け入れ、寛容な共生社会を作らなくてならない」

 朝日だけでなく、日本のマスコミは最近こうした記事を盛んに書いています。日本の文化を破壊する、安倍総理の「移民法」や「アイヌ新法」についてもこの論理で賛成しています。

 だが肝心の、ニューヨーク・タイムズ社の記者である氏が、ハッキリ否定しています。「日本人とだけは、いくら知り合っても、互いの共通点は見出せない」と言うのですから、朝日新聞は記事の論調を変更するか、同社との提携をやめるかする必要があるのではないでしょうか。

 氏の論理は、次のようになります。

 「われわれがすべきなのは異質な社会を観察し、その相違点や欠点まで含めて、全てを額面通りに受け入れ、敬意と若干の譲歩をもって、相手に接することではないだろうか。」

 「もしそうした道を選ばず、互いの相違点や、相手の寛大さに敬意を払うことを怠れば、恐るべき結果が待ち受けているだろう。それはわれわれが、50年ほど前に、真珠湾で学んだことである。この試練を乗り切るためには、あの運命の日の教訓を生かさなければならない。」

 またしても、真珠湾の話です。気に入らないのは、譲歩し寛大さを見せるのは、まるでアメリカの側であるような書き方です。一神教の国々の頑迷さと比較をすれば、八百万の神様李いる日本の方がずっと寛容なのですが、そう言う知識はありません。

 「世界はみんな友達、話し合えば、誰もが仲良しになれる。」

 朝日新聞だけでなく、共同通信社、NHKもこんな論調でオリンピックを語り、共生社会を主張します。移民を受け入れない日本は、狭量な社会だと決めつけています。

 内容を知れば、氏の意見にもマスコミのキャンペーンにも賛成できなくなります。

 日本は日本、外国は外国と、それぞれが自分の国を大切にすればそれで良いのに、身勝手な理屈を述べ氏は日本を批判しています。共通点がないと言われても、日本のマスコミまでが加わっています。

 書評はやっと60ページで、真珠湾の話もここでお終いです。次回からは、本題の「アメリカの落日」に入ります。

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『幻想の超大国』 - 7 ( 安保ただ乗り論 )

2020-01-21 13:52:52 | 徒然の記

 アメリカの知識階級といわれる人々が、日本をどのように見ているのか。率直な氏の意見は平易で分かりやすいから有意義です。

 「終戦後の数ヶ月間は、どちらの国も相手の姿勢に驚かされた。アメリカは寛大な戦勝国となり、極めて理性的で、考え抜かれた講和条件を提示した。」「日本の過去の背信行為を罰するのでなく、日本が封建社会から近代工業国へと脱皮するのを助けるものだった。」

 「日本の態度も、アメリカにとって意外なものだった。日本人は狂信的でなく、講和にも抵抗せず、」「戦勝国であるアメリカに学ぼうとする姿勢を示したからである。」「今から考えれば、日米間の講和は類まれな成功を収めた。」

 「軍事的な大バクチに失敗した日本は、天然資源を持たないまま、国際社会で生きていかねばならなくなった。」「憲法の規定によって、日本は真の軍隊を持っておらず、大都市に人口が集中しているため、核兵器による攻撃に特に弱い。」「こうした状況下で日本人は、その驚くほどのエネルギーを経済に注ぎ込んだ。」

 この辺りの説明には、東京裁判を除けば、自分の生きた昭和を思い出し、うなづくことが多くあります。たが「真の軍隊を持っていない」ことや、「核兵器による攻撃に特に弱い」という指摘については、もっと真剣に受け止めるべきです。アメリカ人である氏には無関係なのですが、真の軍隊がなく、核攻撃に弱い国だからこそ、現在日本は核の脅しに屈しています。

