軽くセキが出たり、鼻水すすったり、すっきりしない数日でしたが、
今日は幸いどうもありませんでした。・・・・めでたい・・・・
昨日(13日)はえらく寒かったのに、今日はミョーなぬくさ。
こういうのが私は一番苦手です。・・・・あ、みなさん苦手ですよね。
このブログにも何回もしつこく書いてますけど、急に生暖かくなると、
「(自分自身が)解凍に失敗した肉のようになる」のが気持ち悪いんですよ。
冷凍庫から出したのをうっかり忘れて、肉汁が染み出したまま放置されているパックのお肉を思い出してしまう・・・・・・主婦にはトラウマに近い光景でございます。
年を取るにつれて、あまり嫌いなものはなくなってきて、
今なら、高校の頃、問題配られただけでお腹がグルグル~&トイレダッシュだった数学だって(どういう過敏性腸炎なんだろうか・・・)、意外にいけちゃったりなんかするんではないかと思うのですけど、いくつになってもやっぱりダメなもんはありますね、仕方ない(汗)。
嫌といえばですけど、
子どもの頃はたとえば、交響曲やら協奏曲、あるいはソナタなんかを聴いていて(ソナタなら弾くこともあり得ますけど)、「この楽章だけは全然おもしろくない」と言って、すっ飛ばして聴いていたことありました。
今は全部おもしろいかと言われると全面的に「イエス」とは言えませんけど、自分で選曲をすることもあって、室内楽曲でもピアノソナタでも「この楽章は好きじゃない・・・聴きたく(弾きたく)ない」というのはまずありません。
・・・・それなんでかな~~~と時々思います。
というのはですね、時々娘やらよそのお嬢さんの演奏やら聴いていると、「ここだけが大好きだよね?で、あとはそうでもないよね」ということが多々あり、その部分だけが光が当たったようにピカピカしているわけです。
いや子どもだけではないですね。大人でも「この人はこの部分だけを弾きたくてこの曲を弾いているのではないだろうか?」ということがあって、そういう演奏はそこだけが非常に<こゆく(?!)>できております。
おそらく作曲家にしても、すべての部分を同じ思い入れ・テンションで作ったというものでもないでしょうが、そこはやはり「クラシック」の殿堂入りした名曲の数々、トータルで素晴らしく出来ているものがほとんどであると思います。
私は、ここのところまとまった文章というか小説の類を読むことがなく、せいぜいコラム系、あるいはノンフィクション系ばかりなんですが(汗)、
やっぱり長い小説を読み通した過去の体験というのは貴重で、いまだに読んだ手ごたえみたいなものがどこかにずしっと残っています。
日本の小説というのは、そこまで長いのはないので(「源氏物語」は別ですが・・)、やはり長いというと海外のものでしょうか?
恥ずかしながら、私海外文学はほんと読んでないので、割合長いものを読んだというと、パールバックの「大地」、あとショーロホフの「静かなドン」くらい。
(チェーホフやシェークスピアの戯曲や、ツルゲーネフの短編なんかは好んで読んだ記憶がありますが、それも今となってはさっぱり覚えてません・・・・汗)。
演奏時間が30分くらい(あるいはそれ以上)かかる曲を聴くと、私のなかのわずかな長編体験というものが甦ってくるのですけど、それはやはり、再現する側、聴く側にも、作り手と同じような構築性・説得力・情熱といったものがある程度要求されるからなのかもしれません。
長いものを読んだり聴いたりするとき、あるいは演奏するときは、やっぱり肉食でしょうか?(笑)。とんかつでもなんでもいいけど。
解けて肉汁出してる場合じゃないなあ~
がんばってヘンな冬を乗り越えようっと。
今日は幸いどうもありませんでした。・・・・めでたい・・・・
昨日(13日)はえらく寒かったのに、今日はミョーなぬくさ。
こういうのが私は一番苦手です。・・・・あ、みなさん苦手ですよね。
このブログにも何回もしつこく書いてますけど、急に生暖かくなると、
「(自分自身が)解凍に失敗した肉のようになる」のが気持ち悪いんですよ。
冷凍庫から出したのをうっかり忘れて、肉汁が染み出したまま放置されているパックのお肉を思い出してしまう・・・・・・主婦にはトラウマに近い光景でございます。
年を取るにつれて、あまり嫌いなものはなくなってきて、
今なら、高校の頃、問題配られただけでお腹がグルグル~&トイレダッシュだった数学だって(どういう過敏性腸炎なんだろうか・・・)、意外にいけちゃったりなんかするんではないかと思うのですけど、いくつになってもやっぱりダメなもんはありますね、仕方ない(汗)。
嫌といえばですけど、
子どもの頃はたとえば、交響曲やら協奏曲、あるいはソナタなんかを聴いていて(ソナタなら弾くこともあり得ますけど)、「この楽章だけは全然おもしろくない」と言って、すっ飛ばして聴いていたことありました。
今は全部おもしろいかと言われると全面的に「イエス」とは言えませんけど、自分で選曲をすることもあって、室内楽曲でもピアノソナタでも「この楽章は好きじゃない・・・聴きたく(弾きたく)ない」というのはまずありません。
・・・・それなんでかな~~~と時々思います。
というのはですね、時々娘やらよそのお嬢さんの演奏やら聴いていると、「ここだけが大好きだよね?で、あとはそうでもないよね」ということが多々あり、その部分だけが光が当たったようにピカピカしているわけです。
いや子どもだけではないですね。大人でも「この人はこの部分だけを弾きたくてこの曲を弾いているのではないだろうか?」ということがあって、そういう演奏はそこだけが非常に<こゆく(?!)>できております。
おそらく作曲家にしても、すべての部分を同じ思い入れ・テンションで作ったというものでもないでしょうが、そこはやはり「クラシック」の殿堂入りした名曲の数々、トータルで素晴らしく出来ているものがほとんどであると思います。
私は、ここのところまとまった文章というか小説の類を読むことがなく、せいぜいコラム系、あるいはノンフィクション系ばかりなんですが(汗)、
やっぱり長い小説を読み通した過去の体験というのは貴重で、いまだに読んだ手ごたえみたいなものがどこかにずしっと残っています。
日本の小説というのは、そこまで長いのはないので(「源氏物語」は別ですが・・)、やはり長いというと海外のものでしょうか?
恥ずかしながら、私海外文学はほんと読んでないので、割合長いものを読んだというと、パールバックの「大地」、あとショーロホフの「静かなドン」くらい。
(チェーホフやシェークスピアの戯曲や、ツルゲーネフの短編なんかは好んで読んだ記憶がありますが、それも今となってはさっぱり覚えてません・・・・汗)。
演奏時間が30分くらい(あるいはそれ以上)かかる曲を聴くと、私のなかのわずかな長編体験というものが甦ってくるのですけど、それはやはり、再現する側、聴く側にも、作り手と同じような構築性・説得力・情熱といったものがある程度要求されるからなのかもしれません。
長いものを読んだり聴いたりするとき、あるいは演奏するときは、やっぱり肉食でしょうか?(笑)。とんかつでもなんでもいいけど。
解けて肉汁出してる場合じゃないなあ~
がんばってヘンな冬を乗り越えようっと。