が、
真ん前のある「ポイント」に立つと、印象が一変!
自分が全てのマスの数の分だけ映り込む、ぎっしりと(写真:クリックすると大きくなります)
とともに映像だけでなく、自分の発した「音」も全て集結して増幅し、自分に戻ってくる。
(空いていたので、ちょっとだけ試してみた)
前回訪問時に感じたのは、以下。
<「個」とは何か。
<それがいかに強力なものか。
<を、強烈なインパクトで伝える。
<これほど「個」に向き合った作品は接したことがない。
<この点で、過去ふれてきた美術とは一線を画す。
<確かにタイトルのつけようもないパワーがある作品なのだと。
それこそ、「生きることの意味に疑いを感じている人」にこの体験をしてもらいたいと思った。
個人個人が周囲に発しているエネルギーとは、こんなに凄い、と。
一方、今回はまた違うことを感じた。
改めて向き合ってみて感じたこと。
それは、
「これはまるで、ソーシャル・ネットワーク」
自分の発信した「何か」があっという間に世の中に拡散していく様、のよう。
その中心が正しいものか、間違ったものかは別にして。
(正しいものがそうなると楽観的に考えてはいるが)
As Yet Untitledというタイトルも、よくつけたものだ。
この作品から学んだのは、作品によっては、鑑賞時の「立ち位置」が非常に重要ということ。
それも、実に「ピンポイント」なのかもしれないということ。
その視点で、現代アートまわりを散策してみた。
そうしたら、目ウロコ体験というか、ショックを受ける作品にまた。。。。
(続く)
そう次が本丸です (笑)
近々に。
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