 中国や北朝鮮がそれで、彼らは平気で私たちを脅迫ます。

 「アメリカを選ぶか、中国を選ぶか。」「アメリカを選べば、日本に未来はない。中国はいつでも、日本の首都を破壊できる。」

 中国解放軍の将軍が暴言を述べても、反論しません。この記事を掲載したのは、平和を愛する朝日新聞でしたが、日本の新聞なのに中国と一緒に日本を脅しています。北朝鮮は中国のように言葉では脅迫しませんが、その代わり、人工衛星などと大嘘を言いながら、ミサイル実験を繰り返しています。日本海へ向けて何度も発射し、飛距離を伸ばす研究を続けています。一方では地下核実験施設で、小型核の試験をし、実用化の手前まで行っているという噂もあります。

 中川昭一氏が、「日本も、核の議論をすべきでないか。」と言ったのは、保守政治家としての危機感からでした。しかしわが国は反日マスコミの天下ですから、こういう意見は即座に潰されます。「日本を軍国主義に戻すな。」「戦争を許すな。」「平和を守れ」と、反日野党の政治家を煽り反日の活動家たちを騒がせ、まともな意見を粉砕します。私は今でも中川氏は、こうした勢力に殺されたと思っています。

 安倍総理も、IRや移民法、アイヌ新法などにうつつを抜かしている場合でないはずなのに、頼りない保守政治家と成り果てました。話がそれましたので、氏の著書に戻ります。

 「アメリカとソ連が、冷戦のために国力を浪費しているあいだ、日本は冷戦の現場から身を引いて、その尽きせぬエネルギーを、消費材の生産に、向けることができた。」

 「真珠湾から50年が過ぎた今、誰かがアメリカと日本の双方を訪れたとしたら、どちらが戦勝国で、どちらが敗戦国なのか、平和を享受して国力を伸張させたのはどちらなのか。判断に迷うことだろう。」

 おそらくこれが、一般的なアメリカ人の日本観です。別の言葉で表現したのが、「安保タダ乗り論」です。私はこの論を耳にするたび、アメリカの身勝手さを感じます。彼らは日本の憲法改正を望まず、軍の再建も望まず、沢山ある在日米軍基地の撤退も口にしません。彼らには、米国の武器や装備をふんだんに買ってくれる、自衛隊があればいいのです。

 氏の話に出てくるのは相変わらず真珠湾で、彼らの頭の中から、「不意打ちした卑怯な日本人」という記憶が消えないことを教えられました。「日本への恨みは、千年経っても消えない」と、朴槿恵大統領が言いましたが、アメリカ人も心の内は同じだと知るべきです。

 「カリフォルニア大学の、優れた日本研究者、」「チャルマーズ・ジョンソンが、冗談半分で、こう言った。」

 「冷戦は終わった。日本が勝ったのだ。」

 これが、この章の結びの言葉です。初めて聞く名前ですが、チャルマーズ・ジョンソン教授も優れた日本研究家と言いますから、日本に好感をもたない人物が、アメリカにはいくらでもいるということでしょう。

 今回はここで終わりますが、次回もまた、私たちが耳にする機会がない、遠慮のない日本批判を紹介します。

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『幻想の超大国』 - 6 ( 真珠湾攻撃前の日本 )

2020-01-21 08:34:03 | 徒然の記

 真珠湾攻撃前の日本について、氏がどのように捉えていたのか、興味深い叙述があります。一人のアメリカ人記者の意見に過ぎませんが、現在の反日左翼の人々の意見とそのまま重なります。

 「日本は封建的で前近代的な社会構造と、若い狂信的な軍人たちとの途方もない野望の間で、引き裂かれていた。政局は混乱しており、文官たちに力はなく、政治機構は崩壊寸前だった。」

 おそらく氏は、満州事変 (  昭和6年 )や、5・15事件 (  昭和7年 )当時の日本を語っているのだと思います。

 「大東亜共栄圏のビジョンと、武士道精神の勝利を信じる軍の若手将校たちは、軍部の方針に賛成しない政治指導者たちを、片っ端から暗殺したが、彼らはテロリストとしてでなく、真の大和魂を体現した英雄として扱われた。」「当時の日本は、西欧から民主主義の形だけは借りていたものの、民主主義の本質は無視され、背後へと押しやられていた。」

