自分が病気になって、心配してくれたのだろうが、人から
「自分をゆるしてあげるんだよ、自分を好きになれないから病気になるんだよ。」
などと唐突に言われた事があった。
何も知らないで、こちらの境遇を勝手に想像して、勝手なアドバイスをされた。
全く困ったもので、先方の勝手な思い込みを押し付けられて、体調が悪い中そんなことを言われて気分が悪かった事を思い出す。
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当時というより、ずっとそうなのだが、
「どうして自分はこんなに恵まれているのだろう、他の人に申し訳ない。」 常にそういう感情に支配されていて、何かあれば、俺が引いてあげるよ俺の方が恵まれているから譲ってあげるよ。 と、そういう中で生きていた。
そんな恵まれた俺に、自分を愛せとか好きになれとか言われても困ってしまうのである。
田舎に育ったが、そこそこ有名な家柄で広い土地と大きな家で生活していた。
運動も勉強もそこそこはできたが、役が殆どまわってくる。
一生懸命努力はしたが、それ以上に結果がついて来る。
中高と長距離で苦労したが、それも大学で報われた。
師範からは申し訳ないくらい特別扱いされた。 あいつを見習えと模範のようにも言われていたようだ。
就職活動では先輩から声がかかり、特別な活動をする事もなく、進路が決まった。
それを知らないゼミの先生は就職担当だったので私には具体的な企業を優先的に提案してくる。君ならどこへ出しても恥ずかしくないなどとも言う。
後輩の仲人は渋るのに、その同じ支店長が、私には早く結婚しろと一生懸命相手を探してくれたりする。
転勤する時は、客、同僚、知人から盛大に見送られたり惜しまれたりする。 客に涙を流される事もあった。
お客は、大損してまで、自分の実績に協力してくれる。
先天的に身長もあって、肉体的にも恵まれている。
もちろん貧弱な面も十分あるのだが、
なぜ、自分だけがこれほどまでに恵まれているのか。 信じられないくらいに恵まれていたのだ。
が、しかし、何故か上手くいっても、恵まれても、「申し訳ない」とか「恐縮する」 ような感情に支配されていた。
謙虚とか、自制とかの感情では無くて、 明らかに自分に不釣合いなのではないかというような感情だった。
俺は成功してはいけないのだ。 俺は恵まれてはいけないのだ。
成功すると、妬まれる、 嫌われる、 意地悪をされる。 挙句、暴力を振るわれるような不安感。
そんな感情が裏側にあったような気がする。 上手くいっていると不安なのだ。
誰かに怒られるような気がして、 誰かに攻撃されるような気がして 俺は沈んでいたほうが良いと感じていた。
運転中に急にそういうことが頭に浮かんで、自分で自分の生きるレベル、位置を決めていてしまったのではないか?
と、気がついた。
脳が、上昇を拒否してるのだから、 下位低迷が落ち着くのだから、 そういう位置に収束していくのだ。
どんなに天が味方してくれても、自分で居心地のよいところへ沈んでいくような。。。。。
当時は何とも思っていなかったが、
親からの様々な形を変えた虐待があった事。
兄からは散々搾取され、それを黙って耐えなければ生けなかった事。 などがあって、
大人になってから、自分の精神が蝕まれている事はなんとなく気がついていたが、 今回のような具体的な考察には至っていなかった。
自覚があって、診療内科を受診したり精神鑑定を受けたりしたが、医師には解明してもらえなかった。
「いや、俺はいいです。」 「自分はだめです。」 などと言っていたのは謙虚ではなく、自己評価の低さからだったのだ。
恵まれていたら、感謝すればよかったのだ。 遠慮や自虐ではなく、感謝。 そしてその位置を自分で勝ち取った当然の権利として受け入れて誇ってよかったのだ。
しかし、俺の中の感情が成功を喜ぶ事、受け入れる事、当たり前だと感じる事を拒否していたのだ。
恐ろしきかな、幼少時に植えつけられた恐怖心。
自虐や卑屈の感情ではなく、感謝や自尊を育てよう。