唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

冷水浴び。 その後。

2017-12-23 17:58:14 | インポート
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  2年の冬合宿という事は、、、黄帯ではなく、、緑帯だ。
    夏に飛び級で3級をもらっていた、、、、(11月の全日本に申告茶帯1級で出た後だったのだから。。)
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 冬の水浴びはその後もずっと続いた。

 お陰で、ほとんど風邪にもかからず10年以上が過ぎていった。
といっても。
  風邪をひいたに事も気がつかないで過ごしたというのがただしい。

 就職して、今で言うならブラックな環境だったが全く気にも留めないで働いていた。
  「昨日寝たんだろう。」 「昼飯なんか食っている暇あるのか?」 などと平気で言われ、業後も9時10時から居酒屋で強烈な説教を受けるような環境だった。
  昼に調子が悪いのでとりあえず熱を計ると、39度8分などということが何度もあったがそのまま普通に仕事をしていた。 ただし、回復は早く夕方には戻り、夜にはもう飲んでいた。

 入行して、新潟ではコートなし。 東京へ転勤してもずっとコートなし。 40度近い熱のときもスーツだけでバイクで走っていた。
 流石に仙台転勤が決まったときに、コートを着ない自分に周りがにコートを餞別にするとなり、東京で初めてコートを着ていった。

  元気に過ごせたのはすべて、冷温浴の効果と、思い込みのお陰なのでしょう。。


それから、UCを発病しいつの間にか水浴びはやめていたのだが、、
 退社して、自然療法で治すと決めて大阪の甲田病院を訪問すると、そこで、玄米食とともに冷温浴を勧められた。

 また、真冬の冷温浴が復活。 しかも、この当時は5.6回繰り返す強烈なものだった。

言われるままにやっていたが、これは逆効果だったかも知れない。
 冷静に考えfれば、、、
 そもそも自分は子供のころから、冷えるのが苦手だった。
 幼少時、実家のプールで遊んでいてもすぐに唇が紫色になってぶるぶる震えていた。
(プールのある豪邸、、、、、、、、、に住んでいたのではなく、農業用のしいたけのホダギを浸す大きな水槽に水をはってもらって泳いでいたのだ。)
 陸上長距離をやっていた時も、冬季の駅伝、ロードシーズンは全く振るわなかった。
 元々、冷え体質だったのに気がつかないで、かなりの我慢で逆に体調回復を遅らせていたのかも知れない。


 今は、ただ単に刺激として機能してくれたのかも知れない。