 ここに書かれている日本は、一面の事実です。氏の意見は、戦後の日本で出版された反日左翼の書からの知識だと思います。当時の日本で盛んに本を書いていたのは、反日左翼の学者たちです。保守系の学者の著作は、GHQが焼却処分していましたから、日本の歴史とご先祖を否定し、GHQに迎合する変節学者の本しかありませんでした。

 欧米列強の侵略から国を守るため、大東亜戦争が始まったことを当然氏は知りません。政局が混乱しても、天皇陛下がおられる限り日本の政治機構が崩壊しないことも、反日の学者たちの書では説明されません。

 まして昭和天皇が2・26事件に際し、自ら兵を率い、反徒の征伐をすると言われたことなど、知るはずもありません。反日左翼の学者たちは、戦後の若者たちを惑わせただけでなく、国際社会にも間違った発信をしたのですから、「獅子身中の虫」でした。

 「真珠湾攻撃」という一度の事件で、アメリカの指導者たちは、際限のない軍拡競争に陥ったと氏が説明しています。当時の世界では、西欧の列強が武力にものを言わせ、アジアを侵略し植民地にしていました。小国である日本が国を挙げ、祖国防衛に突き進んで何がおかしいのでしょう。二つの海に守られたアメリカと違い、日本の危機は目の前にあったのです。

 こういう歴史を知らないから、氏は「若い狂信的な軍人たち」、「途方もない野望」などと言葉を乱用します。反日左翼の学者から知識を得れば、こような意見となるのは当然です。

 「軍部は、ヨーロッパ諸国がアジアを切り分けて、植民地化したのに習い、新たな帝国を建設しようと目論んだ。」「帝国を建設する目的の一つは、かって西欧諸国がしたように、弱小国を征服することで、日本の力を認めさせることであった。」

 ここでも氏は、間違いをしています。日清・日露の戦争で、日本が戦った国は果たして弱小国であったのか。それらの戦争は、「日本の力を認めさせる」というより、国運を賭けた戦争だったのです。反日左翼の学者たちのせいで、日本の若者たちが、国の歴史を否定するようになったことを思えば、氏の間違いを責められません。日本人ですら間違う、ましてアメリカ人においておや、です。

 「不幸なことに青年将校たちは、世界の情勢に全く無知だった。彼らの目はいつも内側を向いており、大和魂の神話を盲信し、日本人の優越性を信じて疑わなかった。」

 次の叙述を読んだとき絶句し、次の瞬間に笑いました。

 「日本と先進国との間の緊張が高まると、軍人たちは、自分たちの主張を強化するのに国際情勢を利用した。日本の帝国主義的野望に対し、先進諸国が警告を発するたびに、それは諸外国が日本を軽視している証拠だと言い、日本の実力を見せてやらねばならないと、声高な主張がなされた。」

 世界情勢に全く無知な軍人が、どうして国際情勢を利用できるのでしょう。無知でないから、そういうことができると考えなかったのでしょうか。無意識なのでしょうが、氏は自分たちのことを「先進諸国」と呼んでいます。尊大な白人の衣が、少し顔を覗かせています。

 もっとおかしな点は、戦前の日本に関する氏の無知です。「日本の実力を見せてやらねばならない」と声高に叫んでいたのは、誰だったのか。戦争を賛美し戦意を高揚させていたのは、ニューヨーク・タイムズが提携している朝日新聞だったことを、知らないのでしょうか。無知であることは幸いなりです。知っていればこのような恥ずかしい意見を、著作で述べる勇気は出なかったはずです。

