体は病気をきっかけにずっと何十年もかけてどんどんと深みに向かってきた。
そもそも、歪んだ精神が元凶になっていたのだと思うが、そんな事には全く気が付きもせずに唯ひたすら我慢する事、一生懸命にやる事で免罪符を得るような感覚で生きていたのだから当たり前だ。
もう、20年近く世間とは隔離された蟄居状態が続いているが、これも必要だったのかもしれない。
どうにも厄介な性格の持ち主だから、一般世間で生活し他人と関わればすぐに引っ掛かりが出来て心にさくれが出来る。
そんな状態で一般社会に過ごしていたなら、症状はどんどん厄介になってたのだろう。
それを、体が壊れた事で、世間と関わらずに生きていれば内省の機会にも恵まれ、色々と精神の構造を学ぶ事もある。
そんな中から、少しずつ、少しずつ、自分の間違いに気付き、修正方法を学び、実践し、少しずつではあるが心の状態が変わってきた。
今では、敏感に心に響く事も少なくなり、やっと安心して生活を送れるレベルになってきたようで、
これらを得るために病気になったのだと思えば、20年の年月も安いものかも知れない。
病気になり、蟄居生活。。内省から、少しずつの精神の改善。
心のリハビリには最適な環境を与えてもらっていたのかもしれない。
病気や障害を持ちながら生きていくことはもちろん大変な事だが、
片や、実社会で健康な人が全速力でストレスまみれで競争し、働いたり仕事をしたりする事もこれまた厳しい事でどちらが楽かは解らない。
毎日毎日、自宅療養者は、朝決まった時間に出社する必要も無いのだから。
自分からリタイヤすれば色々と困る事はあるが、戦いを止めてタオルを投げ入れた人間には、それなりの人生を提供してもらえるような。。。。。
(実際には多くの方に迷惑をかけ、お世話になって成立しているのだが、、、、)
天の元での人生は、そんな事が担保されているようにも感じる。
少なくても自分にはそう感じさせてくれる人生なので。。。。 感謝します。
健康を取り戻すため、出来る事をやるだけ。それだけ。
炭火の焼き芋うまい。