平山郁夫画伯が亡くなられ、先日来さまざまなエピソートが新聞等に掲載されています。
広島での被爆体験、仏教に見いだした平和への祈り、文化・芸術に対する願いと実際の行動、学者肌とも言われる冷静なお人柄等々、あらためて大きな人物でいらしたのだと感じます。
エピソードの中で心に残ったものをふたつ。
・・・55歳でお酒を断たれたのですが、その理由が「日本画は線が命。それがぶれてはならない」ということ。
・・・戦後東京美術学校(現東京芸大)に入学したときの学長訓示が次のようなものだった。「諸君らのうち宝石はたった一粒です。その一粒を見つけるために君たちを集めた。他は石にすぎない」。自分を「石」を思った氏は、3年生のときに、ついに見切りをつける。だが新任の先生に「君の絵はこれ以上、下手にならない。おおらかにやりなさい」と言われ、続けることにした、ということ。(本日の朝日新聞『天声人語』より)
ものは受け取りようと思うのですが、「これ以上下手にならない」と言われて、がっくりきてやめてしまう学生さんもいると思うのです。ネガティヴに考えれば「・・そんなに下手なんだ。これ以上下手になりようがないんだ」となり、どうかするとその先生を逆恨みさえしかねないです。ポジティヴにいくと「そうかこれ以上下手にならないんだったら、先はつまり『現状のまま、あるいは上手くなる』しか道はないんだな」となります。
その先生の一言が進路に影響を与えたのは確かなのだと思いますが、この言葉によって「踏みとどまる」あるいは、さらに「研鑽をつむ」というところにすでに氏の「芸術家としての資質」があったのではないかと思うわけです。
私、かつて氏の故郷瀬戸田の「平山郁夫美術館」を訪れたことがありますが、そのとき買った絵葉書の一枚に、氏9歳のときの絵日記(写真)があります。絵のことはまったくわからない私ですけど、それでも、「・・す、すごい・・」と圧倒されました。
幼少のころから驚くべき才能を示されていた氏でも、東京に出られたら、全国から集まった才能の山に埋もれ、ただの「石」になった一時期がおありになったのかと思うと、「二十歳過ぎても、まだまだわからないものだな・・逆に二十歳くらいで一定の評価を得ることができても、先はまったくわからないと言ってもいいのかもしれない・・」と考えてしまいます。
55歳にして断酒するほどの「ストイックさ」の一方で、自分自身の才能を「おおらかに」伸ばしていけるある種の楽観主義みたいなものが、氏には備わっておられたのではないか?・・もちろん天賦の才能、情熱、さまざまな条件に恵まれていたのは確かだと思うのですが、決してそれだけではなかったのだと思います。
世間と交わらない孤高の才能にも憧れますけど、社会的な地位や仕事も得、その一方で最期まで自分の世界を追求された氏の生き方は、尊敬してやみません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
広島での被爆体験、仏教に見いだした平和への祈り、文化・芸術に対する願いと実際の行動、学者肌とも言われる冷静なお人柄等々、あらためて大きな人物でいらしたのだと感じます。
エピソードの中で心に残ったものをふたつ。
・・・55歳でお酒を断たれたのですが、その理由が「日本画は線が命。それがぶれてはならない」ということ。
・・・戦後東京美術学校(現東京芸大)に入学したときの学長訓示が次のようなものだった。「諸君らのうち宝石はたった一粒です。その一粒を見つけるために君たちを集めた。他は石にすぎない」。自分を「石」を思った氏は、3年生のときに、ついに見切りをつける。だが新任の先生に「君の絵はこれ以上、下手にならない。おおらかにやりなさい」と言われ、続けることにした、ということ。(本日の朝日新聞『天声人語』より)
ものは受け取りようと思うのですが、「これ以上下手にならない」と言われて、がっくりきてやめてしまう学生さんもいると思うのです。ネガティヴに考えれば「・・そんなに下手なんだ。これ以上下手になりようがないんだ」となり、どうかするとその先生を逆恨みさえしかねないです。ポジティヴにいくと「そうかこれ以上下手にならないんだったら、先はつまり『現状のまま、あるいは上手くなる』しか道はないんだな」となります。
その先生の一言が進路に影響を与えたのは確かなのだと思いますが、この言葉によって「踏みとどまる」あるいは、さらに「研鑽をつむ」というところにすでに氏の「芸術家としての資質」があったのではないかと思うわけです。
私、かつて氏の故郷瀬戸田の「平山郁夫美術館」を訪れたことがありますが、そのとき買った絵葉書の一枚に、氏9歳のときの絵日記(写真)があります。絵のことはまったくわからない私ですけど、それでも、「・・す、すごい・・」と圧倒されました。
幼少のころから驚くべき才能を示されていた氏でも、東京に出られたら、全国から集まった才能の山に埋もれ、ただの「石」になった一時期がおありになったのかと思うと、「二十歳過ぎても、まだまだわからないものだな・・逆に二十歳くらいで一定の評価を得ることができても、先はまったくわからないと言ってもいいのかもしれない・・」と考えてしまいます。
55歳にして断酒するほどの「ストイックさ」の一方で、自分自身の才能を「おおらかに」伸ばしていけるある種の楽観主義みたいなものが、氏には備わっておられたのではないか?・・もちろん天賦の才能、情熱、さまざまな条件に恵まれていたのは確かだと思うのですが、決してそれだけではなかったのだと思います。
世間と交わらない孤高の才能にも憧れますけど、社会的な地位や仕事も得、その一方で最期まで自分の世界を追求された氏の生き方は、尊敬してやみません。
心よりご冥福をお祈りいたします。