 書評は現在50ページです。読んでいるとうんざりしますが、息子たちには参考になる意見です。少し割愛できないかと、次回は工夫してみます。

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『幻想の超大国』 - 5 ( 永久に消えない、真珠湾の記憶 )

2020-01-20 13:17:20 | 徒然の記

  「真珠湾攻撃」が過去から現在、そして未来にわたっても、アメリカ人の記憶から消えないという事実を、今回は息子たちに伝えたいと思います。私自身も、意外感に打たれた叙述でした。書評は現在、39ページです。

 「太平洋と大西洋という巨大な水の防壁のお陰で、アメリカ、数千マイル離れた地域での出来事には、影響を受けずに済むと確信していたが、その幻想は、真珠湾攻撃の成功によって徹底的に打ち砕かれた。」

 「戦後47年を経ても、アメリカの指導者及び国民の、国家安全保障に対する考え方に、これほどの影響力を及ぼした事件が再び起こることはなかった。」

 「真珠湾で不意打ちを受けたという事実に、アメリカ人はショックを受け、自分の国が無防備であるかのように感じた。」「第二次大戦後、最新兵器の速度と破壊力は、大幅に増しており、もしミサイルと核弾頭を有する敵から、もう一度奇襲を受ければ、国全体が完膚なきまでに破壊されるのでないかという恐怖感が、アメリカ全土を覆った。」

 「第二次大戦後、日本はもはやアメリカの敵でなく同盟国となった。しかし冷戦の勃発に伴い、新しい敵が生まれた。」

 それがソ連でしたが、ソ連崩壊後は、核保有国の中国となり、核保有を狙う北朝鮮となり、イランとなっています。私が驚いたのは、次の言葉でした。

 「日本は今では同盟国になったが、奇襲される危険性が消滅したわけではない。真珠湾の記憶は、アメリカ人の意識に大きな影響を及ぼし、際限のない軍拡競争にのめり込んでいく一因になったのである。」「われわれはかって、眠っていてやられてしまった。だから、二度と眠らないようにしなければならない、というわけだ。」

 ここに私は、アメリカの政治家、軍人、財界人、ジャーナリストたちの、偽らざる日本観を見ました。この論調で行きますと、真珠湾の記憶がある限り、つまり未来永劫に、日本への警戒心が残ります。敵対国である社会主義国やイスラム教国と同様、彼らは日本にも心を許していないということになります。

 GHQの統治下で、マッカーサーが日本に与えた現行憲法は、まさにそれでした。「日本が二度とアメリカを攻撃できないようにするため、戦争放棄をさせた。」・・ということです。

 「日本独自の再軍備をさせない。」「核武装をさせない。」「日本の基地から米軍は撤退しない。」と、アメリカは正面切って言いませんが、代わりにそれを叫んでいる人間が国内にいます。反日左翼議員と活動家と、反日左翼の学界とマスコミが、それです。対立し敵対しているはずなのに、彼らはどこかで、アメリカの反日勢力とつながっているのでしょうか。

 その一つの現れが、日本カトリック教会による「九条にノーベル平和賞を」という運動です。カトリック教会だけでなくプロテスタント教会も、韓国の「慰安婦問題」を、日本の反日団体と共に国連で非難活動をしています。

 アメリカ政府や議員たちは、憲法改正と歴史の見直しに反対する、日本の反日左翼勢力の活動に、表立った反対をしませず、黙認しています。アメリカは日本を、二度と攻撃できない国とするためなら、何でも利用するのです。たとえ中国でも、韓国・北朝鮮でもと、最近の米国の動きを見ればそうなります。これらが全て、「真珠湾攻撃」に端を発しているというのですから、驚きです。

 こうしてみますと、国際社会では誰が敵か味方か、簡単に見分けがつきません。その時々の情勢で、同じ勢力が敵になったり味方になったりします。1988 ( 昭和63 ) 年のアフガン戦争の時、アメリカは中東の過激派組織をソ連への対抗勢力として育てました。武器と弾薬を支給し軍事訓練を指導し、軍隊と同じレベルにまで育成しました。アルカイーダもその過激派組織の一つでしたが、ソ連が崩壊した後は反米となり、あの 9・11テロ事件を起こしました。

