祖父と祖母。
周りの話では、祖父は(自分が小1の時亡くなったが)、それはそれは自分を可愛がってくれていたらしい。
自分の記憶にも残っている。 電車に乗ってよく隣町へ連れて行ってもらった事。天ぷらそばが好きでよく一緒に食べた。 真夏にアイスを買いに連れて行ってくれた事。 台風の暴風雨の中、自転車で保育園に迎えに来てくれた事。 等など。 厳しく色々な事を躾けられたが、今でも言わんとしていた事は覚えている。
大地に根を張って天高く真っ直ぐに伸びていく大樹のように生きる事。 曲がった事はするな名前はそういう意味だ。
苦労を避けてはいけない事。 楽な時に気を抜いてはいけない事。 登りも降りも同じようにがんばる事。。。。。
祖母も同じ、いつも自分を大切にしてくれて、自分の事のように大切にしてもらった。 夜怖くてトイレに行けなければ起きて付いて来てくれる。 怖い夢を見て泣いていると、一緒に起きて付き添ってくれる。 大きくなって実家を離れてからも、帰ればすぐにおなかすいてないかと心配してくれた。
30才前に永遠の別れを突然迎えた時は、人生が終わるほどの衝撃だった。 当時赴任地仙台から実家まで、真夜中の高速を180キロでアクセル踏みっぱなし、リミッター効きっ放し、前の車をパッシングしまくりで駆けつけた。 飲み屋から寮へ帰り、そのまま向かっていた。 もうどうなってもいいと半分やけくそだった。 あの時、人生半分終わったのかもしれない。 (それから、2年後か、潰瘍性大腸炎を劇症で発症。)
一方、父親、母親は、難行苦行の試練を与えてくれた。 こちらもよく周りに言われる。 子供の頃は本当に酷い事ばかりされていたねと。
本当に尋常では無い強烈な折檻そのもの。 今思っても親が子供にしてはいけない事を全てしていたようなものだった。 当時はそれが当たり前だと、標準だと思って人生のスタートを切れたのだからある意味幸運だったのかもしれない。
「世の中そんなに甘くないんだよ、もっときちんとしろ。。」と、言われて育ったが、高校卒業後に家を出ると、世の中優しい人ばかり、よくしてくれる人ばかりだった。 学生時代の師範や、社会人の道場の先輩などはそれはそれは厳しくも優しく色々な事を教えて頂いた。 時には多額のお金を使って頂き、未熟な自分に社会経験をさせていただいた。 社会人になってからもお客さんにはよく面倒をみてもらったし、上司にも恵まれた、一部酷い人間もいたが、 親ほど酷い人は殆どいなかった。 病気で退社してからも、それはそれは一般では信じられないくらい多方面にお世話になっている。 親に管理下で生活していた頃と較べると本当に天国のようだ。
物を与えない。 お金を与えない。 罵詈雑言を浴びせる。 殴る。 怒鳴る。 ひつように追及する。 間違いをなじる。 面倒を見ない。 ほったらかし。 教えないで怒るだけ。
常に神経を尖らせ、顔色を伺っていないと、、機嫌が悪いと何をされるか解らない。
誤魔化したり、逃げたりすれば、5倍、10倍になって返ってくる。しつこいほど追及されてぼろ糞にされる。
そんな試練を受けて、なんと成長した事か。。気付く。想像する。覚えている。学習する。おもんばかる。気配る。気を使う。相手の立場に立って感じる。忖度。 何でもござれだ。 しかし、これを身につけるのにどれだけ心身を削ったか。。。
できれば、もっと他の方法で身につけさせてもらいたかったが、それが俺には合っていたのでしょう。
それが、自分の人生なのでしょう。
感謝などしていないが、一時に較べれば憎しみは減り、どうでもいい事になった。
俺は、刺激を受けて、経験し成長し自分の支えを身につければ良いこと。
過去に親が何をしようと自分には関係ないこと。 成長して親と無関係でも生活できるようにして貰えたのだから十分でしょうに。。