~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

リコーダー&チェンバロ合わせ

2010年12月20日 16時02分23秒 | レッスン&セミナー
私としては非常に珍しいことですが、今朝は諸事情により二日酔い(殴)。
早朝より、ありとあらゆる手を使ってアルコールを追い出しましたが、
それでも車を運転したなら、間違いなく取り締まられるであろうというレベルで、
10時半からの合わせに出かけました(・・私は運転免許もってませんので、公共交通機関にて)。

本日は1月にあるチェンバロ発表会用の合わせで、隣県からリコーダーの奏者が来てくださっての初あわせ。
グリーンスリーブスをちゃんと書き下し文・・じゃなくて、ちゃんとピアノ譜に直したもので伴奏します(つまりバスのみの楽譜でないということ)。
1回目はアーティキュレーションの違いとかテンポの違いもあって、ぴったりというわけには行きませんでしたけど、O先生が
「今日は音がきれいね~」と。
・・・・え?酔っ払い運転ですが・・・・
2回目3回目とだんだんブレスの感じとかもつかめるようになり、上手くいくようになりました。先生、
「今までと違って、今日は音がやさしくてまろやかだわ~。どうして?」
今までと何が違うかと言われると、そりゃもう明らかなことなんですけど、まさかそんなことは口に出せませんので、
「そうですね・・・オカリナの伴奏でいろいろ工夫してみたから・・かも」と苦し紛れの言い訳。
なんで、上手く弾けた言い訳を苦し紛れにしなければならないのかワケわかりませんけど、
二日酔いで弾いて「今日はなんだか冴えないわね」と言われるのはまだいいとしても(・・よくはないけど)、
「今日はすっごくいい音よ。なんで?」と言われる方がはるかに困ります。
まさかいつもこんな状態で弾くわけにもいかないし(汗)。
というよりまず二日酔いなんて論外です・・・酒飲みの恥。

二日酔いでなくてもいい音を出すにはどうしたらいいのか・・・
これって大変な課題。どうしたもんでしょうか・・・・




松本和将リサイタル

2010年12月20日 15時58分13秒 | ピアノ
昨日に続き、こちらも私のもうひとりの師匠のコンサート。

娘を連れて2時くらいに会場入りし、受付まわりのセッティング。
娘も「プログラムのチラシ挟み込みをやりたい」と言うので、「う~ん・・・」と思いつつやらせてみたら、これがなかなかの速度で、私のほうがあたふたする始末。
猫の手、いや娘の手でも借りてみるもんです。
3時半の開場なのに、すでに2時半から「まだですか?」とこられた方がおられ、びっくりいたしましたが、いざ開場してみますと、お客様がどっといらっしゃって、お金がらみの受付は初めてだったこともあり、ちょっとどきっとしました。

開演ぎりぎりに受付を変わってもらい、娘とホール内へ。
500席を超えるホールですが、お客様よく入っていました。


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県民文化センター 16時開演

<プログラム>
マズルカOp.7 第1番 変ロ長調
プレリュードOp.28より 第 7番 イ長調
              第10番 嬰ハ短調
              第17番 変イ長調
              第18番 ヘ短調
              第16番 変ロ短調
              第23番 ヘ長調
              第 3番 ト長調
マズルカOp.56 第2番 ハ長調
      Op.59  第1番 イ短調
      Op.33  第2番 ニ長調
      Op.63  第3番 嬰ハ短調
エチュード Op.10 第 5番 変ト長調「黒鍵」
       Op.25 第11番   イ短調「木枯らし」
    (休憩)
ピアノソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35「葬送行進曲付」
         第3番   ロ短調 Op.58

<アンコール>
  ブラームス:間奏曲 作品118-2


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前半はトークを交えての演奏。
トークのあるリサイタルについては賛否両論あると思いますが、友人3人と聴いていた息子は非常に喜んでいて、ピアノ曲についてあまり知識のない人にはことに良かったのかな、と思います。息子は前半マズルカの4曲連続が気に入ったもよう。
娘は、トークのとき「え?マズルカ?!」といきなり身を乗り出したので、「なんでマズルカ知ってるのかな?」と私は不思議に思ったのですが、次の瞬間
「・・なんだ、バズーカじゃないのか・・」とわけのわからんリアクションをしてました。
バズーカに反応するのもどうなん?と思いますけど、ま、いいか。
私はですね、胃腸薬のCMで有名になったプレリュード第7番にいたく感銘を受けまして、我ながらなぜここでここまで反応するのか謎なんですけど、「なんといい曲であろう」としみじみ思いました。
前半の終わりのトークは後半のソナタの解説と、氏が2番を「闇」3番を「光」ととらえているという話。

後半のプログラムは娘には難しく、寝るかごねるかしそうだったので、あらかじめ後半はホール外の椅子で本を読むように因果を含めてありました。ここは親子室がないので仕方ありません(・・・娘は読みたい本があってうずうずしていたので、実は大喜び)。

後半の曲で私が弾いたことがあるのは、2番の第1楽章と第3楽章だけなので、そのふたつについては、「ここはこう弾くんだ」とか「こう考えたんだ」と細かく気がつくこともありましたけど、それはおいといて全体の印象。
私は「氏の演奏のすごいところは弱音である」とずっと以前から思っております。
それはもちろん全体的には迫力のあるダイナミックな演奏をされるのですけど、弱音に移行するときの微妙な音色であるとかゆらぎであるとか、そして行き着いた弱音での多彩な表現には、彼独自の世界があると考えております。
演奏というのは、どれだけ多くの方が同時に聴いていても、やはりどこか「これは自分に向けて語られている」というある親密な感じが必要で、1対多数であると同時に1対1でもなければならない。それは、とくに弱音において表現されることが多く、その弱音の語り口が多彩であればあるほど、多くの人と1対1でつながれるのではないか、と思うわけです。
そういう意味で「つかむ」演奏家というのは、みな弱音の磨かれ方がすごい。そして氏は間違いなくそういう演奏家であると感じています。

・・・・ソナタ2曲で、そういうことをあらためて考えていました。

それと、これは初めて感じたことですが・・・・

ステージでの演奏中というのは、実際の体格よりも大きく見えることのほうが多く、
近くでみると「あれ、こんな小さい人だったんだ」ということがよくあります。
後半、私は上手に近い平場の席にいたんですけど、いつも感じているよりも実は氏が小さく見えました。
それはネガティブな感じではなくて、音楽がどんどん大きく広がっていって、音楽が支配している空間が大きければ大きいほど、氏が音楽に仕える敬虔ななにものかに見えました。
ぎりぎりまで自分を差し出し、捧げているんだ・・・・・と心を打たれました。


最後、私は受付関係の仕事に戻って、聴けなかったのですが、アンコールがありました。
ブラームスの間奏曲 作品118-2
あれはなんという曲か何人かにきかれたりもしましたけど(最後に出口に張り出せばよかったですね・・・汗)、息子や友人たちもずっと耳から離れない・・・と言っており、印象に残る一曲だったようです。


凄い演奏、ありがとうございました。
そして、ご来場くださった多数のお客様もありがとうございました。