 だからと「世界は闇だ」、「この世は、生きている価値がない」と、そのようなことは言いません。「温故知新」の読書のお陰で、沢山のことを教えられました。

 「いつの時代でも国際社会は、戦争と対立だった。」「社会はいつも、紛争と殺戮を内在していた。」「歴史は常にそうだった。」

 大事なことは反日のマスコミに踊らされ、日々の暮らしを無意味なものにしないことです。家族を大事にし、ご近所と挨拶を交わす平凡な日常を大切にしなければなりません。自分の住んでいる国を、大切にしなければなりません。

 明日も書評は続けますが、これから先日剪定した庭木の片づけをします。小さく切りゴミ袋へ入れ、燃えるゴミの日に出す準備をします。

 「ねこ庭」が片付き気持ちがスッキリするし、家内も喜びます。これは読書と同じくらい、大切なことです。

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『幻想の超大国』 - 4 ( 経済大国になった日本と、アメリカ )

2020-01-19 12:58:57 | 徒然の記

 今日で4回目になります。息子たちに知ってもらいたいと思う氏の意見が、ここから始まります。

 「日本の爆撃機が、ハワイ諸島上空に姿を現し、アメリカ全土を震撼させた日からちょうど50年が過ぎた。その間に私はあの運命の朝には敵だった日本と、普通のアメリカ人以上に深く関わるようになった。」「私はそのことを、嬉しく思っている。」

 「私の本はアメリカでと同じくらい、日本でも読まれているし、私はしばしば日本へ講演にも出かけている。」

 「ソ連が超大国としての地位を失った今、日本とアメリカは、異質な二つの大国として、世界情勢の中で並び立っている。」「日本は、経済的な意味での超大国となり、アメリカは今では経済こそ弱体化したものの、政治的、軍事的には、超大国としての地位を守っている。」

 昭和57年の中曽根内閣以来、昭和62年の竹下内閣、短命だった宇野、海部内閣そして宮沢内閣と、日本では不安定な政治が続いていましたが、氏の目には日本が「経済的な意味での超大国」として、見えていたのです。

 というより当時の日本は、つい先日までの中国のように年々経済発展をし、貿易大国として世界中から利益を得ていましたので、実際そうだったのかも知れません。

 「この両国が互恵的な関係を維持することは、どちらの国にとっても必要だが、最近ではこの関係が危うくなり、不協和音が流れ始めている。それはおそらく、必然的な結果なのだろう。」「これほど健全な関係を保ち相互に依存していながら、この二つの国家は、社会、文化、言語などの面で全くかけ離れた存在だからである。」

 ここでもう一度、最近読んだアメリカ人の著書を、並べてみます。

  1.  エズラ・ヴォーゲル氏著  『ジャパン・アズ・ナンバーワン』  ( 昭和54年刊 )
 
  2.  ディビッド・ハルバースタム氏著 『幻想の超大国』  (  平成5年刊 )
 
  3.  サミュエル・ハンチントン氏著  『文明の衝突』  (  平成10年刊 )
 
 たまたま図書館の廃棄本を読んでいますが、私が知らないだけで、米国人が日本について書いた本はもっとあるのかも知れません。彼らは自国の利益を守るため、経済大国となった日本に注目し、研究をしていたとも言えます。私たちはその間、役に立たない反日の新聞をアメリカ人の何倍も読み、せっせと自己否定にいそしんでいたのです。情けない話ですが、これが息子たちに伝えたい、戦後日本の現実の一面です。
 
 それを教えてくれた氏の意見ですから、しばらく耳を傾けます。日本の驚異的経済発展の原因を、氏が3つ挙げます。

  1.  主としてアメリカ産業の犠牲のもとに、日本が経済大国として極めて急激な成長を遂げたこと。

  2.  これと並行し、かってアメリカの栄光だった中核産業が様々な問題を抱えるようになったこと。

  3.  共産主義社会に起きた大きな変化が、日米間の相互依存関係を変質させたこと。

 「真珠湾がもたらした何よりも重要な結果は、それが良きにつけ悪しきにつけ、日本とアメリカを結びつけたということである。二つの国は戦争のため、否応なく結びつけられてしまったのである。」

 「戦争が起きてしまった以上日米両国は、太平洋の覇権を巡るそれぞれの野望に、互いに無関心ではいられなくなった。」「両国は、かって勇者たちが戦った相手に対するように、相互に尊敬の念を持って強く結びついていた。」

 この文章を読んだ時、反日の朝日と提携したニューヨーク・タイムズ社の記者の意見かと、いささか驚きました。

 「当初日米の経済関係は、アメリカを学ぶべき師としてスタートした。」「アメリカは、大量生産と中流階級主体の民主主義において、世界をリードする存在だったからである。」「しかし近年になると日本の勃興によって、そうした図式は根底から変化してしまった。」

 「今では両国間で、数多くの合弁企業が設立されているだけでなく、かっての弟子が、師であるアメリカを教えるようになっている。」「日本人がアメリカに渡りアメリカ人に、高品質の製品を大量生産するやり方を教えているのだ。」

 弟子の分際で先生を追い越し、いい気になるとはとんでもない礼儀知らずだ、許してなるものかと氏は言いません。夷狄の分際で、中華の国である中国と韓国を追い越し、手助けしようなどとは思い上がった日本だと、隣の二国は大騒ぎします。ここがアメリカと、中国、韓国・北朝鮮の違いでしょうか。

 だからアメリカが素晴らしいと、そんなことは言いません。次回の氏の意見を知れば、どちらも似たような国だと分かります。NHKや朝日や毎日などのマスコミに惑わされず、息子たちはどうか自分で世界と日本を知ってください。

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『幻想の超大国』 - 3 ( 日本のマスコミの反日・偏見報道の影響力 )

2020-01-19 07:52:36 | 徒然の記
 書評に入る前に、日本とアメリカの新聞の発行部数を調べましたので、紹介します。平成20年のデータなので、少し古いのですがおおよその比較ができます。
 
  1.   米国の代表的新聞
   ・   USA トゥデイ           162 万部 
   ・  ウォール・ストリート・ジャーナル   101 万部
   ・  ニューヨーク・タイムズ         48 万部
 
  2.   日本の代表的新聞 
   ・  読       売           851 万部
      ・  朝       日              595 万部
         ・  毎       日           282 万部
 
 人口3億人のアメリカと1億2千万人の日本なのに、新聞の読者数は日本が遥かに大です。アメリカ人は活字嫌いで、日本人がとりわけ新聞好きなのか興味深い数字です。日本人は新聞報道による影響度が、アメリカ人より大きいということが示されてい流のではないでしょうか。
 
 もう一つ、面白い情報を見つけました。ワシントン・ポスト等の他社による、ニューヨーク・タイムズ評です。
 
  1. 日本関連の記事を書くときは、好意的に書かないと決まっている。
  2. 意図的に中国に否定的な報道を除外し、好意的な報道を優先する。
 
 さらに同社は朝日新聞社と提携し、東京支局を朝日の本社内においています。こうした情報を得ますと、ハルバースタム氏の偏見の無さが一層不思議に思えてきます。会社同士が反日で提携していても、個人としては与しない、珍しい記者なのでしょうか。( 分からないことは無理に推測せず、前へ進みます。)
 
 「アメリカは、一夜にして変わってしまった。それまでのアメリカは、地政学的に見れば、巨大な力を秘めながらそれを使おうとせず、孤立主義を守り続ける眠れる大国だった。」
 
 「しかし真珠湾以後はその軍事力を存分に行使し、戦後47年間にわたって、反共主義のリーダーとして力を奮い続けた。」「それはスーパー・パワーとして、アメリカが踏み出す第一歩だった。われわれ個人の生活もまた、劇的な変化を遂げた。」
 
 真珠湾への日本の奇襲攻撃が、アメリカ人の怒りを燃やし、参戦への意志を奮い立たせたのでした。国民に日本への憎しみを植えつけ、戦争へ駆り立てるため、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃を利用したという資料が、最近出ています。彼は日本軍の暗号を解読した軍部から攻撃を知らされていたのに、真珠湾に停泊する軍艦に知らせなかったと事実です。戦後長い間アメリカでも機密として扱われ、一部の軍人と政治家しか知りませんでした。
 
 これが明らかになっていれば、「卑怯な日本人による、真珠湾攻撃」という捏造は生まれず、東京裁判も違った展開になっていたはずです。しかし氏はこの事実を後にに知ったのかどうか、著書の中では言及していません。
 
 「父は当時46才だったが、第一次大戦に衛生兵として勤務した経験があり、今度も躊躇うことなく志願して、戦闘部隊付きの軍医として入隊した。」「残された私たちはブロンクスを離れ、二度と戻ることはなかった。」「父は無事生き延びはしたものの、復員後程なくして死んだ。」「私が父と、一つ屋根の下で暮らしたのは三年に満たなかった。」
 
 自分の家族について語った後で、氏が日本について述べます。
 
 「日本は、第二次世界大戦中に、250万人の死者を出した。大都市の多くは破壊され、特に東京大空襲の被害は過去に類を見ないものだった。」「それに対してアメリカは、太平洋とヨーロッパの二つの戦線で戦ったにもかかわらず、29万人の人命を失っただけですんだ。」
 
 「それも死者のほとんどは戦闘員で、アメリカ本土の都市、一つの爆弾も落ちなかった。ソ連、ドイツ、イギリス、日本の一般市民は、戦争の恐怖を、身をもって体験せざるを得なかったが、アメリカの国民にとって、戦争の脅威は避けることができるものだった。」
 
 アメリカによる東京大空襲が、どれほど悲惨なものであったかは、以前ブログで書きましたので、繰り返しません。日本のマスコミは、「真珠湾攻撃」も「東京大空襲の被害」も、それどころか「広島・長崎の被爆」さえ、みんな日本に責任があると報道します。マスコミの反日偏見と、歴史の捏造について、私たちは考え直す時が来ているのではないでしょうか。
 
 そういうことを考えながら、さらに読みました。
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『幻想の超大国』 - 2 ( 「真珠湾の奇襲攻撃」 )

2020-01-18 17:13:01 | 徒然の記
 まず驚いたのは、本の書き出しが「パール・ハーバー」だったことです。米国人が日本を非難するとき、必ず「真珠湾の奇襲攻撃」から始めますので、つい身構えました。
 
 しかし内容は予想と異なり、意外な回想でした。こう言う語り方をする米国人もいるのだ、と言う意味で紹介します。
 
 「私と同世代のアメリカ人なら、ある二つの決定的な瞬間に、自分がどこにいて、そのニュースをどうやって聞いたかを、はっきりと、覚えているだろう。」「ひとつはケネディー大統領が、ダラスで暗殺されたと言う知らせを聞いたときであり、もう一つは、日本が真珠湾を攻撃したときである。」
 
 「ケネディー暗殺と真珠湾は、われわれの人生に大きな影響をもたらした事件だった。」「私は今でも、暗殺の瞬間の映像を見るたびに、29才のサイゴン駐在特派員に戻り、真珠湾のことが話題に上るたびに、7才の子供に返ったような気分を味わう。」
 
 昭和16年東条内閣は、11月1日に和戦両論併記の決定を下し、12月1日午前零時までに外交交渉がまとまらなければ、武力発動する覚悟をしました。米国との戦争を回避したいと、懸命の努力を続けていましたが、アメリカ側の回答は、満洲国からの日本軍全面撤退要求でした。ハル・ノートとして知られていますが、陸軍も海軍も飲めない要求で、日本への宣戦布告に等しい最後通告でした。
 
 日米の外交交渉は、12月1日午前零時までに戦争の回避ができず、「万一の僥倖」に賭けた陸軍も、海軍も、開戦以外に選択の余地がなくなりました。このまま時間を無為に費やせば、備蓄の石油が底をつき、戦艦も戦闘機も戦車も動かせなくなり、日本は自滅するしかありません。こうして真珠湾攻撃が始まりました。
 
 切迫した事態に追い込まれた日本が、国運をかけていたとき、米国の一般国民はどのようにしていたのか。氏の叙述は、それを教える貴重な資料です。
 
 「その日、私たちは日帰りで郊外にドライブに出かけ、そこで昼食をとっていた。当時、自動車を買って間もないアメリカ市民は、皆、そうやって休日を過ごしていたのだ。」
 
 「あの頃はまだ、スポーツ中継を見るためのテレビもなければ、ニンテンドーのテレビゲームも、ビデオデッキも無かった。」
 
 「アメリカはまだ貧しく、娯楽とレクレーションの分野で、世界の最先端をいく国にはなっていなかった。人々の生活はシンプルで、日曜日に父親が何かしようというと、家族全員がそれに従った。」「そしてその 何かとは、家族を車に乗せて、目的もなく、何処かへ行くことだった。」
 
 「連れて行かれる子供達の大部分は、そんなドライブには飽き飽きしていた。しかしあの時代には、ドライブに行きたくないなどと、両親に言うことは許されていなかった。」「子供達が、そう言える時代が来るのは、その後、25年を待たねばならなかった。」
 
 アメリカ人は誰でも、自分の気持を常に発言すると思っていましたが、昔はそうでなかったと知りました。国民性は、時の流れにより変化するもので、米国も例外ではなかったのです。
 
 「ドライブから帰る途中で、いつものニュース番組が突然中断し、臨時ニュースが流された。それが重要なニュースであることは、子供心にも、アナウンサーの声の調子からわかった。日本人が、真珠湾を爆撃したと言うのだ。」
 
 「これは戦争になるぞと父がそう断言し、9才だった兄と二つ年下の私は、それを胸に刻み込んだ。戦争という言葉が、何を意味するのかも、日本人とは何者なのか、真珠湾がどこにあるのかも、全く知らなかったのだが・・。」「あの時代、孤立主義をとっていたアメリカの国民は、あまり旅行というものをしなかった。」
 
 「とはいえ、車の中であのニュースを聞いたとき、アナウンサーや両親の口調の真剣さから、私と兄は、直ちに真実を悟った。これまでとは、生活が、すっかり変わってしまうだろうと。」
 
 氏の暮らしは戦争のため一変して、困難な日々となるのですが、驚いたのは、ここまでの文章の中に、日本を批判したり攻撃したりする言葉がなかったことです。子供の記憶にはなかったとしても、アメリカ人は「パール・ハーバー」という言葉を聞けば、激しい批判を始めます。
 
 外務省の在米大使館の職員たちの大失態のため、宣戦布告文書が、時間内に届けられなかったため、「不意打ちをした卑怯者の日本人」という汚名を、私たちはずっと着せられたままです。
 
 大使館のことは、日本の恥ずべき手ぬかりですから、私はいつも、「真珠湾攻撃」について、アメリカ人から非難されても甘受しています。だから氏の叙述の穏やかさに安堵し、こんな米国人もいるのだという発見もしました。
 
 氏の姿勢を、息子達だけでなく「ねこ庭」をされる方々にもお伝えしたいと、そんな気になりました。
 
 本日は、ここで一区切りといたします。
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